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☆★☆★2010年01月08日付 |
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ある評論家が、民主党政権に対する世上の評価を「若葉マークのドライバーの腕前を云々するようなもの」とたとえていたが、言い得て妙。だが、気にかかるのが党内の不協和音である。藤井財務相の辞任はそんな危惧が早くも露呈したかに見える▼健康上の理由としているが、誰も額面通りに受け取ってはいない。なぜなら予算編成の途上、藤井さんの掲げた方針が決して尊重されなかったからである。予算のことなら任せておけという大蔵上がりのメンツをつぶされた思いがおそらくあったに違いない。藤井さんには内心鬱々たるものがあるはずと想像していたらこの辞任劇だ▼それもこれも若葉マークのせいで、編成の大綱が初めから定まっていたらこうはならなかったろう。しかし実際は走りながらの調整で、周囲を見回すゆとりがなかった。だからベテランドライバーへの配慮に欠けたところがあったのは確かだ▼後任には菅直人副総理が起用されたが、はたしてこの人事はうまく機能するだろうか、とついその運転歴をさておいて運転技術≠ノ目が行ってしまう。菅さんと言えば直情径行型、瞬間湯沸かし器型の性格で、家計を切り盛りする内助の功タイプではないところが?なのだ▼いや案外隠れた才能と配置の妙が発揮されるかもしれず、小欄の不安が杞憂に終わることを祈るしかないが、それとは別にずっと通奏している党内の不協和音をどうするか、指揮者のタクトが気になってならない。 |
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☆★☆★2010年01月07日付 |
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ふだん何気なく使っている爪切りだが、今ひとつ切れが悪いので以前に買ってあった別の爪切りを試してみたところ、驚くほど切れるではないか。道具とはかくも違うものかと認識を新たにした▼別にメーカー品を選んだわけではなく、何かのついでに買ったものだが、切れるのも道理、カミソリメーカーの製品だった。鍛造技術のしからしめるものだろう。それにしても切れる切れないその一事だけで心理的には大分異なる。大袈裟に言えば何か急に目の前が開けたような気分になった▼同じようなことが包丁にもあてはまる。切れる包丁を使えば腕前まで上がった気分になるし、その反対はいまいましいばかりか、仕上がりも見た目が悪い。その点、本職は刃物を大事に扱い、研いで研いで原型が分からなくなるほど使い込む。「包丁一本さらしに巻いて」と歌の文句にあるほど、自分の分身のように可愛がる▼素人はそこまで凝ることもあるまいが、以前からいい包丁を欲しいと思っていた。しかし貧乏性のせいか、万と聞くと手が引っ込んでしまう。東京・浅草の合羽橋や築地市場の包丁専門店をのぞく機会もあったがため息をついておしまい。それはそうだ。オヤジ料理に高級包丁はもったいない▼そこで研ぎだけはこまめにやることにしている。自己流だから仕上がりは噴飯ものかもしれないが、多少なりとも切れ味は増す。簡易研ぎ器で済ますのもいいが、砥石を使って研ぐというところに別の楽しさもある。なに余計なお世話? |
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☆★☆★2010年01月06日付 |
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日立製作所が、英国で使われている高速鉄道の車両更新プロジェクトを引き受けることになり、今年早々にも英運輸省と契約の運びという。受注総額が一兆円にも及ぶという大型商談で、久々に日本企業から元気をもらう思いだ▼このプロジェクトは車両千四百台の製造と運行システムの開発や保守などを請け負うもので、すでに先月半ばから日立が製造した車両を使用した高速新線が首都ロンドンから東南部で運行を開始し、従来八十三分かかっていた区間を三十七分と半分に短縮した実績などが買われたもの▼日立同様車両製造のノウハウを誇る東芝、川崎重工、三菱電機なども欧米各国や中国、インドなどの新興国で市場開拓に力を入れており、今後の成約が期待されている。新幹線に代表されるように日本の高速鉄道製造技術は世界のトップにあり、特にその安全性は高く評価されているだけに、今後の展開が楽しみだ▼国内における旅客の大量輸送を担う主役を果たしてきた鉄道が、引き続きその役割を果たすことは新幹線の延伸とさらに整備新幹線計画が物語る通り。ただスピードを誇るだけでなく安全性、快適性など新幹線で培われた技術は他国の追随を許さぬものとなっており、さらにその格差は広がるはず▼成熟期に入りつつある自動車と比べて鉄道の販路はとりわけ海外市場で無限の可能性を秘めており、日立の成約は満を持して技術の積み重ねをしてきた各社の開発力、競争力がいよいよものを言う時期の到来を物語る。「そうか鉄道があったのだ」と思わず意を強くした。 |
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☆★☆★2010年01月05日付 |
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元日は誰憚ることなく朝寝をし、朝湯に浸り、そして朝酒を楽しんだ。小原庄助さん気分とはこのことだろう。その庄助さんという人物が実在したかどうかは不明だが、モデルになった大酒飲みはいたはずである▼その有力な一人とされるのが、白河市の天恩皇徳寺に眠る会津塗師の久五郎で、墓石は徳利の形をしていることからもよほどの酒好きだったことがうかがわれる。現地を見たことはないが、ネットで調べるとこの久五郎の戒名が「米汁呑了信士」というのだから笑ってしまった▼米汁とはつまり酒の隠喩で、とぎ汁でないことだけは確かだ。小欄は憚って言う時は「米のジュース」としている。ところが本当にそんなものが存在すると勘違いするむきもあって、「どこで売っているのですか?」などと聞かれたりする。「健康の秘訣はこれを飲んでいるから」などと茶化すからその報いだ▼本当かどうか、久五郎の辞世の句なるものがある。これが愉快というかすさまじいというか、はたまたバカらしいというか、いずれ辞世でも何でもなく、後世が勝手に創作したものだろう。《朝によし昼になほよし晩によし/飯前飯後その間もよし》というのだから、朝から晩まで間を置かずに飲んでいる勘定だ▼今年の正月だが、大晦日から荒れ模様となり三が日もその延長となった。正月が穏やかな年は後半荒れるというのが小欄の体験で、政局は荒れるにしても経済的には穏やかな年になるだろうと予測をたてた。小原庄助さんのようにつぶす身上もないから気楽なものである。 |
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☆★☆★2010年01月01日付 |
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あけましておめでとうございます。とはいっても正月という実感がわいてこなくなって久しい。それは「毎日が盆正月みたいなもの」という表現が大袈裟でないほど食生活が豊かになったからだろうか▼盆はともかくとして正月というハレの日は、いつものつぎはぎだらけの服ではなく、文字通り一張羅の晴れ着を着せられ、家族のみならず多くの親戚縁者近隣などが集まって普段は口にできないようなご馳走を食べ、大声で談笑するそのひとときは実に楽しいものだったから「もういくつ寝るとお正月」と指折り数えて待つのは当然だった▼まさに正月用といった貴重品のミカンが木箱から取り出される時のうれしさ。お年玉をもらった時の得意。それにも増していつまでも思い出として情景に残っているのが正月の遊びごとだろう。いとこ、はとこ、友人たちが集まると当然ゲームの出番だ▼家の中なら十二支合わせ、トランプ、双六、福笑いなど。家の外ならたこ揚げ、追い羽根などまさに正月用の定番というものがあり、それが集中して楽しめるのが正月だったのだ。しかしこうした遊びも次第に姿を消し、正月ならではの光景というものが少なくなってきた。それが実感を薄める最大の原因ではなかろうか▼十二支合わせもすっかり姿を消してしまったが、懐かしさにかられて東京で探してもらった。届いたそれを見ると紙質も絵も実にお粗末だったが、それがあの時代だったのだ。今は大変な不況だが、それでも「毎日が盆正月」。ありがたいことで。 |
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☆★☆★2009年12月31日付 |
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年末の帰省ラッシュをニュースで見るたびに、田舎に住んでいることのしあわせをいやでも噛みしめないわけにはいかない。鉄路、陸路、空路、海路すべて大混雑なのに、こちらはのうのうと正月を迎えられるのだから▼一度だけ東京で正月を過ごしたことがある。ビル管理のアルバイトをしていたのだが、みんなが帰省したがり、家族持ちでないこちらが貧乏くじを引くハメとなったのだった。都会の正月がいかに虚しいかは予想でき、せめて屋台でもと思っても仕事が仕事だけに出歩く訳にはいかない▼もっきりとつまみと雑誌などを買い込み除夜の鐘を聞いたが、その味気ないことまことにおびただしい。ビルは今をときめく六本木にあったが、さすが年末年始だけはゴーストタウン状態となる。大都会の静寂はタヌキやキツネが出ないだけよけいわびしいのである▼こうして三が日までをビルの地下で過ごしたが、なにせ一人だけの生活だから無聊を慰めてくれるのは食べ物、飲み物、雑誌だけ(地下にはテレビもない)で、金輪際こんな正月は迎えないぞと誓った。だからこそ正月だけは田舎で迎えたいとラッシュをものともせずに帰省する気持ちは痛いほど理解できる▼帰省してのんびりすると、仕事さえあればUターンしたいなと考えるむきもあるにちがいない。問題はその仕事なのである。若い人の間にも地元にとどまりたいという志向が強い。来年の地域課題はそこだろう。この一年のご愛顧に感謝しつつよいお年をと祈りたい。 |
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☆★☆★2009年12月30日付 |
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財団法人岩手経済研究所が発行している月刊誌「岩手経済研究」が「この人に聞く/岩手2010年の業界見通し」という特集を組んでいる。各業界の代表にインタビューし、さて来年はどんな年になるかを占ったもの▼設問はずばり「良くなる」「変わらない」「悪くなる」の三択方式で、二十九人から回答を得た。その結果「変わらない」「悪くなる」がともに十三票ずつの同点。これに対し「良くなる」が三票もあった。前回の調査ではゼロだったから若干明るい材料が出てきたのだろうか▼前回は「悪くなる」が二十五票だったのに対し「変わらない」がわずか二票で、産業界が今年の景気をいかに悲観的に見ていたかがうかがわれる。それと比較すると来年の予測は「良くなる」と「変わらない」で十六票となり、多少なりとも薄日が差してきた兆候を感じさせる。むろん希望的観測というものもあろうが▼新聞業界を見回すと中央紙、ブロック紙、県紙、地域紙ともに減収にあえいでおり、アンケートをしたらおそらく「悪くなる」一色だろう。だが、悪い時こそ「良くなる」と思うことだ。悪くなる、悪くなると下ばかり見ていたら本当に悪くなる。ではなくて、上を見続ければこそ希望もわく▼だからこそ新聞は「大本営発表」で行くべきだ。むろんウソを書けというのではない。明るいことはことさら明るく書くということである。まずは明るい材料を探すということである。不況マインドを吹き飛ばすこんな大本営発表なら許されるだろう。 |
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☆★☆★2009年12月29日付 |
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ここ一年ほど体重計に乗ったことがない。その必要がないからだが、別にスマートなわけではなく、どちらかといえばメタボの部類だろう。だが日本人のメタボなどまずは可愛い部類である▼その本場?米国では「肥満」と定義される成人者の割合が、過去二十五年間で倍以上に増えたという。数にして七千二百万人。米国の成人の34%に当たるというから、これは深刻である。そして実際〇八年に肥満関連の病気に支出された医療費は約十三兆円に上り、全体の約10%を占めたとなればなおさらだ▼米国がこれまで目の仇にしてきたのは喫煙で、映画でよしテレビでよしあれほど喫煙場面の多かった国が一変、困ったたばこ会社は外国への輸出に活路を見いだしているほど(これ本当)。それはさておき喫煙率の低下が一服≠オて次なる目標となったのが肥満の追放。十人中三・五人が医療費増大の対象ではね▼嫌煙と異なりこの課題は難しい。なにせ「嫌肥権」はない。人権上からも「分肥」などできるわけがない。「副流煙」のように難癖をつける理由もない。だから本人が自覚して痩せるしかテはないのだが、たばこ飲み同様節制ができないからこその肥満▼二十五年間で倍増という数字に心当たりはないだろうか。禁煙運動の高まりとダブルのである。禁煙すると食べ物がおいしくなる。甘いものが欲しくなる。その結果の肥満なのだから甘んじろと目下禁煙中は嫌みの一つも言いたくなるのだ。 |
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☆★☆★2009年12月27日付 |
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「竹島はどこの領土?」と問われて日本人なら「わが国の一部」と答えるだろう。だが、文部科学省が二〇一三年度から実施する新学習指導要領にはその竹島という記述すら消えるという。韓国に配慮してのことらしいが、これでは最初から領有権を放棄したに等しい▼竹島が日本固有の領土という認識は疑うことなき事実として日本人の脳裏に刻み込まれてきた。だが、いつ頃からか韓国が「これは『独島』であり、わが国の領土」だと主張しだし、〇五年に島根県議会が「竹島の日」条例を制定してからというもの、いっそう反発を強めている。しかし譲歩してはならないのが領土問題だ▼日本政府は、竹島だけのみならず、北方領土や尖閣諸島についても、相手のご機嫌を損じないよう、まるではれものにさわるようにしてきた。しかし尖閣を例にとれば、「これは後の世代に解決をまかせ棚上げしよう」という?トウ小平の提案を信じたばかりに、いまや中国側に実効支配されている形だ▼たかが小島でもそこが起点となって領海や専管水域が決まる。その領有権を確定せぬことには将来に必ず禍根を残す。だからこそ相手も必死になって声を上げているわけであり、絶対に一歩も退いてならないのは日本も同じだ。大体主張しないということは、相手の言い分を認めたことになるのである▼だが、日本政府の態度は「君子危うきに近寄らず」「さわらぬ神にたたりなし」「長いものには巻かれろ」と逃げ腰、及び腰、屁っぴり腰のていたらく。事なかれ主義ここに極まれり。ああ情けなや。 |
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☆★☆★2009年12月26日付 |
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鳩山首相の、献金疑惑に対する釈明記者会見を聞いていて、この人ほど政治家に不向きでありながら政治家となり、おまけに首相の座に上り詰めてしまったというところに「運命のいたずら」を感じてならなかった▼政治家の家に生まれ育ったことで二世議員となるという確率で物事を考えると、鳩山さんの前までの麻生、福田、安倍三代首相の例を引くまでもなく、政治家の家系というレールが敷かれそれに乗ったらいつの間にかトップになっていたというのは何の不思議でもないように思える。鳩山さんの場合もまさにそれだった▼野党時代からの言動を見ていて、この人にはバックボーンというものがなく、おそらく八方美人的にその場その場を処理して行くに違いないと見ていたが、実際、首相となっても軸足が定まらずにいる。しかしご本人は誠心誠意尽くしていると思っているにちがいない▼要するに世界観、宇宙観が違うのである。故人献金≠ノしろ母親からの小遣い≠ノしろそれが道に反しているとは考えない。育ちの良さというものが人間を大らかにし、些事には無頓着となることを考慮に入れないでこの人を語ることはできまい。なにせ鳩山さんに対する本当の個人献金はわずか十人に過ぎなかった(産経)▼かといって金は要る。そこで「頼母子講」となった。これでは贈与となるので秘書が偽名を大量生産した―という実態はなんとも浮世離れしていて、政治というよりは人情噺の世界だ。 |
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