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きょうのコラム「時鐘」 2010年1月8日
終戦直前の1945(昭和20)年、金沢や京都に「科学組」と呼ばれる英才教育の組織が誕生した。東京の優秀な生徒を疎開させて科学に強い若者を育てる狙いだった
財務相を辞任した藤井さんは、その金沢の「科学組」で学んだ1人だった。後に東大から大蔵省に入ったから理系の人とは言えないが、ルーツは理系少年だった。藤井さんの後任の菅さんも東工大卒で、財務相の経歴としては珍しい 就任前日の本紙に「不得意分野、経済が試金石」の記事があった。理系出身の菅さんは、近代経済学の大家・サミュエルソン教授が理系だった例を挙げて自信を示したとある。門外漢との評価を混ぜっ返したように見えた 戦中の「科学組」は文系偏重の反省から生まれたが、戦略立案が遅すぎた。そんな付け焼き刃が国家戦略になるわけがなかった。鳩山内閣の「国家戦略室」も、菅氏の横滑りで戦略が狂ったどころか「戦略室」の重みが問われている 政治家の知恵に理系も文系もないのだろうが、東大工学部卒の鳩山首相以下理系出身の多い内閣だ。論戦をどうこなすか、通常国会を見る楽しみの一つにはなる。 |