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ようこそCinemaロケ隊:/2 飯能 高揚感、経済効果も /埼玉

 飯能市はかつて林業や織物で栄え、市内には歴史を感じさせる建物が残る。商店街から山間部や河原までさまざまなシーンが撮影できるうえ、都心から50キロ圏内の近さとあって、06年度から09年11月末までに88件のロケが行われた。

 「市役所でロケをしたい、と言われて、正直戸惑った。どうしていいか分からず、助役に相談した」

 飯能市広報情報室の紫藤安夫室長(54)は、06年5月にロケが行われた日本テレビのドラマ「ウイルスパニック」を振り返る。「飯能を売り出すチャンスだ」と県から出向していた助役(当時)からは協力を指示されたが、初めての経験で放送日も目前だという。深夜までかかる撮影や急な依頼など、役所の職員はその都度、「振り回された」。

 市は、この撮影で宿泊やスタッフの弁当代など、19日間で240万円の経済効果があったとの報告書を残している。紫藤さんは「何より市内でロケをしているという高揚感が市民の気持ちを高めたようでうれしかった」と話す。今、次々に舞い込むロケの相談に市は積極的に応じている。

    ◆

 飯能駅前の銀座商店街で理容業を営む吉川君子さん(68)と長男行一さん(42)にとって09年は「猿ロック」の年だった。

 テレビと映画の撮影が連続し、隣の空き店舗に主人公が営む店の看板などのセットが半年近く設置された。多くの人が店の横でカメラのシャッターを切り、吉川さん一家は主役の市原隼人さんやスタッフと顔なじみになった。孫の恭弘くん(7)はロケ班の人気者。エキストラ出演も果たした。

 行一さんは「普段何気なく見ているドラマだけれど、ちょっとしたシーンでも何度も撮り直すなど、いろいろな発見があって楽しかった」と話す。

 昨夏、商店街の核となっていた丸広百貨店が東飯能駅ビルに移転するなど、周辺は不況の影響から逃れられない。近くのそば店経営、矢代和久さん(43)は「ロケはお祭りのようで楽しかった。終わったら寂しい商店街に逆戻りではなくて、常にみんなが楽しめる仕掛けができたら」と、盛り上がりを一過性に終わらせない工夫を考えている。【内田達也】=つづく

毎日新聞 2010年1月3日 地方版

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