きょうのコラム「時鐘」 2010年1月7日

 映画出演を自慢する知人が何人もいる。役者でなく、当地でのロケにかり出された群衆などの端役

映画に出たのでなく「映った」が正確だろうが、それでもそれが自慢のタネ。映画には、不思議な魅力がある。タイトルを口にするのもはばかられる成人映画の通行人役、という貧乏くじを引いた男もいる

金沢で来月から、俳優養成講座が開かれる。「その他大勢」ではない出演の道が開かれる。主演の道は険しかろうが、主役を支えるのは脇役だし、さまざまな端役が映画に奥行きを与える。黒澤明監督の「影武者」の見せ場は、無数の死体の「演技」である

織田信長軍の鉄砲攻撃で、武田の騎馬軍団が馬もろとも次々と倒れる。実際は麻酔薬で眠らせたそうだが、馬の巨体が崩れ落ち、もがく傍らに将兵が横たわっている。人形の代役で済む場面だが、黒澤監督はそれを許さず、大勢の出演者は暴れる馬の恐怖に耐えて死体を演じた。迫力ある役者魂である

ことしは当地ゆかりの映画「さくら、さくら」と「武士の家計簿」が上映される。名優たちの熱演に加え、大勢の端役の飾らぬ演技にも目を止めたい。