「はだしのゲン」より16年も前に原爆漫画が誕生していました。広島市出身の漫画家が描いた作品の原画が初めて公開されました。原爆漫画の原点として注目されています。
漫画「星はみている」は、1957年に1年間少女雑誌「なかよし」に連載されました。原爆で両親を亡くした少女が形見の指輪に隠された謎を探る物語です。
作者は、広島市安佐南区出身の谷川一彦さん。手塚治虫さんのプロダクションに勤めた経歴もある谷川さん。1970年ごろ病気で漫画界から引退し、幻の漫画家とも呼ばれています。
「これまで最初の原爆漫画と言われていたのは、1959年に発表された白土三平さんの『消え行く少女』でした。谷川一彦さんの『星はみている』は、それより2年前に発表されていたということです」(藤原大介記者)
広島原爆資料館の職員が2年前、大阪府の文学館で当時の雑誌を見つけました。
「『なかよし』で連載っていうのは、すごい大人気作家さんでないとしてない時代でして、巻頭が手塚治虫先生。『はだしのゲン』のような、もう原爆を真正面から取り上げられるような時代が来る前の…」(原爆資料館 啓発担当 菊楽忍さん)
父親を原爆で亡くし、自分も黒い雨が降るのを見たという谷川さん。作品には、被爆後もひそかに生きていた父親が娘の成長を陰で見守る姿が描かれています。
「俺は手当てを受けていた。だが、元の姿ではなかった。俺は死んだことにした。それがまゆみたちのためだと思ったからだ。まゆみ、どうか元気で育っておくれ」(漫画「星はみている」より)
今回、公開されたのは「星はみている」を含む谷川さんの22作品の資料。会場には、長年のファンの姿もありました。
「弟子にしてくださいということをお願いしたんです。だけど、谷川先生はね、わたしは弟子はとらないんだと」(平賀稔さん)
男性は当時、谷川さんから原画をもらい、大切に保管していました。公開された原画の一部はこの男性のものです。
「本来、漫画家さんっていうのはね、こういう原稿は人にあんまりあげないんですよ。特に、自分の思い入れのあるものをね、あげない。すごくね、温和なね、やさしい方だった」(平賀稔さん)
「星はみている」には、主人公の少女の友だちが原爆の放射線による白血病で亡くなるシーンも描かれています。「原爆の子の像」のモデルの佐々木禎子さんが白血病で亡くなって、原爆の放射線被害の深刻さが全国的に知られる前のことです。
「少女漫画だからほんわりとした絵柄なんですが、ちゃんとこう、ある意味で写実的に描き込んである」(原爆資料館 啓発担当 菊楽忍さん)
原爆資料館では、「はだしのゲン」に代表される原爆漫画の原点として高い資料価値があるとみています。(1/6 18:50) |