ムネオ日記
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2005年8月29日(月)

鈴 木 宗 男

 朝6時半から午前中一杯旭川市内廻り。旭川後援会もよくやってくれている。14時に札幌に戻り、打ち合わせ。16時からNHKの政見放送録画取り。18時からNPO法人リンカーンフォーラム北海道主催の各党討論会。マスコミ関係者を除くと一般の人は50人位の出席で、なんともさびしい限り。リンカーンフォーラムの皆さんの努力、頑張りが理解されないのはどうしてか。昨年の討論会も同じ様な姿だったので、今年のは尚、ひどいと思う。
 本部事務所に帰り、明日からの打ち合わせ。いよいよ闘いの時はきた。悔いのない、正々堂々とした選挙戦をしよう。人生をかけた後のない選挙であることを、私自身言い聞かせながら、乾坤一擲の訴えをしていこう。「新党大地」の政策も、遊説日程もすべてホームページに載せているので、是非とも見ていただきたい。どこの政党よりも北海道のために頑張る「新党大地」を、よろしくお願いします。

2005年8月28日(日)

鈴 木 宗 男

 朝7時半から留萌市内挨拶廻り。9時に留萌管内増毛町後援会。日曜日朝早いにも関わらず、大勢の人が集まってくれる。昨年の選挙でも大変お世話になったが、今回もまた張り切ってやってくれるので有難い。
 10時半、小平町産業祭りに参加。何千人という参加者と握手、握手、また握手。昨年も参加しているので「今年も来てくれたのね」と、温かい声もかかる。写真のリクエストも多数あり、地方でもムネオ人気は依然残っている。これを「新党大地」にどうつなげていくか、浸透させるかにかかっている。それにしても名前を覚えていてくれることは、とても有難い。
 13時から空知管内沼田町に入り、後援会との会合。さらに秩父別町後援会に寄り、旭川市に入り、農業祭りに参加。好天に恵まれ、沢山の人が地元の安心・安全な野菜、お米、食材の即売会に来ている。会場に来ているお一人お一人と握手しながら、女性の皆さんが「鈴木さん頑張って」「大地に期待してます」と言われ、嬉しくなる。昨年の選挙から一番の変化は、女性の皆さんから声をかけていただけることだ。この流れを、より多くの人に理解してもらうことが大事である。
 17時半から上富良野町の後援会懇親会。ここも沢山の人が出席して下さり、有難い。19時から美瑛町での後援会会合、急な案内にもかかわらず、ここも大勢の人が集まってくれる。人間関係の賜物である。20時半から旭川市でお茶懇。ここも突然の設営だが、心ある多くの人に集まっていただく。
 公示まであと一日、時間との闘いは待ったなしである。大地に還り、大地に学ぶ、新党「大地」を是非とも応援して下さい。北の大地、母なる大地から日本を変えていきます。北海道が良くなれば、日本がよくなるのです。明日の日本をつくる北海道です。その為にも政治が必要です。それは新党「大地」、「大地」をよろしくお願いします。

2005年8月27日(土)

鈴 木 宗 男

 朝から留萌管内を廻る。昨年の参議院選挙でも得票数で一番になった地区の一つで、今回も後援会は力が入っている。とても有難いことである。各地で「新党大地」に対する期待感はそれなりにあり、手ごたえを感じる。この勢いを加速していくしかない。
 18時から留萌市で決起大会。600人以上の参加者で盛り上がる。今日も人間関係の重さを感じながら、感謝の気持ちで一杯だ。
 駒大苫小牧高校の暴力問題が解決してよかった。学校側と部員の和解が出来たわけだが、結果的にしっかり信頼関係を持って対応していれば、こんな騒ぎにならなかったのではと思う。せっかくの快挙を成し遂げた後だけに、残念でならない。
 選挙公示前、最後の週末。これからが闘いの本番だ。時間のない中で「新党大地」の事務所は、秘書、ボランティア、皆一生懸命やってくれる。仲間に感謝しながら、本番になだれ込んで行こう。「新党大地」の旗を、高く掲げてやっていこう。

2005年8月26日(金)

鈴 木 宗 男

 一日、札幌市内挨拶回り。事務所で電話がけ、打ち合わせをする。公示まで5日、待ったなしの時間である。
 夜、松山千春さんと遊説日程の打ち合わせ。松山さんも出来る限り日程をやりくりしてくれるとのことで、有難い。昭和58年最初の選挙から、松山さんには助けられてきたが、昨年に続き今回も松山さん頼みで申し訳ない。「心友」松山さんの好意に報いる為にも、私は人生をかけて闘っていく。私を支持してくれる、私に期待してくれる人の為に、とことん頑張っていこう。
 「新党大地」、北海道の為に頑張ります。北の大地、母なる大地から、歴史を創っていこう。皆さん、「新党大地」と一緒に歩んで下さい。皆さんの心、想いが通じる政治をしますので、応援して下さい。宜しくお願い致します。
 家内と娘は、十勝・帯広の決起大会に私の代理で出席。家族あげての総力戦。大きな組織・団体の応援、支持もない「新党大地」である。手作りの選挙をするしかない。昨年の参議院選挙もそうだったが、今回も同じである。心のこもった選挙も、また楽しいものである。権力者、力のある人にはわからない、心と心の結びつきである。「新党大地」は人間関係を大事にして、しっかり前を見て歩んでいく。
 韓国が日韓交渉の外交文書を全面公開。14年間の日韓交渉が明らかになる。日本側は文書を非公開にしており、今後日本政府はどう対応するのだろうか。大平外務大臣(当時)と、韓国の金鍾泌中央情報部(KCIA)部長(当時)との会談内容が明らかになり、特に、金−大平メモがそのまま新聞に載っていたが、とても興味深いことである。歴史の知られざる部分が明らかになったことにより、今後の日韓関係にどんな影響を及ぼすのか見守って行きたい。
 「新党大地」も、北方4島の現実的返還に向けて、歴史の1ページを飾りたいと思う。この4年間、日ロ関係は冷え込んだままである。国民の悲願である、北方4島返還を実現していきたい。「新党大地」の出番をつくって行きたい。

2005年8月25日(木)

鈴 木 宗 男

 札幌市内廻り。街を歩いていても、「『新党大地』頑張って」「『新党大地』期待してます」と、声をかけられる。
 会社訪問をしたり会合に出ると、景気、雇用の問題、年金、少子化、高齢化、障害者、人工透析、難病対策に力をいれて欲しいと言われる。郵政民営化の話については聞かない。
 今国民が、北海道民が望んでいるのは、やはり生活に直結する、生活感のある政治である。弱い者の味方「新党大地」、明日の日本をつくる北海道の為、「新党大地」の果たす使命はある。自信を持って訴えて行こう。
 駒大苫小牧高校の問題は沈静化してきたと思うが、殴られた生徒の親が学校側に謝罪を求めていると報道にあるが、親と学校側とでよく話し合えば良い事で、何故今になって表に出てきたのか分からない。何があったのだろうか。やはり、一生懸命頑張った生徒がかわいそうと考えるのは、私だけだろうか。冷静な対応を、双方して欲しいものである。

2005年8月24日(水)

鈴 木 宗 男

 朝から札幌市内廻り。昨年お世話になったところは今回も気持ちよく応援して下さる。ありがたいことである。
 午後から新党大地本部事務所で電話がけ。16時から「新党大地」の公約発表。記者の皆さんも熱心に聞いて下さり、「新党大地」の主張は出来た。景気の回復、雇用の確保、年金、少子化、高齢化、障害者対策等、社会保障の問題、北海道自立の為、ロシア・アメリカ・北海道の戦略的提携、サハリンからのエネルギーパイプライン、北方四島の現実的解決への決意、アイヌ民族の先住民としての権利の確立を主なうったえとして説明させていただく。
 郵政民営化についても、前国会で出された法案が廃案になった今、その法案で賛成、反対を問うのはおかしいとの認識を話す。外交、国防、教育、治安等、国家の基本問題で意見対立があったのなら、国益の観点からも問題だが、郵政民営化が国家の基本と考える人は何人いるだろうか。その点からも、「刺客」騒動は人間的ではないと説明させていただく。
 とにかく、「明日の日本を創る北海道」「北海道が良くなれば日本が良くなるのです」「北海道の為に頑張ります」と、強くうったえて行くのが「新党大地」である。
 19時から札幌市手稲区で女性中心の会合。50人の女性が集まってくれ、熱心に私の話を聞いて下さる。主催者の更科さんに感謝。
 21時過ぎからすすきので会合。パームヴィレッジ山田社長のご配慮で、若手経営者の集まりに呼ばれる。「『新党大地』を応援します」と、力強く言って下さり、ありがたい。出席者の中で堀口哲行さんは「『新党大地』を盛り上げるぞ!」と叫んでくれ、皆がそれにこたえてくれる。仲間とはとてもいいものだ。
 22時からすすきのを歩く。「『新党大地』応援するよ」「頑張って」と、温かい声をいただく。関心を持って下さる人が多いのにびっくり。この勢いを是非とも「新党大地」とご記名いただく様、しっかり取り組んでいこう。
 駒大苫小牧高校の不祥事が大きなニュースになっているが、何か釈然としない。それは学校側の対応のまずさで、生徒・野球部員には責任はないと思う。今の報道では、頑張って栄光の座を勝ち取った選手がかわいそうである。
 「愛のムチ」という言葉があったが、スポーツには必要なことである。先生に反抗的な態度をとった生徒にも責任があるが、それ以上に事実をよく確認しないで、自分の子供のいうことを一方的に聞いて動いた親の責任の方が重いと思うのは、私だけだろうか。しっかりした検証をしてほしいものである。

2005年8月23日(火)

鈴 木 宗 男

 朝6時過ぎから稚内市内廻り。朝早くから現場に出て働いている人の姿は尊い。それに比べ、政治家はいかほど働いているのかと、自問自答する。
 9時35分稚内発で札幌に向かう。「新党大地」の事務所に入り、事務所打ち合わせ。16時に記者会見をすることを決める。
 事務所も皆一生懸命働いており助かる。「新党大地」の名前を一人でも多くの人に理解してもらう様、努力するしかない。
 16時「新党大地」立候補予定者記者会見。小選挙区北海道一区に秋元正博さん、北海道比例ブロックに多原香里さん、田中いづみさん、そして鈴木宗男と発表する。
 記者の方から、5区、7区、12区についての質問が出たが、私が現状におけるベストの判断をした旨を伝える。私は「刺客」とか、血で血を洗う争いは好まないし、やるべきでないと思う。トータルで考えての結論であることを説明させていただく。今日からがまさに勝負である。必勝の信念で頑張って行こう。
 今日の記者会見で、「新党大地」の候補者はしっかりしていると、つくづく感じた。秋元さんの志、青少年を想う気持ち、多原さんのアイヌ民族としての誇り、勇気、田中いずみさんの母子家庭としての生い立ち、頑張り、皆専門家集団である。頼もしい限りだ。よい仲間を得た事に感謝するものである。
 さあ北の大地から、「新党大地」が政治を変えていく。恵まれない声なき声をしっかり受け止めて、とことん頑張って行こう。明日に向かって、「新党大地」は闘う。心ある皆さんのご支援を、心からお願い致します。

2005年8月22日(月)

鈴 木 宗 男

 8時15分丘珠発で稚内へ。心配していた天気も雨が上がり助かる.挨拶回りをしながら、「新党大地」に対する期待が大きいことが伝わってくる。「鈴木さん、北海道のために頑張って」と、声がかかる。意を強くして前進しよう。
 「新党大地」意外と浸透している。心ある北海道を考えている人がいるという証か? 着実な広がりを示している。
 各党の公約が出揃ってきたが、皆総花的で、今何をやるかが見えてこない。急な選挙で時間がないこともあるが、去年の参議院選挙の延長みたいな感じである。「『新党大地』は北海道の為にがんばります」「北海道がよくなれば日本がよくなるのです」と、わかりやすく訴えて行きたい。明日の日本を創る北海道、明日の政治を変える「新党大地」と、しっかり軸足を持ってやっていこう。
 北海道10区に立候補する落下傘候補の飯嶋氏に対し、自民党支部の道議会議員3人が辞表願を提出した。当然だろう。東京都青ヶ島村の教育長に自ら手を上げてなった人が、途中でその職務を放棄して北海道に来るとは、なんとも北海道を軽く見た話である。同時に、自ら手を上げて勤めた青ヶ島村にも失礼な話だ。身勝手な、自分本位な姿が見え隠れする。今の日本の現状を映す、極めて心無い行為と考えるのは、私だけではないだろう。「新党大地」は心を忘れない訴えをしていく。

2005年8月21日(日)

鈴 木 宗 男

 朝から函館市内旧戸井町をまわり、9時半から市内のホテルで新しい後援組織の会合。日曜日、しかも9時半という時間帯にも関わらず、雨の中250人もの人が集まってくれる。しかも若い層の参加が多く、心強い。函館でも確実に輪が広がっており、さらに加速させていこう。
 その後渡島管内、旧南茅部町、鹿部町、旧砂原町、森町、八雲町、長万部町を廻り、札幌に向かう。昨日同様、今日も人間関係の重さをしみじみ感じる。長万部町を17時半過ぎに出て、札幌に帰る。
 どの新聞・ニュースも、駒大苫小牧高校の57年ぶりの快挙を伝えている。歴史に名を刻む北海道の意地と誇りを堂々と示してくれた姿は、今も感動ものだ。一本の指を突き出す「心は一つ」を示すパフォーマンスも良かった。スタンドで応援していた控え選手も一つになって声援を送る姿に、「君達も勝利に貢献した立派な選手です」と、私は称えたい。全員野球で栄光の座をつかんだのだから。
 今日の会合でも駒大苫小牧高校のお話をしながら、多くの人から「鈴木さんも頑張って一緒に嬉し涙を流しましょう」と言われ、感動した。「『新党大地』わかりやすいですよ」「北海道にぴったりです」「書きやすいです」と、賛同の声にホッとする。「新党大地」命名者の松山千春さんに、心から感謝するものである。
 橋本龍太郎元首相が正式に引退を表明された。日本と自民党に多くの功績を残された方であり、党本部でもう少し配慮されたセレモニーがあってもよかったのではないか。この面でも、心の通った政治でないことがわかる。
 「改革」と叫ぶが、何が改革されたか。言葉の遊びではないか。真の改革は、国民の理解、支持があって初めてなされるもので、「新党大地」は声なき声、大衆の力を背景に政治を行っていく。郵政民営化だけが一人歩きしているが、アスベストの問題、年金、少子化、高齢化、社会保障の問題、景気の回復、雇用問題等、国民が望んでいる課題の解決を最優先し、すり替えの議論はフェアでないことを「新党大地」は高く掲げて行きたい。
 外交、国防、教育、治安等、国家の基本政策に関して意見対立があった時は大きな決断があっても良いが、郵政の議論で「刺客」を送るとは、自民党幹事長も基礎体力が弱っている証か。いずれにせよ、公正、公平な、国民の賢明な審判が下されることだろう。

2005年8月20日(土)

鈴 木 宗 男

 6時過ぎに洞爺湖万世閣を出発し、檜山管内に向かう。今金町、瀬棚町、北桧山町、大成町、乙部町、江差町、上ノ国町を廻り、渡島管内に入る。松前町、福島町、知内町、木古内町、上磯町を経て、函館市に入る。どこでも温かく熱烈に迎えて頂き、「『新党大地』応援します」と言ってくれる。テレビ・新聞報道で知っている人が多く、よく浸透している。皆期待感を持って受けとめており、「新党大地」の責任は重いと感じる。
 函館市での会合でも「『新党大地』は弱い人の味方です。北海道民に安心、安定を与える「新党大地」です。元気の出る北海道にします。北海道がよくなれば日本が良くなるのです。郵政民営化よりも景気、雇用対策、年金、少子化、高齢化等、社会保障に最優先で取り組みます。」と訴えると、皆さん賛同してくれる。「改革とは下から湧き上がるもので、民衆が蜂起して初めて改革が実現するのです。」と話すと、「そうだそうだ」と合いの手が入る。自信を持って発言していこう。
 甲子園決勝戦、南北海道代表の駒大苫小牧高校が二年連続の全国制覇。あの深紅の大優勝旗が今年も津軽海峡を渡る。なんともいえない感動、感激である。人一倍努力したことが報われた厳粛な事実である。駒大苫小牧高校野球部の皆さん、本当に感動を有難う。「新党大地」もあやかって、この北の「大地」から政治を変えていこうと決意するものである。駒大苫小牧高校優勝は「新党大地」も大きな勇気を戴く。頑張れば、努力すれば、道は拓けるのだ。甲子園の感動を、「新党大地」が引き継いで行こう。

2005年8月19日(金)

鈴 木 宗 男

 朝7時からえりも町を廻る。亡くなられた佐々木隆人前町長の弔問。8時10分から「みのもんた朝ズバッ!」に、えりも岬から出演する。
 8時30分からえりも町で街頭演説。その後様似町、浦河町、三石町、静内町、新冠町、門別町、鵡川町、穂別町、厚真町と、日高・胆振管内で挨拶廻りをする。講演会関係先を訪問し、各地で街頭演説をする。どこでも「新党大地、いいネーミングだね」「応援しますよ」と声をかけられる。意を強くする次第だ。
 夕方苫小牧で緊急の総決起大会。1000人近い人の集まりで、大盛会裏に終わる。苫小牧の八重桜会(後援会女性部)、ひぐま会(後援会青年部)の皆さんに、心から感謝するものである。松山千春さんも駆けつけてくれ、千春節を披露してくれる。秋元正博、多原香里両「新党大地」候補者もご挨拶をする。
 21時半から虻田町、壮瞥町、洞爺村の皆さんに洞爺湖万世閣に集まっていただき、後援会会合を行う。「新党大地」結成のいきさつや、選挙戦に向けての話をする。夜遅い時間ににも関わらず、多くの人が集まってくれた。ここでも皆さんがよい党名だと言ってくれる。改めて松山千春さんの命名に感謝である。
 甲子園で駒大苫小牧高校が大阪桐蔭に逆転勝ち。大変感動的なゲームで、苫小牧での会合でも話題になる。私も甲子園の感動を受け継いでいこう。新党大地の名のもとで、感動の政治を展開していこう。
 明日は甲子園の決勝戦。駒大苫小牧高校の必勝を願ってやまない。

2005年8月18日(木)

鈴 木 宗 男

 真夜中1時過ぎに旭川に到着。朝8時から旭川市内で上川管内役員会の朝食会。9時から旭川市・上川管内事務所開き。昨年使った事務所なので居心地がよい。多くの皆さんから励ましをうけ、札幌に向かう。
 11時30分から「新党大地」の事務所開きを行う。「新党大地」は松山千春さんの命名。ロゴマークはスズランで、これも松山千春さんのアイディア。松山さん自ら筆を取ってくれた、新党大地の文字が輝いている。
 新党大地の理念は、以下の通りである。

 一、 大地に還り、大地に学ぶ
    自然をうやまい、自然に感謝する気持ち。
 二、 北海道から変わりましょう
    今、必用なのは、意識改革です。
    これから、智恵の競争です。
    そのためにもまず、意識改革です。
 三、 本当の改革とは権力側からではなく、国民から。

 とてもわかりやすい党名で、出席者も喜んでくれる。全道各地から私の後援会の役員の皆さんにご参集頂き、素晴らしい事務所開きになった。飛び入りでエコノミストの紺谷典子ふみこ先生も熱弁を振るってくれる。松山千春さんのご尽力に、心から感謝したい。娘の貴子が出席者の皆さんに心からのお願いの挨拶をしてくれる。家族のきずなを感じながら、私も心から頭を下げたものである。
 14時から新党大地立ち上げの記者会見。新党大地から立候補する予定の二人を紹介する。アイヌ民族代表の多原香里さん、日本スキージャンプ界をリードし、レークプラシッドオリンピックなど、多くの世界選手権大会で活躍した秋元正博さんを紹介する。多原さんも秋元さんもそれぞれ専門の道を持っており、力強い仲間を得て勇気百倍である。さらに候補者を募って、選挙戦に臨みたい。各紙夕刊も大きく扱ってくれ、またテレビニュースも全国放送されており、「しっかり頑張らなければ」と、責任を痛感する。
 夕方札幌市内で後援会の会合を済ませ、日高管内えりも町に向かう。到着したのは今日も夜遅くだった。頑張るしかない。
 「新党大地」皆さん応援して下さい。支えて下さい。一緒になって、新しい歴史を創ろうではありませんか。

2005年8月17日(水)

鈴 木 宗 男

 朝早くから釧路市内挨拶廻り。10時から釧路管内音別町後援会役員会、音別町役場、農協を訪問する。皆さんに気持ちよく対応していただき、有難い。11時から白糠町後援会。忙しい中大勢の人が集まってくれる。昨日同様、現況を報告し、私の決意を述べる。後援会皆さんも十分わかってくれ、逆に頑張れと励まされる。
 12時45分釧路発の飛行機で丘珠へ。札幌事務所に入り、マスコミ取材。その後スタッフと選挙事務打ち合わせをする。
 駒大苫小牧高校大逆転勝ち、ベスト4進出。胸の締め付けられる素晴らしいニュースで、ナインの根性、頑張りは、全国の人に大きな感動を与えるものだ。
 綿貫先生方が新党結成。顔ぶれをみてみると、よく知っている人達で、頑張って頂きたいと思う。私も意を強くして、北海道新党を明日立ち上げようと決意する。綿貫先生の新党は国民に大きな選択肢を与えることになり、とてもよかったと思う。私も北海道の政党ではあるが、堂々と北の大地から、「北海道が変われば日本が変わる」との想いを持って、志を高くして立ち上がっていこう。よくマスコミの皆さんから「綿貫新党との合流はあるのか」との質問を受けるが、私は以前から北海道の地域政党を立ち上げると言ってきたので、筋を通して北海道新党でやっていきたい。
 改革とは本来、民衆の中にあるものだ。国民一人一人から湧き上がってくるのが改革であり、権力側からの押し付けの改革は、真の改革ではないと思う。北海道から意識改革を進めて、元気の出る北海道にしていきたい。多くの心ある皆さんと手を取り合って、やっていきたい。

2005年8月16日(火)

鈴 木 宗 男

 午前中札幌市内挨拶廻り、午後から事務所選挙事務打ち合わせ。十六時四十五分丘珠空港発で釧路へ。十八時から釧路管内阿寒本町後援会役員会、五十人の人が出席。二十一時から阿寒湖畔後援会百五十人の人が集まってくれる。送り盆にもかかわらず、両会場とも後援会の熱い思いを感じ、ただただ感謝の気持ちで一杯である。新党立ち上げの予定、私が比例区で出るか小選挙区で出るか今の状況説明をさせて戴き、理解を得る。「どんな形で立候補しても必勝に向けて頑張るから心配するな」と逆にハッパをかけられこれまた後援会の皆様の思いやりに頭を下げるのみである。私自身後援会の皆さんに報いる為にも乾坤一擲の闘いをしなくてはならない。
 今回の総選挙を郵政問題で国民投票になぞらえている。今回の総選挙が日本の進路を決める国民投票になりうるというのなら争点は郵政民営化の是非ではなく日本が新自由主義政策を継続するか否かだ。新自由主義とは「強い者を優遇してもっともっと強くしそれで日本経済を活性化させる」という考え方だ。社会的弱者や首都圏以外は切り捨てられる。外国のハゲタカ資本とでも手を握って分捕り合戦に励む強者が新自由主義では英雄だ。ニッポン放送・ライブドア騒動で国民にもその姿が見えたと思う。
 今回自民党がホリエモン(堀江貴文ライブドア社長)に出馬を要請したとマスコミに報じられて堀江氏もそのような働きがけがあったことを認めているがこれは小泉総理と竹中平蔵大臣が進めている新自由主義政策の必然的帰結だ。
 私は新自由主義政策には反対だ。一部の者だけが強くなる政策では、結局、日本全体の国力が弱体化すると考えるからだ。公平配分を担保して、日本国民であるならば、親の経済力や地位、生まれ育った地域に関係なく平等なチャンスを与えるのが日本の伝統にも即しているし、経済力を強化すると考える。
 外国の例を見ても、アメリカのブッシュ政権は小泉・竹中流の新自由主義だが、ドイツ、フランスなどのヨーロッパは異なる。ブレア首相のイギリスも公平配分に十分配慮している。
 特に日本の子供たちのことを考えなくてはならない。小泉・竹中流の新自由主義をあと十年続けると、階層分化が進んでしまい、親の所属する階層によって子供たちの可能性が制約されてしまう。これはよくない。
 それから新自由主義政策では高齢者も切り捨てられる。新自由主義政策では、安定し、確実に受け取ることができる年金制度も構築することができない。
 いま軌道修正をしないと間に合わなくなる。50年後の日本が滅茶苦茶になる。
 私はそのことを心配しながら今回の総選挙に立ち向かっていきたい。明日この続きを書きますのでアクセスしていただきたい。
 物優先の心を失った日本でいいのかよく考える選挙にしていきたいものである。
 お昼近く東北地方中心に地震があり、あわててニュースを見たが、宮城県南部が震源地。60人以上の負傷者が出ていると言われている。被災された皆様に心からお見舞い申し上げると共に自然災害はいつやっているかわからない。普段から備えあれば憂いなしである。お互い心していきたい。

2005年8月15日(月)

鈴 木 宗 男

 終戦記念日、戦後60年。大きな節目の年に選挙を控え、心落ち着けて追悼できない事を、戦没者に何と説明したらいいのか。トップリーダーの下した事とはいえ、私は申し訳なく思う。
 午前中、マスコミ各社の写真取り。選挙本番近しを感じる。午後から初盆のお参りをしたり、入院中の方のお見舞いなどをする。まだ道路はすいているが、明日からはまた混雑するのだろうか。
 18時から選挙に向けての事務的打ち合わせをする。出席者皆さん力が入り、延々5時間にも及ぶ。三人よれば文殊の知恵というが、それぞれ人生経験のある、また、専門家とも言うべき人の指摘は、とても参考になる。様々な人の知恵を借りながら進めて行こう。
 駒大苫小牧高校、堂々たる勝利、ベスト8進出。昨年の勢いが今年も感じられ、大きな夢の実現に向かってさらに頑張って頂きたい。私も高校時代野球部に属し、夢を描いたものだ。感動を与えてくれる高校球児に拍手を送りながら、政治も夢と感動を与えて行かなくてはならないとつくづく考えるものである。

2005年8月14日(日)

鈴 木 宗 男

 夜中の3時すぎに根室に入り、8時から根室市議会議員選挙立候補者の出陣式、事務所挨拶回りをする。時期が時期だけに、他の衆議院立候補予定者ともぶつかる。選挙戦はもう中盤に差し掛かっている様相である。根室にきたので納沙布岬に立ち北方領土問題を考える。幸い、同志市議候補者も遊説にきており「現実的四島返還論」を地元の皆さん、観光客に話す。1998年(平成10年)4月川奈における橋本・エリツィン会談、2001年(平成13年)3月イルクーツクにおける森・プーチン会談の直後に北方領土問題が解決する大きなチャンスがあったが、その機会を失ってしまったことを本当に残念に思っている。特に田中、川口2人の外相の間に日ロ関係はかつてなく冷え込んでしまった。私はこの2回の大きな外交戦略に直接関与したが、プーチン大統領の戦略を考えるとイルクーツク会談の流れを発展させれば北方領土問題の突破口を開くことが出来ると訴える。元島民2世の方々も多数来ており地元の皆さんは私の現実的返還論を支持する声が最大公約数と考える。民族の悲願を実現するために、私は信念もって闘っていく。
 自民党は第一次公認を発表したが、170人止まり。北海道では、12の小選挙区に一次公認は5人のみ。北海道は前回選挙で民主党は小選挙区7、比例区は定員8のうち4人。民主党から小選挙区に立候補した人は惜敗率で全員バッチをつける結果であった。景気の回復は見えず、雇用のない北海道は中央のものさしでは通用しない。そこで、北海道の声無き声が大きな役割を果たすことだろう。
 「北海道を変える、ムネオが変える」の信念で立ち上がっていこう。
 今日も郵政賛成、造反の指し合い打ち合いの記事が多い。候補者が決まればいずれ話題が消える話で、時間の問題で落ち着き、それからが本当の勝負になる。国民は景気と年金等、社会保障に関心を示しており国民が望んでいる問題に手をつけない政治はどこかで否定されることだろう。私もしっかり、足元を固めて前を見据えて進んでいこう。

2005年8月13日(土)

鈴 木 宗 男

 朝一番の汽車で帯広に向かい、自宅で神仏のお参り。お盆に家に帰って、ご先祖様にお参りが出来てよかった。10時から十勝後援会、帯広後援会の拡大役員会を行う。11時30分から札幌での新党事務所開きのお話をする。
 生まれ故郷の足寄から、「昨日事務所開きをした」という報告がくる。昭和58年、私が最初の衆議院選挙に出馬した時も、足寄がいの一番に事務所を立ち上げてくれた。今回もまたいち早く事務所を設置して頂きありがたい。お盆にも関わらず、また急な案内の中、沢山の人にご出席頂き、この後援会のきずなを、力を借りながら、必勝の信念で闘って行きたい。
 私の今の心境、また、新党発表、候補者について現状の報告をし、とにかく待ったなしの8月30日公示、9月11日投票の日程に進んでいくことを話す。後援会からは「比例区、小選挙区、どの様な選択でも鈴木に任せる」との決議を頂き、後援会の思いやりに手を合わせるものである。家内も娘も後援会の皆様のお心に、ただただ感謝していた。
 今日の報道も、郵政民営化関連法案に関して、自民党内の賛成・反対の打ち合いの様子が出ているが、3日も4日も人を(おとし)める様なやり方を聞かされるとウンザリする。もっと優しく、広い心を持って対応できないのかと考えるのは、私だけだろうか。そもそも、郵政民営化法案に賛成した人の中でも、心ならずも、また、自分の考えとは違っていても賛成した人がいるということを執行部は知るべきである。
 帯広での役員会を終え、列車で千歳市に入り、千歳市内挨拶回り。18時から札幌に戻り、著名な大学教授、マスコミ関係者との懇談。その中で、「大統領制に似た総理大臣の手法だ」と言われるが、私はもっと強い、わかりやすい表現があるのではないかと考える。それは、「総書記」という称号である。人智を超えた独裁手法は、まさに金正日に匹敵する大きな力を発揮していると受け止めた方がわかりやすいのではないかと話すと、出席者は皆うなずいてくれる。私はジョークの意味を持って話したのだが、聞いた人は「わかりやすい」「面白い」と、大変な興味を示してくれる。
 郵政民営化法案に反対した人達が、何の反応も出来ず打たれっぱなしになっている姿は、同情に値する。同時に、信念を持って反対したのだから、ここは新しい流れを作る事が必要ではないのか。造反者も、堂々と「公認はいらない。信念を持って闘う」と訴えるべきだ。造反してうろたえる姿はみっともない。冷酷非常な執行部に対し、泰然(たいぜん)と打って出る姿を国民は期待しているはずだ。政治家に信念がなくなり、誇りがなくなったら、辞めるべきである。この事を考えると、造反した人達は、執行部に負けないしっかりした意思表示をして、国民の理解を得られるメッセージを次から次と発信することが大事である。情報戦で負けては元も子もない。
 札幌発最終の列車で根室に向かう。明日は根室市議会議員選挙の告示日。同志・仲間の応援に駆けつける予定だ。11時30分過ぎに私は納沙布(のさっぷ)岬に立って、現実的四島返還の決意をしたいと考えている。今日も忙しかったが、明日もまた北海道を横断する日程になる。人の倍動き、努力して、結果を出して行きたい。

2005年8月12日(金)

鈴 木 宗 男

 自民造反者に対して、執拗しつようなまでの対立候補擁立作業を執行部が続けている事が、各紙をにぎわしている。「わかりやすいやり方だが、人間性のない、心ない手法に情けなく思う。昔の自民党は自由闊達かったつに議論し、政治家も切磋琢磨せっさたくまして、まさにその競争する力が党の大きな底力になっていた。今、自民党は基礎体力がなくなっている。小選挙区制になり、特に政治家が小さくなった」と、先輩から貴重なお話と忠告を頂く。なるほどと思いながら、私も永田町周辺に37年いた者として、振り返ってみるとご指摘の点にうなずくものである。ハムラビ法典のやり方の結果を、きちんと見たいものである。
 「橋本元首相出馬せず 政界引退も」と報道されているが、総理大臣を経験された方に「執行部からはなんの説明、連絡もない」と、橋本元首相は述べているが、この点もきちんと礼を尽くすべきでないか。平成15年の選挙で、中曽根元首相は「これは政治的テロだ」と、怒りをあらわにして引退したものだが、少なからずこのことが影響し、中曽根弘文参議院議員は郵政法案採決の際、否決に回る引き金になったと考える人もおり、橋本さんの件も後にしこりのない様にした方が良いと思うのだが。
 GDP年率1.1%増、三期連続プラスと内閣府は発表したが、実感として受け止める北海道民はいるのだろうか。数字が一人歩きしていると受け止める人もいることだろう。
 一日札幌市内廻り、マスコミ対応、各後援会の皆さんへの電話かけ等で過ぎてしまう。一日があっという間で、まさに時間との闘いである。あわてず、あせらず、あきらめずの精神で、足元をしっかり見つめて頑張って行こう。
 8月18日11時半、新党事務所開きを案内させて頂く。事務所を立ち上げてから新党の具体的動きをしていきたい。18日過ぎには新党の名前も発表したいと考えている。よいネーミングがあれば、是非ともご連絡頂き、お知恵を借りたいと心からお願い致したい。一緒になって、北海道から新しい流れをつくっていこうではありませんか。

2005年8月11日(木)

鈴 木 宗 男

 午前中、東京事務所でマスコミ関係者の取材、激励に来て下さるお客さんとの対応をすませ、13時の飛行機で札幌に向かう。事務所スタッフ、後援会関係者と選挙に向けての打ち合わせ。十勝、網走、釧根管内での後援会の総意、意向を踏まえ、協議をする。
 時間が限られているだけに、皆神経が高ぶっているのか、熱い議論を展開する。仲間というのは有難い。ボランティア精神でいつも頑張ってくれる多くの人達に感謝するものである。選対事務所も決まり、とても良い場所で、幸先の良いスタートである。
 駒大苫小牧高校が初戦突破、連覇に向け好発進。昨年の快挙、感激を今年もと、願ってやまない。北北海道代表の旭川工業の分も頑張ってほしい。選挙を控え、政治も熱くなるが、甲子園も熱くなっていく。甲子園には感動がある。政治にも感動を取り戻そうと、私は一生懸命取り組んでいく。地域新党も順調に準備が進んでいるので、期待して頂きたい。

2005年8月10日(水)

鈴 木 宗 男

 朝から釧路市内廻り。10時から釧路・根室管内後援会役員会。小船井後援会長から「第七区、釧路・根室管内から立候補してほしい」と、後援会総意の要請を受ける。釧路・根室管内が政治を必要としている事が伝わってくる。根室市選出の小池道議会議員も、釧路市選出の蝦名道議会議員も「政治がこの地区にはない」と、挨拶の中で触れている。出馬に向けての大きな選択肢のひとつとして受け止めていこう。
 昼の飛行機で上京し、東京で挨拶廻りやマスコミ関係者の取材を受ける。夜は三つの会合をこなす。それぞれ有り難い応援者で、勇気が湧いてくる。
 選挙情勢を交換する中で、複数の国会議員、北海道内、網走管内の多くの人から「武部は許せない。鈴木さん、武部のところで出てくれないか。いや、出てほしい。平成6年村山首班で、平成12年加藤の乱で党議違反した者が、我が物顔で対立をあおるのは我慢ならん」と、電話が入る。また、こうした声をどこでキャッチしたのか、何人かの記者さんから「鈴木さん、武部さんの処で出るのですか」という問い合わせがくる。
 そんな話を聞きながら、党執行部が小池大臣を鞍替えさせてまでの、なりふりかまわずの強圧的な例を見る時、私もひとつ武部さんのところで闘うのも意味があるのではと、ふと考える様になる。松山千春さんはじめ、後援会の人ともよく相談して、賢明な判断をしていこう。それにしても「目には目を、歯には歯を」という手法は、必ずどこかでしっぺ返しを受ける事だろう。
 野口さんが記者会見で「明日にでも宇宙に戻りたい」と話していたが、本当に無事帰還でき、良かった。数々の困難を経験しながら、更なる意欲を示す野口さんに脱帽である。同時に、今の日本の政治状況を野口さんはどう見ているだろう。「政治家はなんと狭い心しかもっていないのか。宇宙を見てごらん」と思っているのではないだろうか。

2005年8月9日(火)

鈴 木 宗 男

 十時から帯広市で十勝・帯広総連合後援会三役会、十二時半から足寄町後援会役員会、十五時半から北見市で網走管内役員会。昨日の夜の案内にもかかわらず後援会役員の皆さんは大勢かけつけてくれる。選挙戦にむけての心意気を感じながら、永年培ってきた後援会との熱い絆を確認し、感謝の気持ちで一杯になる
「ムネオ新党」や小選挙区、比例区の選択についての私の考えを説明し、了承を得、一任をいただく。
夜は釧路市に入り、地元鳥取四丁目町内会の盆踊りに顔を出し挨拶をすませ、事務所でスタッフと打ち合わせ。限られた時間との競争だが、どの事務所も皆一心同体、よくやってくれ有難い。
 足寄から北見市に向かう途中実家のある大誉地およちでお墓参りをする。四月に母の一周忌でお参りをして以来だが二ヶ月前に今日のお参りを決めていたが、まさか解散の翌日になるとは思いもよらなかった。両親、兄姉、ご先祖様に生かされていることを感謝しながら今の事態、信念を持って闘い抜く決意をし、手を合わせる。懐かしい私の人生の原点の地に今日これてよかったとしみじみ思いながらのお参りである。
 二十一時十一分スペースシャトル「ディスカバリー」無事帰還。本当によかった。悪天候で日程がずれ、更に着陸地迄変更になり、心配になったが、さすが科学技術の粋を凝縮した人間のチエの勝利である。政治もこれからはチエの競争である。様々な困難を克服した「ディスカバリー」を見習いながらチエの競争に私は勝ち抜いていく決意である。

2005年8月8日(月)

鈴 木 宗 男

 参議院本会議で郵政法案が反対多数で否決。小泉首相は臨時閣議を開き、各閣僚から個別の意見も出たが、署名に反対する島村農相を罷免しての解散閣議決定。小泉首相らしいやり方である。
 各方面から、解散する事について驚きの声があがっているが、森―小泉会談が決裂した段階でこの流れが出来ていたのか。昨日、私は「深読みか」と書いたが、森前首相の話が正直であったことがハッキリする。
 それにしても、明日は長崎の原爆平和式典である。戦後60年と声高に言うならば、犠牲になられた方、今も病気と闘われている方、祖国の為なくなられた多くの人の事を考える時、せめて長崎平和式典を終えてから解散しても良かったのではないか。世の中騒々しい中で追悼式典というのは、あまりにも人間的でないと私は思う。権力闘争の前にまず人の道を考えるのが、政治家である前に人間である事が大事ではないか。解散は総理の大権であるが、少しの優しさ、思いやり、慈しみを示してほしかったと思う。
 投票日となる9月11日は、5年前、米国同時多発テロの日である。小泉首相は「郵政民営化解散」と命名したが、「郵政法案自爆テロ解散」と言った方がわかりやすいのではないか。いずれにせよ、国民、有権者は「政治家は身勝手だ」と思っていることだろう。政治を身近なものにする様、私は頑張る。
 明日の長崎の平和式典にあわせ、私は足寄に帰ってご先祖様、亡き両親、兄姉のお墓参りをして、私なりの戦後60年、節目の年の礼を尽くしていきたい。
 スペースシャトル「ディスカバリー」、今日到着の予定が悪天候の為に明日に延期。とにかく無事帰還される事を願ってやまない。
 17時45分羽田発の飛行機で帯広に向かう。帯広で後援会会合を一ヶ所こなし、21時から地元マスコミ関係者との懇談をする。

2005年8月7日(日)

鈴 木 宗 男

 午前中札幌市内廻り。午後の飛行機で上京。札幌では女性経営者の企業を複数ご挨拶に伺ったのだが、女性の視点、感性を生かしての経営戦略・戦術を教えてもらった思いだ。これは選挙にも生きてくることで、とても勉強になった。
 テレビ・新聞も明日解散かという話ばかりで、黙っていてもその方向に話は流れてしまう。夕方事務所の仲間と色々打ち合わせをしたが、時間との闘いで気持ちがせいて、なかなか良い知恵も出てこない。ここはどんと構えてやっていこうと、自分自身に言い聞かせる。日曜日だが、事務所にはマスコミ関係者や友人が訪ねてくれ、ありがたい。
 テレビニュースで、小泉首相が全国都市再生まちづくり会議全国大会で挨拶している姿が出ていたが、何かふっ切れた、さわやかな表情が印象的だった。あの表情から明日本当に解散するのかと、ちょっと気になる様なしぐさや話し振りである。昨日の森前首相とのやりとりが事細かに活字になっているが、そのやりとりからは想像も出来ない首相の今日の顔は、やっぱり並の人ではない。大変な人だということか。同時に本当の話が表に出ているのかどうか、後々検証する必要も出てくるのではないかと考えるのは、深読みだろうか。いずれにせよ、心の準備をしっかりしていこう。

2005年8月6日(土)

鈴 木 宗 男

 朝から根室市内廻り。11時から後援会役員との野遊会。日程を決めた時はこんな政局になるとは予想もしていなかったが、「解散」という流れの中で、根室で後援会役員会を出来たことは、タイムリーで挨拶の中でも、選挙に向けての準備をお願いする。
 根室では、私は必ず北方領土問題にふれているが、今日も「現実的北方四島解決論」を話す。四島一括、四島の帰属を先に認めろと言うのは「空想的解決論」であることを説明する過去の歴史的経緯、数々の宣言・声明・約束事を踏まえ、日本の名誉と尊厳、ロシアの名誉と尊厳、お互いの立場を尊重しあいながら、国益優先で話し合うのが外交の基本であると私の考えを述べさせていただく。
 11月のプーチン大統領の訪日において、日本側が柔軟、かつ現実的対応をすれば領土問題は大きく動く可能性がり、先の「森‐プーチン会談」からも考えられることをマスコミの皆さんが沢山いたので、細かく話す事は出来なかったが、流れだけは話しておいた。根室に来て、北方四島返還の話をすると、自然に血が騒ぐ思いだ。
 政治家として「ライフワーク」と位置付けやってきた私は、北方四島の現実的解決に向けて、これからも最善を尽くしていきたい。
 14時55分 中標津空港発で丘珠へ。札幌市内で、17時から「後援会会合」「就職学生・社会人との会合」、エルブルース・モンブラン単独登頂した「栗城君の祝賀会」、国際交流の会主催の「ユカタパーティー」等、4つの会合をこなす。それぞれ中身のある有意義な会であった。
 朝刊各誌は郵政特別委員会での可決よりも、8日の本会議での否決、そして解散という流れで書かれている。
 今日は広島の原爆死没者慰霊式。戦後60年、節目の年というなら今年の平和式典は極めて重いものである。
 騒々しい中での平和式典は、犠牲者、その関係者、今、原爆の後遺症と闘っている人の事を考えると、申し訳ない気持ちで一杯だ。
 8日、参議院本会議で否決され解散となると、翌9日の長崎での平和式典は、もっと心ここにあらずの総理はじめ、関係者の挨拶になってしまうのではないか。
 平和の尊さ・重みを考えると、多くの尊い犠牲の上での今日の平和である。
 国の為殉死された、また犠牲になられた多くの方々を思う時、せめて8日の解散は避けて9日の長崎・平和式典を厳粛な、そして心から平和に通じる式典にして欲しいものである。
 国会の会期は13日迄あり、小泉総理は9日過ぎてもいつでもその「伝家の宝刀」は抜けるのであるから、私は何よりもかけがえのない尊い命を亡くされた方々に心からの敬意を表しご冥福をお祈りするのが一番であり、そうしたけじめをつけてから、総理が判断されることを望むものである。

2005年8月5日(金)

鈴 木 宗 男

 6時に起きてお世話になっている会社のゴルフコンペ開会式に出席し、始球式を行う。天気も良く、朝早いと気持ちがいい。
札幌市内で会社訪問、ご挨拶、その後テレビ局2社でインタビューを受ける。郵政解散の流れなので、メディアの皆さんも段々と臨戦態勢をとっていく感じである。
 仲間の先生方と話をすると、直近の状況を知らせてくれる。中には「先ほど小泉総理から電話をもらった」という先生もおり、小泉首相、自ら動いているのかと驚く。「党執行部も相当なお土産話をしたり、美味しい話をしてくれる」と、内情を教えてくれる人もいる。それぞれ相当な神経戦、綱引きをやっていることがわかる。総理も執行部もそれだけの情熱があるなら、他の方にその力を注いでほしいものである。景気回復とか、年金、少子化、高齢化対策とか。何かボタンの掛け違いをしているのではないか。
 その郵政法案、参議院の特別委員会で可決。8日参議院本会議採決に入る。中曽根弘文参院亀井派会長は、法案に明確に反対表明をし、賛成派、反対派の動きはこの週末にかけて、はかり知れないエネルギーが働く事だろう。参議院の良識、独自性が必ず生かされるものと、外から冷静に眺めていこう。「国民不在の議論だ」と、何人もの人から指摘を受けたり、関係ない私に抗議してくる人もいる。この事を持ってしても、政府はやっぱり説明が足りないと思う。
 15時45分丘珠空港発で中標津空港に向かい、根室でのお世話になっている会社の55周年祝賀会に出席。21時から地元マスコミ関係者との懇談。選挙一色の話題になる。

2005年8月4日(木)

鈴 木 宗 男

 江別市内、札幌市内、千歳市内挨拶廻り。
 郵政法案がどうなるか、会合の中でも中身の話より、否決か可決の方に質問が来る。これも、メディアの影響か。
 参議院特別委員会は5日に採決し、本会議は8日に行われる見通しと、どの新聞も書いている。
 与党の考えであった週内採決がずれただけでも混乱をきたしている事に違いはない。
 どうして急ぐ必要があるのか、「次の臨時国会でも、その後の通常国会でも十分議論をつくしても何ら問題ないではないか、慌ててやることではない。」と言う声が私の東京・札幌事務所に多数寄せられる。
 こうした声無き声を大事にしないと、どこかでしっぺ返しを受ける事になるだろう。
 野口聡一さんは、三度目の船外活動をし、スペースシャトルのはみ出たセラミック製接合材を手で引き抜き、除去に成功したと報じられている。
 宇宙での懸命な仕事をしている野口さんから見て、郵政にこだわっている日本の政治がどんなにか小さいことかと思っているのではないか。
 悲しいと言うより、情けないと思わせているとしたら、本当に申し訳ない事だ。
 今、宇宙の平和利用の為、命をかけて仕事をしている野口さんに、応える意味でも参議院の先生方は、堂々と信念をもって行動してくれることだろう。いや、やってくれると確信したい。
 良識の府、参議院の独自性、二院制の意義を今こそ示す時がきたと国民が期待していることを考えて欲しい。
 夏の甲子園、一回戦の組み合わせが決まったが、北北海道代表の旭川工業・連覇を狙う南北海道代表の駒大苫小牧とも、必勝の決意で頑張って欲しい。
 沈滞ムードの北海道に昨年、駒大苫小牧高の全国制覇は大きな勇気と希望を与えてくれた。
 政治のない北海道に、高校球児の頑張りは何よりの大きな励みであり、エネルギーである。
 暑さに負けず、ベストで臨み目的を達成していただきたい。

2005年8月3日(水)

鈴 木 宗 男

 東京新聞24面こちら特報部に、「死を政局利用、永岡氏も犠牲 政治家の宿命」と書かれている。中川一郎先生の死に関連して私の事にも触れられていたが、政治の世界は時に権力闘争の場でもあり、大変な精神力を必要とする時がある。私自身、平成14年、言われなき誹謗中傷から事件が作られてきたが、今回の永岡さんの死は一面で権力闘争に巻き込まれた側面もあり、可哀想な出来事である。心からご冥福を祈りたい。
 日航機墜落事故から20年。御巣鷹山の墜落現場からヘリで救出される川上慶子さんの姿が想い出される。産経新聞28面「あの夏」で、結婚され子供も出来た慶子さんは、遺族文集の「(あかね)雲 総集編」で次の歌を詠んでいる。
 「よちよちと 歩く姿の 愛らしき 見せてやりたし 亡き者たちに」
 家族4人一緒に飛行機に乗り、ご両親と妹さんが亡くなられ、唯一人助かった慶子さん。万感の思いの心が伝わってくる。幸せとは何かを考えさせられる、胸に染みる今日の記事である。
 ブッシュ大統領は国連大使にボルトン氏を強行任命した。上院未承認のまま、強硬な国連批判派であるボルトン氏を議会休会中の任命に踏み切った強行人事は、今後国連改革の美名のもと、どの様な動きになっていくのか。日本の常任理事国入りに大きな抵抗勢力の出現と受けとめるのは、私だけだろうか。安保理拡大より、米国の利益を優先する方向に流れていくのだろうか。
 朝の飛行機で千歳に向かい、江別市友愛グループの老人福祉施設、空知管内北村のナーシングホーム、石狩管内新篠津村の特別老人養護ホーム新篠津ふれあいの苑を慰問して歩く。大相撲の八角親方、関取同行での昨年に続いての訪問だが、顔見知りの人も多く、皆さん喜んでくれる。これからもお年寄り、障害者に、少しでも勇気や誇り、何よりも生きる喜びを与える行動をしていこう。改めて政治の重みを感じながら、慰問して歩いた。

2005年8月2日(火)

鈴 木 宗 男

 各紙とも、永岡洋治衆議院議員の悲しい出来事について書いている。毎日新聞3面「緊迫郵政ドキュメント」「『党か派閥か』圧力」という見出しの記事に、次のように書かれている。《6月30日の亀井派総会に出席した際、永岡氏は「武部勤幹事長から『党をとるのか派閥をとるのかハッキリしろ』と言われた」と暴露している。賛成派の谷津義男事務総長が、この発言を記者団に紹介し、武部氏に抗議する考えを示した。》
 この記事からしても、ご本人はどんなにか辛い思いをしたものと察せられる。どんなにか無念だった事だろう。
 郵政問題で、スペースシャトル・ディスカバリーで頑張っている野口さんの事が小さく扱われるのは残念である。飛行が一日延長になったが、無事帰還に向け、万全を期してほしい。
 参議院郵政民営化特別委員会集中審議の中で、迂回献金について小泉首相は「迂回献金はありません」と答弁しているが、日本歯科医師連盟の臼田、内田両氏が自民党に迂回献金したと認めている。この事実は動かしようがない。自民党の元宿事務局長がこの事をよく知っている。私と元宿局長との会話の中でも、元宿局長は迂回献金を認めている。それなのに何故認めないのだろうか。
 郵政民営化法案より、政治とカネの問題についてしっかりしたけじめをつけるのが先ではないだろうか。国会の質疑を聞きながら、この迂回献金問題でも質問者の勉強不足、調査不足がハッキリしている。もう少ししっかり勉強してぶつかれば、また違った答えが出たものと考えるのだが。

2005年8月1日(月)

鈴 木 宗 男

 朝千歳発1便で上京。東京事務所で仕事。ショッキングなニュースが入ってくる。永岡洋治衆議院議員(54)が自殺。これからが政治家としての本舞台であったとご本人が何よりも無念だったであろう。世の中、非情なもので永岡さんの死を郵政民営化法案で使おうとする心ない人達がいる。なんと言う、いやしいことだろうか。永岡さんは自民党の総務会でも、ご自身のホームページでも法案には明確に「反対」と意思表示していた。ところが、採決では賛成投票だった。誰が、何がそうさせたのか。どんなにか、辛く厳しい胸のうちでなかったのか。政治家の思いを曲げさせた大きな力が働きご本人は悩みに悩んだのではないだろうか。いずれにせよ郵政民営化法案審議最中に1人の政治家が亡くなったことは、厳粛な事実である。「党執行部が反対したら公認しないとか、処分するとか強圧的な言動が要因でないか」と、言う怒りの電話も何本か入ってくる。FAXも届く。人の命まで巻き込んだと言っても良い事態をよく考えて欲しいものである。

 

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