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【おらが春】薬物依存から、家族の正月へ

2010年01月06日

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妻の自宅にある両親の遺影の前で、談笑する竹内剛さん=東京・八王子市

 元日午前11時すぎ、千葉県松戸市。

 上田市の竹内剛さん(47)は昨年1月に亡くなった母ワカさんの墓前で手を合わせた。隣には妻(47)と3人の子供。一度は離れた家族と一緒に過ごせる喜びをかみしめた。

 長年、覚醒剤(かく・せい・ざい)から抜けられなかった。母にも、妻子にも苦労をかけ通しだった。今、薬物や酒、ばくちなどの依存症からの自立施設「長野ダルク」(上田市)代表を務める。以前の自分と同じ苦しみを味わい、抜け出そうともがく人たちの手助けをしている。

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 初めはシンナーだった。東京で過ごした中学生時代、「ケンカ早くて、周りも悪いやつらばかり。一緒にやらないと、輪から外れる気がした」。それが中学2年になると、先輩の誘いで覚醒剤に。「クスリを入れると現実を忘れられた」。高校中退後には暴力団員、朝起きると覚醒剤を打つ生活を続けた。

 薬物をやめるきっかけは、36歳の冬に訪れた。中学の同級生だった妻が、子供と家を出ていった。

 20歳で結婚したが、薬物の影響から、家族への暴力・暴言が絶えることはなかった。時折見せる優しさに、妻は「いつか立ち直ると期待してしまった」が、結局は「私も子供もダメになる」と覚悟を決めた。

 家族を失い、生活は破綻(は・たん)していった。覚醒剤にすべての金を使い、家の電気やガスは止まった。体全体がだるくて、食事も何もする気が起きない。寂しさだけが募り、妻を恨んだ。「この最低な生活は何なんだ。絶対クスリをやめてやる」。東京都内の病院に向かった。

 薬物を完全に断ち切るのは、そう簡単なことではない。病院に通いながらも覚醒剤を使った。「もう治りませんね」。担当医もさじを投げた。最後の手段として紹介されたのが東京のダルクだった。

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 朝に起きて歯を磨き、寮の部屋を掃除する。「当たり前」の生活を取り戻すことで、薬物を遠ざける。毎日、仲間とそれぞれの体験談を語り合うことで、折れそうになる自分の気持ちを励ます。

 それでも最初は「どうやったらクスリを手に入れられるか」という思いばかり。ところが施設で、同じように薬物を絶っている仲間を見て「みんなやめているなら、自分もやめ続けてやる」と半ば意地となった。

 自分の失敗を認めることで、少しずつ、覚醒剤との距離が広がっていった。同時に「一緒に苦しむ仲間がいたから、自分は抜け出せた。その恩返しをしたい」との気持ちも生まれた。2000年に東京ダルクでスタッフ研修を受けると、01年、長野ダルク開設にあわせて代表に就いた。

 当初は、地元住民の反対にあった。住民たちに、会の活動を説明して「危険な施設ではありません」と説いた。入居者4人でスタートし、今は7人を受け入れている。

 06年、竹内さんの活動を知った妻から連絡があった。JR東京駅の新幹線のホームで、8年ぶりに妻や子供と再会した。「大きくなったなあ」。小学1年生だった次男は肩を並べるまで成長していた。そっと抱き寄せながら「悪いことをしたな」と涙を流した。

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 子供の進路について妻と相談する。家族で食卓を囲む。薬物をやめてから、そんな当たり前のことがいかに輝いているのか、実感できるようになった。

 「オレみたいな人間は、死ぬまでクスリをやめることを続けていくしかない」と竹内さん。失った日々は取り戻せないが、「今日だけ」を大切に過ごすように心がけている。その積み重ねの向こうに、未来が見えてくると思う。

 頑張っている自分を、少しは見せられるようになった。墓の中の母に、そう語りかける。正月は毎年、家族と一緒にここに来て、無事な姿を報告しよう――。今年、そう決めた。(竹花徹朗)

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