2010年01月06日

死にませんが「遺書」を書いています

タイトルには気をつけなくてはいけません。「遺書を書いています」では、読売新聞の見出しのように、人を間違った方向に誘導してしまいます。

 


個人的な憤りのない私の「遺書」は、あくまで世の中を良くしようとする前向きな「遺書」です。今の私にはニコンD700以外の財産はありません。生命保険も東村山市に没収されました。(東村山市は決して悪くありません。市民税が払えなかった私が悪いのです。)

 


ですから今、遺言状を書く必要性もありません。しかしながら、明日、交通事故で死ぬことになるかもしれません。

 


そうなのです。私が遺書を書きたいのは、私が少しでも世の中の「役立った」記録を残したいからです。

 


小書「全てのゲストがVIP」にこう書きました。

 


マニュアルは教科書ですが、正しくは「成功の記録や失敗の記録を蓄積した組織内教科書」と表現することができます。記録のない学問や組織活動はまったく意味を持たないものです。逆に成功や失敗の記録が集積した組織は実に強靭です。

<終了>

 


「記録のない学問や組織活動はまったく意味を持たない」、中央大学付属高校時代の恩師、故荒井辰雄先生に教えていただいた言葉です。荒井先生は、物理の教科書を執筆されていました。

 


私がブログに無料で有料情報を書く理由もそこにあります。私が生きた意味を記したいのです。

 


政治活動も同じです。言論活動も同じです。記録のない活動には意味がない、私はそう考えます。