【コラム】 100年前の新聞に載っていた「誇らしい歴史」(下)

 このように続く12月28日付の社説は、現在の目で見てもまさしく名文といえる。

 「その方ら(日本)がいかに欲を満たそうとしても、韓国は断じて滅亡しないだろう。一時武力で韓国を併合しようとも、韓国人民は決して日本の奴隷となることを快く思わないのに、ああ、日本人はこうした形勢は考えることができず、ほしいままに総督府を建てて誇るのか」

 強制併合が目前に迫ったが、抵抗はさらに激しく繰り広げられていた。新聞には、義兵が各地に起こり日本軍と戦闘を繰り広げたニュースや、義兵将が処刑されたニュースが、ほとんど毎日のように登場している。

 この年の年末(12月22日)には、23歳の青年・李在明(イ・ジェミョン)が総理大臣・李完用(イ・ワンヨン)を襲撃する事件も起こった。新聞は、李完用を「ロシアに付いたり日本に付いたりするコウモリ」(12月24日)と描写し、「清の新聞は、李完用が刃物で刺されたことを爽快に思っている様子だった」(12月29日)と記すなど、痛快さを隠さなかった。

 李完用襲撃事件は、売国陣営をかなり怖じ気づかせたようだ。12月25日付の新聞は、度支大臣・高永喜(コ・ヨンヒ)が「大いに心配し、親類や親しい友人のほかは接見せず、部屋の中にいたまま厳しく取り締まらせた」と伝えた。売国団体の一進会が、忘年会に当たり日本の憲兵数十人による厳重な保護を求めたという記事では、「保護も多い」という皮肉たっぷりのタイトルまで付けていた。

 100年前の先代は、わたしたちが思っている以上に剛健で、堂々としていた。庚戌国恥100周年に当たる今年の元日、わたしたちは国を失う恥辱にばかり怒り震える必要はないようだ。わたしたちが日帝の民族抹殺を打ち破り、日本のまさに目の前まで追撃することができたという誇らしい回答が、100年前の新聞に載っていた。

朴正薫(パク・ジョンフン)社会政策部長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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