ヤルタ会談 チャーチル英首相の通訳「千島列島引き渡し違法」
1月6日7時56分配信 産経新聞
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ヒュー・ルンギ氏(写真:産経新聞) |
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オックスフォード大卒のルンギ氏は大戦中、モスクワで英軍のロシア語通訳として勤務。米英ソ首脳による1943年のテヘラン、45年のヤルタ、ポツダムの3会談、44年10月の英ソ首脳会談で通訳を務めた。
ヤルタ会談についてルンギ氏は「ソ連は対ドイツ戦の勝利をほぼ手中に収めていた。スターリンはご満悦の様子で、彼を取り巻く空気は快活そのものだった」と振り返る。
そして「極東問題はルーズベルトとスターリンの2人で話し合われ、チャーチルは署名に応じただけだった。それが公に知られるようになったのは戦後何年もたってからだ」と語る。
ルンギ氏がヤルタ協定の存在や米ソ首脳のやり取りを知ったのも戦後のことだが「スターリンはルーズベルトに『千島列島は日本が第二次大戦で占領した領土の一部だ』とデタラメの説明をした。ルーズベルトは、千島列島が日本の領土になった歴史的経緯を正確に示した米国務省の資料に、目を通していなかった」と説明。「千島列島は1875年の樺太千島交換条約でロシアから譲渡された日本の領土で、引き渡しは国際法上の誤りだ」と断言した。
チャーチルのすぐ後ろで3首脳のやり取りを観察したルンギ氏は、スターリンについて「彼はすべての事実と、自分が何を求め、何を成し遂げたいのかを知っていた。非常に簡潔に要点を突いて話し、袋小路に迷い込むことはなかった」という。すべて暗記していて誰の力も借りず受け答えし、「会談中、一切メモを受け取らず、決意が固いことを周囲に見せつけようとしていた」という。
一方、高血圧を患っていたルーズベルトは「見るからに調子が悪そうだった。顔はろうのように黄色かった。顧問団から多くのメモを受け取り、質問に答えるのを助けてもらっていた。チャーチルともメモを交換していた」と振り返る。
3つの会談で米英ソによって戦後秩序が決められたにもかかわらず「ソ連はかなり邪魔だてしていた。スターリンは、ソ連が対ドイツ戦で攻勢に転じたクルスクの戦い(1943年)など、ドイツに関する軍事情報を一切米英に与えなかった。猜疑(さいぎ)心が強いスターリンは全員を敵とみなしていた。冷戦は大戦中からすでに始まっていた」と語った。
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最終更新:1月6日8時13分
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