きょうのコラム「時鐘」 2010年1月6日

 京都で過ごした学生のころ、東本願寺近くの下宿に住んだことがある。総門前に石川、富山ナンバーの団体バスがよく止まっていて、ふるさとの善男善女が話す懐かしい言葉に耳を傾けたものだった

世界最大級の木造建築である東本願寺御影堂(ごえいどう)の再建がなったのは1895(明治28)年。北陸の門徒が多大な寄進をしたことで知られる。白山ろくからは巨木が伐採され、富山県の女性らが長い髪を切って工事用の強力な毛綱(けづな)を編んだという

泉鏡花の小説「怪語」にも、東本願寺の棟上げ式を見て帰る人々で加賀地方の宿がいっぱいになっている場面が描かれている。北陸と「お東」をつなぐ話には事欠かないが、御堂再建は明治日本の一大イベントだったことが分かる

金沢で開かれている「東本願寺の至宝展・両堂再建の歴史」に、その経緯が詳しい。明治期に石川県に赴任していた京都画壇のリーダー久保田米僊(べいせん)の衝立や、旧福光町ゆかりの棟方志功のふすま絵なども展示されている

東西の本願寺と加越能の縁は宗教面だけにとどまらない。巨大建築から先人たちの息吹が聞こえてくるようだった。