ジョン・アリストートル・フィリップス+デービッド・マイケリス
『ホームメイド原爆
──原爆を設計した学生の手記


奥地幹雄+岡田英敏+西俣総平訳、アンヴィエル、1980年


プリンストン大学3年生の時に「原子爆弾の自家製造法」をテーマにした論文を提出して、一躍有名人になってしまった学生の手記。
ジョン・アリストートル・フィリップスの方が当人である。共著者は彼のルームメイトで、同じくプリンストンの学生。1976年から77年にかけての話。

原著は、
John A. Phillips and David Michaelis, "Mushroom : The True Story of the A-Bomb Kid", 1978.


フィリップス君がそんな不穏な論文を書こうと思い立ったのは、普通の大学生にだって原爆が設計できるということを示せれば、プルトニウムの管理をより厳しくする必要があるという証明になる、と考えたからだという(「軍備管理・軍縮」をテーマとした講座への出席がきっかけになった)。

フィリップス君はワシントンへ出かけ、原子力平和利用計画の一環として機密解除された、ロスアラモス計画の記録を25ドルで手に入れてくる。爆薬を製造している会社(デュポン社)にも電話をかけて、アメリカ陸軍が実際に原爆に使っている材料を聞き出すことにも成功。

彼が設計したのは、長崎に投下された原爆(「ファットマン」)と同じタイプで、プルトニウム239を使った爆縮(インプロージョン)型。計算上の爆発力は、「ファットマン」の半分程度。大きさはビーチボールくらい。


指導教官がフリーマン・ダイソンだったという話も、個人的には興味深い。ダイソンはアメリカ政府の軍備管理軍縮局で仕事をしていた経歴もあり、原爆の機密を保持すべき立場にあったので、積極的な指導はしてない。

ダイソンの自伝『宇宙をかき乱すべきか』の中にも、フィリップス君の騒動は出てくる。爆弾の設計図自体は実用に耐えるほど精密なものではなかった、とダイソンは述懐する。しかし、

二十歳の小僧が、こんなに多くの情報を、こんなに速く、こんなにわずかな努力で集めることができたことが、私を震えあがらせた。私は彼の論文を読み通して、彼に「A」の評点をつけた後、彼にそれを燃やしてしまえと言った。[1]

論文は燃やされず、貸金庫にしまわれた。


有名になったフィリップス君はTVのトーク番組に出演し、アシモフにも会っている。

僕はメーキャップを諦め、周囲を見まわした。きょうの番組に出演する他のゲストたちがいろいろなメークの段階にあった。僕はアイザック・アシモフ、あの科学者兼作家を認めた。彼は非常に気難しい顔をして鏡の前にすわっていた(204ページ)。

この日のアシモフは、最初から最後まで気難しい顔だったらしい。


歴史的に(というか時事ネタ的に [2])特筆すべきは、パキスタン大使館の大使補佐役だという人物が接触してきた、というくだりかもしれない。

「フィリップスさん、私はワシントンのパキスタン大使館の者です。ご存知かも知れませんが、わが国では核エネルギーの平和利用の分野の発展に非常に関心を抱いております」彼が、”平和的”を強調したあたりは、まるで化けの皮がはげている。彼は続けた。「したがって、私があちこちで読んだことのあるあなたのすばらしい設計書の写しをたった一部でいいからお送りいただけると非常にありがたいんですが」(177ページ)

当時インドは既に地下核実験に成功しており、パキスタンはフランスから原子力発電所と核処理施設を買い入れようとしている、という話があった。

フィリップス君はこの電話の件を、知り合いの知り合いの上院議員と、デイヴィッド君(共著者)の父親(JFKの科学アドバイザーだった人)に伝える。上院議員は FBI に伝え、FBI が「捜査員を派遣する」とフィリップス君に電話してくる。デイヴィッド君の父親は、元CIA局員に伝え、CIAは「FBI に任せる」と電話してくる。

結局、パキスタン人は、フィリップス君から原爆の設計図を手に入れることは出来なかった。

クリフォード・ストールの『カッコウはコンピュータに卵を生む』(池央耿訳、草思社、1991年)を読んでいるときにも感じたことだが、アメリカで何か事件が起こりそうになると、すぐに(気軽に) FBI や CIA が登場する。

誰か(大抵、何か起こったときに責任を追及されそうな立場の人間)が、「FBI に相談したかい?」とか「CIA に伝えた方がいいかも知れない」とか言い出すのである。アメリカの警察はどこも忙しそうなので、FBI は、困ったときのよろず相談窓口みたいである。CIA は国内問題には干渉しないという建て前なので、「パキスタンのスパイ」や「ドイツのハッカー」等が絡んできても、なかなか腰を上げないようだ。

日本だと、こういう相談はどこに持ち込めばいいのだろう?


CBSがこの話 [3] を2時間ドラマ化することになり、フィリップス君自身が主役(つまり自分の役)を演じることになる。というところでこの手記は終わっている。

このドラマが実際に放映されたのかどうか、よくわからない。フィリップス君の20年後も知りたくて、いくつかのサーチエンジンで「john phillips」を検索してみたけれど、核問題関連の文献リストにこの本の原著が挙げられているくらいで(あまり役に立つとも思えないのに)、めぼしい情報には出会えていない。


久しぶりに、フィリップス君について調べ直してみた。すると Wikipedia に「John Aristotle Phillips」という項目があり、現在は Aristotle International という、政治的キャンペーンや草の根組織のノウハウを指導するコンサルティング会社のCEOをやってるらしい。1983年にこの会社を興したとあるから、一過性の有名人としての名声を楽しんだ後、ビジネスの世界でも成功したようだ。


注:

  1. フリーマン・ダイソン『宇宙をかき乱すべきか』(鎮目恭夫訳、ダイヤモンド社、1982年)、229ページ。
  2. 時事ネタはすぐに古びてしまうな。この部分を書いた1998年の春、パキスタンが核実験に成功して核保有国の仲間に入り、物議をかもしていたのである。
  3. 「大学生が原爆を設計して有名になり、パキスタンのスパイに追っかけ回されるなんて!」(226ページ)。
    フィリップス君の物語をドラマ化してCBSに売り込もうと思いついた、ハリウッドのあるプロデューサーの言葉。


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Last Modified : Jan 13, 2006