シリーズ内容 本放送 再放送
第1回 大江戸子育て事情 1月5日 1月12日
第2回 “良妻賢母”の光と影 1月12日 1月19日
第3回 孤立する教育ママ 1月19日 1月26日
第4回 “三歳児神話”のじゅ縛 1月26日 2月2日
語り手
香山リカ KAYAMA Rika

1960年7月1日北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。学生時代より雑誌等に寄稿。その後も臨床経験を生かして、新聞、雑誌で社会批評、文化批評、書評なども手がけ、現代人の“心の病”について洞察を続けている。専門は精神病理学だが、テレビゲームなどのサブカルチャーにも関心を持つ。『悪いのは私じゃない症候群』(ベスト新書)、『しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』(幻冬舎新書)、『大事なことは先のばしにしなさい』(ビジネス社)、『精神科医ミツルの妄想気分』(講談社)、『女はみんな「うつ」になる』(中央法規出版)など著書多数。

第1回

大江戸子育て事情

江戸時代、子どもは、「家」そして家の財産や格式を引き継ぎ、それを次代に伝える重要な役割を担っていた。そうした子どもを大事に育て、一人前にする責任を負っていたのは父親だ。江戸の父親の子育て熱は、藩主から農民までさまざまな立場の人が書き遺した「子育て論」からもうかがうことができる。そんな“父の子育て”を支えたのが、地域社会での義理の親・「仮親」(かりおや)の存在だ。その子の通過儀礼ごとに結ばれ、以後生涯にわたって続く擬似親子関係は、母親が出産で命を落とすことが多く、子育てに専念するのが困難だった時代の「子育てセーフティーネット」でもあった。さらに幕末には、農民指導者・大原幽学が、荒廃する地域社会を立て直すため、互いの子どもを替えて育て、“村の子すべてをわが子のように”する「換え子教育」も登場。親と社会が、子どもを大事に育てていた江戸の子育て事情を見ることで、現代の家族のあり方を見つめ直す。
第2回

“良妻賢母”の光と影

明治維新後、日本を近代国家とするために注目されたのが「母親」の役割だった。明治後期以降、高等女学校が次々に設立され、健康な子を産み育てる「良妻賢母」になることが女学生の使命とする風潮が広がった。当時広がり始めた“母性愛”という思想のもと、母親たちは「母の手一つ」の育児に駆り立てられていく。同時期、育児書出版ブームの中、大ベストセラーとなったのが1919(大正8)年出版された鳩山春子の「我が子の教育」。後に内閣総理大臣となる息子・一郎の子育て体験談を説きながら、「子どもの将来の幸福」を目指すことを掲げた育児書は、多くの母親たちから厚い支持を得ていく。日本の近代化と歩調を合わせて、子育てが母親の役割になっていくプロセスをみつめる。
第3回

孤立する教育ママ

戦後1947(昭和22)年からのベビーブーム終了後、出生率は半減し、核家族化が急激に進行。子どもは「授かりもの」から、親の意思・計画で「つくる」ものとなっていく。1955(昭和30)年からの高度経済成長期、企業戦士の父親にとって家庭は寝に帰るだけの場所となり、専業主婦となった母親は子どものしつけと教育を一任される。70年代初め、高校進学率が90%を超え中流意識が広がる中、よりよい大学への進学が差異化の唯一の手段となる。子どもをよい学校に送り込むことに賭けた「教育ママ」は孤立を強め、子どもとの精神的な癒着が新たな問題となる。高度経済成長期の単一な価値観のもと、何が子育てする母親を追い詰めていったのかを考える。
第4回

“三歳児神話”のじゅ縛

“3歳までは子どもは母親の手で育てるべき”という「三歳児神話」。日本特有のこの「神話」のよりどころとなったのは、1951年、イギリスの精神科医・ボウルヴィが発表したWHO調査研究。元来、乳児にとって強い愛情関係の必要性を説いた研究を「母親の子育て」に結びつけたのは、1970年代後半、低成長期に入った日本の政治・経済的状況だ。政府は乳幼児保育の予算削減を検討。日本古来の母性愛をもって高齢者や乳幼児の世話を行う『日本型福祉社会構想』を打ち出した。後年、政府は1998年版「厚生白書」で「3歳児神話に合理的根拠はない」と否定見解を発表するが、刷り込まれた「神話」による母親への心理的影響は今も続く。社会による子育てが叫ばれる現在、過去の「神話」を乗り越えるための道を探る。

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