海王星が木星や土星のように太陽の周りを回る惑星であることをガリレオは、やはり知っていたのではないか――。豪州メルボルン大の教授が豪科学誌に発表した新説が、天文の研究者やマニアの間で注目されている。事実なら、海王星の発見年は200年以上もさかのぼる。
ガリレオが、肉眼では見えない海王星を自作の望遠鏡で見ていたことは1980年に英科学誌ネイチャーに発表され、当時、大きなニュースとなった。惑星の海王星は、天王星の軌道から存在が予測され、1846年に探し出された星だったからだ。
ガリレオの時代は天動説が唱えられ、夜空で自ら輝く数多くの星(恒星)とは別に、天と一緒には動かない惑う星として「惑星」が認識されていた。ガリレオは1613年1月28日に木星を観測した際、木星の近くにたまたま見えた海王星と、もう一つ別の星を一直線上に記していた。「前夜と比べ、二つの星の距離が変わっているように見える」と注釈があったことから「惑星と認識していたのではないか」とネイチャー発表時に指摘もされた。
しかし、ねばり強い観測歴で知られたガリレオが、重大な発見かもしれないのに追加観測をした記録は見つからず、恒星の一つと結論づけたのだろう、というのが通説になっていた。
新説を発表したデビッド・ジャミーソン教授が着目したのは、その半月ほど前の1月6日に木星とその衛星を観測したときのノートに記されていたインクの点だった。まさに海王星がある位置にあり、偶然性は考えられず、恒星はいくらでもあるのにその星だけを記していた。
1月6日には惑星と思わず、1月28日になって重大性に気づき、6日のノートにさかのぼって書き込んだのではないか――。教授はそうみて、インクの点がいつの時点で書かれたのか、ガリレオの母国イタリアの専門家に鑑定を依頼中だ。
まだ結果は出ていないが、教授は朝日新聞の取材に「古い書物だが、同じときに書かれた文字かどうかの違いは鑑定でわかりそうだ」と話している。(東山正宜)