四条大宮駅から7・2キロを約20分で走り抜けた電車は、「ゴトゴトゴト」とポイントを渡りながら嵐山駅に到着する。春や秋の観光シーズンには、満員の電車からどっと乗客が降りる。天龍寺をはじめ、保津川や渡月橋、落柿舎や野宮神社など嵐山観光の玄関口だけあり、駅前の歩道から人があふれんばかりのにぎわいだ。
開業当時の嵐電の様子はどうだったのだろう。「大阪毎日新聞」は、開業日の1910(明治43)年3月25日、嵐電の広告を掲載した。宣伝文句は「ランザン電車 本日開通 四條堀川西より あらし山渡月橋畔に至る 室内清楚 運転快速にして 乗心地最よろし」。1ページの約半分を使い、嵐山の風景と電車のイラスト、路線図とともにPRしている。
同新聞は翌26日、「嵐山電車 開業の景況」と題された記事で、開業日の様子をこう伝える。
「午前5時半から、約10台の電車が8分ごとに発車。春の日はうららかで、各停留所近くは見物人が山をなした。沿線には名所旧跡がたくさんあり、黄金色の菜の花にチョウが舞うころも近い。これからにぎわってくるだろう」
当時の始発電車は、四条大宮を午前6時に発車する現在よりも早かった。8分に1本のダイヤは、日中10分おきの今とほとんど変わらない。たが、開業当初はトラブルが続いたらしい。
京都新聞の前身にあたる「京都日出新聞」によると、軌道が十分に固まってなかったり、運転に不慣れだったり、開通日に動いた電車は20台のうち6台のみ。所要時間も20分のはずが、30~40分を要し、乗客は「割合に少なかりし」だったそうだ。
だが、2日後に桂川の中ノ島公園で開かれた開通式には、1000人以上が参加した。団子や汁粉、田楽やうどんの模擬店が出店、踊りや落語、曲芸や剣舞まで披露される「どんちゃん騒ぎ」が夜まで続いたという。
ちょうど京都を訪れていた国賓も嵐電に乗車。大阪毎日新聞は、ボタン、アヤメ、桜、菊の造花が「極楽世界の絵を見るよう」に飾られた花電車が走ったことを伝えている。
来年3月、嵐電は開業100年を迎える。花電車は1世紀後、車内で地上デジタル放送が楽しめる電車となった。開業式の夜、一帯を「光明世界」に変えた模擬店の明かりは、渡月橋や竹林を幻想的に照らすライトアップとなった。
さらに100年後、嵐電にはどんな電車が走り、嵐山の夜はどんな光に照らされるのだろう。
◇ ◇
次は第二次大戦中まであった清滝川駅です。【広瀬登】
毎日新聞 2009年12月16日 地方版