嵐山駅の先にもかつて駅があった。と言っても嵐電の駅ではない。昔の関連会社が運行した鉄路の駅だ。廃線をたどった。
嵐山の北に標高924メートルの愛宕山がある。頂上の愛宕神社は「火伏(ひぶせ)・防火の神様」として信仰を集める。ふもとの清滝から山頂へ達する参道の勾配(こうばい)は厳しく、軽いハイキング気分では登れない。
「もしケーブルカーがあったら」--。こう思った方もいるのでは。実は、第二次世界大戦中まで、ふもとから頂上付近まで本当にケーブルカーが走っていた。
その名は「愛宕山鉄道」。現在の嵐電嵐山駅から釈迦堂(しゃかどう)駅、鳥居本駅を経て清滝駅に至る電車線(3・4キロ)と、清滝駅から少し離れた場所にあった清滝川駅から愛宕駅まで登るケーブル線(2キロ)があった。
愛宕山鉄道は京都電燈と京阪電鉄の関連会社として1927年に設立された。29年4月12日に電車線が、同7月25日にケーブル線が開通した。
嵐山-清滝間は約11分。開通翌日の大阪毎日新聞は「鉄道工事は渓谷と山のため困難だった。それでも、花見シーズンの開業を目指し、涙ぐましい努力があった」と伝える。運賃は片道15銭だったという。
「京都滋賀 鉄道の歴史」などによると、愛宕山鉄道の線路は、現在の「清滝道(きよたきみち)」を走っていた。だから、この道路を通る清滝行きの京都バスに乗れば、往時の車窓を追体験できるかも知れない。
京都バスのバス停「清滝」付近にあった清滝駅から約400メートル、「金鈴橋」で清滝川を渡った先にケーブル線の清滝川駅があったという。風化したコンクリートの階段が当時をしのばせる。
ここから終点の愛宕駅まで、スイス・ギーセライベルン社製のケーブルカーが走っていた。片道50銭、往復85銭。「愛宕ケーブル開通」「行け!!愛宕へ」という見出しで、同31日に京都日出新聞に掲載された広告は「わずか11分で雲上の人となる」とうたう。清滝川-愛宕間も11分だった。
終点の愛宕駅は3階建て。喫茶店などがあり、屋上展望台からは山々のビロードのような森が一望できたという。駅から愛宕神社へは、ツツジやカエデを見ながら歩くこと約5分の距離だった。
だが、日本の劣勢が明らかになった第二次世界大戦末、ケーブル線は「不要不急」とされ、44年2月に廃止。電車線も鉄の供出のため単線化され、同12月、全線廃止となった。
愛宕駅付近には、ホテルや遊園地、スキー場もあり、京都のレジャー地の一つとしてにぎわったそうだ。現在、それらはなくなり、愛宕山は静かな信仰の山に戻った。
今では、入り口の鳥居をくぐり参道を登ると、間もなく右手に、落ち葉や枯れ枝に埋もれた線路跡や橋が見えるばかり。往時がただただ、夢のようだ。
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連載はこれで終わりです。ご愛読ありがとうございました。【広瀬登】
毎日新聞 2009年12月23日 地方版