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そろそろ仕事がしたくなってきました。
しかし、未だに前職の事を考えると気分が悪くなる。もうトラウマとしか言いようがないその会社は(株)techfirm.co.jpです。次回このようなトラウマを引き起こさない為に、罠ポイントを解説しておきます。
4年前の話です。ちょっと偏見が混じってますが、概ね僕の視点の僕の意見です。当時の社員がこれを読んで、僕が歪んでいるように見えるのなら、その人の意見は僕に伝わらなかったんでしょうね。意見って、空気感染するものじゃないんですよ。指向性のある声にして初めて伝わるんです。
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社内のメンタル面を操作していたのが現社長(当時副社長)でした。社内勉強会の方針も彼が決めたようでした。しかし、今考えると非常に恐ろしい会社です。結果として「我が社の方針が気に入らなければ仕事してやらない」という請負開発会社でしたから。
確かに短納やある程度のクオリティ維持、携帯サービス会社に贔屓してもらえるくらいのコネはあったんです。しかし、そういう態度は末端の社員の風当たりを悪くするんです。
例えば、、
お客さんが来社していて一緒に仕事をしていても、、
・勉強会の方が優先される
・勉強会の内容の優劣を問わず
・プロジェクトの加熱度を問わず
稀にあることでしたが、当時のプロジェクトのお客さんとの関係は悪くなりました。(株)techfirm.co.jpはナマイキな面の方が濃かったように思います。主な収入源はドコモ関連。技術引篭りなんですよ。浅く広くはやってたと思いますが、基本的にはガラパゴス的日本の携帯産業な上に一部の企業のコバンザメ会社だったんですから。
そんな状況だったからか「プロジェクトより勉強会の方が大事」としていたのかもしれませんね。しかし、そんな狙いの話は一切聞こえなかった。だから単に勉強会の方が重要だと考えていただけかも知れません。それも「中身よりもプロセス」の方が重要だと。そして「勉強会参加は社員の義務であり、参加しなければ減給」だったと思います。
その勉強会のスタイルは、強制なので人気のありそうな勉強会には定員がありますし、定員漏れした人はつまらない勉強会でも参加しなくてはなりません。この点は非常に効率が悪い。それなのに客よりも社内行事優先だったんですから、参加するこちらとしても非常に気分が悪い。使いたくない時間を浪費させられて、更に客との関係を悪化させる場合もある勉強会が嫌いでした。
一時期、「そういう勉強会を壊して維新しよう」という働き副社長周辺であったんですが、副社長直属の部下が僕らを騙して「新しい勉強会講師に決定しました」という卑怯な決断をしたのでした。つまり「維新をチラつかせて講師の挿げ替え」を独断で下したわけです。僕らは「勉強会の構造を変える為に集まった」のに「ただの講師」として集められたのでした。集められた会議室に副社長も居たので、部下の独断ではなく副社長の判断だったようです。
勉強会といいつつも、社員同士が集まるものじゃないんです。上が内容を決め、下で選ぶ。だから、内容がくだらないと下では不満タラタラ。そして上では「だったら上に来い」と吼える。馬鹿な構造です。社内の人間がしたい勉強会をアンケートすればいいのに、当時の副社長派はその他社員の行動基準を軽んじてたように思います。
あれだけ人材は重要だと、勉強会での育成は重要だと言っていたのに、やる事が稚拙。
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別件では、当時はフレックスタイム制をとっておりコアタイムは11:00~12:00だったと思います。とにかく午前に1時間だけコアタイムが設定されていた。通常、その時間帯以外はフレキシブルの筈です。
僕はよく昼寝をしていました。しかし、当時の参加プロジェクトは問題なく進めていたし、寝ていた時間はフレキシブル内だった。しかし、寝ていた事が理由で査定に響いたんです。(無論、食事や睡眠の時間は就業時間として申告していなかったのにもかかわらず)
副社長の前で昼寝をしていたとしても、副社長と僕のプロジェクトは違うんだ。仕事内容だって違う。何故、他のプロジェクトの人間の精神面まで考えなくちゃいけないんだ。社の奥に仮眠用マッサージ椅子もあったが「誰が使ったかわからない上に掃除してあるかもわからないし、形はリクライニングシートだけど表面がでこぼこしてる椅子なんかで十分な仮眠が取れる訳がないだろ。ふざけるなよ。」的なものなので当然却下です。
(株)techfirm.co.jpは自分に優しく他人に厳しい卑怯な会社だったんだ、とその時判かったんです。自社の成績を盾に客よりも自社行事を優先するくせに、個人の成績が安定していても個人の行動を縛る。何という我侭な企業なんだ。
もうそれからこの企業で働く事が嫌になった。
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最後には、一人プロジェクト。僕にも悪い点はあった。こんなプロジェクトは拒否するべきだった、という点。しかし、あの頃はもう「長いものに巻かれている」状態だったので拒否できなかった。ベテランではない、単なる2年目のプログラマだったんだから。
ちなみに僕が最後に関わったプロジェクトは、基幹系でした。あんな状況だったので、なるべく携帯系に関わらないようにしてましたが、思わぬ罠が発動しました。DSLです。
当時の状況を考えると、今でも恐ろしい。
・仕事は努力しても早く終われない
・try & error じゃ日が暮れる
・かと言って testcase が書けるようなコードじゃない
・DSLの基礎実装者は既に退職
・細部が判らない状態
・頼れる仲間はゼロ
・システムの基礎実装者はマネージャクラス
・大幅に理解が超えた実装方法(Perl風味Javaとか)
・相変わらず納期は短い
・構造解析ばかり
・客先でOutOfMemory頻発
・客先までは地下鉄30分の距離
・サーバ室と開発室はUSBメモリでつながってる
・マネージャな実装者は忙しく手伝ってはくれない
よく判ってる人物が手伝わず、よく判らない人物が構造解析。そして納期は迫ってるって状況。プログラマの仕事じゃない。開発という名のメンテナンス。計画的というよりは行き当たりばったりの納期設定。
ふざけてるというか、あれは遠まわしでやられた退職作戦だったんじゃないかと思える。昼寝をしていたからって酷すぎます。当時、人材が減っていた事もあったけれど、何で指揮官なしなんだよとか、戦地を把握してるやつが参戦しねえんだよとか、まさにカミカゼ的な印象だった。その時僕は「マネージャというのは効率よく仕事をさせる為にセーフティネットを築いてくれる存在」だと思っていたが、彼も完璧な人間ではなくて、自分の都合が悪くなると、易々と部下を切るんだな、と酷く傷つけられた。
しかもDSL。具体的にはJava製commandパターンで作られた簡易スクリプト言語。もう業務特化型なので他で応用できません。応用できる部分はcommandパターンで同じようなものを書くとかくらいです。
もう自社愛なんて影もありませんでしたから、こんなものに貢献する理由がわからなくなっていたし、請負仕事で出来ることと言ったら、クリエイティビティじゃなくて技術力の提供のみだと判ってしまった。悲しかった。
何かの技術文書を読んで、素晴らしい実装が出来たとしても、根幹のアイデアはお客さんのもので僕の作品には絶対なりえない。つまらなさすぎる。
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そして、ココロが耐えられなくなり無意識の遁走。
後日談で、お客さんはアルコール中毒になったそうな。
僕は(株)techfirm.co.jpビルの前の鉄道で自殺したいと常々考えてたな。
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