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きょうのコラム「時鐘」 2010年1月4日
ドラマ化されて話題の「坂の上の雲」を再読している。松山という一地方に焦点を当てて日本の青春期を描いた物語である
作品中に、いくつもの「地方」があることに気づく。従軍記者として大陸に渡って病をひどくする正岡子規の姿には、北陸の2人の記者がだぶった。北國新聞の創立者・赤羽萬次郎と、実弟で2代目社長となる林政文である 結核と戦い続けた萬次郎は明治31年に36歳で亡くなった。日清戦争に従軍して加越能の読者に記事を送り続けた政文も翌32年に31歳で亡くなった。小説の主人公が活躍する戦場では歩兵第七連隊など北陸の若き兵士も血を流している 明治の青春は小説ほど明るくはなかった。が、地方の人材が生き生きとして志の高い時代だった。学問の世界も同じで、現在の「地域学」の原型となる郷土学や地方史研究が最初に盛んになるのはこの日清日露戦争前後の明治中後期である 「人間が世界とつながるのは郷土を通してであり、郷土の観察が世界へとつながる」(地方史の思想・芳賀登著)時代だった。「坂の上の雲」ににじむ司馬史観の味わいはここにもあろう。 |