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社説

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地球文明―低リスク型へかじ切る年に

 17世紀前半。イギリスの思想家、フランシス・ベーコンが未完の寓話(ぐうわ)を遺(のこ)した。物語はこうだ。

 欧州の航海者たちが、孤島に漂着する。優れた社会制度や科学技術を持つ理想郷があり、森羅万象を探求して人間に役立てる研究学院があった。

 案内されると、塩水から淡水をこし出す施設があった。自然の薬草とほとんど変わりない薬を合成する方法も発見していた。急流と滝は多くの動力に活用され、風車の利用も盛んだった。太陽、その他の天体が放つ熱のようなものをつくり出す施設もあった。

 地球上で、人間が「君臨」する領域を広げていく。学院はいわば、そんな人間活動の象徴だった。

 振り返ってみれば、この寓話は新時代の到来を予感させるものだった。ベーコンの没後、産業革命に火がつき、世界の工業化が進んだ。人間の知の地平は広がり、巨万の富が蓄積された。多くの病気も克服され、科学技術は人間社会に大きく貢献してきた。

 だが今――。地球は人間の「君臨」に悲鳴をあげている。気候変動、生物多様性の喪失、核戦争の危機、人口爆発。気づいてみれば、私たちの文明は数々のリスクに囲まれている。

■政治意思という資源

 幸い、未来は過去の延長にしかないわけではない。新たな繁栄の希求へ、今年を転機にできるかも知れない。ふし目の国際会議が開かれるからだ。

 地球温暖化については、国連気候変動枠組み条約の第16回締約国会議(COP16)が11月末にメキシコである。

 化石エネルギーの大量消費で温暖化が進めば、水不足が頻発し、穀物生産は減少する。生物種の4割以上が絶滅し、感染症が爆発的に広がる恐れもある。何とか、産業革命前からの気温上昇を2度以内にして打撃を抑えたい。COP交渉はそこをめざしている。

 「これは小説ではなく、科学だ。このままでは、気候変動が私たちの安全保障や経済、地球に受け入れがたいリスクを突きつける」。オバマ米大統領が昨年12月のCOP15でそう強調したのも「2度以内に」との思いがあったからだろう。

 だが、「今後のエネルギー消費が伸びる中印など新興国や途上国の行動が大事」と迫る先進諸国と、経済成長の足かせになることを警戒する新興国・途上国との対立は根深い。

 COP15は一時、決裂寸前まで緊迫したが、オバマ大統領や欧州諸国の首脳らの外交努力で「2度以内に」を再確認するコペンハーゲン合意がまとまった。拘束力のある新たな国際枠組みへの課題は山積だが、首脳外交で世界を変えられることを示したのは重要な一歩だった。

 アル・ゴア氏は2007年、ノーベル平和賞の記念講演を「(温暖化対策で行動する)政治的意思は、再生可能な資源である」と締めくくった。地球環境が有限なことに気づいた今、この再生可能資源を最大限に生かしたい。

■「地球号」を豊かに

 地球環境の危機は温暖化ばかりではない。世界の生物種は、乱獲や乱開発、強引な都市化、外来生物の侵入などのせいで、恐竜が消えた時代以来の大量絶滅に直面している。

 この星の生態系は、人知を超えた多様な生物のつながりで成り立っている。種の相次ぐ絶滅は、部品の役割を知らないまま、宇宙船地球号の部品をはずし続けるようなものだ。

 流れを変えるべく、今年10月に名古屋で国連生物多様性条約の第10回締約国会議(COP10)が開かれる。議長国の日本は、2010年以降の国際目標として「50年までに生物多様性を現状よりも豊かにする」ことを提案する方針だ。ここでも、政治的意思という再生可能資源の活用が重要だ。

 地球環境破壊が文明の慢性病なら、核戦争は文明を滅ぼす急性病とも言われる。核拡散が進めば、地域紛争で核が使われるリスクが高まる。サイバーテロ集団が軍事コンピューターに侵入し、核攻撃があったように誤解させて核戦争を誘発させる危険もある。

 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議がニューヨークである。核保有国がさらなる核軍縮を確約し、非核国は永遠に核保有をしない。その基本線に立って、破滅と背中合わせの核抑止から、よりリスクの小さい安全保障へと駒を進めることができるのか。

 再検討会議をどう成功に導くかで、今後のグローバルな核軍縮・不拡散政策の行方が左右される。

■歴史の歯車を回そう

 人間は地球で一人勝ちし、「君臨」できる特別な存在。私たちの頭のどこかに、そんな思い上がりがありはしないか。生物医学者のルイス・トマス氏は著書「人間というこわれやすい種」(晶文社)で、次のように指摘する。

 地球では、多種多様な種が「共生」するのが摂理だ。生存競争に勝った種であっても、すべてを奪いつくすことはない。だが、生命史のなかでは新参者である人間という種はなお未熟で、過ちや失敗をおかしやすい――。

 ベーコンが未完の寓話をどのように終えようとしていたのか。今となってはわからないが、こう考えてはどうだろう。「君臨」から「共生」へと頭を切り替え、物語の続きを記していくのが21世紀だ、と。

 文明を低リスク型へと変えるため、歴史の歯車を大きく動かしたい。

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