名古屋城をバックにポーズをとる(前列左から)野本、立浪氏、(後列左から)堂上直、伊藤=名古屋市内のホテルで(横田信哉撮影)
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今年から本紙評論家として第2の野球人生をスタートさせる前中日内野手の立浪和義さん(40)。初仕事に選んだのが、期待の若手3選手を招いての“新年会”だ。野本圭外野手(25)、堂上直倫内野手(21)、伊藤準規投手(18)と熱く語り合った。これからのドラゴンズを担うであろう3人に、現役生活22年間で培った「氣」を送り込んだ。 (構成・中村浩樹)
立浪「早速だけど、みんな一つずつ約束しようや。今年は絶対こうしますっていう公約を。まず野本から」
立浪「レギュラーとるって言っとけばええやないか。そのへんがあかんのや。年間通して、去年より上いうたら普通にいける。年間通して1軍におっても、ベンチにおったらいかんだろ。それでええんか?」
堂上直「ぼくもレギュラーとるのが目標なんですけど…」
堂上直「ここというところで打てるような選手を目指して。今年は結果を出します」
立浪「1軍のいいピッチャーから、たとえばヒットを打ったら、自信になるもんなあ。最初はそりゃチャンスは少ないかもしれないけど、そういうとこで思い切っていってほしい。結果というのは分からない。とにかく打席に立ったときは踏ん切りつけて、思い切っていけばいいんだよ」
立浪「それであかんかったらまた練習すりゃいいんだから」
立浪「たとえばレギュラー陣がちょっと調子が悪い、誰かがけがした、ってなったらすぐ自分がポーンと出られるような準備をしとけばいい。それぐらいの気持ちでおらないかんよ。今年はとりあえず1軍に何試合ぐらい出ればとか、1軍定着ぐらい思っていたら、そのまま終わってしまうぞ。誰か追い抜いてレギュラーとってやるという気持ちを強く持って…。頑張ってな」
伊藤「ぼくは絶対初勝利します。それだけにとどまらず、先発ローテーションを任されるようなピッチャーになりたいです」
立浪「あんまり練習してる体つきしてへんけど(笑い)。もっと走らなあかんぞ。下(半身)がパンパンになって動けんぐらい足を鍛えないと。今頑張れば、今年からローテーションに入れる。今頑張ってないと、入れんぞ」
立浪「みんな期待してるから、頑張って。自分はネット裏から見てるけど、君ら3人が活躍してくれたら、きっと自分もうれしいしね。楽しみに見てるから」
立浪「じゃあ公約を実現するために何が必要かって考えてる? 直倫は3年、野本と伊藤は1年終わったところだけど」
野本「昨年は1軍に出させていただき、いい経験も悔しい思いもしました。その経験は絶対、今季につなげなきゃいけないと思います。まず今まで頭の中で、外野は3つのポジションがあるという、変な余裕があったけれど、絶対ライトのポジションをとるんだという気持ちが大事だと分かりました。使ってくれるのは監督ですが、1つのポジションをしっかりとりにいかないと」
立浪「3兎を追うものは1兎も得ずって言うしな。あっ、2兎を追うものやったな(笑い)。野本の場合はライトが一番空いてるポジション。絶対、気合で勝ちとるぐらいの気持ちでいかないと。それが空回りしようが、思い切ってやってもらいたいな」
堂上直「去年は悔しい1年。ずっとレギュラーで出るつもりでやっていましたが、1軍の選手はレベルも違います。サードとショートをいま練習しているんですが、まだまだというのは自分でも分かっている。今年は何かあったらすぐ自分の名前が挙がるように、というぐらい力と信頼を高めていきたいです」
立浪「直倫は自分で何が課題というか、1軍に定着するためにどうしたらいいと思ってる?」
立浪「直倫を見ていて、すごく体が強いし、ちょっと何かをつかめば簡単にレギュラーをとれる選手だと思う。今はいろいろ悩んで、いろんなことをやって、いろんな人にいろんなことを言われると思うけど、最終的に自分で“これだ”というのを早くつかまないと。今年1軍定着というのじゃなくて、誰かレギュラー陣がけがでもしたら、そこに入ってそのまま出てやるんだというぐらいの気持ちを持ってほしい」
伊藤「ぼくは入団した当初から肩をけがしていて、けがから始まったんですが、最後に1軍でも投げさせていただきました」
立浪「けがでボールが投げられないというのは、投手にとってこれほどつらいものはないもんな。そういう経験を初めにしたんだから、そういう経験を生かしてほしい。体に対する意識。いくら気をつけていてもけがすることはあるけど、防げるけがもある。もうちょっと柔軟体操してから走っとけばよかったとか、ちゃんとアップからしっかりやっとけばよかったとか、夜遊びしすぎたとか。それは自分でやらないかん。人間だから息抜きしてもいいと思うけど、調子悪かったら控えるとか、体調悪かったら消化のいいもん食べるとか。長くやってる人というのは必ず人と違う努力をしている。自分が参考になるなと思う選手がいたら、見て盗むこと」
立浪「ぼくの場合も1年目で体力がないときに、ずっと試合に出してもらって…。いっぱいいっぱいだったけど、2年目で肩をけがして初めて、1軍のすばらしい舞台でやらせてもらったということに気付いた。人間、けがしたら気を付けようと思う。それは自分でも経験して分かってるけど、準規も始めにそういう経験した。まだ体もちょっと弱々しいし、ガンガン走れ。いいトレーニングもいっぱいあるから、いろんなアドバイスもらって、自分なりにこれだけやっとけば大丈夫というものをつくれば、必ず長くできる」
立浪「プロに入る前に名古屋やドラゴンズについてどんな印象を持っていたのかな。ぼくは道が広いのに驚いて、新幹線で50分ぐらいなのに全然知らない土地に来てどうなるんだろうって不安が、期待より大きかったのを覚えてるけど」
野本「ぼくも名古屋にはまったくかかわりなかったんですが、ドラゴンズは毎年優勝争いして、強いという印象がありました」
野本「阪神戦もやってなかったですね。でもぼくはあこがれる立浪さんがドラゴンズにいたので意識していました」
立浪「うまいことを言うなあ。社交辞令はいらんで(笑い)」
野本「そんなことないです。星野監督も岡山だったんで、中日に入れていただいてよかったです」
野本「はい、高校(岡山南)の。巨人時代の川相さんは印象が強いですね。職人といわれたバントとか」
立浪「直倫はお父さんもドラゴンズの選手(照元投手、前昇竜館館長)だったし、かかわりは深いな」
堂上直「父の現役時代はまだ生まれていないので分かりませんが、小さいころにナゴヤ球場のOB戦で投げているのを見ました。ドラゴンズの試合はよくナゴヤドームに見にいってました」
堂上直「1999年の優勝のときは小学校5年生でしたが、関川さん(元外野手、前楽天コーチ)がレフトオーバーにサヨナラヒットを打った試合(8月17日・巨人戦)は左翼席で見ていました。優勝が決まった試合は、名古屋でも10時すぎても中継があって、眠たかったんですけど父も『最後まで見ろっ』て。最後はセカンドフライを立浪さんが捕って。ファンだったのでうれしかったです」
伊藤「ぼくも小さいときからドラゴンズファンなんで、ドラゴンズに入るためだけに頑張った。ドラゴンズにしか入りたくなかったという感じでした」
立浪「みんな縁があってドラゴンズで一緒のユニホームを着たわけやね。ぼくとの付き合いは、まだそう長くはないけど…」
野本「ぼくは立浪さんにあこがれていて、最初にお会いした選手も立浪さん。入団決定後の施設見学のときに立浪さんにお会いして握手していただいて、寮でも講演していただいて。プロ野球を立浪さんに教えていただきました。本当に光栄に思っています」
堂上直「ぼくはテレビでドラゴンズの中継があればいつも見ていましたから。立浪さんも毎日、試合に出ておられて」
立浪「やじってたんちゃうか。全然動かへんなあとか、打たへんなあとか(笑い)」
堂上直「同じ内野手だったので、いつかプレーを直接見たいと思っていました。プロに入って、立浪さんはすごい存在だったので、しゃべることもできないだろうなあと思っていたのですが、いろいろバッティング指導していただいたり」
立浪「守備も教えてやっただろ。直倫に守備教えたら、説得力がないような顔して(笑い)。『昔はうまかったんやぞ』って。みんな最近、ぼくが守備を教えると、この人守ってへんのに、なんで守備のこと言うんですか、って顔する。なあ、直倫」
堂上直「そんなことないです。バッティングも守備も教えていただけるとは思ってもいなかったので、すごくうれしかったです」
伊藤「ぼくはドラゴンズファンを一昨年までやってたので」
伊藤「いや違います。チャンスでも立浪さんに回ってくるとファンが一番盛り上がりますし、安心感がありました。プロ入ってみても、やっぱり大事な場面で立浪さんが出て、信頼されているなと思いました」
立浪「これまでにもいろいろ、みんなとは話してきたつもりだけど、聞きにくいこともあったと思う。きょうは何でも聞いてくれよ」
野本「ぼくは技術も含めていろんな話を聞かせていただいたのですが、これが聞きたい、というよりも、もっと話が聞きたいです」
野本「立浪さんと同じグラウンドで同じユニホーム着て、というのは1年間しかなかったですが、もっと話を聞きたいですし、一緒に野球がしたいと心の底から思います」
立浪「1年しか見てないけど、野本は非常にまじめ。野球に取り組む姿勢がいいし、頑張ってもらいたいという一心で一生懸命アドバイス送ったり、いろんなことを話してきた。2軍に落とされるなど悔しい思いもしてきたけど、それもこれから頑張っていく上でいい経験だし、それらに負けずにドラゴンズの中心選手になっていってほしいな」
堂上直「自分は1年通して1軍にいたことはないのですが、立浪さんは若いころからずっと1軍でやっておられて、何を一番気をつけてシーズンを乗り切っているのかを知りたいです」
立浪「直倫は性格もいいし体力もあるし、見ていてもったいないなあと思う。今は正直、悩んでると思う。壁に当たっているというか。でもそれを打破していくためには何かといえば、自分の気持ち。他人は慰めてくれたり、いろんなことを言ってくれるけど、最終的にはいかに自分で踏ん切りつけて頑張れるか。こういう言い方したら何だけど、本当にいい人間だけど自分の中にちょっと甘い部分があるんじゃないかな。もう一皮むけてくれば、変わってくる。そういう部分が強くなれば、絶対1シーズン乗り切れる。少々のことがあっても動じずに、自分の気持ちをコントロールできるようになれば。調子悪いなあと思うときも、最終的には気持ちで頑張るしかない。気合だよ、気合。アニマル浜口さんの『気合だぁ』じゃないけど、そこしかない。あかんなあと思ったらあかんし、まだまだいけると思ったらいけるから」
伊藤「ぼくは、どうすればずっと1軍で勝てる投手になれるかということを聞きたかったのですが、先ほど立浪さんの話の中で、そういう選手は他人と違うことをやっていると聞いたので、納得しました」
立浪「桑田さん(元巨人)ら、いろんな人に話を聞く機会をつくるよ」
立浪「このオフで差をつけるんだからな。体見てたら、まだひょろっとしてる。細い太いじゃなくて、体の芯の部分をしっかり鍛えないかん。今であれだけのボール投げられるんだから。自分が尊敬できると思う投手を見て、この人はどうしてこんなことができるんだろうと、常に向上心を持って…。分からなかったら聞きにいけばいい」
野本「現実的なこと言っていいですか? ぼくには仕事です」
堂上直「小さいころから野球しかやってないので、野球とは一生の自分との戦いです」
立浪「ぼくも野球とは人生勉強だと思ってるよ。野球を通じていろんなことを学び、いろんな人と知り合って。プロ野球に入る人は野球しかしてない。その中でチームメートと助け合い、ときにはけんかしながら。つらいことも我慢して、野球を通じて精神力や忍耐力を鍛えさせてもらって。でも辞めたいと思ったことはないな」
立浪「いろいろつらいことがあるけど、頑張ってていいことがあったらうれしいよな。結果が出ずもがいて苦しんでるときに、ポンとサヨナラヒット打ったり、ピッチャーなら勝てないときに打者に助けてもらっていいところで勝ち星挙げたり。そういうことがあるから頑張れる」
立浪「じゃあ、最後にちょっと話題を変えて、結婚について、みんなどう考えてる。家族のために頑張るっていうのも励みになるからね。まあ縁のもんだけど」
野本「そろそろしなきゃと。立浪さんにも結婚は早くしたほうがいいって言われてます(笑い)」
立浪「この人がいいっていう人がいるならだよ。無理して、立浪さんが早くしろっていうからしたけど、すぐ離婚になっちゃったじゃ困るし(笑い)。結婚式とか出ると、結婚したくなるだろうけど、焦る必要ないよ」
堂上直「自分は妥協するタイプなので、もし家族ができたら、こんなんじゃいけないって思えるかもしれませんね」
立浪「責任感は出るよな。じゃあすぐ結婚するか(笑い)。名古屋っていうのは地元の意識ってすごく強い。直倫も兄弟2人、変なプレッシャー感じんようにね。いろいろあおられることもあるだろうし、現にすごい人気もある。応援もすごい。あまり気にしすぎずに、でんと構えて取り組んでほしいな」
伊藤「ぼくは、すてきな人と巡り合えれば、したいと思います」
きょう集まってもらった3人はまさに期待の星。絶対頑張ってほしい選手だけど、まず自分の現状、立場というのを考え、何をすればいいのかという目的意識を持って臨んでほしい。
3人それぞれ、立場も違う。直倫は4年目。そろそろ、という気持ちも強いと思う。野本は去年1年、スタメンでも使ってもらって、そこそこ経験も積んで、どうしたらレギュラーをとれるというのを、分かりはじめているだろう。準規とは縁があったね。ぼくの引退セレモニーの試合で投げて。ファーストゴロでベースカバーにきてぶつかりそうになったし。18歳で、あれだけのボールを投げられるわけだから、体をどんどん鍛えたら間違いなくエースになれる素材。とにかく3人が早く試合に出て活躍する姿を見たい。
ただレギュラーとるためには人と違うことをやっていかないと、この世界甘くない。10年やっても15年やっても、プロって大変だなあと、辞めるまで思い続ける。生半可な気持ちではなかなか他人の上にはいけないし、レギュラーをとって自分のものをつかんで継続していくことはできない。それを肝に銘じて頑張ってもらいたい。 (立浪和義)
【立浪和義(たつなみ・かずよし)】 1969(昭和44)年8月19日、大阪府生まれの40歳。173センチ、70キロ、右投げ左打ち。PL学園高からドラフト1位で88年に中日入団。高校では86年春から甲子園に3度出場し、87年に主将として甲子園で春夏連覇を達成。プロ1年目の88年は高卒新人野手では22年ぶりとなる開幕先発出場。高卒新人では史上初となるゴールデングラブ賞を受賞し、新人王も獲得した。03年7月5日の巨人戦(東京ドーム)で史上30人目の2000安打を達成。通算487二塁打はプロ野球最多記録。ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞5度受賞。
【堂上直倫(どのうえ・なおみち)】 1988(昭和63)年9月23日、愛知県春日井市生まれの21歳。182センチ、80キロ、右投げ右打ち。愛工大名電高から高校生ドラフト1巡目で07年に中日入団。ドラフトでは中日、巨人、阪神の3球団から指名入札を受けた。高校では05年のセンバツで2本塁打し、初優勝の原動力となった。夏の甲子園は2年連続出場したが、いずれも初戦敗退。高校通算55本塁打。プロ初出場は2年目の08年8月3日の巨人戦(ナゴヤドーム)の代打で三振。1軍の通算出場は5試合で2打数無安打。
【野本圭(のもと・けい)】 1984(昭和59)年7月7日、岡山県生まれの25歳。180センチ、81キロ。左投げ左打ち。岡山南高−駒大−日本通運を経てドラフト1位で09年に中日入団。東都大学リーグではベストナインを3度獲得し、大学ジャパンとして世界大学選手権に出場。日本通運でも入社直後から主力として活躍し、都市対抗にも2年連続出場。プロ1年目の昨季は開幕当初は右翼のレギュラーとしてスタート。4月4日の横浜戦(ナゴヤドーム)でプロ初安打を本塁打で飾る。
【伊藤準規(いとう・じゅんき)】 1991(平成3)年1月7日、愛知県稲沢市生まれの18歳。186センチ、72キロ、右投げ左打ち。岐阜城北高からドラフト2位で09年に中日入団。高校では2年夏の岐阜大会準々決勝で清翔を相手にノーヒットノーランを達成。3年夏は4回戦で市岐阜商に延長10回、3−4で惜敗し、甲子園出場を阻まれた。プロ1年目の昨季は9月30日の巨人戦(ナゴヤドーム)でプロ初登板。1イニングを無安打無失点に抑えた。
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