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(注意:このエントリは長文です)
ネットでジュブナイルポルノ小説を発表している人が、商業ジュブナイルポルノについての批判を書いたブログを見つけました。 リンクは貼りませんし、引用もしません。批判が目的ではないからです。 要約するとこんな感じ。 ・私は行為描写よりも心理描写に興奮するが、商業ジュブナイルポルノはヤッてるばかりで興奮しない。 ・エロくてストーリーもしっかりしているジュブナイルポルノを読みたい。だが、商業ではそういうのは皆無だ。 ・商業ジュブナイルポルノは擬音だらけで、小説としてのレベルが低い。 ・WEBで発表されるジュブナイルポルノにはラノベのようなストーリーのしっかりしたものがあるのに、どうして商業ではそういうのがないのだろう。 おっしゃる通り、今のジュブナイルポルノは、ストーリーのシンプルなお話が主流です。ストーリーの必然からエロがあるのではなく、エロのためにストーリーがあります。ですから、小説としてはいびつですね。小説としてのレベルはなるほど低いかもしれません。 ですが、これは、「絵本は擬音ばかりで小説としてのレベルが低い」「特撮は戦うばかりで人間ドラマが浅い」と批判しているのと同じこと。ストーリーのシンプルさも、擬音の多さも、狙って書いているのだから、そうですね。おっしゃる通りですね、と答えるしかありません。 似たようなことを考えている方はきっといらっしゃると思うので、ちょっと昔話などしてみます。 私は 「いもうと。」がデビュー作ということになっていますが、この小説は発売の3年前に書いたものです。 某レーベルの作品募集に応募したのですが「発売しましょう」のまま二年止められて、そのレーベルが廃刊になり、それをそのままナポレオン大賞に送ったところ、大賞を受賞したのです。発売までさらに一年近く待って、2001年12月に本が出ました。 エロライトノベルウィキのサイトに廃レーベルの一覧がありますが、私が投稿をした1998年という年は、ジュブナイルポルノの衰退期でした。 当時売れていたのは、エロゲと、パラダイムやキャロットノベルズなどのエロゲノベライズです。 当時のジュブナイルポルノは、SF&FTの凝ったお話ばかりでした。 一方、エロゲは明るい学園物のラブコメが多かった。私はコンピュータの専門学校を卒業したこともあって、エロゲが好きでした。 でも、エロゲは主人公視点だから、ヒロインの心情描写が浅い。ヒロインになって読む私は、ヒロイン視点のお話が読みたかった。 SF&FTは好きだけど、明るい学園ラブコメが読みたい。 ジュブナイルポルノにも、少しだけ学園ラブコメがありましたが、「私には恋人がいるしあなたはなんとも思ってないけど、オ○ニーしているなんてかわいそうだから、私がセッ○スを教えてあげるわ」とお姉さんがいきなりパンツを下ろしたり、「お兄ちゃんに恋愛感情はないけど、えっちなことに興味があるからお兄ちゃんおしえて。でも処女膜は破らないでね。未来の恋人にあげるんだから」と妹がスカートをめくるお話でした。 私が男だったら、そんなビッチ女、軽蔑するし、そんなことをされたら怒り出すでしょう。 「普通に恋愛して、お互いの気持ちが高まったからセッ○スする」というお話がどうしてないんだろう? 攻略対象はひとりがいい。エロゲならあるのに。「To Heart」なんか、そういう話なのに。 まさに上記の人と同じことを考えていたのです。 で、私が読みたい話を、自分で書いて投稿したわけです。 当時の売れ線と違う小説は、出版まで難航を極めました。 「あなたは女性だから、男性読者の読みたいものがわかってないようですね。こんな少女漫画みたいな話、売れるわけがありませんが、ウチのレーベルの力と売れるイラストをつけて、赤字が出ないようにして出版してあげます」と担当者は言いました。 「私はエロつきコバルトを書きたいわけじゃなく、To Heartみたいな小説が書きたいのだ。同級生のノベライズはベストセラーになった。パラダイムやキャロットノベルズは売れている。学園ものの、攻略対象がひとりのラブコメを小説で読みたい男性読者は絶対にいるはずだ」と答えたのですが、「To Heart? パラダイム? なんですかそれは?」とせせら笑われてしまいました。 期待もされず、ラインナップに穴が開いたときの代理原稿として「お預かり」された私の原稿は、ゲラを無くされたり、問い合わせるたびにうるさがられながら、二年間放置されました。そのレーベルは廃刊になりました。あとで知ったのですが、赤字続きだったそうです。 私の小説に賞をくれたナポレオンの編集長は「これはまだ誰も書いてない小説だね。これは売れるよ」と言いました。180度違う評価にとまどいましたが、 ですが、親切だった編集長は退職し、ナポレオンもまた廃刊になりました。その二年後美少女文庫が立ち上がり、ラインナップに入れていただくことができ、ようやく私は作家らしくなりました。 今の商業の売れ線に不満があって、新しいものが書きたいというのなら、書いて投稿してください。十二年前の私も同じでした。 困難は極めるでしょうが、その小説に力があり、新しい読者をつかむ可能性があるなら、必ず道は拓ける。 ですが、今の売れ線と違うものを書くということは、編集方針を否定するということです。今だからわかることですが、「オ○ニーしてるなんてかわいそう。あなたは何とも思ってないけど私がセッ○スを教えてあげる」「お兄ちゃん教えて。でも処女膜は破らないでね。お兄ちゃんはエッチなことをするだけの相手。私の恋人じゃないのよ」と尻軽女がいきなりパンツを脱ぐお話は、昔の官能小説のルールに従って書かれていたのです。 昔の大人向け官能小説には、恋人同士が普通に恋愛してセックスするお話は書いてはいけないというルールがありました。 おかしなルールがあったものだと思うのですが、昔は景気が良く、男尊女卑で、亭主関白。男性は元気でした。正社員になり、社内恋愛をして、結婚して、奥様は専業主婦。子供が二人、ローンを組んで家を買うという人生のレールが存在していたのです。 だから、尻軽女がいきなりパンツを下ろす話を読んでも、自信にあふれた男性読者は、「俺が魅力的だから女が寄ってくるのさ」と思えたのです。 SFが流行したのも、時代が元気だったからでしょう。昔の男性は、明るい未来を信じることができたのです。 でも、当時、派遣社員だった私は、景気が日ごとに悪くなることを肌で感じていた。皆が自信にあふれ、明るい未来を信じる時代はバブルの崩壊とともに終わってしまったことを知っていた。パソコンソフトのデモンストレーターとしてコンパオン服を着て展示会のブースや電気店の店頭に立ち、パソコン好きの男性とおしゃべりをするのが仕事だったので、いわゆるオタクと呼ばれる男性が、繊細で優しい人たちであることを知っていた。 時代は変わり、男性の趣味志向は変わっていく。時代の変化についていけないレーベルは、読者にそっぽを向かれて売れなくなり、廃レーベルになっていく。 今のジュブナイルポルノにも、細かいルールがいっぱいあります。 ルールは商業的に売るための経験則です。 新人が、ルールを無視した小説を書いて、何の裏付けもなく「こういう小説を読みたい読者は絶対にいるはずだ」と言うと、編集者は(とくに自分の出しているものが売れてない編集者は)「何をエラソウにドシロウトが(編集のプロである俺が出してる小説が売れてないのに)」と思うでしょう。 「WEBでダウンロード数の多いものがある」と言ったりしたら、「タダで読めるWEBと商業小説は違うのですよ」と言って編集者はせせら笑うでしょう。 ですが、その小説に力があり、今の時代の空気にピッタリ来るものなら、既製の作家では書けない力があるなら、高く評価をしてくれて、親身になってくれる編集者が必ず出てきます。 ルールを否定する、新しい小説を書くということは、大賞か落選か、大売れか大外れかのどちらかなのです。 そして、大外れだった場合、商業小説において、次はありません。あなたの商業作家としての生命はそこで断たれてしまうのです。 ですが、その小説が大売れしたとき、ジュブナイルポルノのルールはくっきり変わってしまうでしょう。 私は、もう丸くなってしまって、尖ったものは書けないけれど、ライター気質になってしまったけれど、新人ならそれができる。 ジュブナイルポルノが新しくなったとき、私は生き残っていられないかもしれないけど、私はこのジャンルを好きなひとりとして、新しいジュブナイルポルノを読みたいです。 そして私も、ルールの堅い枠組みの中で、少しでも新しいもの、読者に楽しんで頂けるものを提供していきたいと思っています。 今年もがんばります! (楽天の既成にひっかかったので、一部伏せ字にしています) │<< 前へ │一覧 │ 一番上に戻る │ |