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「バオバブの記憶」
バオバブ観賞ツアー at 京都府立植物園!
2009年8月22日(土)
 7月25日〜8月7日まで上映していた「バオバブの記憶」の公開記念に、京都府立植物園の多大なご協力を得て、様々なタイアップ企画を実施しました。その締めくくりとして、8月22日(日)には、園長による解説付きのバオバブ観賞ツアーが開催され、朝と昼と計2回のツアーに、合わせて40名ほどの方が参加されました。
 バオバブが育てられているのは「観覧温室」にある「砂漠・サバンナ植物室」。そこに辿り着くまでに熱帯のあらゆる珍しい植物が観賞できます。
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ジャングル04 ジャングル05 画像をクリックすると拡大写真が見られます。
 植物にとって“快適”な室温が保たれていますが、人間にとってはなかなかの暑さと湿気! しかし、園長の解説はそれを上回るほどの“熱さ”で、面白い名前の植物や、栽培がとても難しい植物のお話などが聞け、参加者の方々の好奇心が刺激されている様子でした。

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 そしていよいよバオバブがいる「砂漠・サバンナ植物室」に到着。植物園のバオバブは映画に登場する樹齢500年〜1000年のバオバブに比べて可愛らしいサイズでした。この日は残念ながらバオバブの花を見ることはできませんでしたが、頭上には1〜2日後に開花しそうな蕾が確認でき、「ご覧になる日の午前中に電話を頂ければ開花の状態をお知らせできます」と、植物園の楽しみ方を教わりました。
 園長は、バオバブ以外にも植物に対する素朴な疑問や質問に分かりやすく答えて下さり、1時間のツアーはあっという間に終了となりました。「勉強になるわ〜!」と目をキラキラと輝かせていらっしゃる方や、「何度も来たことがあるけれど知らなかった」と、新しい発見を楽しんでおられる方々の様子が印象的でした。
 映画館を飛び出しての今回のツアー。映画から広がる好奇心に、今後もお応えできるような催しができればと考えています。

★植物園のスタッフの方による解説付きのツアーが毎週土曜日に開催されているとのことです。是非皆様お足をお運び下さい!


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「真夏の夜の夢」
中江裕司監督舞台挨拶!
2009年8月16日(日) 14:55の回終了後
中江裕司監督
▲中江裕司監督
 第一声目に沖縄の言葉で「みなさんこんにちは」とご挨拶された中江監督。07年「恋しくて」の舞台挨拶以来のご来館となり、本作品への思いや次回作について、また沖縄で運営されている映画館(桜坂劇場)のお話などをしていただきました。
Q: 伊是名島をロケーションとして選んだ理由は?
A: シェイクスピアの「真夏の夜の夢」を読み、人間と妖精が当たり前のように共存している社会が、沖縄の島の風景とすごく似ていると思った。伊是名島は「パイナップルツアーズ」(92年)で一度撮ったことのある場所だったから最初は抵抗があったけれど、今回初めてガジュマルの大木を見て、自分の思いはどうでもいいから、ここで撮らないといけないと思った。
Q: 沖縄では「さんかく山のマジルー」とタイトルを変えて公開されているけれど、何故?
A: 僕は沖縄で興行(劇場運営・配給・宣伝)もやっていて、感じたことがある。“日本映画”は日本人にとっては“自分達の”映画という意味だけど、沖縄にとっては“日本の”映画で、自分達(沖縄の人)の映画ではないという感覚がある。「ナビィの恋」を撮ったときは、“自分達の”映画と思って、たくさんの人が見てくれた。沖縄で暮らして映画を撮っている以上、そういう映画を撮っていかなければと思うようになった。
Q: 監督はキジムナーを見たことはありますか?
A: 僕はないけれど、沖縄の村でキジムナーの取材をしたとき、おばあやおじいが「ここにいたよ〜」と話してくれた。しかし、戦前はよく見たけれど、戦後は見ないと言う人が多く、人間の価値観が変わってきたのかもしれない。沖縄でも目に見えないものと共に生きていくという感覚が失われつつあり、沖縄の良さが滅びてしまうのでは・・・という危機感から本作を作った。しかし長い目で見れば、まっとうなことをきちんとやっていけば、また沖縄らしい感覚は戻っていくのではないかと、映画を作ったことで教えられた。
Q: 沖縄で運営されている映画館(桜坂劇場)について、また今後の予定などは?
A: 映画監督が劇場もやっているとよく言われるけれど、もともと自主上映をしたり、興行のほうが先にあった。“興行屋のオヤジが映画も撮っている”という状況。今、(出身の)関西弁で脚本を書いてる。なかなか日の目を見ないのだけど(笑)。沖縄と新しい関係を築くために、一旦、沖縄を離れて撮ってみたい。自分のルーツである関西のことを見つめて「日本」を描いた映画を撮りたいと思っている。
 
 「真夏の夜の夢」は8月28日(金)までの上映になります。是非、劇場でご覧下さい!

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「We 命尽きるまで」
藤山顕一郎監督ティーチイン
2009年8月15日(土)10:20の回上映後
藤山顕一郎監督
▲藤山顕一郎監督
 「憲法9条改憲阻止」の一念のために、全学連・全共闘・学生運動のOBたちが党派を超えて集結し、闘う姿を記録した作品「We 命尽きるまで」。
 公開初日に、藤山監督とプロデューサーの暮松栄さんにお越し頂きました。監督は学生運動に関わった後、東映京都撮影所で18年間助監督をつとめられ「“活動家”から“活動屋”に華麗なる転身をしたわけです」と自己紹介されました。「東映で最初にした仕事がドキュメンタリーだったので、ドキュメンタリー作品を引っさげて京都に戻って来られて感無量です」とお話されました。
 観客の方からは「若者に想いが伝わる方法を考えなければいけないと、真摯に捉えなおすきっかけになる作品でした」という感想を頂き、監督は「60年代が歴史になりつつあるが、学校では教えていない。人間ドラマとして60年代を描くことが自分の仕事だと思っている。声をあげる若者の姿を劇映画で再現する夢を今も捨てていません。また、本作に引き続き、行動的な動きに携わる人々にフォーカスを当ててパート2を製作中です」と、次回作についてお話いただきました。
 16日(日)上映終了後には、監督と新開純也氏(元京大同学会委員長)によるティーチインが行われ、学生運動の反省点も含めた現在の運動のあり方など、議論がかわされました。

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「クヌート」
京都市動物園 高橋鉄雄飼育員、坂本英房獣医師によるレクチャー
2009年8月9日(日)11:55の回終了後
高橋鉄雄飼育員
▲高橋鉄雄飼育員
坂本英房獣医師
▲坂本英房獣医師
 京都市動物園では今年の5月までホッキョクグマのポールが飼育されていました。残念ながら5月20日に34歳(人間なら90歳以上の年)で亡くなったポール。晩年4年間、ポールの飼育を担当されていた高橋飼育員さんと、坂本獣医師にお越しいただき、ポールの思い出や環境保全についてお話いただきました。

<高橋飼育員のお話>
 ポールはマイペースなシロクマでした。シロクマの見た目は人間臭く可愛らしいけれど、「色は白いが腹は黒い」と言われていて、性格はとっても凶暴なんです。掃除をする時に少しでも水がかかると「う〜〜っ」とうなっていました。もしも皆さんがホッキョクグマに出会ったら、泳いでも走っても絶対に負けるので、木に登って下さい(笑)。
 凶暴ですが魅力的なホッキョクグマが、この地球上からいなくなるということだけは絶対に避けたいと思います。そのために、色んな形で支えになりたいと思っています。
 京都にホッキョクグマはいなくなりましたが、天王寺や神戸の動物園にはいますので、ぜひ足を運んで迫力を感じてみてください。
<坂本獣医師のお話>
 以前、野生のツキノワグマに学習させて山の奥に放すボランティアをしていました。京都は自然度が高く、車で30分〜40分も北に走れば、ツキノワグマがいる領域になります。秋になるとクマの目撃情報が増え、人間との軋轢が生まれてきます。野生動物を守るためには、地元に住んでいる方々が「一緒に暮らしてもいいな」と思えないといけません。人身事故を防ぐためにも「人間は怖いんだ」ということを覚えさせ、一度だけは山に返すという取り決めで活動しています。
 野生動物と人間が仲良く暮らす世界ができるといいなというのが願いです。実は動物園はそのためにあると言ってもいい。動物園で野生動物を実感として見ていただいて、彼らの魅力を感じてもらい、彼らが住んでいるところはどうなっているんだろう? と想像してもらえたら、動物園の存在意義があると思っています。


 お二人の分かりやすいお話に、場内からは笑い声や感嘆の声が幾度もあがっていました。

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「島の色 静かな声」
茂木綾子監督舞台挨拶!
2009年8月7日(金) 10:10の回終了後
茂木綾子監督
▲茂木綾子監督
上映最終日の7日(金)に茂木監督にお越しいただきました。監督には、映画を撮ったきっかけや撮影の苦労話などをお話いただき、お客様からの質問にもお答えいただきました。
Q: この映画を撮りたいと思ったきっかけは?
A: 普段は写真家として活動していますが、自分にとって“色”が大事で好きなんです。組み合わせやバランスが重要で、それで色について勉強するようになりました。知れば知るほど色の世界が分からなくなっていた時に、染色家の志村ふくみさんの写真集を見て、これだけ奥の深いものがあるんだ・・・と面白くなっていきました。そして直接無謀にも志村先生に映画を撮りたいとアプローチしたんです。高齢のため映画撮影はできないということだったけれど、お話をたくさん聞けました。プロデューサー達と「布を作る工程は面白いね」ということになり、映像に出来ればいいなぁと、沖縄へ行くようになりました。そこで出会った石垣夫妻の印象が強烈で、生き方や生活の様子が見たことのない世界で面白かったんです。とても手間のかかる作業をされていて、どうしてそこまでするんだろう? と最初は疑問に思ったところからスタートしました。
Q: メインの被写体とは別に村の日常(ゴミ収集所の様子など)が写っていた。その意図は?
A: 島で生活して撮影するうちに、そういう日常の部分は入れたいと思った。美しいものが生まれてくる表の部分と、取るに足らないような日常の部分があって、そこをひっくるめて生活だと思ったので。ゴミの問題や廃墟の問題と、昔ながらの手間をかけて糸から布を作り続ける石垣さんの行いと、繋がる気がしたんです。手で作る作業には不必要なゴミは出ませんから。海外では、夫婦や染色だけを取り上げたらいいのに・・・と批判もされましたが、そこも含めて表現したかったので、あえてそこは削らずにいきました。
質問された方が「それがあることによってこの作品に深みを感じました」と感想を述べられたのが印象的でした。

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「精神」
崔秀賢氏(いわくら病院 院長)レクチャー
2009年8月6日(木)13:00の回上映後
崔秀賢氏(いわくら病院 院長)
▲崔秀賢氏(いわくら病院 院長)
 京都で先駆けて開放病棟を設け、地域と交流しながら精神医療に取り組まれている「いわくら病院」の崔院長にお越しいただき、映画の感想や精神病の医療を巡る現状についてお話いただきました。
 冒頭、映画を観た感想を「こらーる岡山の温かさ、支えあいがすごくいいなと感じた」と話され、昨年岡山で山本先生に会われた時のお話を紹介されました。
 山本先生は「医療が時に負けなければいけない」とおっしゃっていて、すごく胸を打たれたとのこと。病気を抱えているご本人が選択する道を求めると、ちゃんとご本人が選んでいかれるという印象を受けたと話されました。
 続いていわくら病院の様子をご紹介されました。
 見学に来られた方の感想でよく言われるのが「最初は怖いイメージがあったけれど、患者さんが悲喜こもごも自由自在、スタッフと仲良くしている様子を見てびっくりした」ということ。実際に院長も病棟に行くと、患者さんかご家族か外から来ているクリニックのスタッフか見分けがつかないそうです。
 そして、「残念なことに、精神科に勤めているスタッフが一番偏見を持っている」現状について話され、それにより「閉ざされた扉」がまだまだたくさんあると示唆されました。「地域の方にとって、『閉ざされた扉』の向こうにいるから怖いと感じる。でも、鍵がかからず自由に出入りするようになったら『怖くない』と分かるんです。映画にあったようにカーテンがなくなることを願います」と締めくくられました。

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「バオバブの記憶」
松谷茂氏(京都府立植物園 園長)レクチャー
2009年8月5日(水)10:00の回上映後
松谷茂氏(京都府立植物園 園長)
▲松谷茂氏(京都府立植物園 園長)
 京都府立植物園の松谷園長にお越しいただき、府立植物園で植栽・展示している6種類の世界のバオバブについて、また植物園の役割についてお話していただきました。
 映画に出てくるバオバブと同じアフリカバオバブが京都にやってきたのは91年。セネガルから飛行機で運ばれてきたそうです。
 98年、「バオバブに何か変なものがくっついている!」と、花の蕾を発見。めったに花を咲かせないバオバブだけに、職員の方でさえ最初は分からなかったとのこと。当時、沖縄を除いて国内で初めて花が咲いた“事件”に「これはえらいこっちゃ!」と、慌てて新聞社にPRしたそうです。
 また、バオバブの「白菜が腐ったような」匂いのことや、「果肉の味はラムネ味!」 というお話には、お客様から「へ〜!」と感嘆の声が上がっていました。
 「植物園全体に興味を持ってもらい、植物の楽しさを感じてほしい」と締めくくられ、レクチャーは終了となりました。
 松谷園長には8月22日(土)のバオバブ鑑賞ツアーで(応募は締め切りました)、今度はバオバブを目の前に解説して頂きます。
 「植物園は動いている」とPR活動を続けている園長。映画をきっかけに、日々変化のある植物園にぜひ足を運んでみてください。

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「精神」
想田和弘監督舞台挨拶 満席お立見大盛況!
2009年7月25日(土)、26日(日)13:15、16:00各回上映終了後
想田和弘監督
▲想田和弘監督
公開初日と2日目に、想田監督と奥様であり本作の制作補佐、柏木規与子さんにお越しいただき舞台挨拶をしていただきました。2日とも満席お立見大盛況で、終了後も監督のサインとお話を求めてたくさんの列ができ、作品への関心の高さが窺えました。ここでは25日の様子をご紹介します。

 監督はまず、社会全体が不安や閉塞感を感じていて、精神科に通いながら働いている人や休職中の人、自殺する人がたくさんいるにもかかわらず、それについて語ろうとしない現状を指摘。その状態を「見えないカーテン」と表現し、カメラの力で「見えないカーテン」を取り外してよく見てみたいと思った、と話されました。またモザイクやナレーション、テロップや音楽など、必要のないものをつけない主義について「情報が少なければ、発言や立ち振る舞いに目をこらす。受身ではなく五感で体感してほしい。それがドキュメンタリーだと思っている」と話されました。
 お客様からは「肖像権やプライバシーなどドキュメンタリーが撮りづらい世の中なのでは?」という質問が飛び、被写体の方々との関わり方を話されました。
  「今回ひとりひとりから許可をもらって撮影が始まった。10人に聞くと8〜9人くらいは『撮影NG』。撮影が終了した後の反応は、映画に出たことを誇らしく思うと同時に、この映画が観られることで、自分は近所を歩けるのだろうかという不安が生まれていた。その不安は当然のことだと思う。映画を撮り終わってから、そのことを話し合ったり、患者さん同士で相談しあったり、皆で乗り越えていこうとしている。そのプロセスが大事だと思っている」
  最後に監督が書かれた書籍『精神病とモザイク』の紹介をされました。この映画を撮った理由、公開までの道のり、出ている患者さんの座談会、主治医の先生のインタビューなど盛りだくさんの内容です。印税の半分は、岡山の「こころの福祉基金」という地域での精神医療に助成金を出す団体に寄付されます。また出演している患者さんの詩が掲載されている雑誌『シナプスの笑い』も紹介。どちらも売店にて販売しておりますので是非ご覧下さい。

 また、8月6日(木)1時の回上映終了後に、京都の「いわくら病院」(京都で先駆けて開放病棟を設け、地域と交流しながら精神医療に取り組まれている病院)の崔秀賢院長にお越しいただきレクチャーをしていただく予定です。ぜひご来場ください。


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「バオバブの記憶」
本橋成一監督、初日舞台挨拶 満席盛況!
2009年7月25日(土)10:00の回終了後
本橋成一監督
▲本橋成一監督
初日舞台挨拶のために本橋監督にお越し頂きました。
冒頭監督は、作品に登場するバオバブの樹齢が500年〜1000年だと紹介。人間よりもはるかに長く生きているバオバブを、人間の勝手で切り倒していいのか問いかけたかったとお話され、観客の方々の質問にもお答えいただきました。
Q: 古い暮らしを守っていこうという意識がセネガルの村にはあるのか。
A: 彼らは自分たちが貧しいとは思っていない。あの村では自信を持ってあの暮らしを守っている。しかし全体的な流れから見ると変わらざるを得ない状況にある。
Q: 日本が失っていった共同体としての機能が残っていて、バオバブを中心とした恵みと関係があるのか。
A: 20〜30人が一つのファミリーとして一緒に暮らしている。最初子ども達を撮影するために名前を覚えるのが大変だった。次の日にいくと全然知らない子がいたり、撮りたい子がいなかったり、日替わりメニュー状態。聞いてみると、お隣や親戚の家などあっちこっち近所で暮らしている。町に出た家族が赤ん坊を連れて帰ってきたら、皆で面倒を見ている。現代日本の子育て状況と比べ、こういう環境だと子どもが育てやすいだろうと思った。

 上映終了後は、パンフレットや写真集を手に監督にサインを求める列ができ、和やかな雰囲気のうちに終了となりました。

 今回京都シネマでは「バオバブの記憶」公開に合わせ、京都府立植物園とタイアップ企画を実施しています。ロビーやホワイエではバオバブの樹をはじめ、植物園からご提供いただいたパネルを展示しました。8月5日(水)上映終了後には松谷茂園長にお越しいただき、バオバブにまつわるエピソードや植物園の役割についてお話していただきました。また、8月22日(土)には植物園にて「バオバブの樹鑑賞ツアー」を開催しました。


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「ディア・ドクター」
西川美和監督舞台挨拶 満席お立ち見大盛況!
2009年7月19日(日) 13:05の回、15:40の回終了後
西川美和監督
▲西川美和監督
 公開4週目にも関わらず、両回共に満席お立ち見大盛況の中、西川監督に舞台挨拶をしていただきました。2回目の鑑賞の方も数多くおられ、お立見の方々を前に驚かれながらも、「年齢層が様々で、広く受け止めていただいたようでとても嬉しく思います。今日は何でも聞いてください」と、観客方の質問にじっくりお答えいただきました。
 「ディアドクター」は、僻村で慕われていた唯一の医師(笑福亭鶴瓶)の失踪から明らかになる「秘密」と「嘘」を巡る人間ドラマ。主演の鶴瓶さんと脇を固める役者陣の見事なアンサンブルにより、人間の可笑しさや哀しさが浮き彫りにされていきます。

Q:鶴瓶さんを主演に迎えた理由について
「最初は鶴瓶さんのような強烈な個性を持つ人がやる役ではないのでは、と思っていました。でも、ついその人を目の前にすると脇が甘くなるような人がよかったんですね。私も昔から鶴瓶さんをテレビで見てきましたが、結構とんでもない人ですよね(笑)。あんなアフロのおっさんが、現在いい人キャラになって、地方地方のお年寄りに声をかけられてるっていうのが『いんちきくさ〜い』と思って見ていました(笑)。でも実際の鶴瓶さんはあのまんまの人で。剥がしても剥がしても最後の芯がどこにも見当たらなくて、でもどこかに芯は絶対あって、すごく不思議な人です。結果的にそういう人にやってもらって良かったです」

と話されました。鶴瓶さんに対する監督の鋭い分析に客席からは笑いが起こり、深く頷いている方も多く見られました。

Q:撮影現場の様子について
「鶴瓶さんは色んなものに常に子供のように好奇心を持ってチャレンジして、それを肥やしにどんどん膨らんでいくような人でした。通常撮影現場は緊張感が高く、現場のスタッフはいわば「職人」さんで、普段はほとんど笑いもせずクールで。その人たちに『あんたの仕事大変やなぁ』とか『なに、この機械、説明して?』と声をかけ、自分の仕事に興味を持ってもらったからなのか、クールな「職人」さんたちも励まされ現場が活性化されました。一番下っ端の名前も覚えてもらえないような若いスタッフの名前から覚えて声をかけ、その気遣いはやっぱりすごいなと思いました。本当に優しい部分もあるだろうし、全体を見据えた上でそれが自分の役目だと、ある作為をもってされているのかもしれない。そこが素敵な所でもあり怖い所でもあると思います。先輩としてコミュニケーション力を学ばせていただきました」

と話されました。最後に
「こんなにたくさんのお客さんに見ていただき、こうやってお客さんのお顔を見てお話もでき、本当に作って良かったなあと思います。よければ周りの皆さんにも勧めて頂いて二度三度見に来てください」
と締めくくられ、舞台挨拶は終了となりました。

「ディア・ドクター」は引き続き上映が続きます。すでにご覧になった方も二度三度、観ていない方もお誘い合わせの上、是非ご来場下さい!


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「空想の森」
田代陽子監督舞台挨拶
2009年7月18日(土)、19日(日) 各日10:00の回終了後
田代陽子監督
▲田代陽子監督

 1週間の上映期間中、「観客のみなさんの様子を見たいから」と、連日上映前と終了後のご挨拶に駆けつけてくださった田代監督。
 ここでは、19日上映時のお話をご紹介します。

 映画を作るきっかけとなった「新得空想の森映画祭」での出会いについて、足かけ7年をかけて完成した本作について、「自分の町でも上映したい」という観客の方の声から全国で自主上映が広がりつつあることなど、お話されました。
また、観客の方からは「競争主義、消費者主義の社会に対し、ある生き方のモデルとしての具体例」というご意見や「被写体の皆さんはこの映画を見てどのような反応ですか?」という質問が飛びだし、監督は、
「こんなん誰が観るんや? と撮りだした最初から最近までずっと言われ続けました。撮っている最中から素材を見せて、自分はこういうものを撮りたいんだと伝えると、皆からだんだん意見をもらえるようになりました。今では『今日のお客さんはどうだった?』と、観る人のことを気にしだしてくれているので、喜んでくれていると思います」
とのこと。
 舞台挨拶終了後も、ロビーで監督と観客の方との対話が続き、自主上映の仕方など、さっそく具体的な話をされている方もおられました。

 京都シネマでの上映は終了となりましたが、今回の上映をきっかけに上映の輪が広がることを願います。


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「蟹工船」
レクチャー、中川成美氏(立命館大学文学部教授)!!
2009年7月12日(日)17:20の回上映前
中川成美氏
▲中川成美氏

プロレタリア文学研究者の中川氏に、映画「蟹工船」について解説していただきました。

「30歳で亡くなった小林多喜二が、25〜6歳の時に書いた作品が『蟹工船』。作品発表は77年前、実は身近な作品です。この映画は現代を舞台に近未来的なセットで作られていて、そのセットで全てのドラマが収束します。監督は権力に対する閉塞感をそのセットで表していると言えます。萎縮すると同時に反発する気持ちに繋がる部分、原作が持つ“喚起力”を現していると思います」
と、映画のセットで表現された原作の持ち味について解説されました。
また、「蟹工船」ブームについて、突出して注目されている部分と違った多喜二の本質についても触れ、
「多喜二は抵抗運動に屈しなかった英雄としてクローズアップされています。しかし実は初期中期の作品は細やかな感情、人間としての迷いや逡巡を描いています。それが後の『蟹工船』に影響しています。多喜二が残そうとした、基本的な人間らしさ、普通の人々の叡智が描かれたのが『蟹工船』。そこをSABU監督はよく描いていると思います」と締めくくられました。

かつて多喜二の「蟹工船」を読んでいた世代の方、また最近のブームで知った世代、様々な世代の方にご来場いただいた「蟹工船」。
※京都シネマでの上映は17日(金)で終了いたしました。

今後も別の作品で「映画のみかた」を示唆されるレクチャーが控えております。是非ご参加下さい。


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「半身反義」
竹藤佳世監督、舞台挨拶
2009年7月11日(土)10:40の回上映終了後
竹藤佳世監督
▲竹藤佳世監督
初日舞台挨拶に竹藤監督が来館されました。「鑑賞後のお客様から率直な感想を聞きたい。嫌でなければ・・・(笑)」という監督のご希望から、お一人ずつ感想をお聞きし、監督への質問に答えて頂くという密な時間となりました。
Q: すごくワクワクしました。前半はメイキングのようで、後半がメインといった作りでしたね。相互にかみ合っていて、ドキュメントともフィクションとも違う面白さがありました。この構成の発想はインタビューの中で出てきたのですか?
A: 被写体の山岸さんに直接お会いして色々本当に大変な状況にあったんです。それをそのままドキュメンタリーとして撮るには救いがない感じがしました。ちょっとした希望みたいなものが見つかるのが映画だと思っているので、映画の中だけでも今の状況を打破できる方法はないかと考えました。
Q: 最初は普通のドキュメンタリーと思って観ていたけれど、後半は実験映像っぽくて面白かったです。後半シュールになっていったのは何故ですか?
A: 映像を作る人間はエゴで動いています。結局自分のことを描いているんですね。山岸さんにもエゴがあり、山岸さんを通して自分のエゴも見えてきます。後半シュールなのは自分のエゴが出ているからだと思います。自分自身がシュールということかもしれませんね(笑)。
Q: 今後の予定は?
A: ミュージシャンのあがた森魚さんの全国ツアーを追ったドキュメンタリーをまとめている最中です。山岸さんの年齢は80代、以前メイキングに参加した若松孝二監督は70代、今回のあがたさんは少し若返って60代。昭和を生きたオヤジ達のお守りばかりしている変わった監督です(笑)。今回興味を持ってくださった方は次回作もよろしくお願いします。

「話すのが苦手」とおっしゃっていた監督でしたが、丁寧にじっくりお話してくださいました。


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「ディア・ドクター」
主演の笑福亭鶴瓶さん、突然の舞台挨拶に大拍手!!
2009年7月4日(土)13:05の回上映直前
笑福亭鶴瓶さん
▲主演の笑福亭鶴瓶さん
好評上映中の西川美和監督作品、「ディア・ドクター」(主演:笑福亭鶴瓶さん)。本日13:05の回上映直前に、たまたま京都にお越しだった笑福亭鶴瓶さんが来場されました。
突然の主演の登場に満席、お立ち見のお客様も驚きながらも大拍手!
「ありがとうございます!何度も観てください!」と上映前に急きょ舞台挨拶となりました。
あたたかい雰囲気そのままにジョークを交えながら、楽しい和やかな雰囲気に包まれました。

★7月19日には、西川美和監督の舞台挨拶もあります。


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「錦之助映画祭り in 京都シネマ」
連日、ゲストを迎えてのトークショーも盛況!
2009年6月6日(土)〜12日(金)
時代劇映画の至宝としてその名を残し、いまだ多くのファンをもつ大スター・中村錦之助。
錦之助映画ファンの会の協力のもと、連日お迎えしたゲストは、いずれも錦之助さんと縁の深い方々ばかりでした。撮影中の隠れたエピソードや、人となりについてもその魅力を大いに語っていただき、 映画界黄金期を支えた方の生の声も聞くこともでき、ファンのみなさまにも大変好評でした。
連日トークショーの終了後はサイン会も開かれ、錦之助さんの思い出話など尽きることがありませんでした。
ご来場いただきましたお客様をはじめ、錦之助映画ファンの会、そしてゲストにお越しいただいた皆様に、 あらためてお礼申し上げます。
6/6 千原しのぶさん(女優)
▲6/6 千原しのぶさん(女優)
6/7 雪代敬子さん(女優)
▲6/7 雪代敬子さん(女優)
6/8 井川徳道さん(美術監督)
▲6/8 井川徳道さん(美術監督)
6/9 中島貞夫さん(映画監督)
▲6/9 中島貞夫さん(映画監督)
6/10 円山榮子さん(女優)
▲6/10 円山榮子さん(女優)
6/11 桂長四郎さん(美術監督)
▲6/11 桂長四郎さん(美術監督)
6/12 高岡正昭さん(スタントマン)
▲6/12 高岡正昭さん(スタントマン)

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「重力ピエロ」
森 淳一監督舞台挨拶&ティーチイン 満席お立ち見盛況!!
2009年6月6日(土)14:45の回上映終了後
森淳一監督
▲森淳一監督
Q: この映画をつくるきっかけ
A: プロデューサーの方から、原作を渡されたのがきっかけでした。
原作を読んで、「新しい」と感じ、人間をみつめる眼がやさしいと感じました。
原作のファンの方も多いので、ちゃんと届けばいいな、という思いはありました。
Q: キャスティングについて
A: ハル(岡田将生さん)の役が一番肝になるので、探し続けて一年ほどたったとき、「天然コケッコー」を観ていて岡田君を見つけて、当時は彼の事は知らなかったけれど、とてもいいなと思ったんです。
彼の出ているTVドラマの収録現場に見学に行ったら、彼がひときわ光っていたので、決めました。
観客の方からも、原作にない設定(加瀬亮さん演じる泉水の仕事や小日向文世さん演じる父親の病気など)についての質問に、
映像にするにあたって、「みせる」ことがどう伝わり残り魅力的にうつるのかを考えました。
あの兄弟たちがこれからどうなるのかは分からないけれど、両親が残したものを「みえる」形で表したかった、とこたえていただきました。
また、製作に携わったスタッフ全員が、この原作が好きで、どうしたらより良い作品になるかを考えてやったことを知っていただきたいです。
とお話いただきました。

「天然コケッコー」(山下敦弘監督・2007年・アスミック・エース)=京都シネマで2007年8月公開


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『沈黙を破る』
元イスラエル将校 ノアム・ハユットさんトーク
2009年6月1日(月)12:10の回上映終了後
左=土井敏邦監督、右=ノアム・ハユットさん
▲左=土井敏邦監督、右=ノアム・ハユットさん
満席、お立ち見の中冒頭、土井敏邦監督がハユットさんを紹介。「彼の声を聞いてほしい。パレスチナ問題などについての個人的な意見などは控えていただき、ぜひ彼の話を聞いて質問などしてほしい」という力強い観客への呼びかけで始まりました。
ハユットさんは、“沈黙を破る”の活動の原点になった写真展や750人に上る兵士たちの証言が集められたこと、教育的指導などにも力を注いできたこと、そして国際社会へ向けた活動も始め、今日この場に来たこともその一つであり、土井監督へこの映画を作ってくださったことと、世界に広めなければと励ましてくださったことに感謝をしたい。
とお話されました。観客の方からも、軍の圧力などなかったのかなど質問も多く出、終了後ロビーでの「対話」も続いていました。
劇場風景
▲劇場風景

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『ディア・ドクター』
西川美和監督、主演・笑福亭鶴瓶さんの大阪でキャンペーン
2009年5月29日(金)
左 笑福亭鶴瓶さん 右 西川美和監督
▲左 笑福亭鶴瓶さん 右 西川美和監督

6月27日からの全国公開を前に、大阪で、西川監督、鶴瓶さんの記者会見が行われた。西川監督は、鶴瓶さんは、大スターなので、最初お会いする前はすごく緊張していたが、「会っていきなり、私の自己紹介をさえぎって、まず名乗られてから、その日に合った面白いエピソードの話をされて、笑っているうちにすぐ打ち解けてしまった。じつは、瑛太さんと会う、ファーストシーンは、そのあと書き直したんです。ほんとうに、伊野そのままという印象でした」。鶴瓶さんは西川監督の作品の主演が決まったことで、いろいろな人から電話をもらったが、最初に電話くれたのは中村勘三郎さん。「西川さんに、ヘンなことするなよ」と「おめでとう」とは言ってくれない。次が中井貴一さんからで「主演は大変やで、全体の雰囲気をつくらなければならないし。とにかく大変や」と。「これだけの俳優さんが、電話をくれたと言うことに、西川監督のすごさ、期待の高さを感じた」と。会見場は、笑いに包まれ、鶴瓶さん流に、記者をもふわっと包み込んだ。「現場の雰囲気も、そうだった」と西川監督。最後にタイトルの意味を聞かれ「村の人たちに取っての伊野の存在だったり、私たちから、いま全国にいらっしゃるお医者さんへの思いだったり、そして、”親愛なるお医者さま”といわれる存在ですか?という問いかけの意味も含んでいます」。ぜひ、ご期待ください。


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『沈黙を破る』
岡真理さん(京都大学教員)レクチャー
2009年5月23日(土)10:20の回終映後
岡真理さん
▲岡真理さん

岡真理さんはパレスチナ問題に詳しく数々の著書も出されています。今回、映画のことパレスチナの現状などお話いただきました。

パレスチナは現在占領下にあり、数百万の人々が人間としての尊厳を奪われている。民族それ自体を抑圧するということはナチスドイツの犯罪、ホロコーストにも匹敵する。
映画では元イスラエル兵が自分たちのしてきた非人道的な行為を告白する。まさに「沈黙を破る」のだが、そういった運動自体は以前からいくつか行われてきていた。しかし、当事者たちが実際に現在のイスラエルの占領政策に面と向かって異議を唱えるということは非常に意義深いことだと思う。
ある難民キャンプでの象徴的な事例を紹介する。
ロバを曳いたパレスチナ人の老人に対して検問所で若い兵隊が愚弄する。
「ロバの肛門に口づけをしたら通してやる。」
老人は何も言わずイスラエル人の命令に従う。
こういうことがパレスチナでは日常として行われている。ひとつの民族がほかの民族をその圧倒的な力によって服従させるというのはそういうことだ。しかしパレスチナの人々はそれでもなお人間性をいまだ失ってはいない。ひるがえってイスラエルの人々はどうか・・・

報道されることの少ない占領という暴力について話していただきました。なお、6/1(月)には12:10の回終映後に土井敏邦監督と出演もしている元イスラエル将校ノアム・ハユットさんによる対談も予定しています。めったにない当事者の声をどうぞお聞きください。


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『THE CODE/暗号』
2009年5月17日(日)14:45の回上映終了後、
林海象監督、櫛山晃美さん 舞台挨拶 満席盛況!!
左:林海象監督 右:櫛山晃美さん
▲左:林海象監督 右:櫛山晃美さん

この日は、林海象監督の地元京都での舞台挨拶で満席・お立ち見の盛況となりました。

映画の中で天才プログラマー役で出演されている、櫛山晃美さんもサプライズゲストとして登場。盛り上げていただきました。お二人の登場のあと、主演の尾上菊之助さん、稲森いずみさんからのビデオレターの上映もあり、観終わった後の会場の熱気はさらに高まりました。監督には、本作品の撮影時の舞台になった川崎や上海でのエピソードやシリーズにかけた思い、シリーズ中、別の作品で主演作もある櫛山さんには、このシリーズに関わって「探偵」のイメージが変わりました。というお話もしていただきました。次回作にも、期待したいと思います!


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『THIS IS ENGLAND』
小堀眞裕さん(立命館大学法学部教授)レクチャー
2009年5月10日(日)18:00の回上映前
小堀眞裕さん
▲小堀眞裕さん

小堀さんは、イギリスの政治についてご専門に研究をされていて、本作品のパンフレット(500円 売店にて販売中)にも寄稿をされています。映画の政治的背景などについてお話いただきました。

映画の時代は、サッチャー政権初期。サッチャーが行った政治の特徴や国民に与えた影響について、冒頭お話をしていただきました。
その中でサッチャー政権下、イギリスの二大政党のうちの一つ労働党(労働組合)に、国民が幻滅をした時代があり、それが映画の中にも出てくる、“組織されない”労働者という立場を生むことになったと説明。映画の舞台になったイギリス中北部は製造業が主力の地方で、サッチャーの行った経済政策が金融業を中心に立て直しを図った、そのあおりを受け、大きな打撃を被った地域でもある。また、当時イギリスのパスポートは植民地でもすべて同じもので、そのためどんどん移民が流入することになり、人種や階級などの格差が生じたことが、言葉遣いや服装などで表わされているという映画の特徴についても触れていただきました。


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『子供の情景』
中道貞子さん(チャプダラ校支援の会代表)レクチャー
2009年5月9日(土)12:10の回上映前
中道貞子さん
▲中道貞子さん

中道さんは、アフガニスタンのチャプダラ村にあるチャプダラ校で学ぶ子どもたちがボロボロのテントで勉強をしていたのを見て、良い環境で学べるようにということで、校舎建設の支援活動を続けてこられて、「中道ママアフガンを行く!」(クリエイツかもがわ 1,890円 売店にて販売中)を出版もされています。

「子どもたちは学校が大好きだけれど、学校へ行けることが当たり前ではない。特に、女の子は先生が男の人だと親が行かせなかったり、女の子には必要ないという考えから行けなかったりすることもある。チャプダラ校は男性教師でも男女関係なく子供たちを受け入れている。しかし、男の子の席、女の子の席、と分かれている。教師は村の人だったりするので、“身内”だから安心して通わせることができる、という事情がある。」
と、実際のご経験から、現地の学校教育の仕組みや変遷などについてお話いただきました。また、
「映画の中で戦争ごっこをする場面があるが、実際に子どもたちはしているのか?と聞いたら、タリバン時代が終わった後は、実際にしていたこともあったが、今は戦争ごっこよりサッカーをしている子どもたちが多い、という話を聞き、平和である事は本当にすごいし大切なことだと思った」
とお話され、「この映画を観て、アフガニスタンに関心を持ってもらえれば」と締めくくっていただきました。

※「子供の情景」上映期間中、チャプダラ校支援の募金も受け付けています。


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『THIS IS ENGLAND』
公開記念イベント
2009年5月3日(日)22:00〜
BAR bowl
▲BAR bowl
開場前
▲開場前
DJイベント DJイベント
ライブイベント ヘアメイクイベント
ライブイベント

『THIS IS ENGLAND』公開を記念し、BAR bowl(三条木屋町下ル)にて音楽イベントが開催されました。会場には100人以上のお客様がつめかけ、DJイベントや、ライブ、ファッションショーなどのイベントを朝まで楽しみ、大盛況でした。
とてもすばらしい青春映画ですのでぜひご覧ください。


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『ミルク』『ハーヴェイ・ミルク』
公開関連企画 連続レクチャー(3)
2009年5月2日(土)『ミルク』15:40の回上映後
『ハーヴェイ・ミルク』19:35の回上映前
テーマ:「対談・ゲイコミュニティ古今東西」
講師:鬼塚哲郎氏(京産大文化学部ラテンアメリカ文化専攻教授)
   山田創平氏(京都精華大人文学部都市社会学講師)
左=鬼塚哲郎氏、右=山田創平氏
▲左=鬼塚哲郎氏、右=山田創平氏

『ミルク』『ハーヴェイ・ミルク』の上映に関連して企画した連続レクチャーの最終回が行われました。

約1時間の休憩をはさみ、それぞれ30分間程度のお話の中で、日本とアメリカのゲイコミュニティの違いについて対談されました。最大の特徴は相対的にアメリカではゲイが物理的な攻撃の対象になりやすいという理由からゲイコミュニティ(ゲイタウン)が生活の場として機能していて、そこからハーヴェイ・ミルクのように政治の場に自分たちの代弁者をおくりこむことが可能になった。解放運動や、それに連なるムーブメントが成功しえたのもそういう風土的な要因が大きいということでした。
一方、日本でのゲイタウンとは新宿二町目に象徴されるように商売や交流の場で、誰も実際にそこには住んでいない。それは日本では加害者の存在が希薄で、ゲイの人々はばらばらに郊外などに散らばっているという。それはキリスト教の社会観の影響を強くは受けない日本独自の風土ではあるが反面、大規模な連帯、運動にはつながりにくいという短所も併せ持っていると話されました。

また有名な十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」を例に出されて日本におけるゲイ文化についても解説をしていただきました。後半では前半に集めたお客様からの質問に答えていくという形式で対談は進み、前後半ともご覧頂いたお客様も多く、とても盛況のうちに終了しました。


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『天上人とアクト人最後の戦い』
2009年4月25日(土) 舞台挨拶大盛況!!
【出演者】
 相沢舞(日高ユメミ役)/小野大輔(ムント役)/堀川千華(小野イチコ役)/
 今野宏美(今村スズメ役)/稲田徹(ガス役)/若本規夫(グンタール役)/
 木上益治(監督)/荒谷朋恵(キャラクターデザイン)
 【司会進行】
 白石稔(グリドリ役)、高橋伸也(高森カズヤ役)
舞台挨拶
当日は、早朝から多くのお客様にご来場いただき、30分でチケットも完売の大盛況でした。その大きな期待に、出演者の皆さんにも応えていただき、司会のお二人の軽快な進行で、“熱い”空気が場内を包みました。終了後、お客様から、「ありがとうございました!楽しかったです!」とたくさん声をかけていただき、スタッフも疲れが吹き飛びました!

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『ミルク』
公開関連企画 連続ミニレクチャー(2)
2009年4月25日(土)12:05の回上映前
テーマ:「アメリカ史の中のマイノリティ」
講師:中川成美氏(立命館大学文学部教授)
中川成美氏
▲中川成美氏

4月18日(土)より公開の「ミルク」の上映に関連して企画した連続ミニレクチャーの二回目が行われました。

中川さんは冒頭で、ショーン・ペンがアカデミー賞を受賞したことに触れ、レッドカーペットの傍らで、「ミルク」の上映を反対する人たちがプラカードでアピールをしていたことを挙げ、「未だアメリカでは、アンチゲイの活動があり、それがある一定の影響力を持っていることに、危惧を覚える。」と話されました。
映画の中で、ミルクの恋人の苦悩する姿は、ゲイの中にもある“階級”がもたらした悲劇であるということや、ミルクが凶弾に倒れた後、支援者らがキャンドルライティングで追悼をする場面がありますが、これもこの時から始まり、今ではさまざまな集会で行われるようになっている、というお話などもしていただきました。

第三回目が、5月2日に行われます。ぜひご参加ください。

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『ミルク』
公開関連企画 連続ミニレクチャー(1)
2009年4月19日(日)15:20の回上映前
テーマ:「『ミルク』の政治的インパクト」
講師:岡野八代氏(立命館大学法学部教授)
岡野八代氏
▲岡野八代氏

4月18日(土)より公開の「ミルク」の上映に関連して企画した連続ミニレクチャーの一回目が満席、立ち見の中行われました。

岡野さんは、1993年、カナダに留学した折に出会ったゲイタウンの印象について、
「晴々として、自分たちの生活を楽しんでいて、フレンドリーな方が多かった」
と語り、一方でキリスト教の教えから来る“罪悪”とされて、アメリカなどでは深く浸透していたゲイ社会への差別という、暗く厳しく苦悩に満ちた歴史を抱えた人々が、1960年代、自分たちの権利を守るために、「カムアウト」していった結果、2003年にアメリカでは、ホモセクシャルコンダクト法が撤廃されるに至った経緯などについて、分かりやすくお話いただきました。
最後に岡野さんは、
「『ミルク』の中で、みなさんは、自分はゲイだ、と言い始める、歴史の転換点を目にすることになると思います。最後まで楽しんでください!」
とご自身の映画を観た感動とともに、締めくくっていただきました。

このあとも、4月25日(土)、5月2日(土)と続きます。ぜひ、ご参加ください!

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『サルサとチャンプルー』
ミニレクチャー
2009年3月28日(土)
小林和弘さん
▲小林和弘さん
「サルサとチャンプルー」上映にあわせ、左京区元田中にある タコス料理店“タケリア・パチャンガ”店主小林和弘さんによるミニレクチャーを行いました。小林さんは何度もキューバを訪れており、ほぼ満席のお客さんの前で映画について、キューバについてお話しいただきました。
小林和弘さん(タケリア・パチャンガ店主)
この映画はさまざまな要素がからみあって出来ている。
沖縄をはじめ日本各地から1,000名程のキューバ移民があったこと。
彼らが数世代を通してキューバ社会に溶け込んでいったこと。
日系人以外でもさまざまな国籍の移民たちが今のキューバをつくっていること。
“サルサ”とはこの場合ソースという意味でその多民族国家としてのキューバを構成するそれぞれの要素を、そして“チャンプル”混ざり合うという意味を加えて映画で歴史を表現している。エンディングの音楽がそれらをひとまとめにして流れていくようだ。

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『ブラジルから来たおじいちゃん』
ゲストトーク
2009年3月25日(水)
『ブラジルから来たおじいちゃん』ゲストトーク
▲左:ルイス・オタビオ 右:栗原奈名子監督
3/21(土)から公開している「ブラジルから来たおじいちゃん」。70年前にブラジルに渡った紺野堅一さんが92歳になった現在、日本に“デカセギ”に来ているブラジル人労働者を訪ねて行くドキュメンタリー映画。今回、木屋町でブラジル料理屋を経営するルイス・オタビオさんをゲストに迎え、栗原監督とのトークを行いました。

ルイス・オタビオ(パステル・ド・ブラジルオーナー)
 http://pastel-do-brasil.com/staff.html
この映画を見てはじめて外国人に義務教育が認められていないのを知りました。12歳のころから日本で暮らしているが学校になじめず不登校になった時期もあった。その時に小学校6年生の担任だった先生から熱心に諭されて、その先生のおかげで復学し、中学校を卒業できた。16歳から父親の勤める工場で働きだしたがもっとさまざまな人と触れ合う機会が欲しいと思い、ブラジル料理店で働くことにした。現在日本在住のブラジル人の友人たちは多くが厳しい状況にあるが、そんな彼らと日本人が交流できる場を提供し続けていきたい。

オタビオさん自身が来日後、とても努力されてきた様子が淡々としておだやかな話口調の中から伝わりました。オタビオさんのお店もいつ行ってもさまざまな国籍のお客さんでいっぱいでとても賑やかです。オタビオさんのニュートラルな人柄もあったかい、そんな店に皆さんも一度足を運んでみては・・・。

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『ブラジルから来たおじいちゃん』
パネルディスカッション「日系移民の現在」
2009年3月22日(日)
『ブラジルから来たおじいちゃん』パネルディスカッション
▲左:鬼塚哲郎教授 中央:松原マリナさん 右:栗原奈名子監督
3/21(土)から公開している「ブラジルから来たおじいちゃん」。70年前にブラジルに渡った紺野堅一さんが92歳になった現在、日本にデカセギに来ているブラジル人たちを訪ね歩くドキュメンタリー映画。今回映画の舞台ともなっている日系移民、そしてその子供たちが現在どのような境遇におかれているのかについてパネルディスカッションが行われました。

栗原奈名子監督
この映画はまず最初に紺野堅一というひとりの人物があってのお話。彼が若いころにブラジルに移民し数えきれないくらいの苦労を重ねながら自分の価値観を育んでいく。それは最終的にとてもおだやかでやさしい視線として彼のまわりの人々に注がれていく。
悪いところばかりをピックアップするのではなく映画をポジティブにとらえ、この映画から観客の皆さんがそれぞれなにか考えてくれることがあればうれしい。
松原マリナさん(関西ブラジル人コミュニティ理事長)
関西ブラジルジンコミュニティは神戸の震災の後に関西在住のブラジル人同士がお互いに助け合える場として成立した。主にブラジル人児童の教育、日本語およびポルトガル語を教えている。ただ、児童を取り巻く状況は良いとは言えず来日した数十年前からほとんど何も進展もない。すべての外国人児童が十分な教育を受けることができて、子供たちに大人が用意する選択肢を増やしてやることを希望している
鬼塚哲郎教授(京都産業大学)
日系移民にはふたつのタイプがあると言われている。家族や親戚、それに近いコネクションを通じてやってくるコミュニティ型。そして企業がブローカーを通じて手配する市場型。
現在ほぼ大多数が後者に属する。彼らは日本で権利や保証を満足には得られず、重労働に苦しみ、完全に孤立している。映画の中で紺野さんがやっているように彼らをつなげ、サポートすることができる新しいネットワークが必要だ。

パネルディスカッションの中でそれぞれの立場から意見が交換され、会場は大変盛り上がり映画に対する理解を深めていただくことができました。パネルディスカッション終了後もそのまま劇場ロビーに移動し座談会の形でたくさんのお客様による意見の交流が行われました。

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『ブラジルから来たおじいちゃん』公開プレパーティ
2009年3月16日(月)
『ブラジルから来たおじいちゃん』公開プレパーティ
3/16(月)に左京区元田中にあるタコス料理店<パチャンガ>にて『ブラジルから来たおじいちゃん』の公開プレパーティが開かれました。
会場では栗原奈々子監督と3/22(日)のパネルディスカッションにも出席される鬼塚哲郎教授とのトークショーが行われ、おいしいタコスとともに30名を越えるお店いっぱいのお客様はとても盛り上がり大盛況でした。
映画『ブラジルから来たおじいちゃん』は3/21(土)から京都シネマにて上映します。イベントも盛りだくさん企画していますので要チェックですよ!

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京都シネマカレッジウィークvol.8
大阪成蹊大学芸術学部映像作品展「サラダ・ドゥ」始まる!
2009年2月21日(土)
上映会風景
 学生作品の上映会として過去7回行ってきた“カレッジウィーク”。今回は大阪成蹊大学の皆さんの、卒業制作の作品を含む4プログラムの上映となります。当日は出品者のトークもあります。一人でも多くの方に、学生作品の世界に触れていただきたいという企画です。ぜひお運びください!
上映会風景

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「ノン子36歳(家事手伝い)」
2009年2月14日(土)12:45の回上映終了後
熊切和嘉監督ティーチイン!
熊切和嘉監督
▲熊切和嘉監督
 これまで京都シネマでは、熊切監督作品を2本上映していますが(「青春★金属バット」「フリージア」)、今回初めてご来場いただきました。以前の作品の“激しさ”に比べると、一味違う作品になっています。作品について語っていただきました。
Q: 坂井真紀さんがいたから成立した作品とのことですが?
A: 最初に坂井さんありきでした。「青春★金属バット」という作品で一緒に仕事をしましたが、あれだけベテランの女優さんであるにも関わらず、常に変わろうとしている女優さんで、 それは若松監督の「実録・連合赤軍」を観てもわかると思うんですが。ぜひにと思いました。
Q: 主人公と、彼女を取り巻く登場人物、同級生や妹などとの関係をとても丁寧に描いているという印象なんですが?
A: 実は姉が二人いて、喧嘩ばかりしている印象があり、決して仲良くない関係だろうと思い撮った。すごく嫌な弟だと思うんですけど(笑)。試写で観た姉は「泣いた」と言ってくれた。共感できたと言ってくれました。

この映画の重要なアイテムでもある「ひよこ」は、監督のお父様が、監督が幼かった頃、実際に縁日で売ろうと400匹のひよこを買ってきたというエピソードから出発していると、意外なエピソードも披露していただきました。

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「アリア」
2009年2月14日(土)10:30の回上映終了後
村松亮太郎監督舞台挨拶!
村松亮太郎監督
▲村松亮太郎監督
Q: 長野県の諏訪が舞台になっているが、ここで撮ることになったきっかけは?
A: この映画の撮影監督が諏訪出身で、彼との付き合いの中で諏訪に行ったことがあり、雪が降ってきた光景を見て、ストーリーが浮かび、自然発生的に出来上がった。
Q: 撮るにあたってこだわったことは?
A: 散文詩的なつくりにした。
ざっくりとした流れはあったが、現場でシーンを足していくという作業を繰り返ししていたので、その日にならないと分からないようなところがあり、スタッフとキャストが大変だったと思う。最初は3時間ぐらいあったが、観て想像してもらうことを重視してカットしていった。

次回作についても、いくつかの企画が進行中、と語った村松監督。

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「余命」乳がん啓発キャンペーン
2009年2月7日(土)13:10の回上映前レクチャー
余命
 本日より公開の映画「余命」は、乳がんにかかった女性医師が自身の出産と治療のはざまで苦悩し、命と向き合う姿を描いています。京都シネマでは、この映画の公開にちなんで、世界的な規模で行われている「ピンクリボン運動」の活動を知ってもらおうと、専門家の方にお越しいただいて上映前のレクチャーを企画しました。ここにそのお話の一部をご紹介します。
余命
▲蔭山典男医師
講師:蔭山典男医師
(宇治病院副委員長、京都乳がん検診委員会委員長、ピンクリボン京都実行委員長)

現在乳がんにかかる女性は年々増えており、特に30代〜60代前半の女性に大変多いです。「乳房」というのは、さまざまな言葉で表現をされます。「まんま」「バスト」「胸」「おっぱい」などありますが、「まんま」というのはラテン語で、“哺乳類”を意味する言葉です。赤ちゃんに授乳をするという生物にとって非常に重要な臓器です。日本は世界的に見ても、乳がんの発生が少ないのですが、この10年ほどの間に著しく増加の傾向にあります。京都でも1000人以上の方がかかられ、昨年も200人を超える方が亡くなっていますが、一方女性の方々には乳がんが増加しているという認識が薄いというのが現状です。まさか自分がと思っている方が多いのです。
“ピンクリボン”というのは乳がん撲滅のための世界共通のシンボルマークです。
欧米では乳がん検診の促進活動の結果、乳がんの死亡率がそれまでの約半分になってきていますが、日本では20人に1人とも言われる乳がんの検診受診率がとても低いのが現実です。早期発見すれば予後良好で治りやすいがんであるにも関わらず末期になってしまい、亡くなってしまう方が多いのです。
ピンクリボン京都では、乳がん検診の受診率を50%に引き上げることを目標に活動をしています。もっと多くの方に、関心を持っていただければ幸いです。
上映期間中、ロビーでのパネル展やピンクリボン京都オリジナルグッズの販売も行っていますので、ぜひご来場ください。ピンクリボン京都の活動は下記サイトでご覧いただけます。
ピンクリボン京都サイト http://pinkribbon-kyoto.jp/

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「ザ・ショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった」
2009年1月24日(土)10:30の回上映終了後
崔洋一監督(「ダイコン〜ダイニングテーブルのコンテンポラリー〜」)舞台挨拶!
左:深沢プロデューサー 右:崔洋一監督
▲左:深沢プロデューサー 右:崔洋一監督
 本日1月24日より公開の「ザ・ショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった」は、現在活躍中の5人の監督による、“こども”をテーマにしたオムニバス映画。その中の一編、「ダイコン〜ダイニングテーブルのコンテンポラリー〜」の崔洋一監督が来場。この映画はもともと、朝日放送新社屋の竣工記念として企画製作された作品。プロデューサーである朝日放送の深沢義啓さんも交えて、舞台挨拶が行われました。
Q: テーマを「こども」としてこの映画を撮ることになったことについて
A: 大阪の朝日放送ということで、芸人さんを集めてのイベントなのかと思いきや、映画を、しかも「こども」というテーマでつくるんだと聞いて驚いた。
映画をつくる者として、「こども」というのは、ある種永遠のテーマというか、非常に狭い領域でありかつ果てしなく広い社会性を持った家族というテーマを与えられたと感じた。
他の監督は誰だと聞いたら、手ごわい奴ばっかりで(笑)、内容もかぶっちゃいけないと思ったが、残されたのは、女の子どもと母親しかいないと聞いて、やられたな!と思った(笑)。
一番自分が苦手とする分野だなと。
深沢さんから、小泉今日子さんはどうですか?と聞かれて、(崔監督の)デビュー作「十階のモスキート」で実はキョンキョンがスクリーンデビューしてるんですよね。
なかなかシナリオができなくて、嘘をつき続けてた時期だったんですが(笑)、キョンキョンをイメージして膨らませていったら、一晩でできちゃったんです。
Q: 他のキャストはどのように決まったのか
A: 小泉今日子さんで決まったので、あて書きで書いていた部分もあったんですが…
(崔監督)それなら母親は、樹木希林さんだ!と思って勝手に書いていたんですが・・・
以下、深沢プロデューサー
小泉さんということで、彼女に小さな子どもがいるというふうに想像していたんですが、違う設定で驚いた。
母親役に樹木希林さんだということだったので、お願いをしたら、小泉さんも希林さんも二つ返事でOKしてくださった。
父親役に細野さんということで、一緒に仕事をしたことはなく細野さん自身も映画で役付きというのは初めてということだったんですが、引き受けていただいてシナリオを渡したら、「こんな長いセリフ、覚えられない!」と断られかけたんですが、そこを何とかということで、終わったら、細野さんも非常に喜んでくださって、「またやりたい」と(笑)。
こうして、崔監督のシナリオと演出、素晴らしいキャストの皆さんでいい作品ができたなと思っています。

今回のような短編をつくることについても、「お金はないけれど普段できないことができる魅力がある」と崔監督。
「この次は、別のテーマで3人でつくろうと思っている」と次回作の構想も語られました。楽しみに待ちたいと思います。

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公開講座 シネマで学ぶ「人間と社会の現在」 シリーズ1「家族の現在」
2009年1月17日(土)13:30〜 立命館大学朱雀キャンパス5F大講義室
第3回上映会「ディア・ピョンヤン」 梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督来場!
『ディア・ピョンヤン』
 京都シネマが立命館大学人間科学研究所と共催で、昨年11月より行っている上映会の3回目。今回は、コリアン二世の監督が、両親とピョンヤンで暮らす3人の兄を10年にわたって撮り続けたドキュメンタリー映画、「ディア・ピョンヤン」。上映終了後、京都シネマ代表の神谷雅子の司会でティーチインが行われました。梁監督の明るいトークに、時折笑いも起こり和やかな雰囲気に包まれました。ここで、そのお話の一部を紹介します。
梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督
▲右:梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督
Q: この映画を撮ることになった経緯は?
A: 20代の頃、芝居をやっていたが限界を感じてやめた後、30代になってビデオを撮り始めた。いろいろ、インタビューをしたり、それらを基に短い映像をつくったりするうちにのめり込んでいった。
山形国際ドキュメンタリー映画祭へ通い始めて、多くの作品を観たが、プライベートな家族にまつわるドキュメンタリー作品にとても惹かれていった。自分の家族は「めんどくさい」と思っていたが、客観的に面白いと思えるようになって撮ろうと思った。
父は、撮りはじめて3年ほどは、カメラを向けると逃げていたが(笑)、20代の終わり頃まで、父の考え方に反発をして仲が悪く背を向けていた一人娘が、自分に向いてくれたということに、父は嬉しくもあったようだ。
Q: この映画を撮って変わったことは?
A: 人の言うことや行動には、歴史があるということを知った。その歴史を探っていく、ひもといていく作業は、時間もかかるし大変だけれども楽しいと思えるようになった。
学校などで習うこととは別に、具体的に人の歴史(人生)を知るために、歴史の本を読んだりすると、イメージが変わることに気がついた。どうしてそう考えるのか、行動するのかという理由がわかるようになる。それが私にとっては、自分の親だった。
友人が大阪の実家に遊びに来た時驚いていたが、私の部屋と両親の部屋のあまりの雰囲気の違いに、まさに冷戦だと(笑)。でも、この映画を撮ったことで、考え方は違うけれど、認め合って話をするということが大切なんだと思うようになっていった。

これまでに各地で行われた上映の中には、観客の方からの「梁さんの家庭は、(南北分断されていたが)家庭内統一したのでは」との感想もあったそう。また、映画には出てこなかったことも含め、この10年の記録は、梁監督が映画と同名のエッセーに書かれたことも紹介されました。今回の上映会のアンケートでも、この映画を通して、自分の家族へ思いを馳せたという感想が多く見られました。
上映会はこの後も続きます。会場はいずれも立命館大学朱雀キャンパス(JR二条駅前)5F大講義室、料金は800円(京都シネマ会員500円)です。ぜひご参加ください。
2月21日(土) 13:30〜 「蛇イチゴ」(西川美和監督)
 講師:村本邦子氏(立命館大学産業社会学部・応用人間科学研究科教授)

3月14日(土) 13:30〜 「茶の味」(石井克人監督)
 講師:団士郎氏(立命館大学大学院応用人間科学研究科教授)

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『アラトリステ』公開特別企画フェンシング実演レクチャー
2009年1月12日(月・祝)12:30の回上映前
『アラトリステ』フェンシング実演レクチャー
▲左から 荒金翔平さん、本保和峰さん(同志社大学フェンシング部員)
 12/27(土)より上映しています『アラトリステ』公開特別企画としまして同志社大学フェンシング部のみなさんによる実演付きのレクチャーを行いました。
 中世の剣士の決闘が競技用に洗練されていく様を、実際にマスク、ユニフォーム着用のフェンシング部員による模擬試合とともに解説していただきました。スクリーンの前で繰り広げられるスピーディーな手合わせは、ご覧いただいた客席からも感嘆の声が上がるほど迫力のあるもので映画を前に大変興味深い導入になりました。

 中川新八郎(同志社大学フェンシング部監督)のお話
中川新八郎監督同志社大学フェンシング部出身の北京オリンピック銀メダリスト、太田雄貴選手が映画『アラトリステ』に対して応援のコメントを出していることが直接のきっかけとなって今回のはこびとなった。フェンシングはもとをたどればアラトリステたちのような中世ヨーロッパの騎士たちの剣技をルーツとしている。戦場での実際の武器が銃や大砲に移り変わっていく中でも、剣を使った戦技は貴族階級の間で受け継がれていき、それぞれ形状の異なるエペ、フルーレ、サーブルという競技として発展していく。3つの競技でエペ、フルーレは突きのみが有効とされ、それにまつわる攻め、受けの様々な技がある。サーブルのみ切りも許されていて『パイレーツ・オブ・カリビアン』や西部劇などで目にする騎兵隊の持つ武器はすべてこれにあたる。
オリンピックをきっかけにしてフェンシングがクローズアップされてきているが、こうして実際に生で剣戟を見る機会はまだ少ないと思うので、映画をきっかけに少しでもフェンシングに興味を持っていただけるとうれしい。
『アラトリステ』フェンシング実演レクチャー
▲荒金翔平さん、本保和峰さん(同志社大学フェンシング部員)、中川新八郎(同志社大学フェンシング部監督)

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『蘇る玉虫厨子 時空を越えた技の継承』舞台挨拶盛況!
2009年1月10日(土)10:30の回上映終了後
『蘇る玉虫厨子』舞台挨拶
▲左から2人目 森本安之助さん、右端 立野敏明さん
 本日より公開の「蘇る玉虫厨子」の上映後、この映画にも登場する蒔絵師の立野敏明さんと、錺金具師の森本安之助さんによる舞台挨拶が行われました。お二人の伝統工芸に対する熱いお気持ちをうかがうことができました。

 立野敏明さん
今回のこのプロジェクトがなければ、これだけの様々な職人が集まって一緒に仕事をするということは、まずないと思う。
そういう意味で、とても楽しく仕事ができた。
映画には20人ほどしか登場しないが、延べで80人ぐらいの職人が関わっている、まさにビッグプロジェクトだった。制作にあたっては、奈良で一般公開されたものを「見る」ことしかできず、あとは頭の中でイメージを膨らませるしかなかった。
通常、私たちの仕事は“図面8割”と言って、図面が出来上がればあとは…となるが、今回に限っては、いったん図面をつくって、でもそこから先は想像をするしかない。図面以上のものを求められた、そこが非常に難しかったがやりがいもあった。
 森本安之助さん
10代のころからこの仕事を始めた。家業としてやっていたので、自然に自分が2代目としてやっていく、そういう時代でもあった。
そのまま何十年とやってきたが、伊勢神宮の式年遷宮に過去4回携わって、職人としてこういう仕事に声をかけてもらえることを誇りに思っている。
自分の子供も今3代目としてやっているが、昔と違って今は日常的には仕事がない世界だ。「伝統・文化の保存」と言うだけではそのことはかなわない。
こういう仕事が求められなくなってきているという状況が、この世界を潰していっているのではないか。
この映画に、今日これだけの人が(観に)集まるというのはとても嬉しい。上映をすることで、伝統工芸の世界を少しでも知ってもらい、興味、関心を持っていただけたら嬉しい。


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『悪夢探偵2』塚本晋也監督ティーチイン!
2009年1月10日(土)14:50の回上映終了後
『蘇る玉虫厨子』塚本晋也監督
▲塚本晋也監督
 本日より公開の「悪夢探偵2」の公開に合わせて、塚本晋也監督が来館。塚本監督にお越しいただくのは、2005年に当館で上映した「ヴィタール」以来。映画に対する思いや、また観客の皆さんからの質問にもお答えいただいて、映画とは違った和やかな雰囲気で進行していきました。

Q: 今、映画は原作ものというのも多いですが、塚本監督の作品はオリジナル、この「悪夢探偵2」もそうですが、塚本監督のそのあたりに関してのこだわりといったものは?
A: 特に原作ものは撮らないと意識はしているわけではなくて、プロデューサーの方から「こういうのがあるけど」と言われることもある。
本屋さんに行ってそれを読んで、映画になるかどうかを考えている時間はとても楽しいんですが、なぜかその後形になることがなかった。
でも、自分には「撮りたい」と思うものがあったし、「次、何を撮ろうかなぁ」と考えて撮ってきた。
「悪夢探偵」は、15年ぐらい前からずっと考えていた作品で、やっと形になったという感じです。
Q: 1作目「悪夢探偵」で、収まりきらなかったものを「悪夢探偵2」として撮ったのか?
A: もともとシリーズとして考えていたもので、であれば、3本ぐらいはという気持ちがあった。最初は、テレビドラマのイメージで、例えば、子どものころ観ていた「ウルトラQ」であったり、「ツインピークス」のようなものであったりというイメージを持っていた。
細かいアイデアがたくさんあってそれをまとめた短編をつくったりしていて、今回のような形になっていきました。
Q: 映画監督としてのこだわりは?
A: つくりたいものをつくってきたという感じです。プロデューサーの方からのお話を断ってきたということもなくて、この「悪夢探偵」では、企画は自分たちなのに、資金を出してもらった初めての作品。
それまでは、自分たちの企画は自分たちでお金も出してつくっていた。
逆に自分の興味の持てないものを、職人技でつくれるかと言われると、だめかもしれないという大いなる弱点があると思っています(笑)

 この映画の主人公・京一は厭世的な人間。そういう人間が一つ一つの事件に関わるうちに、ほんの少しずつだけれどやる気になっていくという作品。今現在の(塚本監督自身の)家族の事など、「身の回りの状況も映画づくりに影響しています」と言う監督。「いつかは京一も、探偵事務所の看板を出すかも知れません」と会場を沸かせた塚本監督。次回作も楽しみです!


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