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【社説】

大晦日に考える 日本人の見えざる変化

2009年12月31日

 変わらないようで変わる。政権交代は劇的な変化でしたが、見えない部分でこそ日本人の変化は起きているのではないか。今年を振り返りましょう。

 秋、千葉・幕張の東京モーターショーでのことです。日産の展示は、リーフと呼ぶ電気自動車でした。担当の男性技術者−。

 「ぼくは前はスカイラインの開発をしていました。今はこれ(と指さし)電気自動車です。空力特性もすごいんですよ」

◆意気込む自動車技術者

 日産の社長兼最高経営責任者のカルロス・ゴーン氏は電気自動車に最精鋭を投入。スカイラインをつくる日本の職人たちは、ゴーン氏という黒船によっていち早くより深く世界市場を意識した…。技術者の熱い話しぶりは経営と現場一丸で走るという印象でした。車載電池はフランスのルノーと共用です。

 工場が海外へ出て行き、日本の製造業はピンチです。経営者も技術者も日本で世界を相手に競う。エンジンからモーターへのように仕事は変わる。でも日本の高度技術者、熟練の職人たちは元スカイライン開発者のように変えられるより自ら変わる方を選ぶでしょう。そういう意識の変化はどこでも始まっている。時代とともに人が変わるとはそういうことです。

 この夏、裁判員裁判が始まりました。暮れまでに五十地裁で八百三十六人が裁判員を務め、百三十八件百四十二人に判決を言い渡しました。

 ある裁判の裁判員記者会見を見ました。

 マイクを前に座る市民裁判員たちの言葉や表情は疲労と心労をはっきり示していました。人を裁くとは、振り返れば怖くなるほどの重責です。しかし責務を果たした充足感も伝わってきました。

 ひとつ、打ち明け話をすると、裁判員会見は本紙の考えとして新聞協会の会合で提案したことでした。裁判員への接触禁止など取材制限が厳しすぎて、これでは検証不能になると恐れたからです。そこで裁判員の皆さんに協力をお願いすることにしたのです。

 市民裁判員たちが、もちろん不慣れな記者会見で、それでも自分の考えや感想を一生懸命に述べられている様子を前にして、心の中で深く頭を下げました。会見に出てもらえるのか、正直に言えば心配だったからです。

 裁判員裁判にはなお反論もまた改善の余地もあるでしょう。しかし、裁判員の経験を通じ日本人は自らの元よりの力を自覚しつつあるとも思うのです。

◆経験主義と現実主義で

 四方を海に囲まれた日本は過去何度も時代の大波に洗われてきました。近代で言うなら黒船来航の明治維新、米国に負けた昭和の戦争の二つです。この難局をどうにか克服できたのは、日本人が古来培ってきた経験主義や現実主義という特質のお陰(かげ)だと思います。

 学者ではないが鋭い文明批評家だった長谷川如是閑は、明治維新の欧化は日本人にはごく自然なことだった、と述べています。彼自身、英米デモクラシーの支持者でフランスやドイツの急進的また思弁的な思想よりも英米の経験や現実重視の方が日本に適合すると考えていました。

 もう少し如是閑の話をすると、彼は明治八年、東京・深川の生まれ。祖父は大工の親方、父は木材問屋。自ら職人気質の江戸っ子と誇り、そのことを愛していた。

 著書の「私の常識哲学」では、ある友人は建築場で冬でもないのに、どてらに昔風の固いカンカン帽だ、なんて書いていました。建築場ではいつ上から物が降ってくるかもしれないから、というのです。冗談のようですが、そういう経験的で現実的な行動は、日本人ならだれでも、ああそうだね、と思い当たるところなのではありませんか。

 そういう日本人論が彼の本意であり、彼は英国の哲学者バートランド・ラッセルの、英国の哲学は哲学否定の哲学である、という言葉が大好きでした。

◆弱肉強食をこえた生存

 政権交代がありました。国民は政治の行き詰まりを実感していました。しかしそのずっと前、地方自治は変わり始めていました。役所仕事、税の無駄遣いに対する不満が元気な知事や市長を当選させた。日本人の現実主義は身近なところから現実を変えたのです。

 今年はダーウィンの生誕二百年でした。その進化論いわく、強いものが生き残るのでなく、賢いものが生き残るのでもなく、環境に適応したものが生き残る。弱肉強食、ジャングルの掟(おきて)をこえたところに適者生存、静かなる変異の本質はあります。

 このしなやかさも見えざる変化の一つかもしれませんね。

 未来とは夢想ではなく経験と現実が築くのです。

 

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