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早大駅伝・渡辺監督に学ぶ草食君の心を燃やす法

プレジデント1月 1日(金) 10時 0分配信 / 経済 - 経済総合
箱根総合16位というどん底にいた早稲田駅伝チームを4年で優勝争いができるチームに育てた監督の秘策とは。そして2010年はどんな戦いをするのだろうか。

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■「ないない尽くし」のどん底チームを「戦う集団」に変える

 年明けの2日と3日は、正月の風物詩ともいわれる箱根駅伝が開かれます。10人の学生ランナーが1本のタスキをつなぎ、東京・箱根間の往復217.9キロを11時間以上かけて走ります。学生にとって駅伝シーズンの最後を飾る大舞台です。100万人を超える沿道の観衆が見守るなか、20校が1年間かけて励んできたチームづくりと練習の成果をぶつけ合います。
 早稲田大学は2008年と09年、2年連続で総合2位になりました。優勝は逃したものの、監督就任時に宣言した「4年後に箱根で優勝争いするチームに育てる」という目標は達成できました。

 監督に就任した04年は、早稲田の駅伝チームはどん底の状況でした。前年の箱根駅伝は総合15位、その年はチーム史上ワーストタイの16位という惨憺たる成績に、「お荷物駅伝」と陰口を叩かれたほどです。
 いま振り返っても、当時のチームは「ないない尽くし」でした。学生たちに覇気がない、挨拶もできない、グラウンドや合宿所はボロボロで汚い、企業スポンサーはつかない、高校から強い選手は入学してこない。そのような脱け出しがたい「負のスパイラル」に陥っていたのです。
 幸運なことに僕が監督になった年から大学とOB会の支援が強化され、陸上競技場の改修、合宿所の新築など環境整備が一気に進みました。有力選手のスカウトも、長距離選手に特化した推薦入学枠が設けられました。
 環境が整ってくれば、問題はチームづくりです。負け癖がついた選手たちをどうやって「戦う集団」に変えていくか。それには、競技力向上と意識改革の両輪が必要でした。

 初めに取り組んだのは、練習メニューの変更です。試合で勝てるスピード重視のトレーニングに切り替え、従来よりもハードにしたのですが、これが大失敗でした。スタートして間もなく故障者が続出し、チーム状況はさらにガタガタになったのです。
 失敗の原因は、練習メニューを組む際、自分の学生時代をイメージしたことでした。個人的な成功体験が他人に当てはまるとは限らない、と痛感した苦い経験です。よくいわれる「名選手、必ずしも名監督にあらず」は似たような過ちではないか、と考えさせられました。
 深く反省し、学生のことをもっとよく知ろうと、競走部の合宿所に移り住むことにしました。空き部屋がなく、冷暖房もない応接室で1年近く寝泊まりしたのですが、まだ30歳で独身だったからできたことです。
 学生たちと朝晩の食事や風呂をともにするなかで、自分の学生時代とは基礎体力も競技力もまるで違うことがわかってきました。チームの実情は想像以上に厳しかったのです。

 練習方針は根本的に改めました。それが「監督の自分が腹八分目と思う以上の練習はさせない」というものです。高望みは禁物、たとえ6割程度の満足感でもそれでよしとする。指導者として忍耐力が試されるところです。
 もちろん、そのほうがチームの競技力は向上する、という合理的な判断あっての方針転換です。選手たちはいったん故障を抱えると、数週間から数カ月間も練習を休むことになります。故障者が何人も出れば、チームの士気にも関わります。腹八分目以下の練習でも、全員が休まずに継続できたほうがトータルでチームの競技力は高まります。高望みや短期的な思考から、選手を潰したり、辞めていかれたりするのは最悪の事態です。
 強いチームに育てるには、競技力向上と並んで意識改革が必要になります。とくに低迷期が長引くと、チーム内に負のマインドが蔓延してきます。競技力向上は、むしろ意識改革のあとからついてくるとさえ思えます。
 現役時代も含め、これまで見てきた成長著しい選手には共通点がありました。僕が「自己成長を助ける5要素」と呼ぶもので、(1)明確な目標、(2)自己管理、(3)お手本となるモデル、(4)ライバル、(5)陽のオーラです。ここでは明確な目標、自己管理、陽のオーラについてご説明しましょう。


■いまの君たちに箱根優勝は目標にはならない

 目標設定の大切さはいうまでもありませんが、弱いチームは目標が漠然としているものです。監督になったばかりのころ、チーム目標を尋ねたら「もちろん、箱根の総合優勝です」と答える学生がいました。2年連続で惨敗したチームがいきなり優勝を狙えるほど、箱根駅伝は甘くありません。
「いまの君たちに箱根優勝は目標にはならない、それは夢だ」
 そういってチームの現実を直視するように求めました。目標とは努力しだいで実現可能なもの、それも具体的でなければ、努力の方向を見失ってしまいます。
 当時のチームであれば、総合10位に入り、翌年のシード権を獲得することがまずは目標になります。それでもハードルが高いと思えたほどです。

 次に、そのチーム目標を達成するために、個々の選手がどこまで競技力を高めればいいかを考える。そして具体的なタイムや試合成績を目標に設定する。そのように細かく刻んだ目標を掲げるだけでも、グラウンドを走る選手たちのマインドは変化します。漠然と「箱根優勝」を夢見ていた時期とは見違えるほどモチベーションが高まりました。
 二つ目の自己管理は、事あるごとにその大切さを話して聞かせます。食事、睡眠、故障のケア、試合前の調整など、選手生活の大部分は自己管理に任されているのです。
 高校の強豪校などでは、全員が合宿所で規則正しい生活を送り、指導者が細かく管理することも多いのですが、大学では指導者が24時間つきっきりというわけにはいきません。大学生や社会人で強い選手は、必ず自己管理の能力が秀でています。
 指導者は、学生が自己管理しやすいように環境整備やサポートに努めます。僕が監督になってから、合宿所の食事はプロの栄養士さんにお願いし、故障のケアには専属トレーナーをつけ、学生トレーナーも増員しました。

 自己管理で最も難しいのは試合前の調整です。自分のコンディションを冷静に見きわめ、試合当日にピークに持っていける選手は1割程度です。早めに調子を整えると安心できるため、どうしても4日〜1週間前にピークがきてしまう。でもピークは3日ほどしか続かないものです。
 調整のアドバイスは監督やコーチにとって腕の見せどころですが、実際は選手ごとにタイプが違うので、何度も失敗を繰り返し、本人とよく話し合ってベストの調整方法を探し当てるといった具合です。選手と指導者のコミュニケーションが重要な部分です。
 試合直前の風邪や発熱はもってのほかといいたいのですが、実際は少なくありません。僕は練習内容などで選手を叱ることはありませんが、病気を隠して試合に出た選手などは本気で叱りつけます。勝敗の問題だけでなく、一流選手を目指すうえでも、また卒業後の人生を考えても、自己管理に長けた人間になってもらいたいのです。
 とくに箱根駅伝の直前は、健康管理に細心の注意を払います。誰かひとりが合宿所にインフルエンザなど持ち込めば、あっという間に広がります。健康管理は選手だけの問題ではないのです。むしろ、試合で走らない部員のほうが要注意です。

 その意味からも、箱根のエントリーから外れた選手へのケアは大切です。ぎりぎりで選抜から漏れた選手はショックが大きく、落胆しがちです。そこで自暴自棄になったり、生活態度が乱れたりすると危険です。だからエントリーを決めたあとに、僕がまず呼んで話すのは、そのようにぎりぎりで選から漏れた選手たちです。本人が納得するまで、その理由を語って聞かせます。このフォローがしっかりできないと、健康管理やマインドなどさまざまな面で、走る選手たちに悪影響を及ぼします。試合当日までチーム全体が高い緊張感を保たなくては、箱根で勝てるはずはありません。
 このとき頼りになるのが、4年生の主務を中心とするマネジャーたちです。彼らは部員全体に手洗いやうがいなど健康管理を徹底させます。箱根駅伝は10人のランナーだけでなく、裏方で働くマネジャーや部員たちが一丸となって戦っているのです。
 これは、5要素の最後にある「陽のオーラ」にも関係します。強いチームは活力に満ち、前向きで、緊張感があります。これがチーム全体で発する「陽のオーラ」です。反対に弱いチームは、負け犬根性やあきらめムードなど「陰のオーラ」を発しています。
 故障や不調で気持ちの腐った選手がいると、そこから「陰のオーラ」が広がることもあります。本人には気持ちを切り替えろと話しますが、どうしても立ち直れなければチームから離すことも検討します。チーム・ビルディングでは、それほどマインドの問題は重要です。

 いまの学生を見ていると「草食系」と呼ばれるような、真面目でおとなしいタイプが増えたと思います。学生が消極的なぶん、指導者のほうから積極的に関わっていく必要もあります。
 僕が学生のころは、コーチの瀬古利彦さんに「指導方法が古い」と反発したり、「試合で使ってください」と直訴したり、学生から積極的に関わっていく場面が多くありました。表面的にぶつかっても、根底では学生と指導者の信頼関係があったと思います。僕自身、箱根駅伝を走るときは「優勝して監督とコーチを胴上げするぞ!」という気持ちが原動力になっていました。
 就任1年目に合宿所へ移り住んだのも、まず学生と信頼関係を築きたかったからです。生活の大部分をチームづくりに懸けていればこそ、学生たちも僕の思いを理解してくれました。

 また僕が監督になってから、競技に役立たない風習は思い切って廃止しました。例えば、1年生は試合場でずっと立ったまま応援するとか、風呂当番になれば練習を早めに切り上げて準備するとか、僕自身が学生時代におかしいと感じていた風習です。もちろん、挨拶をきちんとする、練習や試合でも礼儀を重んじるなど、基本的なことや大切なことはむしろ強化しました。このような学生の納得感を高める改革は、信頼を得るうえでもプラスになったと思います。
 いまでも学生たちを誘って焼き肉を食べにいくなど、コミュニケーションは大切にしています。12月に入れば、箱根駅伝に備えて僕も合宿所に泊まり込み、一緒にムードを高めていきます。
 10年は、主将の尾崎貴宏を中心にまとまりのあるチームができています。前回は北京五輪に出場した竹澤健介が圧倒的な競技力でチームを引っ張りましたが、その大エースが抜けた穴を10人で埋めていくようなチームワークが発揮できています。より一段と高いレベルで「戦う集団」になってきたと手応えを感じています。

 2年連続で優勝を逃したわけですが、駅伝監督として自分に欠けていたものは何かと問われたら、それは「非情の采配」だと思います。徹底的に勝ちにこだわる采配です。
 区間配置で複数の候補がいて迷うときなどに、僕には勝負を最優先できない面がありました。現在の調子でなく過去の実績を考慮したり、あるいは「あいつは頑張ったから」「チームメートの人望があるから」と別の要素が判断材料に入るようなことです。そのほうがほかの選手も納得しますが、箱根駅伝のような大舞台では、自己中心的で人望がない選手のほうが強いかもしれないのです。
 今度の箱根は優勝しかないと誰もが期待を寄せています。学生との信頼関係に根ざした采配で勝つことは理想ですが、そんなキレイごとで勝てるほど、箱根駅伝は甘くはありません。たとえ、個人で選ばれなかったとしても、チームで勝つ喜びをかみしめてほしいと思っています。学生たちの信頼を失うことなく、どこまで非情になれるか。いままでは、学生への思い入れや甘えもあり実現できなかった部分ですが、監督6年目の正念場として自分に課された試練と考え、その両立を目指して戦っていきたいと考えています。


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早稲田大学競走部・駅伝監督
渡辺康幸
●わたなべ・やすゆき 1973年、千葉県出身。早稲田大学進学後は1年時からエースとして箱根駅伝等で活躍、多くの記録を塗り替え「史上最強」「天才ランナー」と呼ばれる。類まれなる脚力が仇となり、ヱスビー食品入社後は故障に悩まされ、29歳の若さで現役を退く。2004年より現職。著書に『自ら育つ力』がある。

伊田欣司=構成


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  • 最終更新:1月 1日(金) 10時 0分
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