本県かるた“日本一” A級優勝最多
(1月1日午前10時40分)
栗原九段(左奧)の指導の下、競技かるたの練習に励む小中学生=福井市高木1丁目の福井渚会本部
畳の上の熱い戦い「小倉百人一首競技かるた」で、福井県選手が所属する福井渚会は2009年、最上級のA級(四段以上)戦の通算優勝回数で所属団体別の全国首位に立った。豊富な練習量に加え、厚い選手層の下で腕を磨き合い、4大タイトル戦を争う選手を輩出し続けている。9日には福井勢が唯一獲得できていない名人位に、越前市の三好輝明七段(26)が挑戦。名実ともに日本一の「かるた王国」となる期待が高まる。
全日本かるた協会によると、1947〜2008年のA級優勝者数は仙台鵲(かささぎ)会(宮城県)がトップだったが、福井渚会は09年に8人を出し、延べ144人で首位に立った。平成に入ってからは延べ100人を超えた。
なぜ、福井勢が台頭したのか。全日本協会会長の山下義(ただし)十段(71)=大阪府=は「各団体が練習場探しに苦労する中、広い専用道場を持ち練習量を確保したのが大きい。さらに長年、底辺拡大を図ってきたことが開花している」と指摘する。
福井渚会には会長の栗原績(いさお)九段(62)が13年前、福井市高木1丁目の会社事務所2階に自費で設けた広さ40畳の道場がある。全日本選手権と選抜大会を制覇した土田雅(まさし)七段(34)=あわら市=が「いつでもトップレベルの人に鍛えてもらえる」という”虎の穴”だ。
連日午後11時ごろまで一人当たり1日2試合、年間350〜400試合の練習を積む。寺嶋良介六段(30)=坂井市=は「大学進学後、他県出身者に驚かれて初めて練習量の多さに気付いた」と打ち明ける。
福井渚会は1921年、福井市の故仙達実氏(十段)が創設した。54年から県選手権が開かれ、旧三国町を中心に小学校や子ども会を通して競技人口を増やしてきた。その後、大学在学中に師匠の山下十段から「攻めがるた」を学んだ栗原九段が福井に戻り、底辺拡大路線だけでなく「勝負にこだわる戦法」(山下十段)が加わった。
全国の強豪の多くは初心者のときから、上の句の何文字目で札が確定するのかを指す「決まり字」の暗記を優先して練習する。91年にクイーン位を獲得した山崎みゆき八段(46)=坂井市=によると、福井渚会ではこれに加え、100枚を20枚ずつ5組に分けた札を使い組ごとに反復。敵陣の札を取った後に自陣から渡す「送り札」の選び順や、札の配列を定型化したのが福井流という。
音を聞き分ける訓練に集中できる上、指導者からみて選手の習熟度が分かりやすく効率的。自陣の配列が同じのため、試合で敵陣配列の暗記時間が多く取れ、攻めに集中できる。上級者は手の内を知る同門同士の練習で独自のアレンジを加え、劣勢でも攻め込むスタイルを磨く。
東京吉野会副会長のつるや智子八段(57)=埼玉県川口市=は「福井勢はお手本のような攻めがるたの鋭さがある」と話す。
この戦法を武器に本県勢は82年以降、栗原九段をはじめ中谷昌浩七段(45)=福井市、土田七段、三好七段が名人位に計9回挑んだがいずれも敗れ、名人位獲得は長年の悲願となっている。
本県勢10回目となる三好七段の挑戦を受けるのが、11年連続防衛中で「最強名人」とも呼ばれる早稲田大かるた会の西郷直樹名人(31)=東京都。自身2回目の名人位戦を待つ三好七段は「前回の挑戦で独特の雰囲気がつかめた。スタミナでは負けない」と十分な手応えを感じている。昨年11月の全国大会愛知大会で、西郷名人に1枚差に迫った鈴木大将(だいすけ)五段(20)は「三好さんなら勝機がある」と、同門の先輩にエールを送る。
山下十段は「福井は次世代も育っている。品格を併せ持つ”かるた道”を究め、真の日本一を目指してほしい」と話している。