永続か衰退か―。今年、100年企業の仲間入りをした日立製作所。不沈といわれたが2009年3月期は過去最大の赤字を出し、存亡をかけ「社会イノベーション」を帆に上げた。古くて新しく、あいまいだがどこか可能性を感じさせる言葉。しかし目に見える結果は、今ある事業や技術の積み上げと、今いる社員の挑戦からしか生み出せない。
【27年ぶり公募増資】
増資を発表した翌日の11月17日。川村隆会長兼社長は米国に飛び立った。ニューヨークやボストンを中心に東海岸の投資家向けに約2週間のロードショー。同行者は「これほど社長を酷使した海外出張はない」と振り返る。
米西海岸を担当した八丁地隆副社長は「希薄化への厳しい意見もあった。でも社会イノベーションへ経営資源を振り向ける姿勢に理解が得られた」と話す。
5月に同じく公募増資に踏み切った東芝。同社の幹部は「日立さんも我々の直後ぐらいにやれば良かった」と決断の遅さを指摘する。確かに増資発表直後から日立の株価は下落、資金調達額が下振れしたという見方もある。しかし財務担当の三好崇司副社長はそれを真っ向から否定。「資金繰りに大きな問題もない。中長期の成長戦略に向けた財務基盤の強化が目的」であることを強調する。
27年ぶりの公募増資。前回はニューヨーク上場への露払い的な色彩が濃かった。今回は創業後、事実上初めての大型新株発行になる。「これから『未来の株主』、『未来の顧客』を満足させるエクイティストーリーが必要」(日立幹部)で、その経営陣は重みを十二分に感じ取っている。
28年前の1982年といえば、日立の64キロビットDRAMが世界シェアトップに躍り出て、半導体を中核に情報エレクトロニクス事業が開花し始めたころ。日立は時代とともに重電、家電、電子デバイスと食いぶちを変化させ成長してきた。しかし最近は新陳代謝の事業戦略が目詰まりを起こしている。
12月15日、ルネサステクロジとNECエレクロニクスは合併契約を正式に締結した。これで日立の半導体事業に対する関与は一段と低下する。その日、ルネサスの生みの親である庄山悦彦相談役は英国の地にいた。日立の歴代経営者の中で最も半導体に思い入れが強かった庄山氏。日立が英で受注した鉄道車両の開通式に出席、「世界で社会インフラの旗を立てたい」と語たり、けん引役の交代を印象づけた。
創業の地である日立事業所山手工場―。今も新幹線に使うモーターや大型ポンプを生産しているが、一時は重厚長大の遺産として競争力を失いかけた。
事業存続の危機もあったが、若手技術者が中心になり「山手コイル技術推進会議」を発足。研究所やグループ企業の協力を得て、電磁界や材料などを見直し小型軽量化に成功、工場は見事に再生した。
近接する日立工場には最近、外国人があふれかえっている。特に目立つのが南アフリカからの研修に来ている技術者。日立は南アで石炭火力発電用のボイラを大量受注、現地で建設がすでに始まっている。ボイラはドイツの生産子会社で生産、南ア案件は海外プラント受注の成功モデルだ。
【海外勢との競合】
本来ならその事例に加わるはずだったアラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国の原子力発電所の新設計画。日立と米ゼネラル・エレクトリック(GE)の連合、韓国企業連合、フランス企業連合の3者が「がっぷりよつ」(川村会長兼社長)の営業活動を展開したが、先月末、韓国勢の受注が内定した。
「特に発展途上国や新興国は国が前面に立って注文を取りに行かないと難しい」(日立幹部)。韓国は今回、李明博大統領(イ・ミョンバク大統領)がトップ外交を繰り広げものにした。この数カ月、UAE案件の詰めに追われた中西宏明副社長。「電力プロジェクトの規模が大きいのは海外。挑戦しないと成長しない」と次ぎを見据える。
最近はコンサルティング会社を率いる出井伸之ソニー前会長。「日本の電機産業は1990年前後からすでに競争力を失い始めている。その中で都市インフラはこれから世界に輸出できるソリューションだ」という。日立はJRやNTT、電力大手など国内ビッグスポンサーには絶大な信頼感を得る一方で、ビジネスは内弁慶。
現在、日立の連結売上高の海外比率は約4割。電力・産業システムもほぼ同じ割合だ。「電力、鉄道は見えてきた。次は都市交通や水処理。4―5年後に比率を逆転したい」と中西副社長。UAEが「暗」なら中国国家発展改革委員会との共同事業調印は「明」になるかもしれない。
同委員会と新エネルギーやスマートグリッド(次世代電力網)など5分野で技術交流や地場企業との合弁を検討する内容。海外ではGEなど欧米5社が認定を受けたが、日本企業では日立が初。中国の事業規模はすでにグループ売上高の1割強に達するが、例えばインドはまだ中国の10分の1以下と大きく出遅れており、「市場開拓へ作戦を練っているところ」(川村会長兼社長)。
創業100年を迎え、グローバル成長という基軸が明確になってきたが、まず2010年を乗り越えないと101年目はやってこない。来期は当期損益の黒字化は必達で、もし失敗すれば、マネジメント全員のクビが飛んでもおかしくない。
毎月2回開催される経営会議。前体制で13人だった参加者は今は6人で、短時間集中型になった。「個別事業の議論はあまりなく、多くをグループのガバナンスの話題に費やしている」(同)。三好副社長は「上場子会社でも日立グループにいるより他社と提携した方が企業価値が上がるなら、持ち分を下げることもある」とし、さらなる「選択と集中」を否定しない。当面は物流や金融事業などが焦点になるとみられる。
100年間の失敗と経験を繰り返しながら社会イノベーションへ収束する日立。国内電機メーカー最大という称号は、今年、三洋電機を買収したパナソニックに奪われるだろう。昨年の入社式で川村氏が最初に説いた言葉「落穂拾い」から地道に次の100年が始まる。
《インタビュー/川村隆会長兼社長「野武士として世界に」》
昨年4月に子会社から復帰し再建を託された川村隆会長兼社長。この9カ月をどう総括し、これからの日立をどこへ導こうとしているのだろうか。「慎重なる楽観主義者」(自己評)に、改革の現在地を聞いた。
―就任時に思い描いた改革イメージと比べ今は何合目ぐらいですか。
「まだ道半ば。社会イノベーションへ重点化しているが、グループ全体の構造改革が残っている。ただ今は株価も低いし、(再編を)発動する時期としてよくない」
―社会イノベーションとの関係性では日立金属など高機能材料系3社が焦点です。上場子会社というガバナンスは変えない方針ですか。
「そう。機能性材料は付加価値が高い。エレクトロニクス事業のようなボラティリティー(変動性)はない。一方で薄型テレビ事業を縮小し、ルネサステクノロジの出資比率も下げ、業績で大きな下ブレが出にくい構造にしている」
―目標の自己資本比率20%達成には、4000億円以上の利益積み上げが必要です。
「経済状況が好転したら資産の見直しもありえるが、最終損益の黒字を続けて実現する」
―今はグローバルで1位か2位でなければ利益が出にくい。日立はトップシェアの事業が少ないですが「世界一」になる意義については。
「インフラのようなすり合わせ製品は、物量が事業の強さにつながらない。しかも地域ごとの環境対応が必要。火力や鉄道など先進国と途上国の両方から引き合いがあり手応えを感じている」
―次世代電池など開発や製品化で先陣を切っても、商売になると逆転されるケースが多い。
「プラズマテレビもそうだった。大量製品は投資に思い切りがいる。日立は一番下手かもしれないが、日本メーカーは総じて苦手。用心深さという国民性があるのかもしれない。これからは日立のDNAでやれるところに焦点を合わせる」
―逆に意思決定の遅さなど悪癖といわれる企業風土も残っています。
「グループ会社の社長の決断が非常に早いのに比べ、日立本体の動きが遅い。製作所という大きな塊で100年間やってきた弊害が出ている。一部門で赤字を出しても全体では関係なし。だからカンパニー制を導入し、投資や人事の権限を移譲した。(事業トップは)もっと自分で考え自分で動きださないと」
―かつて「野武士の日立」という表現をされました。次の100年に存続していく条件は。
「21世紀はエネルギーと環境と情報の時代。それらの融合に日立は相当に特徴を出せる。『和』と『誠』と『開拓者精神』を企業理念にしてきたが、開拓者精神が薄らいでいる。もう一度、野武士として世界に貢献する」