日本には、「数え年」という概念があります。例えば12月1日生まれの人でも、新年1月1日には、一つ歳をとるという概念です。
なぜ、このようなことを書くかと言いますと、本日、五十嵐文彦議員のブログを見たからです。
<引用開始>
大晦日2009.12.31 Thursday
ともかく、国政復帰を果たせた年で、感謝の1年でした。来年が本当の改革本番です。頑張ります。良いお歳をお迎えください。
<引用終了>
http://blog.garachan.com/
考えてみたところ、「良いお歳」の方が正解と思えるようになりました。なぜならば、長い日本の歴史上、この国の国民は天皇を「長」とする一家の民であり、すべての国民が新年を迎えるに当たり同時に歳をとることによって、一家の一体感をつちかってきたと想像できるからです。
今では、「数えで何歳」は使いませんが、「数え年」は何か温かみを感じる、日本に残してもいい考え方だと思います。
さて、本題に入ります。
今朝の東京新聞は読み応えがありました。一面トップは「(連載@)常識革命」「救える命を助ける」という見出しで、ホームレス診療を16年間続けられている医師の活躍を紹介していますが、連載の説明は以下の通りです。
<引用開始>
2010年が明けた。政権交代が実現した09年は、自民党中心の55年体制が崩れ、右肩上がり、大量消費、そして米国一辺倒の外交という戦後日本で続いた「常識」が通用しなくなった一年だった。今、私たちは新しい価値観を見いだしパラダイムシフト(価値観の大転換)を図る時に来ている。10年は、常識革命の年。
<引用終了>
「常識革命の年」、まさに我が意を得たりです。なぜならば、私はディズニーランドで働き始めた1982年9月から今日まで、日本の常識と戦い続けてきたのですから。
竹村健一氏は、いつも「日本の常識は世界の非常識」と説いていました。私も全く同じ考えです。
日本の常識は、ディズニーを愛する人々の非常識です。日本の常識は、天皇を敬愛する人々の非常識なのです。
今朝の東京新聞には、天皇陛下の新年の思いがつづられていました。
陛下のお言葉より
「国民皆が互いに助け合い、励まし合って当面の困難を克服するとともに、世界の人々とも相携え、平和を求め、健全な未来を築くために力を尽くすよう願っています」
この陛下のお言葉を受けたかのように、東京新聞は、「介(たす)け合い戦記」という連載も開始しました。
私は、陛下の「国民皆が互いに助け合い」という精神こそが、日本を希望に輝く国にする「常識」であると確信するに至りました。
これまでの弱肉強食社会から、国民が助け合う友愛社会へ転換していくのです。そのためには、弱肉強食マインドから、友愛マインドへパラダイム(ものの見方考え方)も転換しなくてはなりません。
聖書より
主はいつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。
主は貧しい者を公儀に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。
詩篇 25節8章9章
慈しむ 愛しむ いつくしむ 目下の者や弱い者に愛情を注ぐ 大辞泉
友愛はキリスト教から派生した人々がいつくしみ合い、助け合うための考え方です。
反対に言えば、助け合うためには友愛が必要だということです。つまり、「助ける」の意味を知れば、より人を「助ける」ことができるようになるということです。
友愛とは、陛下のお言葉の「国民皆が互いに助け合い」を実現させる具体的な考え方です。
それは、「人を愛すること」「利他(利己主義の反対、他に利益を与える)」「人を思いやる」「人と分かち合う」「すべてのものに感謝する」ことです。
さらに「助ける」という言葉は「与える」という「実際の行動」に結びついていくのです。
これまでの日本は「与えられること」を喜びとするのが「常識」でした。相手をやっつけてでも何かを「ゲット」するのが「幸福」とされてきました。
これからは違います。
天皇家もキリスト教も、友愛も「与え合う」ことこそが人が幸福になる唯一の方法と教えてくれているのです。
クリスチャンは、神の愛に感謝し神を賛美します。
今年が「友愛元年」と言われるよう、国民は天皇陛下の愛に感謝し、天皇賛歌である「君が代」を歌い、互いに助け合うことによって友愛社会を実現させましょう。
2010年01月01日