金光翔「天皇政治利用問題と天皇訪韓」
天皇政治利用問題と天皇訪韓
1.問題の焦点
中国の習近平副主席と天皇との会談をめぐる一連の議論を見ていて遺憾に思うのは、この問題の焦点が、天皇の政治利用を積極的に肯定するかどうか、という点であることが明確にされていないことである。もちろん、政治利用は認められないということが、建前としてはマスコミ上で一応は共有されている以上、明確にされようがないのだが。だが、問題の本質的な焦点は、小沢ら民主党の行為が政治利用であったかどうかではなくて(それは、政治利用に決まっているわけである)、政治利用を肯定するかどうかなのである。この件に関する小沢一郎の憲法解釈は周知のように珍妙なものであるが、仮に小沢の憲法解釈が「正しい」と仮定したとしても、問題は何ら変わらない(注1)。
私には上記の点は自明なことだと思うのだが、念のために、この点に触れている見解を引用しておこう。朝日新聞12月12日付朝刊からである(強調は引用者、以下同じ)。
「長谷部恭男・東大教授(憲法学者)の話
天皇は憲法で、政治的権能を一切持たず、形式的儀礼的行為のみを行う国の象徴とされている。天皇の国事に関するすべての行為には内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負うことも憲法に定められている。天皇が政治的権能を持たないことを徹底させるためだ。ただ、それは最終的に内閣が責任を持つということであって、内閣が決めれば、操り人形のように天皇を動かしてよいというわけではない。
相手国の政治的重要性いかんにかかわらず、「1カ月ルール」というプロトコル(外交手順)を順守することが、あらゆる政治的立場を超える国の象徴という天皇の地位を守ることにつながる。今回のように特例を認めることは、健康問題以前に政治の領域へ天皇を巻き込むことにつながりかねない。
天皇は憲法で政治的権能を持たないとされているが、一定の社会的・心理的影響力を持つ。天皇を政治の領域に巻き込むことは日本の民主政治そのものにとって、そして外国から日本がどのように見えるかという意味でも、大きなマイナスとなる。内閣のその時々の判断で簡単に踏み越えるべきルールではない。慎重な判断が必要だ。」
長谷部はリベラルであって左派でもなんでもないから、「天皇を巻き込む」云々が強調されているが、論理自体は全くその通りであろう。これに、(かつての)護憲派の真っ当な見解を付け加えておこう。
「そもそも憲法が内閣の助言と承認を要求したうえでなお天皇の権能を限定したのは、天皇の独走を防ぐためであったということとともに、天皇を政治的に利用することをも防ぐためであったとみるべき」(芦部信喜監修『注釈憲法(1)』有斐閣、2000年、202頁、浦部法穂執筆)
メディアでは、日中関係は重要であるから、今回の会見は当然、という主張も散見されるが、それこそが政治利用なのである。
2.リベラル・左派の天皇制活用論
では、この民主党による天皇の政治利用に関して、リベラル・左派から批判は出るであろうか。私は、あまり出ないか、後述するような形での本質を回避した批判になるのではないか、と思う。それは、リベラル・左派の大多数が民主党政権擁護を至上命題としているからだけではなく、今の「国益」論的に変質したリベラル・左派の天皇(制)に関する位置づけに関わるものだと思う。
ポイントは、上の長谷部の発言にもある、天皇(制)が日本社会において持つ「一定の社会的・心理的影響力」である。かつての護憲派は、そうした影響力が実体として存在することは認めつつも、建前としては、そのことが問題である、としていたはずである。ところが、これは<佐藤優現象>と並行して起こっていると言ってよいと思うが、近年のリベラル・左派の諸言説において散見されるのは、従来とは180度逆の、天皇(制)が日本社会において持つ「一定の社会的・心理的影響力」を積極的に活用しよう、という見解なのである。
このところの姜尚中が、天皇制が国家主義に対する抑制的な役割を担っている、天皇制が多民族ナショナリズムの統合装置となりうるなどと、天皇制を積極的に肯定していることは既に私のブログでも紹介したが(姜の対談相手である中島岳志も、こうした見解に同意しているようである)、現在の天皇が日本国憲法を擁護する立場をとっていること、国旗・国家の強制に否定的であることを強調したり、富田メモを引いて首相の靖国参拝批判を行なったりするのも、これである。
苅部直による、天皇ら皇室が「権力者の行動に関する模範」となることを期待する発言(注2)や、森達也が現在の天皇に、香山リカが皇太子妃雅子に萌えていることも、この流れの中で考えることができると思う(注3)。天皇主義者を標榜する佐藤優がリベラル・左派論壇で活動できるのも、この流れが背景にあるからだと思う。
そして、このような、天皇(制)が日本社会において持つ社会的・心理的影響力を活用しようという意図を、最も明確に打ち出しているのは、宮台真司であろう。まずは、宮台の象徴天皇制解釈を聞いてみよう。
「(注・日本国憲法)第7条で細目が規定される国事行為は、厳密な意味の天皇の公務――国民から天皇への命令――ではない。そうではなく、統治権力が天皇にお願いしてよい非政治的行為を定めた、国民から統治権力への命令です。この統治権力からのお願いを天皇が聞かなければならないという憲法的命令も法律的命令もありません。統治権力からのお願いを天皇が聞かなければならないという憲法的命令も法律的命令もありません。統治権力からの国事行為のお願いを聞くかどうかは天皇の御意次第です。
(中略:憲法第7条全文の引用)
したがって、何度も繰り返して申しあげてきたことですが、日本国憲法が象徴天皇制を規定するというのは厳密には誤りです。象徴天皇制がシステムとして回っているように見えるのは、天皇が事実的に政治的発言を控えておられるからであり、天皇が事実的に国事行為を拒絶する振る舞いに及ばないからです。すなわち、制度があるからではなく、陛下の御意があるから回るのが、象徴天皇制だということです。社会学的には完全に自明です。逆にいえば教科書が教えていることは完全に誤りです。」(宮台真司ほか『天皇と日本のナショナリズム』春秋社、2006年10月、11〜13頁)
このような、天皇(制)の社会的・心理的影響力を拡張しうる解釈を披瀝した上で、宮台は、以下のように、自らの戦略を述べている。これは、天皇(制)の持つ社会的・心理的影響力を積極的に活用しようというリベラル・左派の戦略を、極めて率直に語ったものだと思う。
「片側は(注・天皇を)政治利用しようとしているわけですから、対抗する側も同じロジックで同じ程度の抵抗を示すことに問題はない。それが僕の立場です。
(中略)
僕は、昨今の日本のマスコミの平均的見識よりも、昭和天皇や今上陛下のご見識のほうが遥かにすばらしいと思うし、個人的には幾分かは天皇主義者です。祖父が昭和天皇に生物学をご進行申しあげていたり、お師匠の小室直樹先生が天皇主義者だったりすることもあるかもしれません。連れあいが、大日本帝国憲法を井上毅と一緒に作成した伊東巳代治の子孫だったりします。
その立場からいえば、旧リベラルあるいは旧左翼の方々は「陛下もこうおっしゃっているんだから国旗国歌法はよくない」「陛下もこうおっしゃっているんだから憲法改正はよくない」「陛下もこうおっしゃっているんだから靖国参拝はよくない」と言えばいい。でも、リベラル側は言いたくない。天皇制そのものに反対だから「陛下がおっしゃっている」とは言えないという自縄自縛に陥っている。何て「不自由な頭」を持っているんでしょうね。」(同書、186〜187頁)
宮台は、別に左派ではないから、誰に遠慮することもなく、リベラル・左派の欲望をあけすけに語っているのだと思われる(注4)。
3.東アジア共同体論と天皇
ところで、天皇(制)が日本社会において持つ社会的・心理的影響力を積極的に活用しよう、という論者のうち、姜尚中や宮台真司は、東アジア共同体論者として知られる。もちろん、天皇訪韓の実質的な提唱者である和田春樹もこれである(注5)。今のリベラル・左派論壇で、最も熱心に天皇(制)を称揚する人物がそろって東アジア共同体論者というのは、示唆的である。
東アジア共同体(的なもの)の構築にあたっては、周辺諸国との「和解」と、日本の右派の反対を弱めることが不可欠であるが、天皇(制)は両方において絶対的な効力を有する、ジョーカーのようなものととして、東アジア共同体論者に映っているであろう。もちろん、天皇による「和解」的な政治行為を実現させるには、右派との熾烈な抗争が要求されるが、一旦勝利すれば、「和解」の効果だけではなく、「和解」路線を日本の支配的世論とし、それに応じて自らの主張への支持も調達できる。私は、日朝国交正常化でも、何らかの形で(例えば「おことば」など)天皇カードが使われると思う。そうでないと収拾できないだろう。
「東アジア共同体」と天皇(制)の件に関する、現在の民主党政権の思惑を考える上で参考になると思われるのは、鳩山由紀夫首相の憲法改正草案である。これは、『新憲法草案――尊厳ある日本を創る』(PHP研究所、2005年2月)として書籍として出版されたものである。ほぼ全文が鳩山のホームページでも見れるので、そこから引用する。
鳩山草案は、前文で、「アジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力および集団的安全保障の制度が確立されることを念願し、不断の努力を続ける」と謳っている。書籍版に附された「なぜ今「憲法改正」なのか――はしがきに代えて」では、より直接的に、「私は、今後五十年の日本の国家目標の一つとして、一言でいえば、アジア太平洋版のEUを構想し、その先導役を果たすことを挙げたい」と述べられている(18頁)。もちろんこの構想は、現在、鳩山が提唱している「東アジア共同体」と同義であろう。
そして、鳩山は、草案の「第2章 天皇」「第9条(天皇の国事行為)」で、天皇の国事行為に、「十 国賓を接遇すること並びに友好親善のため諸外国を訪問すること」と、天皇の海外訪問を追加している。これについて鳩山は、
「天皇の行為については、憲法の規定する「国事行為」と「私的行為」のあいだに、象徴としての「公的行為」があると学説上解説されている。国賓歓迎行事の主催、外国訪問、地方への行幸、国会開会式や国体など国民的行事への臨席などがこれに当たる。天皇制を否定的に考える向きからは、これらの公的行為は違憲であるといわれている。
私はもちろんそのような考えは取らないが、国賓の接遇と外国訪問については、国事行為として規定することとした。これまでも晩餐会等での天皇のスピーチが問題なるなど、公的行為のうちでも、最も政治的性格の強いものであり、内閣の責任を明確にしたほうが適切であると考えるからである。」
と注釈した上で、以下のように述べている。
「天皇制は日本の文化的資産であるとともに、貴重な政治的資産でもある。今回私はその意義を積極的に評価する立場で改正案を作った。」
恐らく鳩山においては、東アジアにおける集団的安全保障制度(東アジア共同体)の構築と、「貴重な政治的資産」としての天皇制の活用は、ワンセットなのだと思われる。天皇の最も重要な政治行為として、海外訪問が位置づけられているのだろう。岡田克也外相による、国会開会式「お言葉」見直し発言も、天皇の権威を高めて「政治的資産」としての価値をより上昇させよう、という民主党内の空気が背景にあるのかもしれない。
また、朝日新聞の幹部で、2002〜2008年の論説主幹であった若宮啓文は、朴裕河を持て囃している人物であるが 、著書『和解とナショナリズム――新版・戦後保守のアジア観』(朝日選書、2006年11月)の中で、「「和解」に果たしてきた天皇の役割」(6頁)を強調し、「天皇陛下は中国訪問だけでなく、アジアとの和解や過去の清算にさまざまな役割を果たしてきた。」(319頁)とまとめている。
若宮は、1992年の天皇訪中について、「皇室外交が国家と国家、国民と国民の「友好の証」であればこそ、現天皇の訪中は昭和天皇の訪米(1975年)と並ぶ「戦後最大の皇室外交」に違いなく、内外から大きな注目を浴びたのは当然だった」とした上で、当時、争点となっていたPKO協力法問題などとも絡み合い、「大きな政治的意味をもった」と位置づけている(296頁)。若宮は、「東南アジアに加えて天皇の中国訪問も実現して久しい中で、韓国訪問だけが重い課題として残されている」(326頁)と述べており、天皇の韓国訪問も、「戦後最大の皇室外交」として、積極的に支援していくだろう(注6)。
また、目についたところでは、ケネス・ルオフ「平成皇室の「象徴力」とその危機」(『世界』2009年6月号、木村剛久訳)の「平成時代を一貫して流れる特質は、天皇と皇后が戦後処理に強い関心を持ち、戦争の傷跡と真正面から向き合っていることである。」といった発言も、リベラル・左派内部における、「皇室外交」による「和解」を容認する空気を示唆していると思う。
4.なぜリベラル・左派内で天皇制活用論が蔓延しているか
さて、こうした、天皇(制)が日本社会において持つ社会的・心理的影響力を活用しようという「空気」は、なぜ生じているのか、という問題が残る。私は、これは、<佐藤優現象>と本質的には根を同じくする現象ではないか、と考えている。
私は以前、「佐藤優の議員団買春接待報道と<佐藤優現象>のからくり」 で、以下のように述べた。
「成澤(注・成澤宗男、9・11陰謀論者)は恐らく、9・11テロへの対応としてのアフガン戦争・イラク戦争に対して、「人道上許されない」または「国際法違反である」または「テロ対策として非合理的である」といった、聞き手に「理性」または「良識」があることを前提とした反対理由では、ポピュラリティを得ることはできない、したがって、戦争の流れを止めることはできない、と考えているように思われる。だからこそ成澤は、「理性」または「良識」を持ち合わせない(と成澤が考える)大衆も、アフガン戦争・イラク戦争に反対するように、9・11がブッシュらの「陰謀」であることを「論証」しようと懸命に努力しているのだ、と私は思う。
「<佐藤優現象>批判」でその認識の問題点を指摘したが、9・11(2005年)の衆議院選挙の選挙結果について、リベラル・左派は、大衆が愚かにもプロパガンダに惑わされて、自らの利害に反する小泉自民党に大量投票した、と認識したのである。リベラル・左派は、大衆が「理性」または「良識」を持ち合わせていることを前提とした言論活動を展開することに絶望したのだ。だからこそ、「護憲派のポピュリズム化」、<佐藤優現象>、『金曜日』の9・11陰謀論への加担、といった現象が起こっていると私は思う。(中略)
市民運動、社会運動の力によって下から社会を変えることは無理であるから、佐藤優(の諸活動や人脈)を通じて上の中で、上から社会を指導する、あるいは、社会をいじくりまわすことを志向した、と言い換えてもよい。」
つまり、リベラル・左派は、大衆が「理性」または「良識」を持ち合わせていることを前提として、市民運動、社会運動の力によって下から社会を変えていく、といった志向性を、もはや放棄しているのである。大衆が「理性」または「良識」を持ち合わせているなどと考えていないから、天皇(制)の政治利用は否定されるべき、という主張や、天皇(制)が持つ社会的・心理的影響力が減退するように日本社会を変えていこう、という主張は、もはや行なわないのである。逆に、そのような社会的・心理的影響力を活用し、天皇(制)によって「上から」社会への影響力を与えていくという方向を選んでいる(というほど自覚的なものでもないだろうが)のである。
このことは、「和解」の内実とも関連している。仮に日韓の「和解」があるとすれば、大日本帝国との連続性を濃厚に有する日本国家や日本社会が変わらない限り、それはありえないだろう。それが無理だというのならば、素朴な疑問なのだが、「和解」してどうするのか、と思わざるを得ない。「和解」がなくとも民間交流は活発であり、表層的な形で「和解」が一時的に「成立」したとしても、その後で必ずそれは破棄されるだろう。そうなれば、相互で憎悪がより強まるのは自明である。若宮が『和解とナショナリズム』で、天皇訪中後の日中関係の悪化を見て、「あの天皇訪中はいったい何だったのだろうか」と「虚しさ」を感じるようになったと述べているように(295頁)、それは結局のところ、相互不信を招くものでしかない。
大日本帝国と「戦後」の連続性の「象徴」たる、天皇制が持つ社会的・心理的影響力を活用して行なわれる「和解」は、表層的なものにならざるを得ないだろう。「東アジア共同体」だけではなく、以前に森本敏の提案を引いたように、支配層の間では、米日韓の安全保障協力関係の構築の必要性が唱えられているのであって、日韓の「和解」は、そのための条件として出てきているにすぎない。その動きに、マスコミや市民運動を動員するために、姜尚中や和田春樹ら野心的な学者や、『世界』などのジャーナリズムが利用されているだけだ(本人たちもそのことを自覚しながら動いているだろう)。
もちろんこれは、そうした「和解」を進める人々自身が、もはや実際には、朝鮮植民地支配(に基因する件)を含めた歴史認識・戦後補償問題について、大日本帝国との連続性を濃厚に有する日本国家や日本社会を変える契機となるべきものと捉える認識を持っていないことをも意味する。それよりもむしろ、「和解」(例えば「民衆同士の和解」といった決まり文句がよく使われる)が大事なのであろう。だがそれは、「和解」運動に携わる個々人の「癒し」以外の意味を持たないのではないか。「国民基金」以来、この構図は変わっていない(注7)。
5.天皇政治利用問題における朝日新聞の転向
さて、これまでの記述を読んで、疑問に思われた読者もいるだろう。「朝日新聞は東アジア共同体や日韓の和解を、マスコミでは最も熱心に支持しているが、その朝日が今回は小沢ら民主党を批判しているではないか」という疑問である。確かに、第一報である12月13日の社説は、私が心配するほど、小沢らによる天皇利用を批判していた。
だが、心配?するには及ばなかったのである。朝日は、同じ問題に関する12月17日の社説では、小沢らを批判しているとはいえ、その論理において、早速転向を遂げているからである。以下、具体的に見てみよう。
まず、12月13日の朝日新聞のこの件に関する社説を確認しておこう。全文を掲載する。
「天皇会見問題―悪しき先例にするな
あす来日する中国の習近平国家副主席と天皇陛下との会見が、鳩山由紀夫首相の強い要請で、慣例に反して決められた。
習氏は胡錦濤主席の最有力後継者と目されている。日中関係の将来を考えれば、この機会に会見が実現すること自体は、日中双方にとって意味のあることに違いない。
問題は、政権の意思によって、外国の要人との会見は1カ月前までに打診するという「1カ月ルール」が破られたことだ。高齢で多忙な天皇陛下の負担を軽くするための慣例である。
羽毛田信吾宮内庁長官は、相手国の大小や政治的重要性によって例外を認めることは、天皇の中立・公平性に疑問を招き、天皇の政治利用につながりかねないとの懸念を表明した。
日本国憲法は天皇を国の象徴として「国政に関する権能を有しない」と規定した。意図して政治的な目的のために利用することは認められない。
鳩山政権は習氏来日の直前になって、官房長官自ら宮内庁長官に繰り返し電話し、会見の実現を強く求めた。天皇と内閣の微妙な関係に深く思いを致した上での判断にはみえない。国事に関する天皇の行為は内閣が決めるからといって、政権の都合で自由にしていいわけがない。
日程の確定が遅くなったとはいえ、習氏の来日自体は、以前から両国間で調整されていた。日中関係が重要だというなら、もっと早く手を打つこともできたはずだ。
1カ月ルールに従い、外務省はいったんは会見見送りを受け入れた。
ここに来て首相官邸が自ら乗り出して巻き返した背景には、中国政府の働きかけを受けた民主党側の意向が働いたと見るべきだろう。小沢一郎幹事長が同党の国会議員140人余を引き連れて訪中した時期と重なったことも、そうした観測を強める結果になった。
首相の姿勢は、このルールに込められた原則を軽んじたものと言わざるを得ない。
首相はしゃくし定規にルールを適用するのは国際親善の目的にかなわないと語った。今後、他の国から同様の要請があった場合、どうするのだろうか。1カ月ルールを維持するのか、どんな場合に例外を認めるのか。
鳩山政権では、岡田克也外相が国会開会式での天皇陛下の「お言葉」について、「陛下の思いが少しは入るよう工夫できないか」と発言し、波紋を広げたこともあった。
歴史的な政権交代があった。鳩山政権にも民主党にも不慣れはあろうが、天皇の権能についての憲法の規定を軽んじてはいけない。この大原則は、政治主導だからといって、安易に扱われるべきではない。今回の件を、悪しき先例にしてはいけない。」
ごくまっとうな見解である。上で引用した、長谷部の見解にも沿ったものである。
だが、この論理では、朝日新聞が推進する「東アジア共同体」や日韓の「和解」のために、天皇(制)を活用することはできないのである。
そのことを確認した上で、今度は、同じ朝日新聞の12月17日の社説を見てみよう。
「天皇会見問題――政治主導をはき違えるな
天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見に対し、宮内庁長官が政府の方針に異議を唱えたいのなら、辞任してからにすべきなのか。
民主党の小沢一郎幹事長が「辞表を提出した後に言うべきだ」と、記者会見で羽毛田信吾宮内庁長官の行動を激しい言葉で批判した。
政府が外国要人を天皇と会見させたい場合、1カ月前までに宮内庁に申し入れるのが慣例なのに、今回は1カ月を切っていた。だから宮内庁は断ったが、平野博文官房長官が鳩山由紀夫首相の意を受けて「日中関係の重要性にかんがみて」と重ねて要請し、実現させた。そんな経過をたどった。
論争の焦点は、憲法である。羽毛田氏は、政府の対応は憲法に照らして問題ありとの立場だ。
「国政に関する権能を有しない」象徴天皇の国際親善は、政治とは切り離して行われるものだ。そのために、相手国の大小や重要性で差をつけず「1カ月ルール」で対応してきた。中国は大事だからとそれを破るのでは天皇の政治利用になりかねない、と訴える。
1カ月を切れば政治利用で、それ以前ならそうではないのか。習氏の訪日自体は前から分かっていたろうし、政府の内部でもっとうまく対処できなかったのか。首をかしげたくなる点もないではない。
それでも羽毛田氏にとって、いわば政治の横車で1カ月ルールがねじ曲げられるのは、憲法と天皇のあり方にかかわる重大問題だということだろう。
一方の小沢氏は、官僚がそのような憲法解釈をして、政府にたてつくような発言をしたことに反発した。
小沢氏の理屈はこうだ。役人がつくった1カ月ルールを金科玉条のように扱うのは馬鹿げている。役人が内閣の指示や決定に異論を唱えるのは、憲法の精神や民主主義を理解していないとしか思えない――。
政治家が内閣を主導し、官僚はそれに従うというのは確かに筋は通っている。しかし、だからといって反対するなら辞表を出せと切って捨てるのは、権力者のとるべき態度として穏当を欠いていないか。
民主党は、政府の憲法解釈のよりどころとなってきた内閣法制局長官を国会で答弁できないようにする法改正を目指している。憲法解釈は政治家が決める、官僚はそれに従えばいい、という発想があるようにも見える。
宮内庁や内閣法制局はその役割として、憲法との整合性に気を配ってきた専門家だ。その意見にはまずは耳を傾ける謙虚さと冷静さがあって当然だ。
政治主導だからと、これまでの積み重ねを無視して好きに憲法解釈をできるわけではない。まして高圧的な物言いで官僚を萎縮させ、黙らせるのは論外だ。はき違えてはいけない。」
13日の社説も17日の社説も、「政治主導だからと」いって、従来の原則や積み重ねを無視すべきでない、という最後の段落の趣旨は同じだ。だが、それに至る論理は、明らかに変わっている。
17日の社説では、当の朝日新聞が13日に主張していた政治利用批判は、羽毛田が言っていることになっている。しかもその主張に対しては、「首をかしげたくなる点もないではない」などと、まるで他人事のようだ。
もちろん17日の社説でも、小沢は批判されている。だが、13日の社説のような天皇の政治利用が問題だというのではなく、小沢の態度や強引さの問題だとされている。
この17日の社説であれば、今後、天皇が訪韓することになり、宮内庁長官が「政治利用にあたる」として反対したとしても、小沢は、その反対の声を「謙虚さと冷静さ」をもって、あくまでも参考意見として、聞いてやるだけでいいのである。だから、この論理ならば、天皇訪韓は可能なのだ。
今後、民主党が、あからさまな天皇の政治利用によって、天皇訪韓を打ち出したとしても、朝日新聞は少なくとも批判しないだろう。むしろ、積極的に支持するだろう。そのことに面食らう読者は多いだろうが、もう内部的には決着がついているのだと思われる。
6.政治利用推進派の大義名分――「陛下の御心」論
だが、天皇の政治利用を進めようとする側の弱みは、恐らく、現状では大義名分が存在しないことである。若宮のように、「もともと天皇制に内在する政治性は否定できない」などとして開き直る手もあるが、日本国憲法4条第1項で、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とある以上、説得力を持ち得ないだろう(ちなみに、鳩山の憲法改正草案では、この第4条第1項が削除されている。自民党新憲法草案(2005年10月28日)にはある)。
もう一つ、佐藤優が、天皇を政治に巻き込むべきでないとして、わざわざ言挙げした羽毛田が尊皇精神を欠いているなどと批判しているように、それが政治的に利用されたものであれ、天皇によってなされる行為を論争の対象にすべきでない、とする論理もありうるだろう。だが、この論理が致命的なのは、「尊皇精神」を言い出せば、小沢ら民主党の政治利用の方がよほど問題である点である。この論理は、小沢ら民主党を批判しないことで成り立っているから、党派性に基づいた、ご都合主義的な主張にしか見えないため(佐藤の文章が、小沢へのあからさまな媚びであることは誰の目にも明らかである)、これも大衆的な説得力を持ち得ないだろう。
では、政治利用を進める側には、どのような論理がありうるか。私は、それは、「天皇の意思」または「陛下の御心」を強調するものではないか、と思う。
これは、1992年の天皇訪中の実現をめぐる政治過程をめぐる記述が参考になろう。天皇訪中の計画に対しては、自民党内でも強い反発が起こったのだが、若宮は、そうした反発を抑制するのに力があったのは、天皇自身が訪中を望んでいるらしい、という情報だったと述べている。以下、若宮の記述(「検証・天皇訪中が決まるまで」『和解とナショナリズム』、316頁)から引用しよう。
「宮沢(注・当時の宮沢喜一首相)は(注・1992年8月)5日、党の最高顧問らと懇談した。米国や韓国の(注・天皇訪中への)「理解」も挙げて、協力を要請したのである。宮沢の後見人を自任する鈴木善幸がすかさず後押しした。3月の懇談会から5カ月近く、もはや中曽根も異議を挟まず、流れは固まった。
こうした中で開かれた5日の総務会。改めて賛否両論がぶつかったのだが、藤尾(注・藤尾正行、天皇訪中反対の最強硬派)が「私は反対だが、決まっているのなら、ここでどうこういってもしょうがない」と言い捨てたのが注目を集めた。その趣旨は憶測を呼んだが、「これ以上反対すると、陛下の御心に反しかねない」という懸念ゆえだ、との解説がなされたものだ。「訪中したい」との天皇の意思は、反対派にも早くから伝わっていた。藤尾は常々、「だからといって陛下のお気持ちで判断してはならない。陛下は政治に関与せずだ」と加藤紘一らに語っていたが、気にはなっていたのだろう。どのみち天皇訪中が避けられないのなら深追いしすぎてはまずい、と考えたのかもしれない。」
「陛下の御心」が反対を抑制したというのは若宮による憶測の域を出ていないのだが、「皇室外交」の政治的重要性を強調する若宮が、「陛下の御心」が天皇訪中への反対を抑える役割を果たしていると認識していることは言えるだろう。
したがって、天皇訪韓やその後の「皇室外交」においても、「天皇は実はこう思っている」といった情報が、マスコミを通じてリーク(捏造?)され、計画されている「皇室外交」と「陛下の御心」があたかも合致するものという表象が作り出されるのではないか、と私は思う。「天皇の政治利用」という批判に対しては、「陛下もこう考えておられるようだ」という主張によって反論する、ということになるのではないか。
12月14日の記者会見上で、小沢が、「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思うよ」と発言していたり、天皇訪韓に期待する姜尚中が、「朝鮮日報」のインタビューで、「天皇は本当に韓国に行きたがっています」などと発言していることも、「陛下の御心」論が、今後前面に出てくることを示唆していると思う。
現在の天皇が訪韓の希望を公的に語ることはないと思われるので(注8)、「陛下の御心」は、伝聞形式のものにならざるを得ない。したがって、それに対して、「陛下の御心」を勝手に忖度すること自体が「不敬」である、といった主張も可能である(実際に、上記の小沢の発言は、ウェブ上ではそうした論理で右派から叩かれている)。
したがって、天皇訪韓が日程に上ってくるにつれて、大雑把に言えば、左派を含めた民主党政権支持層は、「天皇陛下も訪韓したいと思っておられるらしいよ」または「これまでのご発言から、天皇陛下も訪韓したいと思っておられるはずだ」と、「陛下の御心」または「天皇の意思」を強調して、反対派を「不敬」であると(言わんばかりの口調で)批判し、「右」は、天皇を政治に巻き込むこと、それによって天皇の社会的権威が低下しかねないことを批判し、「陛下の御心」を勝手に忖度することの「不敬」さを批判することになろう。もちろん、後者の方が日本国憲法の条文には適合的である。
この相互の抗争プロセスを経て、天皇(制)の価値が浮上し、社会意識の右傾化が促進されることになる、と思われる。外国(人)から見れば、日本の言論状況は、すべてが天皇主義者に占拠されてしまったように見えるだろう。
アナロジーで語れば、この件は、天皇機関説排撃事件に比することができるかもしれない。天皇機関説の擁護側が極右で、国体明徴派が小沢や姜だ。「天皇の政治利用」推進派は、「陛下の御心」を強調して、天皇との連結という表象のもとで、自らの政治的意志の貫徹を図るわけである。ちょうどそれは、政党内閣による「統帥権干犯」を恨む軍部が、天皇大権としての統帥権の不可侵性を強調して、国体明徴運動を強力にバックアップしたことに似ている。
在日朝鮮人の中には、「天皇訪韓によって、日韓の友好が進み、日本社会の在日朝鮮人に対する意識もよい方向に向かうだろう」などと楽観視している人間もいるであろうが、現実に起こる事態は恐らく逆であろう。国家レベルでの相互の「友好」が進む一方で、天皇訪韓を実現させる過程で発生するメディア上での抗争によって、天皇の価値が浮上する結果、社会意識はより排外主義的なものになっていくと思われる。また、天皇訪韓による「和解」によって、日韓間の歴史認識問題が「解決」したという表象が作り出されることで、在日朝鮮人への「反日」批判、同化・帰化圧力も強まるだろう。どのように転んでも、天皇訪韓は、在日朝鮮人にとって悪い結果しかもたらさないと思う。
(注1)この一文をほぼ書き終わった後に、小沢が12月21日の記者会見で、「国事行為」論を撤回したことなどが報じられた。本稿には21日の小沢の発言は反映していないが、ここでの指摘自体は21日の発言に関しても妥当していると考える。
(注2)苅部直「新・皇室制度論 伝統VS.批判の二極を超えて」(朝日新聞2008年1月5日付朝刊)より。
「 改めて考えれば、平和主義や民主主義を信奉することと、皇室制度を批判することとが、論理の上でじかにつながるわけではない。世襲君主を置く英国やオランダの国家制度を、反民主的と言い切るのはむずかしいだろう。日本の「天皇制」は諸外国の君主制とは事情が異なる、と反論する手もあるが、そうした論法は、たとえば徳川時代の国学者と、皇室の存続への価値評価を逆にしただけで、制度の理解としてはまるで同じになる。
どうも、皇室制度をめぐる議論は、二つの極に岐れてしまう傾きがある。それを日本人の文化伝統や宗教性と単純に結びつけて賞賛するか、あるいは、自由や平等の普遍的な価値に反するものとして、批判もしくは無視するか。例えば久野(注・久野収)のように、多文化社会の到来を歓迎するリベラルの立場から、皇室制度の新しい意義を考えるといった議論は、宙に浮いたようになってしまい、理解されにくい。(中略)
昨年の暮れ、12月11日に、身体が不自由な人の雇用促進のため作られた会社の作業所を、天皇・皇后両陛下が訪問され、従業員に暖かい声をかけられたことがあった。あまり大きく報じられなかったが、紛糾する国会のようすや、官庁の不始末の報道とは、まったく対照的にほっとさせられる。
もちろん、細かな政策提言につながることはないにせよ、こうした皇室の活動に、世間の多くの視線が集まることを通じて、それが権力者の行動に関する模範として働く。報道がきちんとしていれば、そういう回路も、皇室制度が今後ももつ意義として、期待できるのではないか。
少なくとも、天皇による任命や国会召集といった手続きがもしなかったら、政治家や大臣の責任意識は、現状よりもさらに地に堕ち、混乱に満ちた政治の世界が登場していただろう。そう仮に想像してみることにも、十分な意味があると思えるのである。」
(注3)大塚英志が2000年に、石原慎太郎などの強い指導者崇拝を抑制するものとして、象徴天皇制を「世俗的権力阻止の装置」と積極的に肯定していたが(「天皇抜きのナショナリズム」『VOICE』2000年9月号、『戦後民主主義のリハビリテーション』(角川書店、2001年7月)所収)、このあたりがこうした流れの嚆矢であろう。ただ、大塚は、同書文庫化時の加筆では、その立場を放棄し、天皇制批判の立場に変わったことを宣言している(角川文庫、2005年1月刊、620頁)。文庫版にも収録されている「天皇抜きのナショナリズム」の当該箇所には、特に注釈も修正もないので、大塚の行為は不徹底ではある。
(注4)宮台の主張は大日本帝国憲法下ならば成立可能かもしれないが、日本国憲法下では成り立たないだろう。日本国憲法下では、天皇の「地位は主権の存する日本国民の総意に基く」(第1条より)のだから。「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」という第2条からもそのことは言える。この条文により、大日本帝国憲法下で多数説であった「国務法(国家法)」と「宮務法(皇室法)」の二元的法体系が否定され、皇室典範は憲法の下位法と明確に規定されたからである(極右の中川八洋は、特にこの点を強く指弾している(『悠仁天皇と皇室典範』清流出版、2007年1月)。宮台の矛盾は佐藤優の天皇論の矛盾でもあって、「憲法で一番大事なものは何か?」という問いへの「国民主権」との佐藤の答えに対して、「国民主権では国民が望めば天皇は廃止されるじゃないか!」と指弾した小林よしのりは、右翼としては正当であろう(小林よしのり『ゴーマニズム宣言 天皇論』小学館、2009年6月、359〜360頁。これは憲法問題のシンポジウムでのやりとりで、小林によれば、この批判に対し佐藤は無言だったという)。宮台にせよ佐藤にせよ、日本国憲法を否定しない天皇擁護論は、どれほど天皇(制)を神格化しようと「戦後民主主義」的である。
(注5)和田は、東アジア共同体(和田の言い方で言えば、「東北アジア共同の家」)構築と日韓の「和解」において天皇(制)を活用することを、かなり早くから構想していたように思われる。このことについては長くなるので別稿に譲る。
(注6)なお、『和解とナショナリズム――新版・戦後保守のアジア観』は、1995年11月に、朝日選書の1冊として出された『戦後保守のアジア観』の加筆修正版であるが、旧著に比べて「和解」の主張がより前面に出ている。「補論 「和解」と天皇陛下」という章も付け加わっている。
新版においては、多くの箇所が修正されている。天皇関係で一つ挙げておこう。
旧版「(注・天皇訪中について)こうした諸々の政治的な判断があったことは間違いないのだから、訪中に対して「天皇の政治利用」との批判が左右から出るのは、ある意味で当然だった。日本共産党もそれを挙げて強く反対した。」(旧版238頁)
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新版「(注・天皇訪中について)こうした諸々の政治的な判断があったことは間違いないのだから、訪中に対して「天皇の政治利用」との批判が左右から出るのは、ある意味で理のあることだった。日本共産党もそれを挙げて強く反対していた。」(新版310頁)
若宮は、どちらにおいても、「もともと天皇制に内在する政治性は否定できない」などと開き直って反論するのだが、上においては、「天皇の政治利用」批判の法的正当性を薄める形での修正がなされている。この類や、もっとあからさまな修正が、新版には大変多い。
(注7)この件については、長くなるので別途論じる。
(注8)これは、政府の憲法解釈上できない、と言っているのではなく、現在の天皇のこれまでの発言から判断してそう言えるであろう、ということである。宮内庁ホームページにある、天皇の記者会見記録「中華人民共和国ご訪問に際し(平成4年)」から引用しておこう。
「(問3 今回の訪中をめぐりましては,内外に様々な反対意見もありました。この点について陛下のお考えをお聞かせ下さい。)
言論の自由は,民主主義社会の原則であります。この度の中国訪問のことに関しましては,種々の意見がありますが,政府は,そのようなことをも踏まえて,真剣に検討した結果,このように決定したと思います。私の立場は,政府の決定に従って,その中で最善を尽くすことだと思います。」
「(問5 韓国訪問は皇太子ご夫妻時代に一度延期になり,その後,廬泰愚大統領から招請もありましたが,陛下はどのようにお考えでしょうか。)
韓国は日本と極めて近い隣国であります。近年,そして長い交流の様々な歴史があります。近年,協力の関係が進み,友好関係が深められてきていることは喜ばしいことと思います。私の訪問に関しましては中国の場合と同じく,政府の決定に従うものであり,そのような機会があれば,心を尽くして務めていきたいと思っております。」
天皇の海外訪問は従来の政府見解では公的行為であるが、現天皇が「政府の決定に従う」と表明している以上、海外訪問は内閣の純粋な決定ということになるのであって、天皇の政治利用になるのである。
1.問題の焦点
中国の習近平副主席と天皇との会談をめぐる一連の議論を見ていて遺憾に思うのは、この問題の焦点が、天皇の政治利用を積極的に肯定するかどうか、という点であることが明確にされていないことである。もちろん、政治利用は認められないということが、建前としてはマスコミ上で一応は共有されている以上、明確にされようがないのだが。だが、問題の本質的な焦点は、小沢ら民主党の行為が政治利用であったかどうかではなくて(それは、政治利用に決まっているわけである)、政治利用を肯定するかどうかなのである。この件に関する小沢一郎の憲法解釈は周知のように珍妙なものであるが、仮に小沢の憲法解釈が「正しい」と仮定したとしても、問題は何ら変わらない(注1)。
私には上記の点は自明なことだと思うのだが、念のために、この点に触れている見解を引用しておこう。朝日新聞12月12日付朝刊からである(強調は引用者、以下同じ)。
「長谷部恭男・東大教授(憲法学者)の話
天皇は憲法で、政治的権能を一切持たず、形式的儀礼的行為のみを行う国の象徴とされている。天皇の国事に関するすべての行為には内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負うことも憲法に定められている。天皇が政治的権能を持たないことを徹底させるためだ。ただ、それは最終的に内閣が責任を持つということであって、内閣が決めれば、操り人形のように天皇を動かしてよいというわけではない。
相手国の政治的重要性いかんにかかわらず、「1カ月ルール」というプロトコル(外交手順)を順守することが、あらゆる政治的立場を超える国の象徴という天皇の地位を守ることにつながる。今回のように特例を認めることは、健康問題以前に政治の領域へ天皇を巻き込むことにつながりかねない。
天皇は憲法で政治的権能を持たないとされているが、一定の社会的・心理的影響力を持つ。天皇を政治の領域に巻き込むことは日本の民主政治そのものにとって、そして外国から日本がどのように見えるかという意味でも、大きなマイナスとなる。内閣のその時々の判断で簡単に踏み越えるべきルールではない。慎重な判断が必要だ。」
長谷部はリベラルであって左派でもなんでもないから、「天皇を巻き込む」云々が強調されているが、論理自体は全くその通りであろう。これに、(かつての)護憲派の真っ当な見解を付け加えておこう。
「そもそも憲法が内閣の助言と承認を要求したうえでなお天皇の権能を限定したのは、天皇の独走を防ぐためであったということとともに、天皇を政治的に利用することをも防ぐためであったとみるべき」(芦部信喜監修『注釈憲法(1)』有斐閣、2000年、202頁、浦部法穂執筆)
メディアでは、日中関係は重要であるから、今回の会見は当然、という主張も散見されるが、それこそが政治利用なのである。
2.リベラル・左派の天皇制活用論
では、この民主党による天皇の政治利用に関して、リベラル・左派から批判は出るであろうか。私は、あまり出ないか、後述するような形での本質を回避した批判になるのではないか、と思う。それは、リベラル・左派の大多数が民主党政権擁護を至上命題としているからだけではなく、今の「国益」論的に変質したリベラル・左派の天皇(制)に関する位置づけに関わるものだと思う。
ポイントは、上の長谷部の発言にもある、天皇(制)が日本社会において持つ「一定の社会的・心理的影響力」である。かつての護憲派は、そうした影響力が実体として存在することは認めつつも、建前としては、そのことが問題である、としていたはずである。ところが、これは<佐藤優現象>と並行して起こっていると言ってよいと思うが、近年のリベラル・左派の諸言説において散見されるのは、従来とは180度逆の、天皇(制)が日本社会において持つ「一定の社会的・心理的影響力」を積極的に活用しよう、という見解なのである。
このところの姜尚中が、天皇制が国家主義に対する抑制的な役割を担っている、天皇制が多民族ナショナリズムの統合装置となりうるなどと、天皇制を積極的に肯定していることは既に私のブログでも紹介したが(姜の対談相手である中島岳志も、こうした見解に同意しているようである)、現在の天皇が日本国憲法を擁護する立場をとっていること、国旗・国家の強制に否定的であることを強調したり、富田メモを引いて首相の靖国参拝批判を行なったりするのも、これである。
苅部直による、天皇ら皇室が「権力者の行動に関する模範」となることを期待する発言(注2)や、森達也が現在の天皇に、香山リカが皇太子妃雅子に萌えていることも、この流れの中で考えることができると思う(注3)。天皇主義者を標榜する佐藤優がリベラル・左派論壇で活動できるのも、この流れが背景にあるからだと思う。
そして、このような、天皇(制)が日本社会において持つ社会的・心理的影響力を活用しようという意図を、最も明確に打ち出しているのは、宮台真司であろう。まずは、宮台の象徴天皇制解釈を聞いてみよう。
「(注・日本国憲法)第7条で細目が規定される国事行為は、厳密な意味の天皇の公務――国民から天皇への命令――ではない。そうではなく、統治権力が天皇にお願いしてよい非政治的行為を定めた、国民から統治権力への命令です。この統治権力からのお願いを天皇が聞かなければならないという憲法的命令も法律的命令もありません。統治権力からのお願いを天皇が聞かなければならないという憲法的命令も法律的命令もありません。統治権力からの国事行為のお願いを聞くかどうかは天皇の御意次第です。
(中略:憲法第7条全文の引用)
したがって、何度も繰り返して申しあげてきたことですが、日本国憲法が象徴天皇制を規定するというのは厳密には誤りです。象徴天皇制がシステムとして回っているように見えるのは、天皇が事実的に政治的発言を控えておられるからであり、天皇が事実的に国事行為を拒絶する振る舞いに及ばないからです。すなわち、制度があるからではなく、陛下の御意があるから回るのが、象徴天皇制だということです。社会学的には完全に自明です。逆にいえば教科書が教えていることは完全に誤りです。」(宮台真司ほか『天皇と日本のナショナリズム』春秋社、2006年10月、11〜13頁)
このような、天皇(制)の社会的・心理的影響力を拡張しうる解釈を披瀝した上で、宮台は、以下のように、自らの戦略を述べている。これは、天皇(制)の持つ社会的・心理的影響力を積極的に活用しようというリベラル・左派の戦略を、極めて率直に語ったものだと思う。
「片側は(注・天皇を)政治利用しようとしているわけですから、対抗する側も同じロジックで同じ程度の抵抗を示すことに問題はない。それが僕の立場です。
(中略)
僕は、昨今の日本のマスコミの平均的見識よりも、昭和天皇や今上陛下のご見識のほうが遥かにすばらしいと思うし、個人的には幾分かは天皇主義者です。祖父が昭和天皇に生物学をご進行申しあげていたり、お師匠の小室直樹先生が天皇主義者だったりすることもあるかもしれません。連れあいが、大日本帝国憲法を井上毅と一緒に作成した伊東巳代治の子孫だったりします。
その立場からいえば、旧リベラルあるいは旧左翼の方々は「陛下もこうおっしゃっているんだから国旗国歌法はよくない」「陛下もこうおっしゃっているんだから憲法改正はよくない」「陛下もこうおっしゃっているんだから靖国参拝はよくない」と言えばいい。でも、リベラル側は言いたくない。天皇制そのものに反対だから「陛下がおっしゃっている」とは言えないという自縄自縛に陥っている。何て「不自由な頭」を持っているんでしょうね。」(同書、186〜187頁)
宮台は、別に左派ではないから、誰に遠慮することもなく、リベラル・左派の欲望をあけすけに語っているのだと思われる(注4)。
3.東アジア共同体論と天皇
ところで、天皇(制)が日本社会において持つ社会的・心理的影響力を積極的に活用しよう、という論者のうち、姜尚中や宮台真司は、東アジア共同体論者として知られる。もちろん、天皇訪韓の実質的な提唱者である和田春樹もこれである(注5)。今のリベラル・左派論壇で、最も熱心に天皇(制)を称揚する人物がそろって東アジア共同体論者というのは、示唆的である。
東アジア共同体(的なもの)の構築にあたっては、周辺諸国との「和解」と、日本の右派の反対を弱めることが不可欠であるが、天皇(制)は両方において絶対的な効力を有する、ジョーカーのようなものととして、東アジア共同体論者に映っているであろう。もちろん、天皇による「和解」的な政治行為を実現させるには、右派との熾烈な抗争が要求されるが、一旦勝利すれば、「和解」の効果だけではなく、「和解」路線を日本の支配的世論とし、それに応じて自らの主張への支持も調達できる。私は、日朝国交正常化でも、何らかの形で(例えば「おことば」など)天皇カードが使われると思う。そうでないと収拾できないだろう。
「東アジア共同体」と天皇(制)の件に関する、現在の民主党政権の思惑を考える上で参考になると思われるのは、鳩山由紀夫首相の憲法改正草案である。これは、『新憲法草案――尊厳ある日本を創る』(PHP研究所、2005年2月)として書籍として出版されたものである。ほぼ全文が鳩山のホームページでも見れるので、そこから引用する。
鳩山草案は、前文で、「アジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力および集団的安全保障の制度が確立されることを念願し、不断の努力を続ける」と謳っている。書籍版に附された「なぜ今「憲法改正」なのか――はしがきに代えて」では、より直接的に、「私は、今後五十年の日本の国家目標の一つとして、一言でいえば、アジア太平洋版のEUを構想し、その先導役を果たすことを挙げたい」と述べられている(18頁)。もちろんこの構想は、現在、鳩山が提唱している「東アジア共同体」と同義であろう。
そして、鳩山は、草案の「第2章 天皇」「第9条(天皇の国事行為)」で、天皇の国事行為に、「十 国賓を接遇すること並びに友好親善のため諸外国を訪問すること」と、天皇の海外訪問を追加している。これについて鳩山は、
「天皇の行為については、憲法の規定する「国事行為」と「私的行為」のあいだに、象徴としての「公的行為」があると学説上解説されている。国賓歓迎行事の主催、外国訪問、地方への行幸、国会開会式や国体など国民的行事への臨席などがこれに当たる。天皇制を否定的に考える向きからは、これらの公的行為は違憲であるといわれている。
私はもちろんそのような考えは取らないが、国賓の接遇と外国訪問については、国事行為として規定することとした。これまでも晩餐会等での天皇のスピーチが問題なるなど、公的行為のうちでも、最も政治的性格の強いものであり、内閣の責任を明確にしたほうが適切であると考えるからである。」
と注釈した上で、以下のように述べている。
「天皇制は日本の文化的資産であるとともに、貴重な政治的資産でもある。今回私はその意義を積極的に評価する立場で改正案を作った。」
恐らく鳩山においては、東アジアにおける集団的安全保障制度(東アジア共同体)の構築と、「貴重な政治的資産」としての天皇制の活用は、ワンセットなのだと思われる。天皇の最も重要な政治行為として、海外訪問が位置づけられているのだろう。岡田克也外相による、国会開会式「お言葉」見直し発言も、天皇の権威を高めて「政治的資産」としての価値をより上昇させよう、という民主党内の空気が背景にあるのかもしれない。
また、朝日新聞の幹部で、2002〜2008年の論説主幹であった若宮啓文は、朴裕河を持て囃している人物であるが 、著書『和解とナショナリズム――新版・戦後保守のアジア観』(朝日選書、2006年11月)の中で、「「和解」に果たしてきた天皇の役割」(6頁)を強調し、「天皇陛下は中国訪問だけでなく、アジアとの和解や過去の清算にさまざまな役割を果たしてきた。」(319頁)とまとめている。
若宮は、1992年の天皇訪中について、「皇室外交が国家と国家、国民と国民の「友好の証」であればこそ、現天皇の訪中は昭和天皇の訪米(1975年)と並ぶ「戦後最大の皇室外交」に違いなく、内外から大きな注目を浴びたのは当然だった」とした上で、当時、争点となっていたPKO協力法問題などとも絡み合い、「大きな政治的意味をもった」と位置づけている(296頁)。若宮は、「東南アジアに加えて天皇の中国訪問も実現して久しい中で、韓国訪問だけが重い課題として残されている」(326頁)と述べており、天皇の韓国訪問も、「戦後最大の皇室外交」として、積極的に支援していくだろう(注6)。
また、目についたところでは、ケネス・ルオフ「平成皇室の「象徴力」とその危機」(『世界』2009年6月号、木村剛久訳)の「平成時代を一貫して流れる特質は、天皇と皇后が戦後処理に強い関心を持ち、戦争の傷跡と真正面から向き合っていることである。」といった発言も、リベラル・左派内部における、「皇室外交」による「和解」を容認する空気を示唆していると思う。
4.なぜリベラル・左派内で天皇制活用論が蔓延しているか
さて、こうした、天皇(制)が日本社会において持つ社会的・心理的影響力を活用しようという「空気」は、なぜ生じているのか、という問題が残る。私は、これは、<佐藤優現象>と本質的には根を同じくする現象ではないか、と考えている。
私は以前、「佐藤優の議員団買春接待報道と<佐藤優現象>のからくり」 で、以下のように述べた。
「成澤(注・成澤宗男、9・11陰謀論者)は恐らく、9・11テロへの対応としてのアフガン戦争・イラク戦争に対して、「人道上許されない」または「国際法違反である」または「テロ対策として非合理的である」といった、聞き手に「理性」または「良識」があることを前提とした反対理由では、ポピュラリティを得ることはできない、したがって、戦争の流れを止めることはできない、と考えているように思われる。だからこそ成澤は、「理性」または「良識」を持ち合わせない(と成澤が考える)大衆も、アフガン戦争・イラク戦争に反対するように、9・11がブッシュらの「陰謀」であることを「論証」しようと懸命に努力しているのだ、と私は思う。
「<佐藤優現象>批判」でその認識の問題点を指摘したが、9・11(2005年)の衆議院選挙の選挙結果について、リベラル・左派は、大衆が愚かにもプロパガンダに惑わされて、自らの利害に反する小泉自民党に大量投票した、と認識したのである。リベラル・左派は、大衆が「理性」または「良識」を持ち合わせていることを前提とした言論活動を展開することに絶望したのだ。だからこそ、「護憲派のポピュリズム化」、<佐藤優現象>、『金曜日』の9・11陰謀論への加担、といった現象が起こっていると私は思う。(中略)
市民運動、社会運動の力によって下から社会を変えることは無理であるから、佐藤優(の諸活動や人脈)を通じて上の中で、上から社会を指導する、あるいは、社会をいじくりまわすことを志向した、と言い換えてもよい。」
つまり、リベラル・左派は、大衆が「理性」または「良識」を持ち合わせていることを前提として、市民運動、社会運動の力によって下から社会を変えていく、といった志向性を、もはや放棄しているのである。大衆が「理性」または「良識」を持ち合わせているなどと考えていないから、天皇(制)の政治利用は否定されるべき、という主張や、天皇(制)が持つ社会的・心理的影響力が減退するように日本社会を変えていこう、という主張は、もはや行なわないのである。逆に、そのような社会的・心理的影響力を活用し、天皇(制)によって「上から」社会への影響力を与えていくという方向を選んでいる(というほど自覚的なものでもないだろうが)のである。
このことは、「和解」の内実とも関連している。仮に日韓の「和解」があるとすれば、大日本帝国との連続性を濃厚に有する日本国家や日本社会が変わらない限り、それはありえないだろう。それが無理だというのならば、素朴な疑問なのだが、「和解」してどうするのか、と思わざるを得ない。「和解」がなくとも民間交流は活発であり、表層的な形で「和解」が一時的に「成立」したとしても、その後で必ずそれは破棄されるだろう。そうなれば、相互で憎悪がより強まるのは自明である。若宮が『和解とナショナリズム』で、天皇訪中後の日中関係の悪化を見て、「あの天皇訪中はいったい何だったのだろうか」と「虚しさ」を感じるようになったと述べているように(295頁)、それは結局のところ、相互不信を招くものでしかない。
大日本帝国と「戦後」の連続性の「象徴」たる、天皇制が持つ社会的・心理的影響力を活用して行なわれる「和解」は、表層的なものにならざるを得ないだろう。「東アジア共同体」だけではなく、以前に森本敏の提案を引いたように、支配層の間では、米日韓の安全保障協力関係の構築の必要性が唱えられているのであって、日韓の「和解」は、そのための条件として出てきているにすぎない。その動きに、マスコミや市民運動を動員するために、姜尚中や和田春樹ら野心的な学者や、『世界』などのジャーナリズムが利用されているだけだ(本人たちもそのことを自覚しながら動いているだろう)。
もちろんこれは、そうした「和解」を進める人々自身が、もはや実際には、朝鮮植民地支配(に基因する件)を含めた歴史認識・戦後補償問題について、大日本帝国との連続性を濃厚に有する日本国家や日本社会を変える契機となるべきものと捉える認識を持っていないことをも意味する。それよりもむしろ、「和解」(例えば「民衆同士の和解」といった決まり文句がよく使われる)が大事なのであろう。だがそれは、「和解」運動に携わる個々人の「癒し」以外の意味を持たないのではないか。「国民基金」以来、この構図は変わっていない(注7)。
5.天皇政治利用問題における朝日新聞の転向
さて、これまでの記述を読んで、疑問に思われた読者もいるだろう。「朝日新聞は東アジア共同体や日韓の和解を、マスコミでは最も熱心に支持しているが、その朝日が今回は小沢ら民主党を批判しているではないか」という疑問である。確かに、第一報である12月13日の社説は、私が心配するほど、小沢らによる天皇利用を批判していた。
だが、心配?するには及ばなかったのである。朝日は、同じ問題に関する12月17日の社説では、小沢らを批判しているとはいえ、その論理において、早速転向を遂げているからである。以下、具体的に見てみよう。
まず、12月13日の朝日新聞のこの件に関する社説を確認しておこう。全文を掲載する。
「天皇会見問題―悪しき先例にするな
あす来日する中国の習近平国家副主席と天皇陛下との会見が、鳩山由紀夫首相の強い要請で、慣例に反して決められた。
習氏は胡錦濤主席の最有力後継者と目されている。日中関係の将来を考えれば、この機会に会見が実現すること自体は、日中双方にとって意味のあることに違いない。
問題は、政権の意思によって、外国の要人との会見は1カ月前までに打診するという「1カ月ルール」が破られたことだ。高齢で多忙な天皇陛下の負担を軽くするための慣例である。
羽毛田信吾宮内庁長官は、相手国の大小や政治的重要性によって例外を認めることは、天皇の中立・公平性に疑問を招き、天皇の政治利用につながりかねないとの懸念を表明した。
日本国憲法は天皇を国の象徴として「国政に関する権能を有しない」と規定した。意図して政治的な目的のために利用することは認められない。
鳩山政権は習氏来日の直前になって、官房長官自ら宮内庁長官に繰り返し電話し、会見の実現を強く求めた。天皇と内閣の微妙な関係に深く思いを致した上での判断にはみえない。国事に関する天皇の行為は内閣が決めるからといって、政権の都合で自由にしていいわけがない。
日程の確定が遅くなったとはいえ、習氏の来日自体は、以前から両国間で調整されていた。日中関係が重要だというなら、もっと早く手を打つこともできたはずだ。
1カ月ルールに従い、外務省はいったんは会見見送りを受け入れた。
ここに来て首相官邸が自ら乗り出して巻き返した背景には、中国政府の働きかけを受けた民主党側の意向が働いたと見るべきだろう。小沢一郎幹事長が同党の国会議員140人余を引き連れて訪中した時期と重なったことも、そうした観測を強める結果になった。
首相の姿勢は、このルールに込められた原則を軽んじたものと言わざるを得ない。
首相はしゃくし定規にルールを適用するのは国際親善の目的にかなわないと語った。今後、他の国から同様の要請があった場合、どうするのだろうか。1カ月ルールを維持するのか、どんな場合に例外を認めるのか。
鳩山政権では、岡田克也外相が国会開会式での天皇陛下の「お言葉」について、「陛下の思いが少しは入るよう工夫できないか」と発言し、波紋を広げたこともあった。
歴史的な政権交代があった。鳩山政権にも民主党にも不慣れはあろうが、天皇の権能についての憲法の規定を軽んじてはいけない。この大原則は、政治主導だからといって、安易に扱われるべきではない。今回の件を、悪しき先例にしてはいけない。」
ごくまっとうな見解である。上で引用した、長谷部の見解にも沿ったものである。
だが、この論理では、朝日新聞が推進する「東アジア共同体」や日韓の「和解」のために、天皇(制)を活用することはできないのである。
そのことを確認した上で、今度は、同じ朝日新聞の12月17日の社説を見てみよう。
「天皇会見問題――政治主導をはき違えるな
天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見に対し、宮内庁長官が政府の方針に異議を唱えたいのなら、辞任してからにすべきなのか。
民主党の小沢一郎幹事長が「辞表を提出した後に言うべきだ」と、記者会見で羽毛田信吾宮内庁長官の行動を激しい言葉で批判した。
政府が外国要人を天皇と会見させたい場合、1カ月前までに宮内庁に申し入れるのが慣例なのに、今回は1カ月を切っていた。だから宮内庁は断ったが、平野博文官房長官が鳩山由紀夫首相の意を受けて「日中関係の重要性にかんがみて」と重ねて要請し、実現させた。そんな経過をたどった。
論争の焦点は、憲法である。羽毛田氏は、政府の対応は憲法に照らして問題ありとの立場だ。
「国政に関する権能を有しない」象徴天皇の国際親善は、政治とは切り離して行われるものだ。そのために、相手国の大小や重要性で差をつけず「1カ月ルール」で対応してきた。中国は大事だからとそれを破るのでは天皇の政治利用になりかねない、と訴える。
1カ月を切れば政治利用で、それ以前ならそうではないのか。習氏の訪日自体は前から分かっていたろうし、政府の内部でもっとうまく対処できなかったのか。首をかしげたくなる点もないではない。
それでも羽毛田氏にとって、いわば政治の横車で1カ月ルールがねじ曲げられるのは、憲法と天皇のあり方にかかわる重大問題だということだろう。
一方の小沢氏は、官僚がそのような憲法解釈をして、政府にたてつくような発言をしたことに反発した。
小沢氏の理屈はこうだ。役人がつくった1カ月ルールを金科玉条のように扱うのは馬鹿げている。役人が内閣の指示や決定に異論を唱えるのは、憲法の精神や民主主義を理解していないとしか思えない――。
政治家が内閣を主導し、官僚はそれに従うというのは確かに筋は通っている。しかし、だからといって反対するなら辞表を出せと切って捨てるのは、権力者のとるべき態度として穏当を欠いていないか。
民主党は、政府の憲法解釈のよりどころとなってきた内閣法制局長官を国会で答弁できないようにする法改正を目指している。憲法解釈は政治家が決める、官僚はそれに従えばいい、という発想があるようにも見える。
宮内庁や内閣法制局はその役割として、憲法との整合性に気を配ってきた専門家だ。その意見にはまずは耳を傾ける謙虚さと冷静さがあって当然だ。
政治主導だからと、これまでの積み重ねを無視して好きに憲法解釈をできるわけではない。まして高圧的な物言いで官僚を萎縮させ、黙らせるのは論外だ。はき違えてはいけない。」
13日の社説も17日の社説も、「政治主導だからと」いって、従来の原則や積み重ねを無視すべきでない、という最後の段落の趣旨は同じだ。だが、それに至る論理は、明らかに変わっている。
17日の社説では、当の朝日新聞が13日に主張していた政治利用批判は、羽毛田が言っていることになっている。しかもその主張に対しては、「首をかしげたくなる点もないではない」などと、まるで他人事のようだ。
もちろん17日の社説でも、小沢は批判されている。だが、13日の社説のような天皇の政治利用が問題だというのではなく、小沢の態度や強引さの問題だとされている。
この17日の社説であれば、今後、天皇が訪韓することになり、宮内庁長官が「政治利用にあたる」として反対したとしても、小沢は、その反対の声を「謙虚さと冷静さ」をもって、あくまでも参考意見として、聞いてやるだけでいいのである。だから、この論理ならば、天皇訪韓は可能なのだ。
今後、民主党が、あからさまな天皇の政治利用によって、天皇訪韓を打ち出したとしても、朝日新聞は少なくとも批判しないだろう。むしろ、積極的に支持するだろう。そのことに面食らう読者は多いだろうが、もう内部的には決着がついているのだと思われる。
6.政治利用推進派の大義名分――「陛下の御心」論
だが、天皇の政治利用を進めようとする側の弱みは、恐らく、現状では大義名分が存在しないことである。若宮のように、「もともと天皇制に内在する政治性は否定できない」などとして開き直る手もあるが、日本国憲法4条第1項で、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とある以上、説得力を持ち得ないだろう(ちなみに、鳩山の憲法改正草案では、この第4条第1項が削除されている。自民党新憲法草案(2005年10月28日)にはある)。
もう一つ、佐藤優が、天皇を政治に巻き込むべきでないとして、わざわざ言挙げした羽毛田が尊皇精神を欠いているなどと批判しているように、それが政治的に利用されたものであれ、天皇によってなされる行為を論争の対象にすべきでない、とする論理もありうるだろう。だが、この論理が致命的なのは、「尊皇精神」を言い出せば、小沢ら民主党の政治利用の方がよほど問題である点である。この論理は、小沢ら民主党を批判しないことで成り立っているから、党派性に基づいた、ご都合主義的な主張にしか見えないため(佐藤の文章が、小沢へのあからさまな媚びであることは誰の目にも明らかである)、これも大衆的な説得力を持ち得ないだろう。
では、政治利用を進める側には、どのような論理がありうるか。私は、それは、「天皇の意思」または「陛下の御心」を強調するものではないか、と思う。
これは、1992年の天皇訪中の実現をめぐる政治過程をめぐる記述が参考になろう。天皇訪中の計画に対しては、自民党内でも強い反発が起こったのだが、若宮は、そうした反発を抑制するのに力があったのは、天皇自身が訪中を望んでいるらしい、という情報だったと述べている。以下、若宮の記述(「検証・天皇訪中が決まるまで」『和解とナショナリズム』、316頁)から引用しよう。
「宮沢(注・当時の宮沢喜一首相)は(注・1992年8月)5日、党の最高顧問らと懇談した。米国や韓国の(注・天皇訪中への)「理解」も挙げて、協力を要請したのである。宮沢の後見人を自任する鈴木善幸がすかさず後押しした。3月の懇談会から5カ月近く、もはや中曽根も異議を挟まず、流れは固まった。
こうした中で開かれた5日の総務会。改めて賛否両論がぶつかったのだが、藤尾(注・藤尾正行、天皇訪中反対の最強硬派)が「私は反対だが、決まっているのなら、ここでどうこういってもしょうがない」と言い捨てたのが注目を集めた。その趣旨は憶測を呼んだが、「これ以上反対すると、陛下の御心に反しかねない」という懸念ゆえだ、との解説がなされたものだ。「訪中したい」との天皇の意思は、反対派にも早くから伝わっていた。藤尾は常々、「だからといって陛下のお気持ちで判断してはならない。陛下は政治に関与せずだ」と加藤紘一らに語っていたが、気にはなっていたのだろう。どのみち天皇訪中が避けられないのなら深追いしすぎてはまずい、と考えたのかもしれない。」
「陛下の御心」が反対を抑制したというのは若宮による憶測の域を出ていないのだが、「皇室外交」の政治的重要性を強調する若宮が、「陛下の御心」が天皇訪中への反対を抑える役割を果たしていると認識していることは言えるだろう。
したがって、天皇訪韓やその後の「皇室外交」においても、「天皇は実はこう思っている」といった情報が、マスコミを通じてリーク(捏造?)され、計画されている「皇室外交」と「陛下の御心」があたかも合致するものという表象が作り出されるのではないか、と私は思う。「天皇の政治利用」という批判に対しては、「陛下もこう考えておられるようだ」という主張によって反論する、ということになるのではないか。
12月14日の記者会見上で、小沢が、「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思うよ」と発言していたり、天皇訪韓に期待する姜尚中が、「朝鮮日報」のインタビューで、「天皇は本当に韓国に行きたがっています」などと発言していることも、「陛下の御心」論が、今後前面に出てくることを示唆していると思う。
現在の天皇が訪韓の希望を公的に語ることはないと思われるので(注8)、「陛下の御心」は、伝聞形式のものにならざるを得ない。したがって、それに対して、「陛下の御心」を勝手に忖度すること自体が「不敬」である、といった主張も可能である(実際に、上記の小沢の発言は、ウェブ上ではそうした論理で右派から叩かれている)。
したがって、天皇訪韓が日程に上ってくるにつれて、大雑把に言えば、左派を含めた民主党政権支持層は、「天皇陛下も訪韓したいと思っておられるらしいよ」または「これまでのご発言から、天皇陛下も訪韓したいと思っておられるはずだ」と、「陛下の御心」または「天皇の意思」を強調して、反対派を「不敬」であると(言わんばかりの口調で)批判し、「右」は、天皇を政治に巻き込むこと、それによって天皇の社会的権威が低下しかねないことを批判し、「陛下の御心」を勝手に忖度することの「不敬」さを批判することになろう。もちろん、後者の方が日本国憲法の条文には適合的である。
この相互の抗争プロセスを経て、天皇(制)の価値が浮上し、社会意識の右傾化が促進されることになる、と思われる。外国(人)から見れば、日本の言論状況は、すべてが天皇主義者に占拠されてしまったように見えるだろう。
アナロジーで語れば、この件は、天皇機関説排撃事件に比することができるかもしれない。天皇機関説の擁護側が極右で、国体明徴派が小沢や姜だ。「天皇の政治利用」推進派は、「陛下の御心」を強調して、天皇との連結という表象のもとで、自らの政治的意志の貫徹を図るわけである。ちょうどそれは、政党内閣による「統帥権干犯」を恨む軍部が、天皇大権としての統帥権の不可侵性を強調して、国体明徴運動を強力にバックアップしたことに似ている。
在日朝鮮人の中には、「天皇訪韓によって、日韓の友好が進み、日本社会の在日朝鮮人に対する意識もよい方向に向かうだろう」などと楽観視している人間もいるであろうが、現実に起こる事態は恐らく逆であろう。国家レベルでの相互の「友好」が進む一方で、天皇訪韓を実現させる過程で発生するメディア上での抗争によって、天皇の価値が浮上する結果、社会意識はより排外主義的なものになっていくと思われる。また、天皇訪韓による「和解」によって、日韓間の歴史認識問題が「解決」したという表象が作り出されることで、在日朝鮮人への「反日」批判、同化・帰化圧力も強まるだろう。どのように転んでも、天皇訪韓は、在日朝鮮人にとって悪い結果しかもたらさないと思う。
(注1)この一文をほぼ書き終わった後に、小沢が12月21日の記者会見で、「国事行為」論を撤回したことなどが報じられた。本稿には21日の小沢の発言は反映していないが、ここでの指摘自体は21日の発言に関しても妥当していると考える。
(注2)苅部直「新・皇室制度論 伝統VS.批判の二極を超えて」(朝日新聞2008年1月5日付朝刊)より。
「 改めて考えれば、平和主義や民主主義を信奉することと、皇室制度を批判することとが、論理の上でじかにつながるわけではない。世襲君主を置く英国やオランダの国家制度を、反民主的と言い切るのはむずかしいだろう。日本の「天皇制」は諸外国の君主制とは事情が異なる、と反論する手もあるが、そうした論法は、たとえば徳川時代の国学者と、皇室の存続への価値評価を逆にしただけで、制度の理解としてはまるで同じになる。
どうも、皇室制度をめぐる議論は、二つの極に岐れてしまう傾きがある。それを日本人の文化伝統や宗教性と単純に結びつけて賞賛するか、あるいは、自由や平等の普遍的な価値に反するものとして、批判もしくは無視するか。例えば久野(注・久野収)のように、多文化社会の到来を歓迎するリベラルの立場から、皇室制度の新しい意義を考えるといった議論は、宙に浮いたようになってしまい、理解されにくい。(中略)
昨年の暮れ、12月11日に、身体が不自由な人の雇用促進のため作られた会社の作業所を、天皇・皇后両陛下が訪問され、従業員に暖かい声をかけられたことがあった。あまり大きく報じられなかったが、紛糾する国会のようすや、官庁の不始末の報道とは、まったく対照的にほっとさせられる。
もちろん、細かな政策提言につながることはないにせよ、こうした皇室の活動に、世間の多くの視線が集まることを通じて、それが権力者の行動に関する模範として働く。報道がきちんとしていれば、そういう回路も、皇室制度が今後ももつ意義として、期待できるのではないか。
少なくとも、天皇による任命や国会召集といった手続きがもしなかったら、政治家や大臣の責任意識は、現状よりもさらに地に堕ち、混乱に満ちた政治の世界が登場していただろう。そう仮に想像してみることにも、十分な意味があると思えるのである。」
(注3)大塚英志が2000年に、石原慎太郎などの強い指導者崇拝を抑制するものとして、象徴天皇制を「世俗的権力阻止の装置」と積極的に肯定していたが(「天皇抜きのナショナリズム」『VOICE』2000年9月号、『戦後民主主義のリハビリテーション』(角川書店、2001年7月)所収)、このあたりがこうした流れの嚆矢であろう。ただ、大塚は、同書文庫化時の加筆では、その立場を放棄し、天皇制批判の立場に変わったことを宣言している(角川文庫、2005年1月刊、620頁)。文庫版にも収録されている「天皇抜きのナショナリズム」の当該箇所には、特に注釈も修正もないので、大塚の行為は不徹底ではある。
(注4)宮台の主張は大日本帝国憲法下ならば成立可能かもしれないが、日本国憲法下では成り立たないだろう。日本国憲法下では、天皇の「地位は主権の存する日本国民の総意に基く」(第1条より)のだから。「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」という第2条からもそのことは言える。この条文により、大日本帝国憲法下で多数説であった「国務法(国家法)」と「宮務法(皇室法)」の二元的法体系が否定され、皇室典範は憲法の下位法と明確に規定されたからである(極右の中川八洋は、特にこの点を強く指弾している(『悠仁天皇と皇室典範』清流出版、2007年1月)。宮台の矛盾は佐藤優の天皇論の矛盾でもあって、「憲法で一番大事なものは何か?」という問いへの「国民主権」との佐藤の答えに対して、「国民主権では国民が望めば天皇は廃止されるじゃないか!」と指弾した小林よしのりは、右翼としては正当であろう(小林よしのり『ゴーマニズム宣言 天皇論』小学館、2009年6月、359〜360頁。これは憲法問題のシンポジウムでのやりとりで、小林によれば、この批判に対し佐藤は無言だったという)。宮台にせよ佐藤にせよ、日本国憲法を否定しない天皇擁護論は、どれほど天皇(制)を神格化しようと「戦後民主主義」的である。
(注5)和田は、東アジア共同体(和田の言い方で言えば、「東北アジア共同の家」)構築と日韓の「和解」において天皇(制)を活用することを、かなり早くから構想していたように思われる。このことについては長くなるので別稿に譲る。
(注6)なお、『和解とナショナリズム――新版・戦後保守のアジア観』は、1995年11月に、朝日選書の1冊として出された『戦後保守のアジア観』の加筆修正版であるが、旧著に比べて「和解」の主張がより前面に出ている。「補論 「和解」と天皇陛下」という章も付け加わっている。
新版においては、多くの箇所が修正されている。天皇関係で一つ挙げておこう。
旧版「(注・天皇訪中について)こうした諸々の政治的な判断があったことは間違いないのだから、訪中に対して「天皇の政治利用」との批判が左右から出るのは、ある意味で当然だった。日本共産党もそれを挙げて強く反対した。」(旧版238頁)
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新版「(注・天皇訪中について)こうした諸々の政治的な判断があったことは間違いないのだから、訪中に対して「天皇の政治利用」との批判が左右から出るのは、ある意味で理のあることだった。日本共産党もそれを挙げて強く反対していた。」(新版310頁)
若宮は、どちらにおいても、「もともと天皇制に内在する政治性は否定できない」などと開き直って反論するのだが、上においては、「天皇の政治利用」批判の法的正当性を薄める形での修正がなされている。この類や、もっとあからさまな修正が、新版には大変多い。
(注7)この件については、長くなるので別途論じる。
(注8)これは、政府の憲法解釈上できない、と言っているのではなく、現在の天皇のこれまでの発言から判断してそう言えるであろう、ということである。宮内庁ホームページにある、天皇の記者会見記録「中華人民共和国ご訪問に際し(平成4年)」から引用しておこう。
「(問3 今回の訪中をめぐりましては,内外に様々な反対意見もありました。この点について陛下のお考えをお聞かせ下さい。)
言論の自由は,民主主義社会の原則であります。この度の中国訪問のことに関しましては,種々の意見がありますが,政府は,そのようなことをも踏まえて,真剣に検討した結果,このように決定したと思います。私の立場は,政府の決定に従って,その中で最善を尽くすことだと思います。」
「(問5 韓国訪問は皇太子ご夫妻時代に一度延期になり,その後,廬泰愚大統領から招請もありましたが,陛下はどのようにお考えでしょうか。)
韓国は日本と極めて近い隣国であります。近年,そして長い交流の様々な歴史があります。近年,協力の関係が進み,友好関係が深められてきていることは喜ばしいことと思います。私の訪問に関しましては中国の場合と同じく,政府の決定に従うものであり,そのような機会があれば,心を尽くして務めていきたいと思っております。」
天皇の海外訪問は従来の政府見解では公的行為であるが、現天皇が「政府の決定に従う」と表明している以上、海外訪問は内閣の純粋な決定ということになるのであって、天皇の政治利用になるのである。
- 2009.12.22 00:00
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