正社員の道遠く 「派遣切り」1年 帰郷した県内男性

20社受けゼロ…見えぬ出口 パート職でつなぐ毎日

2009年12月31日 09時32分
(15時間31分前に更新)

 企業の「派遣切り」で、住む場所を失った人々を支援する「年越し派遣村」が昨年末に開村、深刻な雇用問題を世に問い掛けてから1年。今年になって国は失業者の住居確保や就職相談など緊急雇用対策を次々と打ち出してきた。だが、企業の業績が持ち直す一方で、この年末も各地で「派遣村」の開村が相次ぐ。県外の自動車部品工場で派遣切りに遭い、沖縄に帰ってきた失業者の現状からも明るい兆しは見えない。

 「社会がおかしくなってる。怖い」。昨年9月、派遣社員として働いていた岐阜県の自動車部品工場から沖縄に戻ってきた男性(45)=豊見城市=は声を落とす。今年1年で面接を受けた会社は県内外20社に上るが、採用はゼロだった。

 毎週チェックする就職情報誌の募集はアルバイトやパートばかり。男性は「収入が足りなさすぎる」と話す。派遣社員の身分に嫌気が差して帰郷したが、再び派遣会社の面接も受けざるを得なくなった。しかしその「派遣」にも就職できなかった。

 現在、知人が営む内装業や解体業の仕事をアルバイトで請け負い、月収12万~13万円。「月20万円くらいは稼ぎたいと思うのは悪いことなのだろうか」とつぶやく。

 静岡県の自動車部品工場で働き、昨年沖縄に戻った元派遣社員の男性(30)=那覇市=は2月、介護施設で正社員の仕事を得た。3交代勤務で休日は週1日、当直が月2回ある過酷な仕事。だが正社員の身分に安心感を得てやりがいもあった。そんな折、体調を崩して1カ月入院。試用期間中だっため退職せざるを得なかった。

 回復後の6月から介護の仕事を探すが、採用には至らない。人手不足といわれる介護職だが、「求人はあるが何社面接を受けてもダメ」とうなだれる。居酒屋の店員と積み荷仕分けのパートを掛け持ちし、求職活動を続けている。

 障害のある父親と2人暮らしの男性はかつて介護職に1年ほど就いていたことがある。しかし、父親の入院費を稼ぐため給料の良い派遣を選んだ。当時、派遣なら介護職より月収で25万円は高かった。父親に月12万円を仕送りできた。

 解雇直前には、派遣の給料は減っていた。それでも介護職の手取り月11万~12万円に比べれば高かった。「同じように働いてもこんなに給料が違う。社会の仕組みの根本を変えないと、雇用問題は解決しないのでは」と語った。

22人利用 2人就職
ホームレス一時宿泊
那覇市、予想上回る

 ホームレスの就労支援として那覇市が10月に始めた「市ホームレス緊急一時宿泊事業」で、これまでに22人が利用し、うち2人が就職したことが30日までに分かった。市の予想を上回る利用に、市は同日まで延長し申請を受け付け、年明けは4日から受け付けを再開する。窓口は同市健康福祉部福祉政策課。

 同事業の対象者は、同市内の民宿などに3食付きで原則1カ月間寝泊まりし、求職活動をする。現在の入居者は11人。2人以上の相部屋がほとんどで、申請後に部屋を確保するため、現在は3、4室が利用されている。

 市では、来年3月までの実施で18人の適用を見込んでいたが、すでに見込みを上回っている。同課職員は「派遣切りで県外から帰って来る人が多かった。これは想定していなかった」と話す。

 だが、「予算がある限りは臨機応変に対応していきたい。緊急で食事が付かない場合は市がストックしているカップラーメンを提供するつもりだ」とする。


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