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在家出家、皆さんの相談相手に 昭和五十九年、 『黒い肌に群がった女たち』 で注目を集め、 その後、 『極道の妻たち』 がベストセラーに、 平成三年にはエイズ患者と過ごした一年間の記録 『私を抱いてそしてキスして』 で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど、 社会派ジャーナリストとして、 常に社会に問題を投げかけてきた家田荘子さん。 このほど、 真言宗最福寺の池口恵観法主から得度を受けた。 池口法主と家田さんという何かと話題性のある二人の組み合わせに、 マスコミが飛びつき、 一部を除きおもしろおかしく書きたてた。 出家したからと言って山や寺に籠もるわけではなく、 「移動お寺」 になって皆さんの相談相手になりたい、 と語る家田さんに、 得度を受けるようになったいきさつや今の心境などについて聞いた。 平成11年12月18日の中外日報紙面から |
ノンフィクション作家 家田 荘子さん |
もともとお寺、
仏教に関心があったのですか。 家田 十代のころは、 女優を目指していました。 女優以外では警察官、 自衛隊、 またはお寺に関わりたい、 と思っていましたので、 今回の 「在家出家」 は、 決して突然の思いつきではありません。 在家出家とはどういうことですか。 家田 得度しましたが、 世俗を離れる出家ではありません。 あくまで在家のままで仏教に帰依するというような意味でとらえています。 ですから、 作家活動は今まで通りです。 山やお寺に籠もるわけではありません。 出家と報道されていますが、 あくまで 「在家出家」 です。 出家したのにミニスカートをはいておかしいとかいろいろ書かれました。 写真週刊誌などで叩かれましたね。 家田 あれは、 出家を前提とした話なので、 在家出家の意味をわかってくださればあり得ない記事なんです。 どんどん髪は伸びているのに、 ずっと坊主頭のままだと思われています。 また、 東京に居るのに、 (最福寺のある) 鹿児島で修行していると思っている人もおられるようです。 出家されたのは十一月 (十六日) でしたね。 僧名は。 家田 「紫永」 です。 紫は私のラッキーカラーなんです。 必ず体のどこかに紫を身につけているほど、 紫色が大好きなんです。 なぜ、 出家されたのですか。 家田 苦労が続いて俗世間を捨てた、 と勝手なことを言われたり、 また、 親しい人でも、 なぜ、 悩みがあるなら出家する前に相談してくれなかったの、 とか言われました。 ごく自然な流れでこうなったのに、 突然の決心みたいに思われたようです。 こういう言い方をすると笑われるのであまり話していませんが、 十五年くらい前ごろから、 霊感が強くなってきて、 先生について印の切り方を学んだり、 言霊について勉強したりしていました。 |
ところが突然、
嫌になったんですよ。
まだ心の準備ができていなかったのかもしれませんが。 神さま、
仏さまはもういいや、 と一回離れていました。 (結婚で)
アメリカに移住したことも関係あったのかもしれません。
帰国後、
普通に生活するうちにどうしてもお寺が好きで好きで仕様がなくなって、
何かあったら京都に来て、 お寺巡りをしていました。 お気に入りのお寺でもあったのですか。 家田 三十三間堂の二十八部衆の一人、 那羅延堅固像 (ならえんけんこぞう) という仏さんが好きなんです。 昔から好きだったんですが、 ある時、 ファンキーな仏さまだと気づき、 大きくて肉体美で外国人系の顔をしていて素敵だと思い、 「三十三間ダーリン」 と名付け、 おっかけのように通い詰めました。 そのうち、 仏像から温かいものを感じられるようになりました。 それはいつごろのことですか。 家田 四年前です。 仏さんのおっかけをしているうちに、 いろんな人とのご縁がつながり、 今年、 北九州にいらっしゃる女の行者さんに出会いました。 般若心経、 観音経、 不動経、 理趣経などを唱えだしたのはこのころからです。 滝の行と海の行をやらせていただいているうちに、 火の行が必要になってきました。 出家したいという思いが強くなってきたのも同時でした。 そこからご縁がどんどん広がり、 恵観先生にたどり着いたのです。 すべて得度に向けて、 自然に進んで行ったのです。 最近は、 若い女性の悩み相談に乗るようなものもお書きになっていますね。 今回の出家はそのこととも関係があるのではありませんか。 家田 私は取材していると、 感情移入し、 その人の人生を背負ってしまうようなところがあります。 そして、 その人のもがく姿を見ていると、 何かできることはないか、 と思ってしまいます。 取材させてもらった多くの女性たちが、 苦しみながら生きている。 せっかくのご縁なのだから、 何とか力になってあげたいが、 今までの経験では限りがあります。 それには仏の道を勉強し、 行を重ねることが必要だと考えるようになったのです。 |
在家出家といっても最福寺へ修行に行くのでしょう。
家田 法主さんはいつでもおいで、 とおっしゃっていますが、 この日があいているよ、 というので、 最福寺と江の島大師 (最福寺関東別院) には毎月決まった日に行きます。 今は護摩行が中心ですね。 ところで、 出家の前と後ではお寺に対するイメージが変わりましたか。 家田 お寺、 神社はもともと好きだったのですが、 もう少しお寺さんがオープンになっていて親しみやすかったら、 と思っていました。 家田 威厳のあるお寺も良いんですけれど、 親しみやすい方策をとっていただければもっと若い子たちが気楽に入っていけるのに、 と思っていました。 お寺は門を閉ざしていますか。 家田 そうですね。 例えば、 働いている方々はめったに住職さんに出会えません。 ぶらっと行って、 住職さんにお目にかかり、 「こんにちは」 と言っていただけるだけで嬉しいのです。 住職さん方は、 とても良いお顔で、 良い表情をなさっている方が多いから、 出会うことそれだけで、 元気が生まれ、 癒されることがあります。 話をなさらなくとも良いんですよ。 お寺に行っても、 受付の人や売店の方たちだけで、 あとは仏像や伽藍を勝手に見てください、 そんなお寺が多いような気がします。 すごく距離を感じます。 住職さんはみんなの中にもう少し入ってきてほしいです。 そういう人たちの相談に乗ることが、 在家出家した家田さんの役割かもしれませんね。 家田 まだスタート地点に立ったばかりで、 そんな存在になることができるかどうかは分かりません。 今後、 行を積み、 仏の教えを賜わり、 「移動お寺」 となることで、 今よりはもう少し温かい手を差し伸べることができるようになるかもしれませんね。 (聞き手=京都総本社・坂東審二) |