<転載開始>
■大晦日のチケットを求めるゲストの列、列、列
チケット販売やゲストパーキング担当のスーパーバイザーをしていた頃、初冬のある日のことです。その日は、大晦日に行われるカウントダウンパーティーの入場券の発売日でした。結果的に、東京ディズニーランドで窓口販売を行った最後の日になりました。
カウントダウンパーティーに対する期待は年々高まり、この年には何日も前から舞浜駅近くに「待機ゲスト」が存在していました。言葉は良くないかもしれませんが、夜を徹して陣取っていたのです。理由は明白です。発売当日の一番列車で来ても買えない場合があることを、このゲストたちはよく知っているのです。車両で来園する購入希望者が、深夜から早朝にかけ殺到するのです。これはこの二年前くらいからの傾向でした。
確かにカウントダウンパーティーのチケットを応募式に変更する案も出されていました。でもどうでしょう。東京ディズニーランドのファンが絶対に購入できる場所がなくなってしまうことを意味するのです。熱心なファンに申し訳ないと思い、応募式を採用してこなかったのです。
私は早朝というよりまだ夜中の四時前に出勤しました。当日の私の担当は、前売り券を販売する部門の責任者でした。所定の出勤時間は朝六時であったと記憶しています。
計画では、私たちパークオープンのキャストが出勤する時には、前日からの勤務者がゲストパーキングの一定区画にキューラインを作り、整然とチケットブースに誘導することになっていました。もちろん舞浜駅に待機しているゲストも同様です。
販売当日を迎えるに当たり、私にはある不安がありました。前年実績を大幅に上回る前売券購入希望者が集中したらどうなるだろうか。最悪のシナリオは……。
残念ながら予感は的中してしまいました。ゲストパーキングのグーフィーエリアやピノキオエリアは、車両で来園したゲストの列で埋め尽くされていました。人、人、人、言葉では表現し難い光景を目の当たりにしました。
「どうなっているんだろう」
そう思いました。状況は最悪でした。列を見て、先頭の数百メートルは一本でしたが、途中から何本にも枝分かれているのを確認した時、正直「困った」と呟きました。
■「やるしかない」ことを私に教えてくれたスーパーバイザー
一九八三年四月一四日夜、グランドオープン前夜のパーティーでも、小さな混乱がありました。ワールドバザールのシンデレラ城側で、招待者や関係者を集めたパーティーが開かれた時のこと。小雨の中、エンターテナーによるショーが行われている会場の通路を大勢のゲストが埋めつくしていました。保安部門に所属していた私は「事前の打ち合わせと違う」とゲストコントロール担当責任者の野口スーパーバイザーに伝えました。
「困ります」と。
野口スーパーバイザーは、実にはっきりとこう言い切りました。
「中村さん、困っている場合ではないんです。どうにかしなくてはいけないんです」
カウントダウンパーティーの前売り券販売の日に戻ります。
「夜間のゲストパーキングは照明が点灯されているものの薄暗い。暗いうちに列を整理しておかないと大変なことになる」
私はそう直感しました。明るくなり、並んでいるゲストの目にこの混乱した状況が映った時、ゲストはより不安になるでしょう。我先に先頭部分に駆け寄るかもしれません。そうなったら収拾がつかなくなるのは明白です。
人々は秩序ある集団の中にいれば秩序を守リます。その反対に、集団が一度無秩序の状態に陥ると、個人は実に身勝手な行動に出ます。私は、アトラクションエリアのスーパーバイザーの経験から、この原理原則を理解していました。アトラクションへの走り込みや、将棋倒し事故をも連想させる「人々の危険行為」を何度も見てきたのです。
混乱を予測して出勤時間前に駆け付けたスーパーバイザーは私だけではありませんでした。同僚の三井スーパーバイザーでした。彼もまた私同様アトラクションエリアを経験していました。長い列を効果的に整理する手法を身に付けています。
JR京葉線の一番列車が舞浜駅に到着する頃には、渦巻きのようであった列も、一本の太く整然とした列にすることができました。日が昇り、前売券のオーダーテイカーキャストが何もなかったかのように出勤してきます。その姿を見ながら、私と三井スーパーバイザーは「よくやったよな」とお互いに労をねぎらい合っていました。
残念であったことは、早朝に並んでもらったすべてのゲストに前売券を購入していただけなかったことです。千人以上のゲストは券を手にすることができなかったと記憶しています。このゲストの方々は、来年はより早く来て並ぶでしょう。寒い中、夜を徹して舞浜駅に並ぶかもしれません。
ディズニーランドでは、「どの方法が一番ゲストにとって良いのか」を考え続けています。今回の前売り券販売の事実は、ある種の限界を感じさせてくれました。
そして、次年度よりハガキによる応募方式が採用されるようになったのです。
<転載終了>
大混乱の様子がテレビで全国中継されていたらどうなっていたでしょうか。
手前みそになるかもしれませんが、私はオリエンタルランドのピンチを何回も救ってきたのです。
オウム一行が来る・・・対応は中村SVに任せる
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440059.html
さて、本日はカウントダウンパーティーです。季節風が強まってきました。新年を告げる花火は大丈夫でしょうか。
私は、「最後のパレード」の花火に関するエピソードにこのようにコメントしました。
<開始>
演出ではありません。ディズニーの世界を心から楽しんでほしいと思っての行動であることは間違いありません。またキャストは、カップルが寄り添って花火を見ているときの、素敵な笑顔を見ることが本当に大好きなのです。花火が映りこんだ目の美しさは、この世のものとは思えないほどです。ぜひ一度、パレードや花火を見ている人たちの顔を見てみてください。きっとそれだけで感動することでしょう。
<終了>
決してオーバーな表現ではありません。「花火が映りこんだ目の美しさは、この世のものとは思えないほどです。」
ディズニーランドの花火打ち上げには、規定があります。現在の基準は知りませんが、在任中は風速15m以上で中止だったと記憶しています。
ところで、過去の花火打ち上げには、オリエンタルランドの隠された思惑がありました。私がオリエンタルランドを退職しようと考えた理由の一つがこの問題でした。
来年は、2010年です。オリエンタルランドは1996年の6月に現加賀見俊夫会長の「強いリーダーシップ」の下に、OLC2010ビジョンを発表しました。2010年のアドバンス・カンパニー(先進企業)を目指すとして2010年のゴールを目指し、組織改革や意識改革が計画されました。
その計画の中で、最悪なのが「スーパーバイザー制度の廃止」でした。私はスーパーバイザー職に誇りを感じ、この制度が東京ディズニーランドをディズニーランドにしているのであり、この制度がなくなると私たちが築いてきた東京ディズニーランドがディズニーランドではなくなってしまうと判断しました。
そして、代替案を一人提示してきました。
私の推察通り、現在の東京ディズニーランドのオペレーションは最低です。私は昨年9月に東京ディズニーランドを訪れた際に、ショッキングな光景を目にしました。あるポップコーンワゴンのクロージング作業では、オンステージで現金を数えているのを目撃しました。
バーム(外部と遮断するための植栽)に囲まれた「夢と魔法の王国」「非日常的世界」が売り物のディズニーランドにおいて、ゲストの前で金勘定ですか・・・
私は、オリエンタルランドに手紙を出しましたが、1月後に誠意のない回答が寄せられました。
話を花火に戻します。
私が、退職を決めた理由は「現場中心から経営中心」に経営マインドが大きく変化したことです。そして、そのために、ゲストにウソをつかなくてはならなくなってしまったことです。
当時、オリエンタルランドは第二テーマパーク(現東京ディズニーシー)の承認などの問題があり、周辺住民と対立することを極端に恐れていました。
また、悪いことに、舞浜地区の一部の住民の「住民エゴ」は最悪でした。車に花火のカスが付着しただけで、まるで「住民運動を起こす」というような恐喝に近いことを語る住民もいました。
私たちは、第二テーマパークを生み出すことを優先させ、ゲストにウソをつくように指導されました。
夏場の南風は、たとえ風速10mでも舞浜地区に花火の落下物を飛散させます。ですから、強風の基準に則さなくても、花火を中止せざるを得ないのです。
誰が考えたのか、奇妙な場内アナウンスが流されました。
「本日の花火は、上空の気流が悪いため、中止させていただきます。ご了承ください。」
東京ディズニーランドのキャストのエネルギー源はゲストの期待です。九州ナンバーの軽自動車をゲストパーキングで見つけた時の感動話が語り継がれる世界なのです。
「花火が映りこんだ目の美しさは、この世のものとは思えないほどです。」
毎夜、何万という「この世のものとは思えない美しい目」がオリエンタルランド側の都合で消えてなくなるのです。
ゲストの期待に応えられない悔しさ、現状もディズニーランドのキャストたちも同じことを感じていると聞こえてきます。
今日の花火は、強風の中実施されるのでしょうか。私は、花火の中に含まれる「黒玉」が、眼球に当たり負傷したゲストの勤務先を訪れ、謝罪と「交渉」に当たったことがあります。
本日の花火を実施して欲しい気持ちと安全性確保のため、既定の風速を超えていたら中止して欲しい気持ちが半々です。
風がおさまるよう、祈りたいと思います。
※三が日は、読売問題は書きません。なるべく明るいニュースを見つけたいと思います。それでは、良いお年を。