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大みそかの話。心を入れかえた男は家業の魚屋に精を出した。飲んだくれていた3年前とは大変わり。満ち足りたいまがある。その時、女房が汚い財布を持ち出してきた。ああ、夢だと思った42両が入ったあの財布。ああ、良かった、あの時お前が隠してくれたおかげでおれは変われたんだから。
亡くなった円楽さんも得意にした落語「芝浜」の山場の情景である。
変わるのは大変なことだ。これまでの習慣や生活を変えて、新たな暮らしを始める。変えようと継続する意志の強さ。生半可ではできない。
■やりきれない閉塞感
人ひとりでもそうなのだ。まして社会や世界の話となると難儀である。
2009年は大変革の年だった。世界、日本で変化、変革が実現した。しかし、いま「変わることとは何だろうか」と皆が考え込んでもいる。
米国では「チェンジ」を唱えるオバマ氏が大統領に就任した。
時あたかも歴史的な危機の中だった。軍事力と並び覇権国の力の源泉だった金融力が、まさに内部から溶解現象を起こしていた。原因は自業自得とも言える強欲だ。
世界大恐慌の二の舞いとなる寸前のうねりを押しとどめ、米国を立て直す期待を担って登場したのは、伝統的なエリート層やウォール街の出身者ではない。ケニア人留学生の息子にして初の黒人大統領。主役の交代を象徴する出来事だった。
日本では自民党が権力の座から転がり落ちた。ばらまきを支えた好況は過去のものとなり、残っているのは巨額の国家債務だ。国民に豊かさの実感はなく、格差は広がり、若者が希望を持てない社会だと誰もが言う。
やり切れないほどの閉塞(へいそく)感を何とかしたい。国民の期待を託され、戦後初の選挙による政権交代で民主党の鳩山由紀夫氏が首相に就任した。
■報われる社会へ
変化、変革の風を受けて政権についた2人は、その言葉の重さを十二分にも意識していたろう。「世界が変わったのだから、それに伴って私たちも変わらなければならない」。1月の就任演説でオバマ氏は米国民、そして世界に呼びかけた。
鳩山氏も10月の所信表明演説で「現在、内閣が取り組んでいるのは『無血の平成維新』だ。国のかたちの変革の試みだ」と述べた。
そもそも、変化や変革とは一体何だろうか。
中国文学者の白川静氏によると「変」は神への誓いの言葉を入れた器を打つことを表す文字で、改めるの意味になる。「革」は頭から手足までの全体の皮をひらいてなめした形で、生の皮とすっかり異なる姿を示す。従来の約束を破り、様変わりすることだ。
20年前、冷戦が終わって世界は様変わりした。しかし社会主義に勝ったはずの資本主義はいま、袋小路に入り込んでしまった。時代は、ひどくあいまいで、立ちすくんでいる。
「ここから私たちはどこにいくのか。そして何をすべきか」。もうひとごとではない、と感じ取った人びとが、その答えを「チェンジ」と、その先に求めたのではないか。
私たちの前には、変えるべきものが山のようにある。地球規模の問題としてはオバマ氏が提唱し、共感の輪を広げた「核なき世界」。先のデンマーク会合で先進国と途上国の対立があらわになった「地球温暖化対策」……
日常生活を見れば、急速に進む少子高齢化がある。衰退の危機が声高に語られ、そこに変革の課題もある。土建国家から、弱者も安心して住める福祉社会への転換。格差から、働く意欲のある人が等しく報われる社会へ。
そして、戦後の安全保障の負の部分を、沖縄という一つの県と住民に担わせてきた現実をどうするのか。
核なき世界とは圧倒的な抑止力を自ら放棄することだ。その代役を何に求めるのか。通常兵器の軍拡、通常戦争の蔓延(まんえん)になっては元も子もない。
■負担を分かち合う
地球温暖化問題も、CO2を先食いして成長を遂げてきた先進国という既得権者と、これから豊かになろうとする途上国とが折り合う方法を編み出さねば、世界の未来は展望できない。
「コンクリートから人へ」。日本の国造りの転換を掲げる民主党の問題意識は、国民の支持を集めた。立派な道路や建物がつくられてきたが、人間の安心、安全のための社会保障制度や、小さくても役に立つ福祉施設などは、おろそかにされてきた。国の資源配分の構造を思い切って変える時だ。
しかし、地方経済は公共事業に依存し雇用も支えられてきた。国造りのベクトル転換で、新たな産業を生み出すようにする知恵と工夫がいる。
弱者も安心して住める社会の実現には、富める者がこれまで以上に負担する必要がある。非正規雇用を減らすには、正規雇用者の賃下げやワークシェアリングの議論も避けられない。苦労や痛みを分かち合うことで、私たちの明日を作る力も生まれてくる。
オバマ演説に戻る。「試練の時に、この旅が終わってしまうことを許さなかったと語られるようにしよう」。変革の決意を国民と未来の世代に伝えようとした言葉だ。
私たちも果敢に挑むしかない。その先に希望があると信じて。