2009-12-30 00:58:43

お葬式

テーマ:ブログ
空-091228_0923~01.JPG


志村さんが永眠してから、ずっとその現実を受け入れられなくて、毎日泣いてた。
こんな事言ったら怒られるのは分かってるんだけど…
志村さんが死ぬくらいだったら、うちが代わりに死ねば良かったんだって本気で思った。

しばらく何もする気になれなくて、生きる気力も奪われて、途方に暮れてたんだけど、
でも泣いてる暇があるなら、行かなくちゃいけないところがあるって気付いて…
このままぢゃ一生何も変わらないって思って。
現実を認められないって…。

だから、現実を受け入れに行ってきました。
感謝の気持ちを伝えに行ってきました。
最後のお別れをしに行ってきました。

なんでそうなったのか、どうしてそんな事になったのかは
話すと長くなるから省くけど、うちは友達と2人で、志村さんのお通夜とお葬式に行ってきました。
志村さんのお母さんの御厚意で、お葬式には参列も出来ました。
ファンは行ってはいけないって事は、十分承知の上でした。
だから、遠くから見守ってるだけでもィィって思って行きました。
志村さんのお通夜が27日で、お葬式が28日に行われるって事を知って、いてもたってもいられなかった。
だから、本当に身勝手な行動だけど、行ってきました。

きっと行きたくても、行けなかったファンがたくさんいる中で、うちらはお葬式に参列する事が出来たから、せめて志村さんの最後がどんな感じだったのか…そして、ご家族の想いを伝えたいと思い、書く事にしました。
批判されるのは覚悟しています。
本当は言わない方がィィ事なのかもしれないけど…
お葬式に行く前までの自分のように、未だに悲しみの中から抜け出せなくて、絶望の中にいるファンもいるかもしれないから…
そうゆうファンの気持ちを考えて、書く事にしました。
(でも、本当に自己満足な日記で、ご家族の気持ちが書かれている部分は、ほんの一部です。)

読んで不快な思いをされる方もいると思うので
読みたくない人は、ここから先は読まないで下さい。










12月28日、10時10分に葬儀場に着いて
入り口に志村さんのお父さんがいたから、お父さんにご挨拶して、ファンの名前記帳の場所へ。(一応、ファンの為のスペースが用意されていました)
志村さんのお父さんは背が高くて目が大きくて、志村さんに似てました。

そしてまた志村さんの遺影の前でメッセージを書いた。
(お通夜でも書きました)
メッセージ書いてたら
『茜色の夕日』が流れてきて
そしたらもうまた涙が止まらなくなっちゃって…
泣きながらメッセージを書いたよ。
でも今回はちゃんと紙いっぱいに書いた。
感謝の気持ちや、志村さんへの想いや、忘れないって気持ちを書いたよ。
最後に自分の名前と、あゆの名前を書いた。
仕事で来れなかったあゆの分まで、うちが志村さんに想いを届けるって約束したから。
フジファブリックを追っかけるようになったのは、あゆのおかげでもあるから、ちゃんと想いを伝えてあげたかったんです。

それで係りの人が、志村さんの顔を見せてくれるって言ってくれたから、着いて行った。

志村さんのお母さんがいて、挨拶してくれた。
志村さんのお母さんは小柄で凄く優しくて可愛いお母さんだった。
泣いてるうちらを棺の前まで連れて行ってくれて
棺の前で泣きながら御焼香した。
志村さんに「ありがとうございます。一生忘れないです」って想いを込めて手を合わせた。

そして志村さんの妹さん(か、お姉さん)が
「顔見てあげて」って
棺の顔のところに連れて行ってくれて、棺の中を覗いたら
眠っている志村さんがいて…
唇は口紅で真っ赤になってて
肌は白く塗られてて
目を閉じてたよ…
変わり果てた姿を見たら
また涙が止まらなくなった…
棺の前に違う写真も飾られてて、その志村さんは髪の毛染めてて、凄いイケイケな感じでした。志村さんにもそんな時期があったんだね。

それで妹さんが
「本当に来てくれてありがとね」って言ってくれて
本当に来て良かったなって心の底から思った。

それでお母さんが出口まで案内してくれて
「あなたたち(ファン)のおかげでここまでやって来れたのよ。本当にありがとね。皆さんにも伝えておいてね」って…。

お母さんに「伝えておいてね」って言われたので
此処でファンの皆さんに伝えます。

「忘れないであげてね、ずっと聴いてあげてね」って言われたから
「忘れるわけないです!ずっと聴きます!」って言った。
言葉が出て来なくて、これだけ言うので精一杯でした。
お母さんは、泣いてるうちらにめちゃくちゃ優しくしてくれました。
本当はうちらよりもっと辛くて、うちらより泣きたい気持ちだったはずなのに…
お母さんが肩をポンポンって優しく叩いてくれて…
本当に志村さんは素敵なご家庭の中で育ったんだなって思いました。
素敵なお母さんに素敵なお父さんの間に、素敵な志村さんが生まれたんだなって…
うちらより悲しいはずのお母さんに慰めてもらうなんて…
本当に申し訳ない事をしたなって思いました。
迷惑ばかりかけてしまって本当に申し訳無かったです。

それで、お母さんの御厚意で、お葬式に参列させていただきました。座ってたら、

・茜色の夕日
・笑ってサヨナラ
(音源とは一部分違うバージョン)
・赤黄色の金木犀
・花
・Anthem

とか、もっと色々フジの曲が流れてきて、本当に切なくなった。
しかもうちがずっとライブで聴きたいと思ってた2曲が連続で流れた時は「泣かす気か!」って思った。
ずっとライブに行き続ければ、いつか聴けるだろうと思ってたのに…
もう聴けないんだなって…

しばらく泣いてた後は
放心状態になってました。

12時まで放心状態で座ってて
12時からお葬式が始まった。

お坊さんが入ってきて
お経を読んでるのを聞いてた。

お経聞いてると、いつもは長く感じるんだけど
不思議とその日は早く感じた。
そしてお経が読み終わった後、ダイちゃんと総くんと加藤さんが出て来て
ダイちゃんが代表で志村さんに弔辞を読んでた。

ダイちゃんは意外としっかりしてて、安心した。
志村さんは50歳になってもフジファブリックを続ける事が夢だったんだってさ…
だから志村さんの想いを引き継いで、これからもフジファブリックとして頑張っていくって言ってて、それ聞いて、うちも一生フジファブリックを応援しようと心に決めた。
志村さんがずっと続けたかった事だから、例え志村さんがいなくなってしまったとしても、応援していこうって!
(実際は、この後メンバーがどうするのかは分かりません)

その後に志村さんの幼なじみの人(同級生)が3人出てきて
泣きながらを弔辞を読んでた…

ダイちゃんのも同級生のも
聞いてて涙が止まらなかった…
本当に色んな人に愛されてたんだね、志村さん。

その後は弔電を色々読んだりしてて…
ついに棺に花を入れる時間がきた。
そうゆうのって親族だけだから、うちらは見てるだけだろうって思ってたら、花を渡されて…
だから、それを持って列に並んだ。
順番待ちしてる時から
涙が止まらなくて…
自分の順番が来て、志村さんの右手ら辺に花を3つ置いて合掌しました。

「出逢えて良かったです。一生忘れないから」って想いながら…
志村さんの顔見てたら、「生前あんなに綺麗な顔立ちだった人でも、死んだら人形みたいになっちゃうんだな…」って思って悲しくなった…
(それでも、やっぱり志村さんは綺麗な顔立ちだっただけあって、綺麗でした)

志村さんの最後の顔を忘れないように
必死に目に焼き付けておいた。

そしてみんな花を入れ終わったら、お父さんからのご挨拶。
マイクがあんまり入ってなくて、何を言っていたのかイマイチ聞き取れなかったんだけど…
お父さんが「皆さん、正彦の分まで生きて下さい」的な事を言ってて
それを聞いて、一生懸命生きていこうと決めた。
志村さんの分まで生きるんだ!

志村さんの事も色々話してたよ…
「親より先に逝くのは親不孝者だと言いますが、そんな事はありません。本当に優しい子でした」的な事とか「本当にたくさんの人に愛されてたんだなって思いました」とか言ってました…
(間違ってたらごめんなさい)

そして13時35分くらいに出棺。

出棺の時に手を合わせて
「さようなら。またいつか。」
って心の中で志村さんに最後のお別れを言った。
本当にこれでもう最後なんだ…って、本当にもうさよならなんだ…って思ったら
また泣けたけど、でも最後にちゃんとお別れを言えたから…
もう泣かない。
前を向いて歩いていこうと決めました。

志村さんが生まれて育った街は
本当に素敵なところでした。
人もみんな優しくて
自然が豊かで、お店はほとんど閉まってて、人も全然いなかったけど…
でも川の水は凄く綺麗で
富士山は近くに綺麗に見えて
空気は綺麗で、長閑かで
本当にィィところだったな…

志村さんのご両親もご兄弟も
みんな優しくてィィ人で
暖かかった…

本当に、お通夜に行って、お葬式に出れて
富士吉田まで行って良かったなって思った。

きっと行かなかったら
ずっと立ち直れなくて
現実を認められなくて
ずっとずるずると引きずって
生きる希望を無くして
泣いてばかりの毎日を送る事になってたと思う。

でもお葬式に行って、断ち切れました!
現実を受け入れて、前に進めそうです。
志村さんはもういないけど
確かに、志村正彦という人物は存在してたんだって事を
うちらが語り継いでいかなくちゃ!って。
最後にちゃんと志村さんに
感謝の気持ちと、大好きって気持ちを伝えられて
ちゃんとさよならを言えたから…
本当に行って良かったよ。
気持ちに区切りが出来たよ。
25日に発表されてから
毎日毎日泣いてたけど
(特に28日は、一生分の涙を使い果たしたんぢゃないかってくらい泣きまくってた)
きっとこれからはもう泣かないよ!
悲しみが消えることは無いけれど…。
いつか自分も同じところに逝くんだから!
それまでは志村さんの分も生きます。
これからもずっと、フジファブリックの曲と共に生きていきます。


photo:志村さんが空にのぼっていった日の、富士吉田の空。


※本当に書こうか迷って、迷った結果、書きました。
でもうちはメンタルが弱い為、何かあったら即この日記を消します。
(何も無くても、3日後とかには消すかもしれないです。)
こんな伝わりにくくて、しかも曖昧で自己満足な日記でごめんなさい。
最後まで読んでくれた人、ありがとうございます。

個人的に、今年は大切な人が2人も亡くなりました。
本当に、命の儚さや尊さを感じました。
自分が死ぬより、自分の大切な人が死ぬ方が、何倍も辛いし、悲しいですね。
そして、最後のお別れの時はやっぱり「ありがとう」以外思い付かないなって…思いました。


うちに出来ることは、フジファブリックの曲を一生聴き続けることと、志村さんの事を一生忘れない事と、志村さんの分まで一生懸命生きていくという事だけです。
それしか出来ないから…
それを全うします。


明日も仕事なので、もう寝ます。
おやすみなさい。
このFlashをご覧いただくには最新のFlash Playerをインストールし、JavaScriptを有効にする必要があります。
powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト