去年12月27日に始まったイスラエルによるパレスチナ自治区・ガザへの大規模な攻撃。あれから1年、ガザの人々は今も傷を抱えながら新しい年を迎えようとしています。
今年5月にイスラエルで発売され、賛否が割れた歌があります。
“There must be another way”
「他の方法があるはずだ」と題されたこの曲。ユダヤ人歌手とパレスチナ人歌手のデュエットです。
1年前、イスラエル軍は激しい空爆に続き、地上軍も投入。市街地での使用が禁止されている、白りん弾も使いました。停戦までのおよそ3週間で、パレスチナ側の死者は1300人を超えました。そのうち400人以上が子供でした。
1年経ち、白りん弾が降り注いだ国連の学校にも子供たちの声が帰ってきました。しかし、攻撃のつめ跡は今も至るところに残ります。
攻撃のひどかった地区では、いまだに瓦礫がに手つかずの状態で散乱しています。人々はこの瓦礫の中で小屋を建てて生活するしかありません。若者が瓦礫の中から鉄を集めていました。
「イスラエルが境界を封鎖するから鉄が入ってこない。鉄を売ればいい儲けになるんだ」(男性)
イスラエルによる封鎖で建築資材が不足し、建物の再建は進みません。広場では、家を失った人々がテントで暮らしていました。このテントで生まれた新しい命もありました。
「自分の薬を買うか、赤ちゃんのミルクを買うか判断を迫られています。10人家族なんです」(テントで暮らす母親)
1年前、停戦直後のガザで出会った少女(当時11)。目の前でイスラエル兵に父や弟を殺害されました。彼女は、破壊された家のそばの小屋で母や祖父母と暮らしています。砲弾の破片が頭に残ったままです。
「なぜイスラエル兵は私の父と弟を殺したの?なぜ私を傷つけたの?まだ16個の砲弾の破片が私の頭の中に入っています。頭と目が痛むんです。常に痛みがとれないんです。本当に痛いんです」(アマルさん)
流れ弾を頭に受け、昏睡状態だった少年(当時7)。意識を取り戻しましたが、やはり銃弾の破片が頭部に残ったままです。
「アハマドは『頭が痛い』『目が見えない』といつも言っています。神経質になって、まったく言うことを聞かなくなった。もうお手上げです」(アハマドくんの母親)
“There must be another way”
「他の方法があるはずだ」。
その歌が目指す光は、まだ見えません。(29日18:15)