イスラエル軍によるガザへの大規模攻撃開始から1年 ガザ市民の今を取材しました。
イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの大規模攻撃開始から、27日で1年。ガザでは、イスラエルによる経済封鎖で建築資材や重機が足りず、今も多くの壊れた建物が当時のまま放置されています。
復興のめどが立たない中、ガザ市民の今を取材しました。
2009年1月17日、イスラエルの攻撃は、ついにガザ・ベイトラヒヤの学校にまで及んだ。
天井を突き抜けた2つのロケット弾が、下にいたビレル君(5)とモハマッド君(4)の命を奪った。
1年前、この学校に避難していたアシュカーさん(30)は、イスラエル軍の攻撃で2人の息子と自らの右手を失った。
アシュカーさんは「『ビレル! モハマッド! 近くに来なさい』って叫んだわ。その時、音もなくロケット弾が落ちてきたの」と話した。
あの日以来、初めて学校を訪れたアシュカーさんは「(息子たちは)ここに立って...」と、こみ上げる涙を抑えることができなかった。
アシュカーさんは「わたしたちが何をしたというの? イスラエルと戦っていたわけじゃない。ただ、学校に避難していただけなのに」と話した。
攻撃によるガザ側の犠牲者はおよそ1,400人で、その4分の1は子どもだったと言われている。
一方で、ガザ攻撃の最中に誕生した命もある。
2009年1月にガザで生まれたイヤドちゃん(11カ月)。
父親に抱かれている時はご機嫌だが、母親のラディアさんが抱くと、ぐずり始める。
泣き続ける息子を前に、ラディアさんには、あの日の記憶がよみがえる。
ラディアさんは、出産のため病院へ向かう途中、ロケット弾の攻撃を受けた。
帝王切開でイヤドちゃんを出産したものの、ラディアさんは意識不明のままエジプトの病院へ運ばれ、手術で右足を切断した。
2009年7月、ラディアさんが自宅に戻ったとき、初めて会うわが子は、もう生後6カ月になっていた。
ラディアさんは「わたしは、イヤドを抱くことも、おっぱいをあげることもできなかった。信じられない。イヤドはわたしを愛していないの」と話した。
右足、そしてわが子とのかけがえのない時間を一瞬にして奪った悪夢の日から1年。
イヤドちゃんは、まもなく1歳の誕生日を迎える。
ラディアさんは「犠牲者だって、みんな明日への希望は持てる。そしてあした、イヤドはほかの子と同じように大きくなるの」と話した。
「いつか誕生日を心から祝える日が来る」と語るラディアさんの目には、未来へのかすかな希望が浮かんでいた。
(12/27 18:40)