静かな夏の日だった。イスラエル南部の町スデロトにスイカ売りの行商の車が乗り入れた。熟れた中身を示す「赤色」を大音量で宣伝しながら。その直後、多くの住民がパニックに陥り、次々と精神衛生センターに担ぎ込まれた。「原因は『赤』という言葉だった。住民の不安障害は計り知れない」。精神科医のアドリアーナ・カッツ氏は現場の混乱を思い出し、やり切れない表情を見せた。
スデロトで「赤」は、身の危険を意味する。パレスチナ自治区ガザ地区に近いこの町には、ガザの武装勢力が発射するロケット弾の接近を知らせる警報網があり、「赤」は警報発令を知らせる色だ。イスラエルの早期警戒システムがロケット弾の発射を察知してから着弾するまで、わずか約15秒。無機質な人工音声が「ツェバ・アドム」(ヘブライ語で赤色)と連呼する中、住民は一目散にシェルターに駆け込む。
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昨冬のイスラエル軍のガザ攻撃後、同地からのロケット弾攻撃は沈静化した。軍の集計では、08年中のロケット弾数が3200発を超えていたのに対し、今年1月18日の「停戦」以降は、その10分の1以下に激減した。アビブ・コハビ准将は「(ガザを支配するイスラム原理主義組織)ハマスに大打撃を与えた」と成果を誇る。
その一方で、イスラエル情報当局は先月、ハマスがイラン製とみられる射程60キロ以上の新型ロケット弾を入手した、と明らかにした。境界を封鎖されたガザだが、エジプト側に通じる密輸トンネルが使われたとみられる。新型ロケットの射程は最大都市テルアビブにも到達する距離だ。軍幹部は「ハマスは(平穏に乗じて)組織を再建し、武器を密輸して次の戦闘に備えている」と危機感を強める。
平穏なひとときが生み出す、新たな緊張。イスラエルが昨年末、ハマスとの停戦を延長せず実力行使に出た際にも、繰り返し強調された図式だ。
イスラエルではガザ攻撃後に強硬派ネタニヤフ首相が返り咲いた。中東和平交渉は停滞したが、国民の政権支持は安定している。最近、イスラエル軍が徴兵対象者に実施した調査では、過去10年で最高の73%が戦闘部隊への配属を志願した。
イスラエル紙ハーレツのアキバ・エルダー論説委員はイスラエルの現状を「病気治療」に例えた。劇薬(ガザ攻撃)で痛み(ロケット弾)を一時的に抑えた結果、本来の治療(和平)の意識が薄れた、と--。【スデロトで前田英司】
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■ことば
ガザのパレスチナ武装勢力は01年にロケット弾の製造を開始。これまでに1万発以上がイスラエル領に撃ち込まれたとされる。当初は手製で4キロ程度の飛距離だったが、近年は射程・精度ともに向上。イラン製などの密輸が疑われ、イスラエルにとっては激減した自爆攻撃に代わる最大の脅威となっている。イスラエル側の通算犠牲者は27人で、スデロトは被弾の「最前線」。
毎日新聞 2009年12月28日 東京朝刊
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