東京新聞の12月28日夕刊、放射線「メディアバッシング」より
佐藤優 作家・元外務省主任分析官
<引用開始>
メディアバッシングの苦しさは、それを受けた人にしかわからない。だから筆者は(小沢一郎氏の秘書を務めた石川知裕衆議院議員)石川氏と頻繁に連絡を取るようにしている。
「佐藤さん、僕が水谷建設から5千万円のカネを受け取り猫ばばするなんて絶対にありません。何で事実じゃない報道が次々でるんですか。早く楽になりたい。不謹慎ですが、飛行機に乗るたびに事故で落ちないかなと思うんです。そうすれば無垢のままで死ぬことができる。」
自殺した松岡利勝農相も筆者に同じことを言っていた。
<引用終了>
「メディアバッシングの苦しさは、それを受けた人にしかわからない。」
その通りです。家族にも分からない、筆舌に尽くし難い苦しみです。
善良の市民の一人として普通に暮らしてきた自分の過去が、マスコミが放つ「疑惑」という一言で、一瞬のうちにすべて否定されてしまうのです。
自分の家の前にはマスコミが張り込む・・・こんな恐怖に恐れおののいた人が、日本に何人いるでしょうか。
心に1点の曇りもないにもかかわらず、悪者と印象づけられ、信用も仕事も奪い去る読売新聞・・・人の不幸を喜ぶ読売新聞の読者たち…本当に困ったものです。
鳩山総理の側近の五十嵐文彦議員は過去にこのような発言をされています。
<引用開始>
2005年森田実政治日誌[197]
民主党衆議院議員・五十嵐文彦氏の「報道」批判に同感
「春秋の筆法」(日本の諺)
民主党機関誌『民主』05年7月1日号の「東西南北」欄に、五十嵐文彦衆議院議員が「報道」批判を書いている。五十嵐さんご自身が通信社の政治記者出身だけに、説得力がある。マスコミ関係者とくに新聞記者、報道記者の皆さんには心して読んでいただきたいと思い、以下に引用する。
《私が通信記者として、国会に出没するようになってから、30年余りが経った。今も昔も政治記者は政局好き。いざ政局となると、夜討ち朝駆けに飛び回り、政局につながりそうな衝突、確執に目を配る。その一方で、かつての記者は左翼政党の理論誌まで細かく目を通し、政策などの転換があれば記事にした。ところが、最近目立つのは、政策論を政治論だけで解説する雑な「印象記事」や「見出し優先記事」。小泉首相の「ワンフレーズ・ポリティックス」をまねたのだろうか。特に野党の政策については、論理的に解析するどころか、政策文書を読むことすらロクに行われていない。……報道が公権力に身を寄せるのは自殺行為だ。政府の審議会に参加しないなどの自律を求めたい。》
五十嵐さんの言うとおりである。報道機関が公権力に身を寄せるのは報道の自殺行為である。あえて後輩たちに苦言を呈する五十嵐さんの「春秋の筆法」に敬意を表したい。
現代は情報化時代である。人々は情報にもとづいて判断し行動する。もしも情報が汚染されていたら、人々の頭脳は正常に働かなくなる。さらに、全マスコミによって伝えられる情報が、もしも権力者が国民をコントロールすることを目的とするものであったとしたら、国民は権力者の意のままに操られることになる。社会にとってこれほど危険なことはない。マスコミは政治権力の手先にだけはなってはならない。マスコミは政治権力からの自立を絶えず心掛けなければならないのである。
<引用終了>
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02003.HTML
佐藤優氏は記事の最後に「石川氏が死に追いやられることだけは避けたい。」と結んでいます。私も同じでした。読売新聞による報道被害の苦しみから逃れるために、何回か自死を考えた人間です。
2ちゃんねるの情報を盲信し、私を悪者に仕立てることによりカネもうけをしている読売新聞、小沢一郎幹事長をたたくことをビジネスに結びつける読売新聞は間接殺人者である、読売新聞社にそう言いたい。