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ちいさな悩み。
おおきな悩み。
ヒトには言えない悩みも、わかってもらえない悩みも。
どんなヒトにも、悩みはあるものです。
数えるとしたら、一日にいったい、どれくらい悩むのでしょう。考えて、判断して、選択し、実行。ですけれども悩んでいる間は、心が止まります。行動も取れません。どうしていいかわからないからです。
そして、悩みはそのヒトを縛ります。あまりにも長い間、悩んでいますと否定的な気持ち、考え方も暗いほうへ入っていってしまうのです。そうなると動けなくなり、ヒトに会いたくなくなります。外出もしなくなるのです。しかしこれも家から出られないけれど、別に家にいたいわけではない。
気持ちが暗いとき、悩みが断続的に襲うなら、太陽に相談します。これは深く悩まないでも済むための、心のメンテナンス。明るく生きる最新の手続きです。
なにより、太陽はすべての生命の基礎です。水と酸素と太陽がないとヒトは生きられません。その自然の恵みはいつもあって当たり前ですが、ヒトが生きていけるのは、この当たり前を心にもカラダにも受け取らせてやることで成立します。
不安定な心には、特に外に出て太陽に当たる。これは生きる気持ちが体内から湧き上がる不思議があります。
これは日照時間が少ない国や、地方では、鬱が多いというデータも取られているくらいなのです。これと反対の国、太陽の国はどうでしょうか?南の島のヒトが底抜けに笑顔が明るいのも、太陽のおかげだと思えないでしょうか。
陽の当たる場所で、考え事をしましょう。陽の当たる部屋へ引っ越しをしましょう。紫外線でシミができるなんて避けないで、太陽の下で遊びましょう。それが悩まない力です。
また息が詰まるような悩みには、新鮮な空気、酸素の循環が力になります。お部屋の換気はもちろん、外気に当たり、風に当たること、または、酸素の多い公園や郊外へ。都心では空気が悪いとあり、酸素カプセルへ入ることで高濃度の酸素を短時間で脳へ送るサロンもあります。
そして、水も悩まない力をくれる自然のエネルギーです。
朝、つらい。悩みが重い。夜、眠れない。悩みが無限に感じられる。そんなときも、水をきちんと飲みます。お風呂に入ります。水泳をします。とにかく、水。(ジュースやお酒ではなく!)
これは水というものが、母親のお腹にいたときに、満たされていた水でもあることを考えればわかります。赤ちゃんのとき母親のお腹でなにも心配がなかったあの状態です。そこはカラダのまわりすべては水でした。
お風呂でお湯に浸かるのも、安心や心底ほっとする気持ちにかえれるのです。
そして泳ぐことは、人間の手にみずかきが残されていることからも、水で生活していた遺伝子が残されたカラダであることも忘れてはならない部分。海に行くと、気持ちが癒やされないでしょうか。
もちろん、新鮮なお水を朝、カラダに届かせることも、悩みを深くしすぎないための思いやりです。
仕事や勉強の合間、旅行中の機内などじっと座る時間が多いヒトほど、水を合間、合間に飲めば、カラダと心の巡りをよくしますので取り入れます。
カラダと心の時計の針を進めるのは、この太陽と酸素、水であることをもういちど恵みとして感じ取りたい。それが、がんじがらめにまで悩まない力になってくれるということにも、目を向けていいと思うのです。
昔の偉人が教える話に悩まないヒトはいないといいます。悩みこそが、そのヒトの成長。そのヒトが受け入れるだけの力があるから、悩みが大きくなるのだとも言うのです。
しかし悩みとはときに過酷、残酷なものです。
どうして自分だけがこんな目にあうのか、なぜ、わたしだけがと、まわりを見渡してしまうとき、それは、それこそが自分が見えていない。みんなが幸せで、自分が辛い目にあると比べてしまうのは、孤独である気持ちが判断しているのです。悩みで孤独を生むとき、それはなによりも最初に、自分が自分を愛していないという気付きへ向かうときです。
自分の寂しさを認め、疎外されたときの孤立感を知るなら、その悩みは、それを味わったヒトでしかわからない優しさ、慈愛をきちんと身に付けさせるのです。
悩みは、寂しさを経験させてくれます。孤独の意味を体験した悩みは、そのヒトの愛を大きく、深くします。それは幸せの真実に近づきます。愛がわかるには、残念ながら愛に泣くことです。しかしその悩みは無駄ではないのです。無駄はひとつもない。愛したから損したというのもない。でも、そうとわかるには泣くという悩みがついて回ります。
なにがなんでもひとりで頑張る。そんなときもあります。そのヒトでしかできない、悩みからの脱出です。試験勉強も誰も代わりになれません。片思いも、自分が好きになった相手に恋人がもういた、それを悩むのを友だちに代わってもらうことはできません。
世の中は不公平だ。ついていないことが続けば、見えない相手、社会や時代に対して恨みをもつようになるヒトもいます。でもこの時代に生まれるのを誰も選べません。自分で生まれたい時代や国があれば、生まれる望みが聞き入れてもらえたでしょうか。しかたのないことを悩んでも成長できません。
こんな家に生まれたくなかったと、選べないことに文句を言いたくなるヒトもいます。悩みのつらさは、解決が見えないことより、その悩みが支配してくる怒りや憤り・失望です。
そのとき悩みは、成長の機会と受け止めれば恨みにならずに済みます。しかしそうは言うもの、それができれば誰でも悩みません。
どうにもならないとき。
なにもかもがうまくいかない。
悩みは、その限界がきたときに、爆発します。それにのまれると、心が死んでしまうこともあります。しかしどうでしょう。その限界点こそ、壁を越える目前、今までにない自分が待っているのです。
好きなヒトにふられた。恋ですら、悩みの連続です。
想いが届かない。不貞に嘆く。破れかぶれな気持ちに、ひねくれるか、自己嫌悪に悩む。でも、悩みの限界を超えるとき、恋の悩みはヒトを変えます。しかし逃げてしまえば、悩みはむなしさに。限界を受け入れるときは痛みがあるものの、もう無理をしないと思える。
愛に悩む限界は、忍耐が切れるときです。そのとき、相手のことを変えようとしなくなります。そして悩んでいた自分を否定するでもなく、嫌悪しないで、解き放って身軽にしてやれるのです。
悩みの長さである忍耐は、今のスピードの速い時代に不向きな心情です。恋を打ち明けても、好きなヒトから返事が来ない。そんなこともあります。相手が意思表示をするとは限りません。好きなヒトに、好きだと言われなくても、待てるでしょうか。
さっと、別のヒトへ心を移せるなら悩みません。でも、そのヒトが好きだという気持ちから離れない。
これは忍耐より執着になります。依存にも近い。誰かを強く愛したい気持ちを、あまりにもひとりだけのヒトに向けてしまうとき、悩みは相手にではなく、自分であると気付きません。
悩みの打破には、時間がかかる忍耐とは別に、自分の心の欲と向き合うことでも折り合いがつきます。あきらめが肝心と悟るのもひとつ。
自分に気のない男性に告白をするリスク。自分に気があるかどうかわからないから告白をしてみるという賭け。友だちから恋人へ関係を持ち上げたいから告白する。またこのどれでもなく、告白自体、女性がすることではなく、男性の持ち場なのだから入り込まないというヒト。
どのタイプにしても、愛は欲に近いと、悩みも大きいということは免れないでしょう。では欲とは何か。それは見返りを求めることです。これだけ愛したのだから、もっと愛してくれていいはずだという思い込みです。それが悩みのもとになります。でも悩まない愛は、与えてなお惜しみない。なにも返ってこなくてもそれが幸せだと思える。
悩まない力とは、考えているうちにはまだ打破できず、限界を超えたときにとる経験、体験にあります。
自分が取る行動。それこそが悩む力をもう悩まない力へ変えるのです。
頭の中で悩むのが続くと、悩みがヒトを潰します。悩みで、苦しくなった、どうにもならない。そんなとき、そこに座っているところから立ち上がるだけで良いのだと思います。
今いるところから出る。景色を変える。
これが悩まない力のミクロな姿です。
さぁ表へ出ようという勇気。覚悟。
悩むだけ悩んだら、泣くだけ泣いたら、髪を洗い、赤い靴を履いて表へ出るのです。
陽の当たる場所が待っています。そう思えるのです。
美の親友、それは悩まない力です。
「美の親友」*悩まない力* 山咲千里
次回の美の親友、テーマはパワースポットです。
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02 磨きこまれた指先は、自分が自分にかけるきれいの暗示
03 髪を巻いたり、のばしたり 美人は、決して人を飽きさせない
04 女は、アゴで太り、アゴでやせる
05 凛とした美しさは、眉のラインの“キレ”に宿る
06 まつ毛の毛先にピンが合うと、女らしさがあふれだす
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08 美しいのは“濡れ感”ある女。だから何がなんでも、髪にツヤ!!
09 口もとの端正が、そのままその人の清潔度
10 体の“末端”は、女の四隅。だからきれいはいつも“末端”から