2006年07月12日

2006年7月12日(水) リコーダー オリーブに響く この音色 白鳥顧問 お後よろしく

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作11日から3ヶ月ぶりに白鳥顧問がお出でになって 

リコーダーの音色で歌をリードしてくれました。


リコーダー1本携えて全国の幼・小・中・高出指導されて

夏休みに入るので帰京したのです。


利用者は懐かしい音色に聞きほれて自分が歌うのを

忘れて感激してしまうほどでした。


矢張り楽器があるとないのでは歌う利用者ものりが違い

楽しさ喜びも倍加していました。


暑い夏を元気に乗り切るのにリコーダーは一役も二役も

買ってくれそうです。


白鳥顧問よろしくお願いいたします。

尚音楽のボランティアも大歓迎です。お電話ください。

042-344-7801 白鳥顧問・柳井相談員

2006年07月13日

2006年7月13日(木) 白鵬、雅も 両方がんばれ 利用者も復帰に懸命 手本を示して 

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大相撲が始まった。話題は白鵬の綱取りと雅山の大関復帰だといいます。

私は、勢いを感じる白鵬はいける気がするが満身創痍で復帰を目指す

雅山は厳しいのではと思うがどうでしょうか?

何事も追い風と向かい風では格段の差があるようです。


オリーブの利用者もどちらかといえば、雅山以上に冬の寒風の中向かい風に

立ち向かう旅人にも似ています。


若き日、否昨日まで矍鑠としていた身体が衰えを感じるとき言い知れぬ

悲しみと自信喪失を味わうと識者は言います。


しかし、本人は感じることなく体力が失われていくことがが多いので

だから人間は救われるのだともいいます。


ともあれ、オリーブにおいでの利用者は理由の如何を問わず猛烈な

逆風をものともせず、復帰に向けてがんばっているのです。


オリーブの利用者の見本となるよう、雅山が15日終了時点で大関に

復帰していることを願っています。


2006年07月14日

2006年7月14日(金) ブルーベリーは小平が最初の栽培地でした。

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小平市役所に掲示された流旗です。


昨年ブルーベリーの生産地としての小平がテレビで放映されましたが、それに関連する要旨次のような記事が産経新聞に載っていました。

東京農工大を卒業後花の栽培をしていた島村速雄さんは昭和43年春、学生時代の恩師岩垣駛夫教授から、「畑が空いていたら、このブルーベリーを植えてくれないか」と打診された。昭和27年果樹研究のため、当時国を挙げてブルーベリーの普及に取り組んでいた米国に留学し、生のブルーベリーを口にした岩垣教授は、日本への導入を考え、39年農工大教授就任から、その本格的研究を開始していたのである。島村さんは当時を、「何も知らず、先生に言われるままに、130本のブルーベリーを畑に植えました」と振り返る。

45年夏、岩垣教授と教え子2人は小平で採れたばかりのブルーベリー1㌔ずつを抱えて銀座の高級フルーツ店「千疋屋」を訪れ、サンプルとして扱ってくれるように頼んだ。当時まだ誰も、生で食べる果物とは思っていなかった国産ブルーベリーが、一般消費者の前に果物として初めて姿を現した瞬間であった。

量産態勢が整いつつあった54年、島村さんは米、ジョージア州を訪れ、同地で栽培されていた品種「ティフブルー」を口にし、その美味さに大きな衝撃を受け、この味を日本で出そう、と心に決めた。以来、本物の味の追求が続く。 

毎年夏の収穫期には、市場には決して並ばない新鮮なブルーベリーを求め、全国から多くの客が「島村ブルーベリー園」に集まる。島村さんは言う。「美味しいブルーベリーは、果肉の重さで汁が出る。摘んですぐに食べないといけないし、摘むタイミングも非常に難しい」

        (この項は利用者平塚精一さんの寄稿文章を使用いたしました)
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