裁判所・部 大阪地方裁判所・第五刑事部
事件番号 平成17年(わ)第4842号等
事件名 住居侵入、強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、強盗
被告名 大橋健治
担当判事 中川博之(裁判長)入子光臣(右陪席)シオタ(左陪席)
日付 2005.10.31 内容 初公判

 10月31日午前10時から、住居侵入・強盗殺人・銃砲刀剣類所持等取締法違反・強盗の罪に問われた大橋健治被告の初公判が大阪地裁(中川博之裁判長)であった。
 検察側は分かりやすい審理を実践するためか、冒頭陳述の際、プロジェクターを用いて説明した。
 大橋被告は少し肌が黒く、顎が出っ張った、痩躯の初老の男だった。眉をひそめて、口を半開きにして入廷した。小柄だが、その年齢を考えると平均ぐらいなのかもしれない。  検察官は中年と若手の2名。弁護人は大木一人のような男性の1名だった。

 開廷されると人定質問。声は大きくないので、やや聞き取りにくい。

裁判長「あなたのお名前は」
被告人「大橋健治(おおはし・けんじ)です」
裁判長「生年月日は」
被告人「昭和15年12月3日です」
裁判長「本籍地は」
被告人「京都府のオワザというところです」
裁判長「住居は」
被告人「決まっていません」
裁判長「職業は」
被告人「無職です」
裁判長「それでは検察官に起訴状を朗読してもらいますから、そのまま聞いておいて下さい」

−検察官の起訴状朗読−
 8月25日付け起訴状の公訴事実は以下の通りである。
 被告人は生活費に窮したことから、民家に立ち入り、家人から金員を強取しようと企て、5月11日の午後16時20分頃、新聞配達員を装い、旭区のマンション『ラ・ネージュ』のa方に赴き、応対に出たb当45歳に、初携の果物ナイフ刃先10.5cmを首筋に突きつけ、『静かにしろ、金を出せ!』と申し向けたが、同女に腕を掴まれ抵抗され、大声を上げられたことから同女を殺害するしかないと決意し、同女の腹部や胸部を多数回果物ナイフで突き刺し、同女を左胸部刺創に基づく失血死により死亡させた。
 腕を掴まれ抵抗され、助けを求める大声を上げられたことから、動転した被告人は金員奪取の目的を遂げなかった。
 またさしたる理由もないのに、果物ナイフを携帯していたものである。
 次に9月12日付け起訴状の公訴事実は以下の通りである。
 被告人は生活費に窮したことから、民家に立ち入り、家人から金員を強取しようと企て、京都市伏見区のd当82年宅を、新聞配達員を装い訪問し、玄関で応対した同女に対し、初携の果物ナイフ10.5cmを突きつけ、『金を出せ!』と申し向け、同女から500円を強奪したものである。

裁判長「それでは被告人には黙秘権がありますから、聞かれたくない質問には答えなくても構いませんが、あなたの発言は有利不利を問わずこの事件の証拠となります。今検察官が読み上げた公訴事実に間違いはありますか」
被告人「いえ、ございません」
裁判長「それでは全て間違いないと」
被告人「はい、間違いございません」
裁判長「9月12日起訴状の強盗殺人事件も殺意を持って突き刺したと」
被告人「それも間違いありません」
裁判長「弁護人の方、ご意見はありますか」
被告人「被告人と同じです」

−検察官の冒頭陳述−
 まず被告人の身上関係だが、被告人は大阪市東成区で出生し、中学校卒業後パチンコ店員や訪問販売員など職を転々とし、岐阜で新聞販売員をしたあと、事件当時は無職だった。
 被告人に婚姻歴はないが、cという女性と同棲していた。定まった住居はなくcとホテルなどを転々としていた。
 被告人は前科7犯・前歴2点を有し、これまで8回に渡り、少年院や刑務所に入所していた。
 宮崎刑務所を昭和56年11月に仮出所したあと、cと駆け落ち同然に同棲を始めた。そのなかで借金が膨らみ、点々とした生活を送り、cとともに岐阜県に移り住んだ。
 平成17年4月には新聞販売員として稼動するようになったが、その間にもギャンブルにのめり込み、借金生活を送るようになった。
 そして金員に窮した被告人はバール・手袋・果物ナイフを用意した上で、岐阜で強盗殺人事件を起こした。
 その後、cに虚偽の理由を告げて、一緒に大阪に逃亡した。またも金に困り、民家に狙いをつけ、適当な家を物色するようになった。
 (強盗殺人事件)被害者のbは昭和57年に大工をしているaと同棲を始め、旭区のラ・ネージュで生活するようになった。
 5月11日の11時過ぎころ、宿泊していたホテルを出た被告人は、所持金が2000円足らずであったことから盗みを決意し、バール・手袋・果物ナイフを持って、午前零時頃、京阪小路駅に到着した。果物ナイフは加害や現金奪取、逃走に利用するためだった。
 被告人は容易に忍び込めそうな1件屋を探したが、適当な家が見つからず焦り、新聞販売員を装い、午後3時30分頃、ラ・ネージュ301号室で一人で在宅していたb方に行った。
 新聞販売員を装いながら会話しつつ、強盗の機会を伺ったが、bが多弁で会話が途切れなかったことや犯行をなおも迷う気持ちもあったので、強盗の目的を遂げなかった。
 だが午後4時20分頃、再び同室へ赴き、玄関チャイムを鳴らして呼び出した。後ろで玄関の鍵を閉め、bの右肩を左手で掴み、首筋に果物ナイフを突きつけた。『静かにしろ、金を出せ!』と言ったが、bはひるまず『何しよんの!』と大声を出して抵抗した。このままでは現金交付に応じないと見て、ナイフで刺殺して現金を奪うしかないと決意し、正面から腹部を数回突き刺した。bは仰向けに倒れたので、土間から台所に行った。するとbが立ち上がって、玄関から逃げるのを認め、左肩付近を掴んで引きとめようとしたが、bはなおも『助けて!』と大声を出して玄関から外に出たので、左肩付近を掴んでいた被告人も一緒に玄関から出てしまった。そこで『誰か!』と大声で助けを呼ぶbの左胸部分を連続して数回突き刺した。そして玄関内の(自分の)手提げかばんを取って逃走した。
 bには左胸部、左腹部、左上肢に7箇所の刺創があり、特に左胸部の刺創は心臓まで達しており、失血死した。
 この後は喫茶店でcと立ち会ったが、所持金が数十円しかなく夜はcと野宿した。
 (強盗事件)5月12日の午前10時頃から、cと別れ、被告人は強盗に入る適当な民家を物色したあと、道路から奥まった場所にあるd方を発見した。
 家人を確認するため玄関チャイムを押し、新聞販売員を装ってdと会話したのち退去し、一人暮らしであることを認識した。
 他に適当な民家も見つからず、d方に絞って強盗を決意した。d宅に押しかけ、お茶の提供を受けているときに果物ナイフを右手に持って、同女から見えないように隠して近づき、ナイフを同女の胸元に突きつけた。恐怖のあまり後ずさりする同女の右肘を掴み『金を出せ!』と言った。抵抗したり、騒いだりしたら殺されると思ったdはお金を取り出したが、約500円しかなかった。被告人はそれを上着に入れて、さらに現金やキャッシュカードを要求したが、dはそれだけしかないことを伝えた。被告人は『警察に言ったら、家に火をつける』と言い残して逃走した。
 その後窃盗を繰り返して転々としていたが、四天王寺のホテルでb殺害の容疑で逮捕された。
 以上の事実を立証するために、証拠等関係カード記載の各証拠請求をします。

裁判長「弁護人の方、ご意見は」
弁護人「書証は同意します」

 甲号証では、以下の物などが列挙された。
・死体検案書・関西医大教授記載の(死体)鑑定書
・110番通報がなされた状況
・第一発見者の立会いによる実況見分調書
・301号室付近の実況見分調書
・防犯カメラで撮影された映像に関するもの
・果物ナイフの押収に関する書類で全長21.5cm、刃先が10.5cmあるというもの
・cを待たせていた漫画喫茶の店員の供述
・宿泊先のホテルの裏づけ捜査報告書
・犯行後の逃走経路で、被告人自らが詳細な供述をしているというもの
・借財関係
・昭和50年頃駆け落ちしたcの供述書

 なお甲31号証はbの長男や同居していたaの心情関係が記載されており、bを亡くした深い悲しみや被告人に対する厳しい処罰感情を吐露している。それぞれ以下の通り。

bの長男の供述「子供が成人して独立し、母もやっと精神的に余裕ができた矢先にこんな目に遭わされて、本当に無念だったでしょう。私も母に親孝行したかったです。無念でなりません。父も魂が抜けたようになってしまいました。母の遺影を見るのがいたたまれなくて、家にいるのも辛いです。遺影を見ていると、母と一緒にケーキを作って食べたことを思い出します。犯人は憎くて憎くてしょうがない。何で生きていられるのか。逮捕されてから、憎しみは弱まるどころか日々強まっています。刑事から犯人は大橋健治という64歳の男だと聞きました。母と同じように痛く、苦しい思いをこの男に味合わせてやりたいです。すぐに死刑にするのではなく、何十年も刑務所で辛い思いをさせてから死刑にしてほしいです。心からお願いします」

同居していたaの供述「今まで苦労をかけた分、幸せにしてやると思った矢先に、誰からも怨まれることもなかったbが殺されました。なぜお金のためにこんなことをしたのか。最後までbを守ってやることができず無念です。犯人は絶対に許せない。あの日見た廊下いっぱいの血の塊や、何度も抵抗して刺されたことを思うと気が狂いそうになります。犯人は私の手で何度も殺してやりたい。苦しみ続けながら死んでいったbの思いを味わわせて下さい」

強盗事件の被害者dの供述「大橋からの、家を燃やしたるとの言葉が頭から離れず、一人暮らしなので不安でたまりません。刑務所から帰ったらまた戻ってくるかもしれないので、大橋から逆恨みされることがないことだけはお願いします」

dの息子の供述「事件のことは5月14日に単身赴任先から帰ってきたとき知った。母は大橋の『警察に言ったら火をつける』との発言を受け、仕返しを怖がり、散々の申し出にも関わらず、警察の通報を嫌がっていた」

 乙号証は被告人の供述調書や心情経歴が中心である。特に強盗の犯意について被告人は自ら次のように語っている。

被告人「5月11日はどうしてもお金を手にいれなければという気持ちでした。果物ナイフは脅すために持っていったが、時間がどんどん過ぎていきました。確実にお金を手に入れるには、留守宅で窃盗をするよりも強盗をするしかないと考えるようになっていた。bさんが抵抗し、お金を手にいれることができなかったことで、私は大変腹立たしい気持ちになりました。お金を奪って絶対捕まらないように逃げるには、刺すしかないと思いました」
玄関での場面は「助けを求められたら、人が集まって困る。bさんは大きな声を上げて、私の体を離さないままでした。これ以上大声を上げるのを止めさせるには殺すしかないと思いました」

 また乙号証には前科の関係も記載されている。
 ここで裁判長の指示を受け、甲16号証の果物ナイフを、検察官が被告人に示した。水色の柄の果物ナイフで、両事件は同じナイフが使われた。

裁判長「今後の進行についてですが、併合された余罪の岐阜の事件は追起訴を終えているということですね。他に余罪の関係はありますか」
検察官「他に追起訴予定の余罪が2件あり、11月の下旬に最終起訴する見通しです」
裁判長「では次回はその点(余罪)の検察官の立証ということで、期日は指定された12月22日の1時30分になりますので、被告人は出頭して下さい。終わります」

 被告人は弁護人に小さく一礼し、検察官にも「ありがとうございます」と言って退廷していった。傍聴席に目を向けることはなかった。

 重大事件の割りに、人がまばらで、こじんまりとした感じだった。

報告者 insectさん


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