白洲信哉 SHIRASU SHINYA OFFICIAL WEBSITE


平成21年12月25日(金)
「アートコレクター」誌(No.18)に、“小さな宇宙「手のひらアート」の世界〜「白洲信哉さん コレクション拝見」”が掲載されました。





平成21年12月24日(木)
週刊ポストに、“白洲信哉 ニッポンの神仏 新連載第1回 〜岐阜市羽鳥市 中観音堂〜”が掲載されました。





平成21年12月18日(金)

 春日大社
 一の鳥居

 恒例の?奈良春日大社おん祭りにお参りする。春日大社の秋田さん、NHKの川良さんのご好意で書いてはならないものをみてしまった。真髄とでもいおうか。物凄い物の怪の誕生だった。その晩は一緒に参拝した石原延啓くんや、輪島の赤木さんと朝まで語り合う。寒いけど充実した祭りだった。

 帰路小田原でおりこちらも恒例の辻堂「うな平」へ。年に一度のウナギだけど、おん祭りに参拝しここのウナギを食べると年末の実感が沸いてくる。

 年末を師走というが本当に慌しい。時局も同じようである。普天間も結局先延ばしだった。やりたい気持ちはあるけど、政治力がないというなんとも情けない。時間があるからできるというものではない。小泉元首相の北朝鮮訪問を実現させた外務省の田中元審議官が普天間返還でも辣腕をふるったのであるが、大所からみて物事を冷静に運べる人でないと無理であろう。沖縄は米国にとって地政学的にも予算的にも最高の場所で、そんなところを簡単に手放すはずがない。どこに移すとか、県外とかグアムとかではなく、方向性とは「基本的に日本国に駐留軍がいるのか否か」という大転換を提示することではないか。今回のことで米国に不信感が積もるというけど、そんなに嫌なら出て行けばいい。それぐらいの腹が首相にあればたのもしいのだが。

 中国の副主席の問題も、意味のない騒ぎである。「内規」は「内規」でしかないし、「法律」は遵守するものである。当たり前のことだ。僕の仕事で同じような「文化庁の内規」のようなものに悩まされているが、法律以上の判断を役人が個々の勝手な判断を加えることの方がこわい。九条の拡大解釈もここからおこっているのだ。

 もしこの副主席が面会に相応しいか否か、が唯一の論点である。どうして日本は官僚的な前例主義でしか物事をきめられないのかな。つまらない国だ。羽毛田宮内庁長官とは以前官邸で一緒にいたことがあるが有能な内閣主席参事官だった。でもね、かれは厚生省の審議官出身であり、なぜ宮内庁長官が務まるのであろうか?そんな役所の一つのポストとして形骸化していることのほうがもっと問題である。これを「政治的利用」とかいうかたがいるが、陛下が平素いかにいろいろなことに尽くしておられるか、ということを考えていうべきだとおもう。

 友人の茂木さんがNHKの番組を降板すると新聞にでていた。これもなんだか悪い人、という空気がつくった世論が原因である。わずか八百人の人の意見が通るという、事なかれ主義の国営放送ならではの結論だ。かれをみれば善人か悪人かわかるではないか。故意か作為があるかわかるではないか、本当に情けない。まあまあこれから気をつけなさい、というおおらかな精神はどこにいったのであろうか。副主席のことだって、そんな程度のことだろう。もっと大事なことが置き去りにされて、時間を浪費することは許されないと思う。もっともっと「異例」を重ね混沌へ進もうではないか。


 おん祭り
 細男


 神楽
 


 だだいこ
 


 舞楽
 


 最後の舞い
 





平成21年12月14日(月)
週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 最終回 〜羽黒山 松例祭〜”が掲載されました。





平成21年12月12日(土)
青山二郎の眼力」12月10日に6刷になりました。ご愛読に感謝します。





平成21年12月11日(金)

 星宮神社
 本殿

 今週は、週刊ポストの連載がテーマをかえ継続することになり取材に出ている。カメラマンの太田さんと酒井さん,いつもの面々で新幹線の岐阜羽島駅で降りる。ここが出来た当時はあの銅像しかなかったんですよ、と太田さん。みるとこの地に無理やり新幹線を誘致した地元の政治家のものだった。時折、関が原が雪のため遅れることがあるが、東海道を通っていたらそんなことは少なかっただろう。昔の政治家は豪快だったとか、大物だったとか言われるけど本当にそうなんだろうか?でも、少なくても今のようにこまこました思考ではなかったようには思う。

その銅像よりひときわ大きなものがある。円空誕生の地というモニュメントである。岐阜羽島駅近くのその地に向かう。中観音堂は想像以上の立派なコンクリート作りの建物だった。木曽川と長良川にはさまれたこの周辺に円空仏が多く残る。これについては新春号より「神と仏を巡る(仮題)」として「日本の流儀」と同じページで始まります。お楽しみに。

それから美並、美江寺、横蔵寺、谷汲を巡り近江に出て京都へ着いた。今週はずっと腹の調子がすぐれず、昨晩もこんな時は休めと言っている気がしたので、文久の藤田さんのお誘いも断り原稿を書いていた。今日はこれから古都逍遥の庭の撮影である。紅葉で有名な曼殊院なのだが、もう盛りは過ぎているだろう。ゲストはヴァイオリニストの川井郁子さんです。


 美並ふるさと館
 円空仏


 再び石塔寺へ
 いつ見ても美しい





平成21年12月1日(火)
家庭画報に「生誕100年に向けて:祈り−白洲正子が見た日本人の信仰〜第十回」が掲載されました。





平成21年12月7日(月)
週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第46回 〜五島のクリスマス〜”が掲載されました。





平成21年12月4日(金)

 京都からの帰り
 三上山を拝む

 あっという間の慌しい1週間だった。昨日は六波羅蜜寺の川崎山主のご好意で、西国三十三箇所の札所会総会で、「白洲正子展」の協力をお願いする。NHKの内海さんと吉田さんが同席する。日帰りだったけどあまりにせわしいので、古美術の柳さん、大吉さん、そして錦市場の丸弥太に顔を出したら、いつ送っても留守で、かわいそうだからと「お歳暮」といって甘鯛を一匹もらった。今、半身を刺身にして、半身を焼いて、頭はご飯と蒸し焼きにして一匹堪能した。満腹になり日記を書いている。京都は楽しみが凝縮しており、雨の中街をぶらぶらしている間に、MIHOの金子さん、NHKの川良さん、春日大社の秋田さんと電話で話す。なんで京都にいるのがわかるんだろう。もう、再来週はおん祭りである。

 今週はまず月曜朝から、週刊ポストのいつもの面々と話す。この二年間「日本の流儀」本当にお世話になりました。

 その足で三渓園で行われていた「原三渓展」最終日に駆け込む。最終日だからかもしれないが、凄い人で晩秋の横浜を楽しんだ。三渓の旧蔵品は散逸したが、あそこに残る建造物は一流である。明治の実業家の奥深さを改めて思う。

 晩は久しぶりに石原延啓くんの展覧会へ行きその後飲む。なかなかよかった。(画の技法とかじゃなくて)精神的なことはやっぱり日本人なんだと安心する。これからの「deer man」が楽しみである。興味があるかたは12日まで nca(nichido contemporary art)で展覧会が開催されています。


 
 


▲郡上教育委員会主催の講演会の前に立ち寄った郡上紬宗広宅。白山長滝神社若宮宮司、市長ほか大変お世話になりました。



平成21年12月1日(火)
家庭画報に「生誕100年に向けて:祈り−白洲正子が見た日本人の信仰〜第十回」が掲載されました。





平成21年11月30日(月)
ダイナーズ倶楽部プレミアムカード会員誌「VALUES」に、“食と器 見立ての愉しみ〜第七回「日本酒」”が掲載されました。東博の「土偶」の展覧会についても見開きで書いています。







平成21年11月30日(月)
週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第45回 〜高千穂神楽〜”と“古都逍遥・庭園に遊ぶ”が掲載されました。





平成21年11月28日(土)

 晩秋の
 光滝寺

 家庭画報の取材で再び滝畑の光滝寺へ。今年は西国巡礼と白洲展のお願いと三度目である。晩秋で巡礼のときに登った槇尾山がなつかしく、夜空はちょうど半月だった。日月山水図の秋冬の一双のように撮れたか楽しみである。

 この連載最終回は「翁」と決めていたが、なかなか難しい。そんな話しを押鐘さんとしていたら、やはり世阿弥が配流された佐渡島に行かねばと。急な思いつきを、野呂カメラマンに話すと「月を撮るのに予定は空けてきたから行きましょう」という。僕も野呂さんのように六十過ぎても軽いフットワークでいたい。

 初めての佐渡島。特に能舞台は想像以上に素晴らしい。沢山写真を載せたけどまだまだ、20以上あり、年に何回か薪能などを行い使用している。世阿弥が使ったわけではないが、素地は彼が築いたんだろう。隠岐の島に流された後鳥羽上皇のことは、少し前に触れたが、ここには同じく承久の乱で敗れた順徳天皇が流され崩御された地である。

 島にはまたまだ隠れた文化があり、佐渡も隠岐も食料自給は百パーセント、しかも 余っているという。都会で忘れられた大事なこと 高度成長で食べ物は栽培と、輸入が基本となった。つまり経済活動のなかで考えられてきた。でも鶏舎で育てられた鳥たちは、明らかに卵を産む機械だしなにかあれば一瞬でなくなってしまう。

 明治まで人と獣と植物は、同じ目線で暮らし殺して食べるときも供養をし祈ってきた。アイヌの人々と熊は同列で、人が獣より上というような上からの目線ではなかった。明治の神仏分離令は、単に富国強兵というだけでなく、われわれが培ってきた精神性をもかえてしまったのである。神仏習合の美しい姿を少しでも取り戻していきたい。


 草刈神社
 能舞台


 気比神社
 能舞台


 羽黒神社
 能舞台


 大膳神社
 能舞台


 長谷寺
 三本杉





平成21年11月23日(月)

 足尾銅山跡
 

 三連休最終日、今日はなんで祭日なのだろう。一般に勤労感謝の日とされているが、GHQに改変されるまでは「新嘗祭」と呼んだ。興味のあるかたは週刊ポストに詳しく書きましたのでご参照ください。紀元節が建国記念日、明治節が文化の日、春分や秋分とかと比較して、これだけでも早急に「新嘗祭」と改めるべきだと思う。それほど大事な皇室の中でも一等の祭祀なのである。日々の勤労への感謝も大切だが、今年二十年を迎えられた陛下の、日々の祈りについても、もっと感謝すべきだと思う。戦後、皇室は政から離れたが、決して祭りごとから離れてはいけないとおもう。日本が日本として生きる最後の砦であり、根幹である。

 東京国立博物館で開催中の「皇室の名宝展」に金曜日閉館近くに行く。が、物凄い人でどうにもならなかった。会期が短すぎることも影響しているとは思うけど、諦めてさっさと帰った。奈良の正倉院展もいつも盛況だが、常時公開可能にすることを宮内庁は考えるべきだと思う。法隆寺宝物館にあるものや、三の丸にある若冲の画然り、廃仏毀釈のどさくさに献上されたもので、もともと国のものではなかった。もとに戻せとは言わないが、悪法の結果致し方ない措置だったことを謙虚に反省するべきではなかろうか。

 昨日は祖父のベントレーを所有している涌井さんに誘われて宇都宮へクラッシックカーのラリーに参加した。100kmくらいで距離はたいしたことなかったけど、日光は氷点下 いやいやこの季節オープンカーは無茶である。ずっとスキー場で直角滑しているかのような寒さだった。 途中で立ち寄った足尾銅山のあとにはショックを受けた。渡良瀬川の鉱毒事件は教科書では習ったけど、いまだに亜硫酸ガスの影響で付近の山に木は生えない。緑が無い異様な状態である。植樹のイベントがあって木を植えたけど、ウバメ樫という備長炭にする木で、育つのも遅いからほんとうにやる気があるのかとも思った。お決まりの「体験センター」とかいう箱物があって閉口する。伝えることは大事だけど、それより緑化することのほうが先だろう。どこへ行っても、役所が予算を使うと、まずは予算付けの説明にこうした箱物がつくられるけど、もうやめにしないといけないであろう。

 いまはエコ、エコと子どもまでいうけど、ベントレーのような車が究極のエコである。かれらは廃棄されないんだから。燃料電池などは10年たったら捨てられる運命だろう。5000ccもある車がハイブリッドだからといって、本当にエコなんだろうか?あれは普通にリッター何キロ走るんだろう?それに環境対応車だというので、一千万以上もする車が「減税」されるんでしょう?なんか変ではないですか?あの会社の子役が出る宣伝も、他の会社の「エコ」を連発するそれも、見る度にいらいらする。かれのせいではないだろうけど、あの子役が人気ある理由が僕にはわからない。個人の好き好きの範疇であろうけど。


 涌井ミュージアム
 に戻った祖父の
 ベントレー


 東照宮前
 の紅葉


 今市の杉並木
 





平成21年11月21日(土)
週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第44回 〜新嘗祭〜”が掲載されました。





平成21年11月16日(月)
週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第43回 〜新蕎麦〜”が掲載されました。





平成21年11月12日(木)

 崇徳上皇
 白峰御陵

 今日は今上天皇陛下即位20年だ。敗戦後の復興に尽力された昭和天皇の意思を引き継がれ、無私なる姿勢でわが国の安泰と、世界の平和をお祈りされている姿勢に心から感謝したいと思う。夕方からの記念式典を見ていて思う。確かに身近な存在になられたが、本当にこれからも「私」を押さえ、このような祭典に参加され続ける事がいいことなのだろうか?「秘すれば花」ではないけど、こういう行事ばかりだと、神秘とか権威というものが薄れていくだけのように思う。

 僕は皇室が京都にお戻りになることがいいと思っている。こういう議論をすると、「あんな寒々しい御所にお戻りになれるのか」とか言う人がある。そういうことではなく、これは細かなことでなく直感からくることである。戦後の復興を果たし、戦争のある意味責任を皇室は果たした平成の世、戦後、もっと言えば明治以降ののありかたを例外でなく見直すべきときにきているように思う。

 象徴となり「政」から離れたが、もう少し民衆とか世間とかから離れ、本来の「祭」に徹していかれることが大事だと僕は思う。京都にお戻りになると「国事行為」をどうするだとか、現実的なことが議論にもなる。僕は「国事行為」は大事なものだとは思うけど、全て陛下がやるべきことではなく、「新嘗祭」に代表される祭祀こそ、一番大切にされることだと考える。そして、「開かれた皇室」を目指すのでなく、いま以上に世界から尊敬され神秘的な「祭祀の王」としてこれからも我々を導いていって頂きたい。僕は皇居にむかい一礼する。「見える」ことが大事なのではなく、そうした心のなかで祈ることを、これからもしていきたい。それは皇室に対するだけでなく、日本の礎である八百万の神々への信仰と同じことである。

 さて、「仕分け人」、面白い新しい日本語だし、こうした新しい試みをもっとやるべきだと思う。最初から、というかいい制度とはいつも思考を働かせ改定していくものだと思う。「迅速」だとか公開処刑みたいだとか、まだそんなことを前政権のかたがたが言っているが、いまある憲法の誕生と比べたら大したことは無い。大体、家計以上の借金をして、一年暮らしていこう、という思考そのものが変なのである。後世に借金を残し、いまをぬくぬくと生きる。すべてが鈍感になっているように思う。大事なのは将来への投資で、現在を今までと同じ様な思考で生きることではない。

 象徴天皇も上記の予算のあり方も、いずれも明治の廃藩置県のような大きな将来の「国のかたち」を示す時期だとおもう。大きな方向性、それなくして細かな議論をしても何も始まらない。「小さな政府」を目指すなら、廃県置藩、するくらいの体制変革が必要ではないか。もう時間はあまりない。





平成21年11月9日(月)
週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第42回 〜焼きもの〜”が掲載されました。





平成21年11月8日(日)

 
 

 家庭画報の連載で四国讃岐に来る。昨年の金比羅歌舞伎以来だ。十月の末、家庭画報の茂木さんとの対談で、その舞台でみた市川海老蔵さんが、僕とちょうど一回り違いの同じ誕生日だったという話しを思い出す。この前、ロマネスク美術を撮っている六田さんからも、貴方とは同じ誕生日みたいだから今度呑みましょうというメールがきた。何だか不思議な縁。祖母と西行との縁も、大磯に西行が詠んだ歌の場所があるということと無縁ではないだろう。時間を共有したり、人との出会いもやはり縁だから大切にするべきである。

 丸亀に泊まり翌朝カメラマンの野呂さんと坂出駅で待ち合わせ。本当にいつも子どもみたいな笑顔の素敵な野呂さんと、編集の押鐘さん三人でまずは崇徳上皇の白峰宮は行く。朝早くから揃いのお遍路さん姿で般若心経を唱えている一団に会う。この旅ではどこでも沢山の四国巡礼のかただたに出会ったが、僕はどうも好きになれない。なんで御揃いで団体なんであろう。そうした旅を僕は好まないし、「ご利益」を求めて這いずり回っているようにもみえる。西国巡礼は場所も清潔感があるし、少なくともバスで乗り付ける団体は少ない。同じ巡礼なのにと考えさせられる。

 さて、この宮の横には上皇が亡くなって、腐らないようにつけられていた泉があった。朝なのに逃げ出したくなるような泉である。霊感が強い押鐘さんは車に飛び乗って「早く帰ろう」という。ここから白峰御陵がある山上で荼毘にふされたのであるが、山に登る入り口の高屋神社は、「血の宮」というし非業の死を遂げた上皇の怨霊が健在、といっては変だが葬送した後を追っていると、歴史が生きているように思う。白峰辺りに「天皇」という地名まで残っていた。崇徳上皇の死を境に、本格的な武家社会になるのだが、西行もどんな気持であるいたのであろうか?熟慮して書きたいと思う。駆け足の旅立ったけど充実していた。坂出で野呂さんと別れ、次回光瀧寺で再会を約す。日月山水図の風景を撮らねばならない。


 血の宮
 のぞき穴から
 みえる御幣


 出釈迦寺
 奥の院


▲高いとこが好きな野呂さんに誘われて車で行ったけど、あんな急坂はなかなかないです。


 西行庵から
 讃岐富士を
 のぞむ


 白峰寺
 十三重石塔
 鎌倉時代





平成21年11月3日(火)
家庭画報に「生誕100年に向けて:祈り−白洲正子が見た日本人の信仰〜第九回」が掲載されました。





平成21年11月2日(月)

 軽井沢
 紅葉

 新生ふじおかは黒姫同様わかりにくい場所にある。長野市内から戸隠高原の方向へ行き飯縄高原のスキー場の近くの別荘地に新築された。ご主人と奥様が笑顔で迎えてくださる。今年は例年とちょっと違うように思い伺うと、黒姫の蕎麦の収穫が遅く、今日のそば粉はこの近く飯縄の小学校でとれたものだという。それでも充分にうまいけど、僕は黒姫の方がいいと思った。といいながらヒガンを飲み、ざるも三杯食べた。信州は紅葉真っ盛りだった。

 ちなみに先の小学校は、前の作家の知事さんの時に認可された県唯一の私立小学校という。普通に机を並べ黒板があるのではなく、野外活動を基本とするそうである。県外から通う子どももいるそうだ。もっと地方の事情にそくしたユニークな学校が増えればいいと思う。兵舎のような箱型の建物に体育館など、環境からして画一化。学習指導要領に代表される均一化された制度はもう限界がきているように思う。やっぱり文部省はいらない!教育こそ地方分権を即するべきだと思う。





平成21年11月2日(月)
週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第41回 〜千年の都〜”が掲載されました。





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