東京・奥多摩で、半世紀以上ハンターとして活動してきた酒井満平さん(76)が引退し、愛用の猟銃を所持証とともに警視庁青梅署に返納した。かつて、クマ猟を生業とする「マタギ」がいた時代を知る最後の世代。駆け出しのころには、先輩とともにクマを求めて山々を駆け、ツキノワグマを仕留めたこともある。
酒井さんが狩猟免許を取得した1953年、約150人の猟師がいた。戦前から「マタギ」としてクマ猟を続けてきた猟師も何人か残っていたという。なかでも、約30年前に亡くなった大野友平さんは「神様」と呼ばれ、今も猟師で知らぬ者はいない。奥行き5〜6メートルもあるクマの穴にもぐっていって仕留めたり、一人で運べない大型のクマを見つけたときは、太い木の幹で穴をふさいで一晩閉じ込め、翌日に応援を呼んで衰弱したクマを撃ったという。
酒井さんも70年12月には、奥多摩湖から南へ約1・5キロ入った「小沢山」で、体長約1・5メートル、体重約50キロのツキノワグマと出くわし、約3メートルの至近距離から仕留めた。「あの時はさすがに頭が真っ白になった。よほどの度胸がないとクマは撃てない」。今でも一番の自慢だ。
現在、東京都猟友会奥多摩支部のメンバーは約30人いるが、ほとんどがクマ撃ちの経験がない。しかも、「絶滅の恐れがある」として、都が昨年、ツキノワグマの禁猟に踏み切ったため、今後は撃つこともないだろう。酒井さんも足腰を痛め、6月に引退した。
「撃つ時は、クマより高い位置にいないとダメだ」「子連れが一番凶暴なので避けた方がいい」。酒井さんは、先輩から多くのことを教わった。しかし、もう後輩に教えることはない。【袴田貴行】