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☆★☆★2009年12月26日付 |
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鳩山首相の、献金疑惑に対する釈明記者会見を聞いていて、この人ほど政治家に不向きでありながら政治家となり、おまけに首相の座に上り詰めてしまったというところに「運命のいたずら」を感じてならなかった▼政治家の家に生まれ育ったことで二世議員となるという確率で物事を考えると、鳩山さんの前までの麻生、福田、安倍三代首相の例を引くまでもなく、政治家の家系というレールが敷かれそれに乗ったらいつの間にかトップになっていたというのは何の不思議でもないように思える。鳩山さんの場合もまさにそれだった▼野党時代からの言動を見ていて、この人にはバックボーンというものがなく、おそらく八方美人的にその場その場を処理して行くに違いないと見ていたが、実際、首相となっても軸足が定まらずにいる。しかしご本人は誠心誠意尽くしていると思っているにちがいない▼要するに世界観、宇宙観が違うのである。故人献金≠ノしろ母親からの小遣い≠ノしろそれが道に反しているとは考えない。育ちの良さというものが人間を大らかにし、些事には無頓着となることを考慮に入れないでこの人を語ることはできまい。なにせ鳩山さんに対する本当の個人献金はわずか十人に過ぎなかった(産経)▼かといって金は要る。そこで「頼母子講」となった。これでは贈与となるので秘書が偽名を大量生産した―という実態はなんとも浮世離れしていて、政治というよりは人情噺の世界だ。 |
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☆★☆★2009年12月25日付 |
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経済ジャーナリストの財部誠一さんがホームページに設けている「日本の借金時計」を眺めているとそら恐ろしくなる。刻々と増える借金の額がデジタル時計式に表示されるのだが、一万円の単位が秒針の二倍以上のスピードで増えていくのだから▼昨日午前十時きっかりの時点で総額は八百八兆二千百六十五億四千万円ちょっとを示した。本日の同時刻にはどのくらい増えているのか楽しみ、いや悲しみだ。ただし、この時計は誤差があるようで、財務省が十日に発表した総額は八百四十六兆六千九百五億円となっている。内訳は国債が六百八十二兆円、借入金五十六兆二千億円、政府短期証券が百八兆九千億円(いずれも四捨五入)と泥沼状態だ▼借金の総額が過去最高に達したのは昨年三月で、それから減少に転じたが、昨年の第一次補正予算で経済対策の財源を確保するため国債を増発した結果、再び増加した。この借金を一人当たりに直すと約六百六十三万円となり、どこまで続くぬかるみぞという言葉がいやでも浮かんで来る。鳩山さんが国債増発抑止にこだわるゆえんだろう▼しかし財部さんがホームページでもらしているように、世の中が財政再建に傾くと時計への賛意が増えるが、不況になって公共投資を求める声が強まると反発されるのだという▼確かに今「誘い水」「呼び水」は必要かもしれない。だが地底に水そのものがあるかどうかは断定できない。借金はいずれ返さなければならないのだから、これ以上は増やさぬ覚悟、つまりじっと我慢が国民にも求められよう。 |
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☆★☆★2009年12月24日付 |
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先日、飲酒は心臓病になるリスクを減らす可能性を持っていると書いたら「本当だべが?」と疑問を呈された。しかしこちらが勝手に作った与太話ではなく、新聞の記事を紹介したまでで、信じるかどうかはあくまで本人次第なのである▼これもまた同様に真偽を疑われそうだが、記事にそうあっただけのことをあえて紹介するのは、多少なりとも有益になればと考えてのことである。この小さな親切を大きなお世話とは思わずにまずは読み飛ばしていただきたい。見出しに「毎日コーヒー4杯糖尿病予防」とあるように、コーヒーには糖尿病の抑止効果があるというのだ。それが事実なら、酒のみならず嗜好品には薬効があるという新説も生まれようか▼これは豪シドニー大学で行った研究結果で、毎日コーヒーもしくは紅茶を四杯飲むと、2型糖尿病を患う確率は25〜35%低減できるという。今後の研究で健康への効果が確認されれば、医師が「もっとコーヒーを飲みなさい」と勧めるようになるかもしれないと記事にあって、コーヒー飲みは思わぬ余慶にニンマリするはず▼一日に四杯以上は必ず飲む小欄がこの記事を見つけて快哉を叫んだのは当然だが、すぐ待てよと考え直した。コーヒーはコーヒーでもそれはあくまでブラックを前提にしてのことで、砂糖ありミルクありは論外ではないかと▼それはそうだ。糖尿というからには糖が原因なのだ。にもかかわらず、砂糖入り、ミルク入りで効能だけを期待するなどあまりにも虫が良すぎる。ニンマリがすぐシュンとなった。 |
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☆★☆★2009年12月23日付 |
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「最後は私が決める」と公言した鳩山首相がどんな決断をするか注目していたが、さすが二・五兆円という財源をパーにはできなかった。それにしても暫定税率が廃止されるのに、今度は形を変えて「恒常税率」になるというのはマジックを見ているよう▼「マニフェストを守るべきか否か─それが問題だ」と悩み抜く鳩山ハムレットの前に現れたのが小沢マキャヴェリ。「なあに、それが国民のためになるのなら暫定税率は継続すればいい。子ども手当だって所得制限した方が出す金が少なくて済むさ」と肩を叩かれ、この助け船でハムレットは勢いを得た▼しかし体裁にこだわるのが乳母日傘育ちの育ちたるゆえん。塩味だけでいいのに一匙砂糖を加えて「問題の暫定税率は廃止することに決めました」とやったものだから周囲がざわめいた。まさか殿はご乱心あそばれたのでは?と家来たちが心配するのも無理はない。だがさすがハムレット。見事な換骨奪胎をやってみせた。形式は廃止、実質は存続というウルトラCだ▼廃止になればガソリンはリッター当たり二十五円安くなる。運送業界などこれに期待をかけていたのだが、見事にうっちゃられた。小欄だってその方がいい。しかし財源確保のためには耐えがたきを耐えよう▼だが、子ども手当を一律支給するというお坊っちゃま的発想はどうだろうか。「金持ちに追銭」などという言葉はないが、所得制限があって当然だろう。年収の上限も下げ、支出を削減すべき。仕分けが必要なのは首相の考え方だ。 |
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☆★☆★2009年12月22日付 |
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今年もあと十日を残すのみとなった。それにしても「光陰矢の如し」とはよく言ったもの。その一年だが、またも一寸の光陰を軽んじてしまい得たものはほとんどなかった▼師走は懺悔の月でもある。年初に色々と計画を立てその通り実行しようと最初は意気込むのだが、気がついてみると途中で放り出したり諦めたりして結局は針ほどかなっておしまいである。それでも大病を患うこともなくまずは健康でいられたことが最大の収穫であろう。これ以上の幸せはない▼実は昨日同級生の葬送に立ち合ったばかり。朝のウオーキング途中の彼に自宅前で何度も出合い、だからこそ元気だとばかり思っていたのだが、後になって入院したと聞かされ信じられぬ思いでいた。古希まであと二年。みんなと共に祝い合いたいと思っていたのだが、ここに来ての訃報は残念だ▼師走に入りなぜか忘年会はじめ宴会が丸一週間続いた。何年ぶりかのことで、あの時と比べたら体力も肝機能も相当低下しているはず、少し控えめにしようと考えていたのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。こんな不況時こそせめて飲み歩き、景気回復のために貢献しようという気になったからだ。むろん酒の力による変心▼スケジュールを消化し終えた日曜日はなかなか起きられなかった。肝臓が悲鳴を上げた証拠にまぶたが腫れ、全身にけだるさが残っていた。師走は尋常な月ではない。早く正月に引き渡してくれ。 |
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☆★☆★2009年12月20日付 |
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政治家には「清濁併せ飲む」度量が必要かもしれないが、しかし濁の方は度を越さぬことが肝心だ。その意味で小沢さんはその境界を見失ったのではないか。問題がないのになぜ公設秘書が逮捕されたのか、その説明責任を問われてもだんまりを決めこんでは疑惑を肯定することにつながろう▼公設秘書の初公判で秘書は「西松建設からの迂回献金とは思っていなかった」と無罪を主張したが、検察側は「天の声」があったことを冒頭陳述で指摘した。どちらが正しいのかは裁判で明らかになるだろうが、李下に冠を正したからこそ疑われるわけで、かりに無実が立件されたとしたらこれは見事な冤罪だろう▼こんなことを書かねばならないのは残念である。わが岩手の、しかも将来は総理と目された逸材にまつわる疑惑が報じられるたび、なぜそんな禍根を残すのかと節操について考えてきた。「好漢自重すべし」とは小沢さんのためにあるような警句で、自重しておれば間違いなく善幸さんに継ぐ本県出身総理だった▼そんな期待を次々と潰してきたから「壊し屋」という異名まで奉られたが、それはそれとしてやはり身辺は清潔に保つべきなのである。政治には金がかかる。そのためには時に誘惑にかられる局面があるにしても、法は法である。政治家なればこそその遵守はなおさらだ▼いずれ裁判が白黒をつける。それまでは沈黙を守るというのは「剛腕」らしくない。どんな場でもよい。堂々と申し開きをすべき時だろう。 |
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☆★☆★2009年12月19日付 |
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怒鳴られ、こづかれ、叩かれて育った世代には、「ほめて育てる」のが現代流育児のコツだといわれてもピンと来ないが、確かにほめられて悪い気はしない。そんな今流をテレビが伝えていた▼なるほど幼児を育てるのに「いい子、いい子」「よく出来たわね」といってほめることは意味がありそうだ。俗に「三つ子の魂百までも」というが、この時期すでに人格形成の萌芽が出来上がっていることは学説として定着している。だからこそ「赤ん坊だから」と甘く見てはいけない。相手も親を見ているのである▼番組は、赤ん坊をほめる育児法だけでなく、大人の世界でもその応用によって企業の実績を上げた例や、たがいに相手をほめてハッピーな気分を味わう会合の様子などを取り上げていたが、なるほどその効用は理解できても、ただほめ合うだけでは互いに傷をなめ合うのと似て、果たして実用になるのだろうかといささか疑問を禁じ得なかった▼昔の親は「性悪説」に囚われていたのだと思う。人の性は元々悪だから教育によって善導しなければならないと。だからこそ「その根性を叩き直してやる」などと鉄拳を加えたり、時には焼き火箸でおどすなどの荒療治も辞さなかった▼現代は「性善説」が主流なのだろう。せっかくきれいな心で育ってきたのだから、それを傷つけてはいけない、叱る前にまずほめよというわけである。しかしそれも程度問題だろう。ほどよくほめてほどよく叱る―どちらにも傾きすぎず中庸を重んじる。平凡だが教育とはそんなところではなかろうか。 |
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☆★☆★2009年12月18日付 |
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「無い袖は振れぬ」というたとえを鳩山内閣は今しっかりとかみしめているに違いない。理想と現実とはかくも隔たりがあるものかと。しかしこの言い回しを開き直りや捨てぜりふにはせず、率直に見通しの甘さを認め、次のための自戒とすべきだろう▼来年度予算に対し政府に要望する民主党の重点項目がまとまった。あれほど大見得を切って廃止を叫んでいたガソリンなどの暫定税率を結局は維持とするという方針転換にはいささか驚かされるが、これによって二兆円余の財源が確保されるとなれば「背に腹は代えられぬ」やむなき選択と同情すべきだろう▼目玉の「子ども手当」では一律支給の予定を変更して、所得制限を設けるべきとの提案となった。確かに一律は公平だが、それには先立つものが要る。だからこそ原則論がかすんで妥協案が勢いを得た。ばらまきと疑問符のつけられた同党の選挙公約だが、約束通り履行するとなれば国債の大増発は免れず、見直しを迫られたのは当然だ▼それにしても思うにまかせないのが金策というものであろう。鳩山政権は当初、埋蔵金の発掘やら無駄遣いの削減、自民党時代の補正予算の見直しなどで新年度予算の財源は十分確保できると踏んでいたようだが、フタを開けてみたら米びつは空だった▼国家財政とは言ってもその原理は家計と選ぶところがない。足し算だけで引き算のないやりくりの結果は明らかなのにまだ見栄を引きずっている。「公約違反」大いに結構。まずは足許を固めるのが先決だ。 |
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☆★☆★2009年12月17日付 |
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いささか旧聞になったが服飾デザイナーが考えたという新型マスクに感心した。発想が素晴らしいのである。機能性にひと味加えたこのようなセンスが他の分野にも生かせるのではないかと思ったのだった▼新型インフルエンザの流行で今年ほど爆発的にマスクが売れたことはなかったろう。一時は品切れが相次ぎ、マスク売り場に長蛇の列ができあがることもあったほどだ。地味な商品が打ち出の小槌と化したのである。しかし機能性はともかく、マスクというものはなぜああも無味乾燥なデザインであろうか▼前々からそう考えていたからこそ、その斬新なデザインに意表を衝かれたのだ。それは顔の形をしたマスクなのである。つまり鼻から下半分のフォルムを模したもので、仮面の上半分を取り去った格好といえば理解しやすいだろうか。たとえは悪いが、死者の顔を石膏でかたどる「デスマスク」の下半分を布で作ったようなものだ▼機能の他に美的要素を加えたものだから当然美しい曲線を持っていて、試着したタレントやアナウンサーがいっそう美人に見えた。整形するにしろプチ整形するにしろ金はかかるが、これならマスク代だけで変身できる。だからこそ生産が追いつかないとかで、なるほど当地で見かけたことはない▼物というものは単に実用性を追うだけではなく、工夫によって新たな付加価値を引き出すことができるのだというヒントを得て、デザインの重要性というものを改めて知らされる思いがした。 |
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☆★☆★2009年12月16日付 |
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中国の習近平国家副主席と天皇陛下の特例会見を鳩山政権が設定するに当たり「一カ月ルール」という慣行を無視したとして論議が巻き起こっている。会見の申請期限を政権の一存で変更したためで、特定の国だけに便宜を図ることの是非が問われている▼このルールは六年前陛下が体調を崩されて以来尊重されてきたもので、陛下が会見に応じられるためにはそのぐらいの余裕期間が必要とされたものらしい。いわば慣習法のたぐいである。法律でこそないが、ルールというものが尊重されなければ社会は円滑に機能しな い▼次の国家主席と呼び声の高い習氏の来日に当たり中国政府は陛下との会見を希望し申請したが、その期限を過ぎていた。しかし中国との関係を重視する政府はそこを斟酌しんしゃく≠オ、宮内庁に働きかけて例外を認めさせた。その経緯を羽毛田宮内庁長官が明らかにしたため、陛下の政治利用にあたると野党からだけでなく与党からも非難が集まった▼これに対し鳩山首相は「しゃくし定規」と立場を正当化、小沢幹事長も「三十日ルールは法律 ではない。一部局の役人が内閣の方針に反してものを言うなら辞めてからにしてもらいたい」旨の発言をして政権を援護したが、いかなる国に対しても平等であるべきという理念を無視しての弁解は強弁に過ぎまい▼「例外なき法律はなし」というが、それは人間がつくったものである以上、完全はないからだ。ルールも同様だが、都合のよい解釈が正当化され勝手に例外を作ら れてはかなわない。 |
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