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                                          2005/07/17の礼拝説教
  高貴な人

   箴言4:1〜9
   Tペテロ5:6〜7
   ルカ1:46〜55                  皆川尚一牧師
子供らよ、父の教を聞き、
悟りを得るために耳を傾けよ。
わたしは、良い教訓を、あなたがたにさずける。
わたしの教を捨ててはならない。
わたしもわが父には子であり、
わが母の目には、ひとりのいとし子であった。
父はわたしに教えて言った、
「わたしの言葉を、心に留め、
わたしの戒めを守って、命を得よ。
それを忘れることなく、
またわが口の言葉にそむいてはならない。
知恵を得よ、悟りを得よ。
知恵を捨てるな、それはあなたを守る。
それを愛せよ、それはあなたを保つ。
知恵の初めはこれである、知恵を得よ。
あなたが何を得るにしても、悟りを得よ。
それを尊べ、そうすれば、
それはあなたを高くあげる。
もしそれをいだくならば、
それはあなたを尊くする。
それはあなたの頭に麗しい飾りを置き、
栄えの冠をあなたに与える」(1〜9節)。

家庭教育の大切さ
  「子供らよ、父の教えを聞き、
  悟りを得るために耳を傾けよ。
  わたしは、良い教訓を、
  あなたがたにさずける。
  わたしの教を捨ててはならない。
  わたしもわが父には子であり、
  わが母の目には、
  ひとりのいとし子であった」(1〜3節)。

 聖書は、すべての教育の基本は家庭にあると教えています。
これは神様からの知恵でありす。ここにはソロモンが「子供らよ、父の
教えを聞き、悟りを得るために耳を傾けよ」と呼びかけています。彼も
その父ダビデから教えられ、その教訓を守って生きた結果、神様の知恵と悟りを絶えず求めて高貴な人となりました。ただ、成功と繁栄の高みに登りつめてから、父の教えを捨てて堕落したのです。

 わたしも、少年時代に、日本のある詩人の詩を読みました。

  父は子に、教えていわく、
  「わが子、こころせよ。
  門を出ずれば、敵あり七人」。
  その子は老いぬ、父となりぬ、
  教えていわく、
  「わが子、こころせよ。
  門を出ずれば、敵あり七人」。

 この詩を読んだとき、わたしは「この世の中には敵が多いから、わが家から一歩外に出たならば、決して油断してはならない」という教訓を得たのですが、それにしても、「なぜ七人なのかなあ?」と疑問に思いました。それはずうっとあとになって分かったことですが、七は聖書では完全数であって「ことごとく」とか、「全て」という意味だということです。
従って、「周りじゅうみな敵だと思え」ということでしょう。イエスさまが弟子たちを世に送り出すときに、「わたしがあなたがたを世に遣わすのは、
羊を狼の中に送るようなものだ。だから、蛇のように聡く、鳩のように
素直であれ」と言われたのと似ています。

 毛利元就は三人の子供を呼び寄せて、「矢は一本ずつでは折れ易いが、三本合わせればたやすくは折れない。父なき後は、三人が力を合わせて敵に当たれ」と教えました。この家訓を守った結果、毛利、吉川、
小早川の三家は結束して栄えたのです。多分、この元就の教えは伝道の書第4章12節の「三つよりの綱はたやすくは切れない」から来たものではないかと思われます。

 また、父の教えだけでなく、母の教えも大切なことは箴言第一章から取り上げられており、ここでもソロモンは「わたしは母のいとし子であった」と告白しています。彼も母の教訓を身に付けたのでしょう。

 日本でも、幕末の動乱のころ薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)公は英明の誉れ高き君主でした。この人を育てたのは母の賢章院でした。当時の大名家では子育ては乳母に任せることになっていましたが、賢章院は
十七歳で鳥取の池田家から島津家に輿入れして、夫斉興(なりおき)の
貞淑な妻であると同時に、母として子供たちの養育に直接携わりました。特に嫡子斉彬の教育には愛情こめて厳しい姿勢で臨みました。
守り役の長崎良衛門が見かねて、「漢籍の教授の折りには、
少しは褒め言葉をかけられては」と進言したところ、歌を詠まれました。

  光りなき石とみなして心もて
  磨きあぐれば玉となるらん

 そして、その子斉彬公も母の心に応えて励みました。

高貴な人
 次に、7節以下を見てください。

  「知恵の初めはこれである、知恵を得よ、
  あなたが何を得るにしても、悟りを得よ。
  それを尊べ、そうすれば、
  それはあなたを高く上げる、
  もしそれをいだくならば、
  それはあなたを尊くする。
  それはあなたの頭に麗しい飾りを置き、
  栄えの冠をあなたに与える」(7〜9節)。

 ここで、「知恵の初めは知恵である」とは、どういう意味でしょうか?

 「初め」とは時間的な意味のほかに、順序という意味があります。
つまり最も基本的な知恵、全ての土台としての知恵という意味です。
それは神様の知恵を指しています。神様に聞くこと、神の知恵に従うことが人を高めます。

 西暦紀元前第五世紀のギリシャの哲学者ソクラテスは、神の声に耳を傾けながら市場や街頭で人々を教えました。彼には聖書がなかったのですから、直接神の声を聞くほかなかったのです。彼は知恵の初めは
「自分の無知を知る」ことだと言いました。「おれは知っている」という高慢な心は、自分自身で一杯ですから、何も悟れません。しかし、「わたしは何も知らない」と悟れば、謙虚な心で、神の知恵を求めるようになります。彼は人が天界からこの世に来たことを知っていましたから、どの人の心の中にも天界で得た神の知恵が眠っていると考えました。だから眠った知恵を呼び覚まし、思い出させるために対話術を用いました。
彼はそれを産婆術と言いました。ソクラテスは若者を惑わした罪で起訴
され、弁護人をみとめられず、501人の陪審員の無記名投票の結果、死刑賛成361票で死刑と決まりました。しかし、彼は国法に従うことを
自ら実行するために、異議を唱えず、毒杯を受けました。有名なプラトン初め、彼の弟子たちはソクラテスを高貴な人の模範として敬ったのです。

 このような、有名な人ばかりでなく、無名の高貴な人もいます。

 軽井沢に住んでいた塩浦万平さんは、大工家業を引退してから、毎日のように「神の福音」というパンフレットを持って、財産家や政治家や学者などの家々をまわって伝道して歩きました。有名な京都大学の田辺元博士はこの塩浦さんのことを、「あんな人は見たことがない、高貴な人だ」と言ったそうです。

 神様の知恵を大切な何物にも優る宝として胸に抱いて生きる人は、
無冠の帝王のように「高貴な人」となれるのです。これに対して「卑しい人」というのは、神の知恵よりも、金銭や財宝やこの世の欲望にとらわれ、いつもそればかりに心を用いる人です。わたしたちは皆、天界から降りてきた尊い霊魂ですから、自分を大切にして尊く生きて行きたいと
思います。                                アーメン

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