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2009-12-25 19:52:33

ねぇ、入院ってそんなに悪いこと?

テーマ:

彼がご機嫌斜めなことは触れたが、今は斜めどころか、明らかに冷たい。

私がちょっとしつこめにメールをしたら、いつもだったら心配してくれるのに「眠いから寝ます」と送ってきて、連絡が取れなくなった。

どうして急に冷たくなるの?

これから新年を迎えようと言うのに。

今日はクリスマスだと言うのに。

急に自宅を訪れてくれるくらいのサプライズがあってもいいのに。

私は昨日、彼の冷たさにショックを受け、解離した。

Kさんに過激メールを送っていた。

「死にたいです」と。

記憶にない。

今日は彼から1通だけ。

夜も連絡なし。

そんなに私が入院することが不満?

私が「入院するかもしれない」と言った時の反応は「知らん」だけ。

こういう時こそ、いたわりの言葉が欲しいのに。

入院報告する前日は、電話も彼からかかってきて、私が睡魔に負けて、切らせてしまったようなもんだった。

今日はクリスマス。

彼、何しているの?

私は一人ぼっちだよ。

寂しい気持ちでいる時、ケアKから1月の依頼の返答が来た。

多分その内のほとんどが受けられないであろう支援だけに、なんで来月はこんなに埋まってるんだろう・・・と悔やまれる。

入院を受け入れたつもりだった。

パパもママも受け入れている。

でも周りは余り・・・のような気がしてならない。

誰かに言って貰いたい。

「ゆっくり休んでおいで」と。

K先生も入院が悪いことだとは思っていない。

S先生も。

ただ長くなると、甘えが出てしまうから良くないと言うから、自分から1ヶ月にして欲しいと言った。

病院側は受け入れているのに、彼が反抗的だと、私はすんなり入院出来ない。

年末には彼とカウントダウンをして、初日の出を見に行く。

そんな計画だってあるのに、いいの?このままで。

とにかく彼から優しい言葉をかけてもらいたい。

だってクリスマスだから。

もしかしたら、変わらない普段の彼なのかもしれない。

考え過ぎであって欲しい。

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2009-12-24 20:10:35

入院に決まりそう・・・

テーマ:病院

病院に着くまで、入院しないつもりでいた。

入院の話が出ても、拒否しようと思っていた。

でもIさんと話し、S先生の心理カウンセリングになった時、S先生が「ショートも移動支援も、一時的に止まるだけで、すぐに復活できる。入院して一端悪くなるのは、みんな覚悟しているから大丈夫」と言われて、すごく迷ってしまった。

「入院って手段もあるのよ」と言われて、誘導尋問にあったような感じだった。

そうか、入院もアリなのか・・・と思い始め、パパにそのことを伝えると「パパは3月がいいと思っていたけど、K先生と相談した上で決めたのなら、何も反対はしない」と言われて、決定打になってしまった。

K先生の診察でも、いつもは入院となると渋るくせに、とんとん拍子に話が進んで、「いいと思いますよ」と平然と言う。

「だから余り予定詰め込み過ぎないでって言ったのに」と言われて「じゃあ、前みたいにK先生にストップかけられてたほうが良かったのかなぁ」と言うと「ううん、違う。失敗して学んでいくんだよ。だから入院しても大丈夫なんだよ。自分で感じないと」と言われた。

急性期病棟の保護室に1ヶ月~1ヵ月半だそうだ。

病棟の話まで出て、すっかり入院は決まってしまった。

でもいつになるかは決まっていない。

とりあえず、年末年始は無理らしい。

それと2月は避けて欲しいというお願いは聞けないと言われた。

ピューロランドのチケットは来年の7月までだから、2月を過ぎてもいいか。

K先生の話によると、なんとなくだが、1月半ばから下旬になりそう。

半ばにあるO里のショートは行けそうな気がする。

O里にも電話をしてみたら、キャンセル料は取られるけど、直前まで待つと言ってくれた。

どっちにしろ、1/7の新年の診察まで待たないと、何も分からない。

なんか急な展開だ。

入院するなんて考えていなかったのに。

彼は少々ご機嫌斜め。

それはそうだろう。

今まで支えてくれてたのに、入院してしまうのだから。

でもね、彼、入院は悪いことじゃないんだよ。

ちょっとお休みに行くの。

責めないで分かってね。

私にはやっぱり入院が必要なんだと。

S先生は、入院のことより、ママが日記を読ませていることに、気がかりみたい。

私がどう変化してしまうか。

動揺しないか(してるが・・・)


2009-12-23 20:03:33

親孝行ってどうするの?

テーマ:自分のこと

私は親が憎いわけではない。

10代の頃から心配・迷惑をかけてきた。

それは今読んでいるママの過去の日記からもよく分かることだ。

過去の日記を読んでいて、犠牲者は弟とママだなと思った。

パパは家庭を省みない父親だった。

「そんなことは母親の役目だろ」が口癖。

ママと弟は、学校へ行かない私と、ふてくされて寝てばかりいるパパの間に挟まれて、抱き合って泣いていたという。

その日記を読むのには覚悟が入る。

どうしても泣いてしまう。

自分も辛かった。

今思うと、完全に鬱病の不登校だ。

部屋から出てこない、何も食べない、何もしゃべらない、寝ているだけ、学校の終わる時間になると活動しだす、自分もあの頃は苦しかった。

ママに心配かけているのを分かっていたけど、自分の心と体の異変についていけなかった。

日記には赤字で「ゆこたんが成人して、心が安定したら、この日記を読んでもらいたい」と書いてあった。

いつも学校へ行きやすいようにと、行く当てもなく、自転車で家を出ては泣きながらペダルをこいでいたと言う。

知らなかった。

私は表情がなく、死人のようだと書いてあった。

パパはお金のことばかりうるさく言っていたみたい。

その日記を読んで、私は彼の前で泣いた。

「ごめんね、もうすぐ泣きやむから」と言って。

彼にも「親孝行の意味を分かっているか」ときつく言われた。

親孝行は大事だと思う。

この歳でまだすがりついているのもおかしいと思う。

本当は施設でもいいから、家を出たい。

でもそれはさせてくれない。

親が見ると言う。

一緒にいるとダメだと私は思う。


今日は休息日だった。

ちゃんと休んでいた。

寝ることも出来たし。

おもらしをしてしまい、洗濯をしていたら、ママから電話があったので、パソコンの立ち上げを早くする方法を聞いてきて、とお願いしたら「ゆこたんが来なくちゃ分からないから、今迎えに行く」と言う。

私は今日は休息日なのに・・・

外に出ないつもりだったのに・・・と思いながら、ママに話すと「ちょっと出かけるくらいは大丈夫」と言う。

でもそれがいけなかったのだ。

行った電気屋さんで、すぐにママとはぐれてしまった。

マウスを買う予定だったのだが、マウスを持っているのはママ。

なんで突然いなくなるの!!

憤りでいっぱいになり、外の入り口で待っていた。

迷子になったら、振り出しだろうと思って。

でもママはパソコンコーナーにいた。

そこで私はパニックになった。

「どうして勝手にどこかに行っちゃうの???なんで勝手にはぐれるの???マウス持ってるのママじゃん。私動けないじゃん!!いい加減にしてよ!!!」と店内を突き抜けるような声で叫んだ。

ママは圧倒されていて、何もしゃべれずにいる。

そこへパパが来て、「まぁまぁ落ち着こう」と言ってくれて、収まった。

でも家に帰ってからも「なんでカギ開けてくれないの???!!!!」と叫んだ。

近所中に響き渡る声で。

もう止まらなかった。

家の中でもパニックは続き、わーーーーー!!!!っと叫んだ。

やっぱり出かけなければ良かった。

ちょっとパソコンのこと聞く位出来たよね?

私も自分にブレーキかけられなかった。

あんな日記を読んでいながら、親に対してまともな対応が出来なかった。

自己嫌悪。

やっぱり入院の時期なのかなぁ。

明日入院の話をすることになっているけど、K先生はなんて言うだろう。

頭が痛い。

2009-12-21 16:55:32

自暴自棄

テーマ:自分のこと

昨日の夜、彼と電話した。

電話の前に、入院していた頃の記録を読んでいた。

自分でそろそろ限界かな・・・と感じていたのだ。

それで入院のことも眼中にあった。

でも彼の日記を読んでいたら、入院してまた離れ離れになることの辛さが感じられ、どうしたらいいか分からないでいた。

彼の電話でも、「入院はやめたんじゃなかったの?」と言われて、どうしたらいいのか自暴自棄になってしまった。


そんな時、今日の朝、起きて洗濯しようと思ったら、ママが先に洗濯をしていた。

時間はまだ30分も残っていた。

30分待たずに、朝食を食べながら洗濯をするつもりでいた私には、一気に計画が覆され、ものすごく怒り狂った。

パニックと言ってもいいかもしれない。

パパとは冷静に相談して「もう私は限界が来ているから、3月頃入院しようかな」という話をした。

パパはダメとは言わなかった。

でも出来れば入院して欲しくないとは言っていた。

でもママが洗濯していることに頭に来てしまってからは、どんどんエスカレートしていき、更にソフランが切れていたことから爆発してしまった。

すぐに病院に電話をかけ、看護師のIさんに替わって貰った。

「K先生は今出れないんだよね。休めないか。ショートとか移動支援はいいの?今はそれどころじゃないのね。分かった。K先生にはきちんと伝えておくから。入院の気持ちは伝わったよ」と言ってくれた。

Iさんとの話で、3月入院から、1月入院に勝手に変更までしてしまった。

これについては、ママもパパもパニック状態になり、なんで?どうして?とママはまた涙を見せるし、私は怒り狂うし、ハチャメチャだった。

でもスーパー銭湯に行く計画は、変更が利かなかった。

どんな時でも変更は許されない。

ママは終始涙ぐんでいて、口を利こうとしない。

私とパパとでは喧嘩になってしまう。

それで「この話はやめよう」ということになった。

でも銭湯の中でもママは口を利いてくれない。

「勝手に行動すればいいじゃん」と言う。

パパもいつもは2回お風呂に入るのに、1回入っただけで、血糖値が急激に下がってしまい、2回目は無理が利かなくなってしまった。

でも私はまだ入りたい。

一人で2回目のお風呂に入った。

1人になったことで冷静になれたのだろうか。

移動支援・・・行きたいなぁ。

ショートステイ・・・今順調なんだよなぁ。

通所施設・・・折角決まり始めているのに。

入院していいことはないような気になってきた。

そこで2回目のお風呂を上がった時に、ジュースを飲みながら「私、入院やめようかなぁ」と言ったら、ママが即座に「そうしなよ!!そうだよ!!」とぱっと顔が明るくなった。

それからは素直に今の自分の現状を話した。

問題児であること。

アスペの会でも口に食べ物をほおばってしまったこと。

病院ではK先生にタオルケットを顔から被せられること。

そして何よりも、みんなから休息が取れてないから、発作を起こしたりしていると言われていること。

それらを全部話して、「彼にも協力してもらってるの。週に一度は完全OFFの日を作るようにって。だから入院しないためにも、ママとパパも私が休むように協力して」とお願いした。

ママは「予定詰め込みすぎなのは分かってたけど、言うこと聞かないんだもん」と言われた。

なんかものすごく素直な気持ちになれた。

ママに頼んでいたことがあった。

実は私が10代の頃から入院し始めて20代終わりまでのママが書いた日記を読ませて欲しいと。

私は家族を知らないで育ってきた。

弟がどんな状況にいたのか。

パパがなんで単身赴任になったのか。

どんな生活をしていたのか。

私はずっと病院で、どんな扱いを受けてきたのか。

余りにもむごすぎて、記憶が飛んでいるのである。

ある種、記憶喪失みたいな。

だから過去は変えられないけど、知っておきたいと思ったのだ。

それにはママの日記が確実だと。

ママは家族の悪口や、先生の悪口など、どこにもぶつけるところがなかったから、日記に全部ぶつけてあるから、読まれたくないと言っていたけど、私の力説により、今日記をどこに仕舞ったのか探してくれている。

入院は辞めようという気になったら、ますます探してくれる意思が固まったらしい。

お風呂からの帰り道は、みんな明るかった。

サザエさんみたいだった。

お風呂から帰って、洗濯物の整理をしていたら、どんなに探しても見付からなかった半分諦めかけていた、彼に買ってもらった時計が、カバンの中から出てきた。

そこは何度も探したのに。

しかもいつも持ち歩いているリュックだよ。

なくなるはずはないと思っていたけど、運気が向いてくる時ってあるんだね。

パパとママには、これからも入院というやむを得ない結果になることがあることを覚悟してもらった。

私には誰かから休息を強いられないと、休めない体質があるから。

それに入院が適しているかは分からないけど、入院という結果になることもあるかも知れないからね、と話しておいた。

パパとママは、私が「1/1から入院する」と言ったからパニクっただけで、計画立てての入院なら仕方ないと思っていると言ってくれた。

パパ、予定通り、アメ横行こうね。

彼、お正月、お泊りしようね。

そして自分に、誕生月にピューロランドに行くんでしょ。

もうチケットも買ってしまったじゃない。

入院している場合じゃないよ。

ちょっと心が晴れ晴れ。

明日は彼とスポーツデー。

(-^-^)p_____|_o____q(^-^ ) 卓球

ビリヤード。

ボーリング。

てんこ盛りだぞ~~。

お金を用意して、さぁ支度しなくちゃ!!

2009-12-20 19:32:29

クリスマス会

テーマ:アスペの会

都会のど真ん中で(?)クリスマス会が行われた。

私は準備グループに参加したので、11時前からいた。

今回のクリスマス会は、手作りで食べ物を作るということだった。

主に、サンドイッチとケーキを作った。

私はサンドイッチの卵作りに没頭した。

卵サンドが1個床に落ちてしまい、お母さん方は「捨てよう」と言ったけど、お腹の空いていた私とKさんは構わず、汚れた部分を取って、食べてしまった。

へへへ。

味見はおいしいね。

私は早くケーキが作りたくてたまらなかったのに、サンドイッチ作りに集中し、サンドイッチを作るまでも、中々買い物が進まず、お母さん方も喧々諤々としていて、私は嫌なムードだな、と思っていた。

でもKさんがビンゴの球を数えて、と指示を出してくれたので、退屈しのぎにはなった。

だってそれまでミカンの皮をばらまいていたから。

何か指示を与えられると、ちゃんとその時間はお利口さんに過ごすことが出来る。

でもKさん曰く、「間」があると、私は奇行に走る。

Kさんは、その「間」の支援が必要だとノートに書いていた。

私は、ケーキ作ってとか、サンドイッチ作ってとか言われれば、きちんとこなせる。

だけど手持ち無沙汰の時が一番危険。

今日はテーブルに誰が座るか決まっていなくて、でも自分で作ったケーキを食べたくて、言い張って、私が座った所に自分のケーキが来るようにしてもらった。

でも私の座った所は、日当たり良好すぎで、サンドイッチもカピカピになり、暑くてたまらなかった。

Kさんは隣りに座ってくれたけど、私の食べ方の下手なのに「ブスだ」と言っていた。

涙目になって、口いっぱいにほおばる姿はブスだ、と。

ポップコーンをほおばりすぎて、喉につまり、べーっと出してしまった。

その出したポップコーンはお持ち帰りになった。

ぶじこれきにんさんは、その私の姿を見て「見てはいけないものを見てしまった」と言っていた。

いや、別にいいですけど、見ても気持ちいいものではないですよね。

Iさんの出したクイズは、実に巧みに計画が練ってあって、準備も万端だった。

景品も自分のお小遣いで買ったのだろう。

でも1/27生まれの本とか、8/29生まれの本とかを渡されても、正直困る。

だから誰か知り合いに、その生まれの人がいたら渡したらいいか聞いたら、NOだった。

欲しい人がもらった方がいいと思うんだけどな。

スタッフが考えたゲームは面白かった。

いつ、どこで、誰が、どうしたゲームとか、風船運びリレーとか、いつも私のチームは勝っていて、景品ももらえて、ラッキーだった。

ビンゴゲームは、アスペっぽい感じで進んだ。

時間がかかって、最後の方は飽きてきてしまった。

でも景品は、バーバリーのタオル。

隣の芝生は青く見えるのか、Kさんのもらったリッチなエコバックはいいなぁと思った。

私の景品は、物がでかいだけあって、最後の方まで残っていた。

結構いいもの入ってるんだけどな。

1000円越したし。

私はいいものを見つけると、手で鷲掴みにして口に入れてしまう。

飲み物もKさんが止めていなければ、いくらでも飲んでしまう。

Kさんに飲み物は制限された。

食べ物も制限された。

無限に食べたり、飲んだりしてしまうから。

ケーキも手づかみ、お寿司も手づかみ、ポップコーンも手づかみ、ついでに飾り付けのクリスマスツリーもパクッ。

何でも口に入れてしまう。

2歳児のMちゃんの方がかしこいかもしれない。

Kさんに提案した。

4月のバーベキューの時は、ふわふわドームに行きたい人は行こうよ、と。

有志を募ってくれるみたい。

ふわふわドームとは、大人も出来る大きなトランポリンね。

公園内にあるの。

私は先日のガイドで、そのふわふわドームを楽しみにしていたのに、時間が遅くてガスを抜いている所で出来なくて、泣いてしまったのだ。

リベンジしようと思ったら、3月末まで工事とのこと。

だからバーベキューに期待している。

駅のホームまで一人で行けないため、手帳を見せて駅員さんに事情を話して、Kさんにホームまで送ってもらった。

Kさんは入場券を買わなくて済んだ。

彼からは、案の定「余計なことは書くな」と言われました(笑)

でも今日のケーキは自分のが一番上手に出来てたと思うよ。

我ながら、自我自賛。

もう家ではケーキは食べられないからね、存分に大きいのを食べました。



2009-12-18 19:13:47

彼と会えなくなってくる寂しさ

テーマ:

彼が前の職場にいた時は、お互いに時間があり、今では信じられないくらい、しょっちゅう会っていた。

それは記録に残っている。

でも最近になって、私が移動支援が月25時間に増え、ショートステイも14日に増え、彼も平日休みが一日しかなく、どんどん織姫と彦星状態になってきた。

会おうと思えば、日曜日に会えるけど、日曜日は彼の唯一の休みの日でもあり、彼が友達と遊べる大事な日だ。

そんな日を奪ってまで、会おうとは思っていない。

というか、実際のところ、平日の方が、どこに行っても空いてるし、安いというのが現状だけど。

彼はそれとなく愛情を示してくれる。

でも鈍感な時もある。

私がこんなに思ってるのに~!!って言う時もあれば、逆に彼がサプライズで朝電話して来てるのに、私が電源を入れ忘れてたとかいうマヌケな時もある。

彼は今、ある国家試験に向かって頑張っている。

でもどうにかなるよ・・・的な考えは、どうも私の腑に落ちない。

三度目の正直なのに。

歳も歳なのに。

それから今の社会の構造に見られる「続かない職場」も彼に当てはまる。

彼は転職族である。

よくもまぁ、職場が見付かったもんだとビックリするくらいに、ラッキーな持ち主だけど、このラッキーはそう長くは続かないと思っている。

でも彼は先を考えない。

彼いわく「考えている」

でも私から見れば「考えていない」

出すぎた真似はしないように努めているけど、今の関係はどうなんだろう。

支援の時は、最近発作も多いけど、彼といる時は、極力発作の回数が少ない。

その分、安心しきっているのか。

彼についてはこれくらいにしておこう。

これから彼と電話することになっているから「余計なこと書くな」と言われそうだから。


支援先では私は「問題児」

病院でも「問題児」

でも病院では、Iさんが次回までに、絵カードを作ってくるそうだ。

次は何をしましょう的な。

いつも私は外に出てしまうと問題行動に出る。

だから病院内で過ごせばいいけど、なにしろ待てない。

待てないから外に出てしまうのだ。

彼といる時も、フラフラ~~~はあるらしい。

「捜す方の身になれ!」とよく言われる。


そういえば、新しいパソコンが出ましたね。

私もノート型パソコンを買おうかな、と思ったら、値段の桁外れな価格に、ちっちゃいのにしよう・・・と思いました。

ポータブルサイズっての?

気軽に持ち運びが出来る奴。

彼からのお年玉と、誕生日プレゼントを足して買おう。

ケーブルは弟に出張して来てもらって繋いでもらおう。

2009-12-17 20:01:56

1/7に脳波検査

テーマ:病院

ここ最近の発作について、S先生もK先生も「疲れから来るものだ」と言った。

K先生は、脳波検査も、薬の変更も必要ないと言ったけど、O里がそれでは納得しないだろうと思って、脳波検査をやってもらうことにした。

脳波検査で異常がないなら、それでいいじゃない。

S先生は「発作はゆこたんの形として現れるもので、てんかんとは別にゆこたんの発作として考えて欲しいんだけどな」と言っていた。

K先生は「僕は最近特に何も言わないでいるけど、ゆこたん、予定の詰め込みすぎだよ。入院中を見てて分かるんだけど、こういう発作が起こるのは、大抵疲れてる時なんだよ」と言っていた。

休養しようとは思ってるけど、何かとやることがあるんだよね。

1/7は、心理・診察・栄養指導・脳波検査とてんこ盛り。

契約書については、施設だから仕方ないと言っていた。

ちょっと疲れを感じていたので、薬局を待っている間、処置室で休ませてもらった。

休ませてもらう前から、ジャンプをして手を叩いたりしていた。

その時もジャンプから始まり、頭を手で叩いたり、顔を叩いたりした。

Iさんに手を押さえられ、頭をガンガンしだした。

そこから興奮状態になり、大暴れした。

K先生が来たと言っていた。

K先生が「久しぶりに見たな~」と言いながら、押さえつけていたらしい。

そして口の中にジプレキサを入れられた。

この文章の最後の方は、聞いた話。

実際はK先生がいたことも知らない。

気づいた時には、周りが暗くなっていて(電気が消されていた)、顔にタオルケットがかけられていた。

どうも苦しいと思った。

全身タオルケットでくるまれていた。

40分くらい格闘して、40分くらい寝たらしい。

全身噛んだ跡や、あざだらけになっている。

おでこもピンクになっている。

相当暴れたんだろうな。

休む前にも、入院病棟の前で遊んでいただけで、病棟の師長さんに「ゆこたんだよね」と言われて(私はその師長を知らない)外来まで連行された。

遊び方がまずかったかな。

塀の上によじ登ってたりしたから。


パパは3日ほど前に退院しました。

今は朝と夜に、食事前に血糖値を測って、インシュリンの注射を自分でしてます。

毎日血糖値を気にしながら生活しなければならず、食事も極端に薄味になり、品目も減った。


今日、病院の帰りに、パパとママにクリスマスプレゼントを買って来た。

12/24当日渡そうと思っている。


2009-12-13 10:38:38

色々あったO里ショートステイ

テーマ:O里

ケアKのショートから1日だけ置いて、O里のショートがあった。

今回は久々の待望の2泊3日。

荷物が多く、それなのにママが送っていけないということで、どうしようか・・・と思っていて、電話をしたら、8:30までに届けてくれれば預かりますよと言う返事に安堵。

ママは荷物だけ先に預けて、出かけてしまった。

私は初めてO里まで歩いて行った。

勿論歩けない距離ではないのだけど、何しろ方向音痴。

移動支援を使っているくらいだから。

早速迷った。

大回りをして、やっとたどり着いた。

心細かった。

Kセンターで作ったクリスマスカードを持って行き、見せて喜んでいた。

荷物チェックが終わり、ほっと一息をつくと「話があります」と言う。

すごく嫌な予感がした。

しかも2階工房の主任スタッフがうろちょろしてるし。

話と言うのは「契約書」にサインして欲しいというものだった。

今までやってきた悪事(カーテンでグルグル巻きになる、高い所から飛び降りる、イスや机を倒す、急に走り出す、など・・・)が列挙されていて、それらをもうしませんという契約書にサインして欲しいとのことだった。

なんで私ばっかりそういうことさせられるの?

ダメなことばっかり書いてあるし、イスや机倒したのって、第一回目のことじゃん。

去年だよ、去年。

しかもパニックになってる時に、この約束事項を守れたって無理でしょう。

中途半端に出来るって不利だと思った。

でもサインしない訳にはいかない。

サインしない=もう利用しません になってしまうから。

卑怯だよ。

ここ2~3ヶ月は、何も悪いことしてないのに、こんな時に契約書を持ってくるなんて。

なにも努力してない見たいじゃん。

しぶしぶだけど、顔はにこやかにサインした。

多分こういうストレスもたまっていたんだと思う。

サインが終わると「今回はゆこたんに絵本を作ってもらいたい」と言われた。

この絵心のない私が絵本!?と思ったけど、やり始めたら結構乗り気になり、2日間で飛び出す絵本を作った。

ストーリーも自分で考え、誰の手も借りなかった。

というか、スタッフにそれだけの力量がなかった。

でもこれだけ苦労して作っても、一瞬で破かれるんだろうな。

ストレスがたまり、夕食後、「なんか気持ち悪い」と訴えていて、でもスタッフの人と一緒に普通にトイレに行けたので、大丈夫かなと思って、ロビーのテレビを見ていた。

段々テレビの一角から目が離せなくなってきた。

どうして?あれ?と思っていると、それはどんどんひどくなっていった。

瞬きも出来ない。

そこでスタッフが「大丈夫?ゆこたん」と声をかけてきた。

でも大丈夫ではなかった。

そのうち痙攣が始まった。

痙攣は段々ひどくなっていき、体中が波を打ち始めた。

手もバンバン床を殴ってしまう。

自然に。

ひどい汗をかき始めた。

スタッフが揃って来て、私を端の方に寝かせた。

私の体は鉄のように硬直していた。

30分くらい経ったと聞いた。

段々力が抜けて行き、呼吸も楽になってきた。

どうやら薬を飲ませてくれなかったらしい。

パニック時と書いてあったからか?

ジプレキサでいいんだけどな。

そんな発作が、次の日もあった。

次の日の時には、工房で音楽の時間で、鳴子をガンガン叩き、興奮したからだろうと言われているが、定かではない。

興奮なんていつだってしてるし。

3日目には、絵本も出来上がっているのに、雨で散歩にも行けず、体がなまって工房内で多動になっていた。

だからセラピールームで、トランポリンをして発散した。

部屋に飾る飾りつけ(クリスマス用)も作った。

最後に主任さんが言っていた。

「あの契約書は、ゆこたんを苦しめるために作ったんではありません。

書いてあると安心すると思って作ったのです。

ゆこたんは言えば分かる人だから、書いたんです。

苦しめてしまったのなら、私も悲しいです」と。

5月の仮予約を入れたときに、3泊にしたいと言ったら、発作を起こしたためダメだと言われた。

前日まで、発作は誰にでもあるから、それを理由にダメとは言わないと言っていたのに、嘘つき。

「発作があると、ゆこたんにかかりっきりになってしまう事実があるんです」と言う。

ショートの人には、重点を置けないという本音だろう。

2泊出来たのは嬉しいけど、なんだかわだかまりが残った。


火曜日、彼とはカラオケに行った。

カラオケの前に、ドンキでソーラー電波時計(腕時計)を買ってくれた。

クリスマスプレゼントにと。

いいのかなぁ。

でも悲しいことが2点。

勿論、嬉しかったよ、メッチャ。

彼も似たようなものを買ったのだけど、前に買った奴の方が気に入っていると言っていたこと。

じゃあ、買わないほうが良かったの?

あと、ドンキで買ったから、安っぽいというようなことを言っていたこと。

私は彼がお金に負担をかけないように、ドンキを選んだのだけど、デパートのが良かったと言われると、そりゃあ私だってデパートのがいいけど、デパートは2倍も3倍もするよ・・・ってまた、彼の価値観が分からなくなってきた。

あと挙げてしまえば、彼が私が夏から作っていた沢山の帽子を、袋からも開けていないということ。

もう帽子はいらないのか。

もう作る気力がなくなってしまった。

もらってもこんなもんなの?

だったら他のものがいいね。

所詮手作りなんて、お金がかかるだけだね。

かなり悲しかった。

しかも彼は袋から開けようともしてくれなかった。

寒いからと言って、見てもくれなかった。(携帯で電話中)

もう帽子はやめよう。

最初の1年だけだったね。

喜んで被ってくれてたのは。

でも電話をくれるのはすごく嬉しい。

愛されてるって思う。

プレズントだって、いつも高価なもの。

私にはとても買えない。

ケタが2個くらい違う。

2009-12-07 21:13:50

ショートで初めての発作

テーマ:ケアK

ケアKのショートが12/6~7にあった。

その日の夕ご飯は、オムライスを作ることになっていた。

キッチンは使わせてもらえたけど、その代わり私は1階で泊まることになった。

でも実際1階に入ってみると、そこは普段お年寄りのデイサービスに使われているだけあり、敷地も広くて、トイレも広い。

結構気に入っちゃった。

今までケアKでトイレに成功したことはまれだったけど、着いてすぐにトイレに誘導されて行ってみたら、即出た。

オムライスは私だけ納豆を乗せた。

担当のHさんは、納豆は苦手ではないが「遠慮しておきます」と言っていた。

でも案外おいしかった。

オムライス好きの子が多いらしく「もうオムライスは勘弁だぁ」と言っていた。

そのせいもあり、Hさんの手際もいい。

そうなると、自然に私の手際も良くなる。

冗談も交えながら、(コーン落としたら、有罪だよとか)できたオムライスのチキンライスは私が肉が苦手なため、ハムだったけど、おいしかった。

私はほとんどサラダ担当だったけど、サラダ菜って増えるんですね。

見た目より、ちぎってみたら、ぼわってなった。

すぐに食いつきだして、最後の方は食べきれず、Hさんに食べてもらって、ごちそうさま。

テレビを2人で見ていた。

B級グルメのテレビで、2人で面白く見ていた。

でも段々、目が一点凝視になってきて、動かなくなった。

まばたきも出来なくなった。

よだれも垂れてくる。

でも拭けない。

体が硬直して、動けないのだ。

10分くらい経った頃、Hさんも異変に気付いて「大丈夫?」とか言って来たけど、その時には完全に出来上がっていて、ガタガタ痙攣し始めた。

ケアKでも痙攣はあって、ジプレキサは飲まされていたけど、ショートでは始めてだったらしく、「どうしたらいいんだろう?」と言っていた。

どんどんひどくなっていく発作。

しゃべれないから、筆談しようにも、体が動かない。

Hさんが口にジプレキサを入れた。

入れたままだとよだれで出てきてしまうので、口を閉ざされた。

その薬の即効性があったのか、痙攣は収まってきた。

だけど、硬直や、しゃべれなさは同じで、筆談しようにも、ペンが持てない。

ペンを握らせてくれて、やっとの思いで書いた文字は「おふろのじかん」

そう、お風呂は21:30と言われていたから、気になっていたのだ。

「22時でも入れるから、落ち着くまで休もうね」と言われて、10分くらい座っていたけど、また「おふろ」と書いたら「動ける?階段昇れる?洗うのは手伝うけど、動けないと持ち上げられないよ」と言われて、頷く。

実際階段はきつかったけど、お風呂は洗ってもらうだけだから、支障はなかった。

お風呂から上がって、もう眠くて、寝る前のおむつに替える前に目に入ったのが「おはじき」

じーっと見つめていると、おはじきをわしづかみにして、寝室へ持って行った。

そして寝ながら食べた。

Hさんは周りにおはじきが散らばってるのを見て、「あ、これか!」と思ったらしく、「はい、没収!!」と言って、一つ一つ持って行った。

持って行かれる度に私が口から出して、眺めていると没収されるので、無くなってしまった。

諦めてすぐに寝てしまった。

うつらうつらしている間に、おむつを替えられたらしい。

5:30に起きた時には、「6:30より前に起きてしまったときの注意」と書いてあった。

着替えの手順や、ホールでビデオを見ていいことなどは、初めに言われていたので、大体分かっていた。

静かに音を立てないように、濡れたパジャマを着替えて、ドローシーツもめくって、ホールに出たつもりだったが、気付かれていたらしい。

6:30まで実に静かにビデオを見ていた。

アンパンマンとしまじろうを。

朝はホットドックを食べる予定だったけど、起きてすぐに牛乳と缶コーヒーを一気飲みしたら、お腹が痛くてたまらなくなって、でもホットドックは別腹で、しっかり食べて「いたい~~!」と言いながらも、掃除、洗濯物干しをやった。

何回もトイレに行ったけど、結局今の時間(21:30)まで出ていない。

頑固な便秘は嫌ですね。

朝になって、昨日の発作のことや、おはじきのことを聞かされて、ここに書いているのだけど、本人は記憶が曖昧です。

日頃の疲れもあるのだろうか?

ショートではなかったんだけどな。

1階に泊まって、環境の変化もあるし。

残念。

2009-12-05 13:47:16

病院その他

テーマ:自分のこと

いつもの通院は、何事もなく終わった。

でもいつものIさんはいなかった。

ある男性患者さんに「あなたはどうしていつも看護師さんと一緒なんですか?」と聞かれた。

どう答えようか迷っていると、一緒にいた看護師さんが笑顔で、無言で私を隔離した。

Iさんはきっとお父さんの具合が悪いのだろう。

前に言っていたから。

今月は休まないと言っていたのに「私用で1週間は休む」と言っていたから。

S先生は完全に風邪を引いていた。

もしかして私が移したんだろうか?

内科を受診すると言っていた。

私がKセンターに週4日通うことに関しては、S先生もK先生も心配はしていたが、ダメとは言わなかった。

むしろ応援してくれた。

でもKセンターに通うのは4月以降になるそうだ。

そもそも開校式が4月だからね。

今月から上限が5000円になり、気分的に楽になった。

でも大抵は5000円行かないから、同じなんだけど。

風邪の方も大分治り、風邪薬も処方されなかった。

声が普通に出るようになったから。


12/1頃から、目の周りが真っ赤になり始めた。

どんどん赤身はひどくなっていき、おサルさん状態になった。

外来に行った時は、誰からも指摘され、「皮膚科に行くように。それも早めに」と言われた。

でも師長さんが検索してくれた我が家の近くの皮膚科は、外来日だった木曜日は定休日で行かれず、結局昨日、金曜日に行って来た。

でも皮膚科の前に、美容院に行って来た。

縮毛矯正とトリートメントとカットで17000円。

パパから借金をしていた15000円を越えてしまい、冷や汗をかいた。

だってその後に皮膚科も控えていたから。

美容院で20000円近くになるのは分かってはいたけど、実際恐ろしいですね。

どうやら前もって計算していたのと誤算があったのは、縮毛矯正がダメージヘア用のドクター縮毛矯正というのにしたから、5000円ほどアップしてしまったらしい。

でもできあがった髪の毛はつやつや。

天使の輪が出来ている。

思い通りの髪型にはならなかったのだけど、(それは思い通りのだと、跳ねて大変ですよ、と言われたから)後ろも4cm切って、さっぱりした。

ちょっと今は、ペタンとしているのだけど、徐々にサラサラヘアになっていくらしい。

でも1週間は、髪を耳にかけてもダメ、結ぶのもダメ、マフラーをするのもダメ、と結構厳しい。

型がついてしまうからだそうだ。

そもそも縮毛矯正というのは、髪質自体から替えてしまうらしい。

癖毛の人には、すごいラッキーなことだと思う。

私は癖毛ではないけど、ちょっと跳ね易いので、矯正をかけると、楽になる。

その代わり、半年はパーマがかけられないけど。


皮膚科の方は、すごい混んでいて、ビックリしてしまったけど、有名な皮膚科専門医らしく、診察は1分くらいなんだけど、的確に症状を把握して、ズバッと指摘された。

内容は季節性のもので、私くらいの年齢の女性に多く発症しているらしい。

口の周りにも出来ることが多く、第一の問題は、お化粧をしていないことだそうだ。

化粧をするなとは言われたことあるけど、化粧をしないからダメなんだと言われたことはなかった。

化粧をしないと、大気汚染をもろに顔に受けてしまい、アレルギーを起こすらしい。

塗り薬をもらってきた。


それからすぐにパパの病院に向かった。

丁度インシュリンを打っているとかで、談話室で待機させられ、戻ってきたパパは、腕にわっかをはめて、名前が書いてあり、すっかり病院の人になっていた。

でも歩行もトイレも外出も自由で、許されていないのは、勝手な間食とか、外泊だけで、本当に気ままにやっているみたい。

私の入院みたいに、色々と禁止事項もないし、家にもちょくちょく帰ってきている。

歩くことがいいと言われて、歩いて家まで帰ってきては、くつろいでいるみたい。

でも前と違っているのは、しっかりと病識を持ったみたいで、絶対に間食とかしなくなった。

面会に行っても、私やママはコーヒーを飲んでいても、パパは水しか飲まない。

結果・・・私よりも体重が減った・・・。

170cmで56kgって・・・。

ボクサーみたいじゃない。

インシュリンは3日前からお腹に打っているのだけど、インシュリンを打つようになってから、ものすごく血糖値が下がったみたい。

このまま下がった状態が1年続けば、インシュリンの注射もやめることが出来るようになり、薬に切り替えられるそうだ。

そのために糖尿病の教室にも通い、徹底的な食事療法を学んでいるみたい。

退院したら、そのメニューになるから、私も痩せることが出来るかな。


病院でK先生にもS先生にも、口くどく言われたけど、「休息を取りなさい」と。

今日は完全OFFだけど、今まで休息日がなかった。

彼とは火曜日しか会えないから会いたいけど、お金もないし、疲れているから、どうなんだろう?

彼とお泊りをしたときも、電池切れ状態になり、放心状態になった。

それが病院でも何度もあった。

彼は優しいから、電池切れになっても責めたりはしないけど、火曜日に遊ばないのは、ちょっと悲しげ。

私も疲れないところなら、行くか。

それとお金がかからない所。

ごめんなさい、本当にピンチなんです。

とか言いつつ、美容院に行ってるところが矛盾しているけど。

でも女の子だもん、綺麗になりたいじゃん(じゃあ、化粧しろよ??)

彼にはペアウォッチが欲しいと言っている。

彼は出せる金額がどこまでなのか、私には把握出来ない。

3万円なら払えると言いつつ、もっと高級なのが欲しいと言って、買わなかった。

つまり電波時計が欲しいそうだ。

そんなのかなり高くなるに決まってるのに、妥協しないでそっちを欲しがるから、私には線引きのラインが分からない。

男性からプレゼントされるのって、憧れだよね。

しかもメッセージカードなんて入ってたら、胸キュンなんだけど。

でも絶対に彼はしないだろう。(メッセージカード)

そんな彼は、現在二日酔い中。

羽目を外して飲むところがあるから、彼にはちょっときつめに言っちゃった。

もう若くないんだよ、君。

私も同じだけど。

私は飲まないもん。

飲み過ぎる人の心境が分からない。


では、パパが帰ってきているので、この辺で。


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