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「紅白」育ての親 川口幹夫さんに聞く 詰め込みすぎ/4時間長すぎる (1/2ページ)
このニュースのトピックス:TV・ラジオ番組
大みそか恒例のNHK紅白歌合戦は、今年で60回と還暦を迎える。かつての紅白はどんな演出が施され、どのように国民に愛されていたのだろう。テレビ生中継が始まった第4回(昭和28年)から番組制作に携わってきた元NHK会長、川口幹夫さん(83)に、草創期から成長期の紅白を振り返ってもらった。(村上智博)
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100年番組の予感
紅白は昭和26年1月3日夜に第1回のラジオ放送が始まった。前年にNHKに入った川口さんは、福岡の独身寮でラジオに聞き入っていたという。「紅組と白組で7人ずつ分かれての生放送。新鮮で面白かった。いや、これはスゴイ番組だなと仰天しました」
28年にテレビの本放送が始まると東京に転勤する。暮れも近づいたころ、上司から「紅白をやる。担当しろ」と突然、言われた。アシスタントディレクターとして、応援合戦や選手宣誓といった今の紅白にも通じる演出を編み出すなどして大みそかに備えた。
「強烈に寒い日でした」
当日は、東京・有楽町の日本劇場の観客席の一番後ろにあるメーンカメラのそばにいた。レシーバーを耳にあて、舞台とやり取りをするものの、声がよく聞き取れない。「2000人はいただろうが、目の前の超満員の観客が異様な盛り上がりを見せていた。私もつられて何か叫ぼうと思わず持ち場で立ち上がった。その瞬間に、今後100年は続く大型番組になる予感がしました」
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