2009年12月25日

鳩山疑惑と「最後のパレード」事件の共通点@

秘書が起訴された事を受け、マスコミの鳩山たたきが過熱しています。いくら、人の不幸を記事にして、読者に強制的に読ませるのがマスコミの仕事とはいえ、あまりにも醜いと思います。 


国民は、この問題を冷静に判断しないと、せっかくの政権交代が←←←これまで族により、妨害されてしまいます。 


←←←これまで族の狙いは明白です。これまで、つまり政権交代前の政官業の癒着体質社会に引き戻したいのです。その理由は、自分たちに有利であり、既得権益を手放したくないからです。 


←←←これまで族の筆頭は、何と言っても読売新聞でしょう。読売←←←これまで族読者が喜ぶために、鳩山首相を今日も苦しめています。 


読売新聞社説から <引用開始> 鳩山首相は記者会見で、「政治家としての使命を果たすことが、私の責任だ」と述べ、自らの辞任を否定した。 だが、首相は野党時代、加藤紘一自民党元幹事長や鈴木宗男衆院議員の秘書らが逮捕された際、何度もこう明言していた。 「秘書の犯罪は議員の責任だ」「私なら議員バッジを外す」 この言葉が今、自身の進退に向けられていることを、厳粛に受け止める必要がある。
<引用終了> 


辞任を否定するのは当たり前です。反対に、辞任でもしようものなら、私たち鳩山政権を望み、一票をいれた有権者が怒り出します。 


読売新聞は、鬼の首を取ったかのように、過去の発言を繰り返し引用しますが、鳩山代表の政治資金問題は、選挙前から分かっていました。そして、選挙の審判を受けて再度バッチをつけたのです。国民はバッチを外すことを望んでいないのです。そのことを読売新聞は書くことはありません。あまりにもバランス感覚に欠けているとあきれかえります。

 


読売新聞だけではありません。東京新聞も「庶民感覚」を問題視する国民の声を掲載していますが、「庶民感覚」を問題視するのは心が貧しい人たちです。

 


「悪の葉っぱに斧を向ける人は千人いても、根っこに斧を向ける人はひとりしかいない」H・D・ソロー 


鳩山家の根っこに目を向けないと、この献金問題は収まりません。反対に、根っこがどこにあるかが分かるとすべてが解決されます。

 


結論から書きます。鳩山首相は、庶民を幸福にするために多額の個人資産を活用したのです。それが根っこなのです。麻生首相のように、自分のためや、財界との付き合いに資産を費やしたのではないのです。

 


読売新聞は、この点も書きません。政治家 + 金 =悪 というイメージだけを国民に植え付けているのです。読売新聞は、国民を常にこのイメージ植え付け作戦で読者を「愚民化」しているのです。

 


さて、表題の鳩山献金問題と「最後のパレード」問題の共通点から、読売新聞の汚れた思惑を浮き彫りにしたいと思います。

 


■被疑者には「心に一点の曇りもない」

 

「最後のパレード」に掲載された「あひるさんありがとう」に酷似したエピソードをホームページから見つけ、編集のテーブルに上げたのは、サンクチュアリ出版の編集者です。著者の私と、オリジナルのエピソードの間には全く接点がありません。

 


私は、「最後のパレード」で得た資金を社会貢献活動に費やすつもりでした。ねずみ小僧のように、人から奪ったもので社会貢献をしようなどと考える人間は皆無でしょう。「その通りだ!(アーメン)」と思いませんか。

 


鳩山首相も同じでしょう。明治を生きた鳩山首相の曾祖母(祖母の母)鳩山春子は、現在の共立女子大の創始者の一人です。(共立女子学園の校訓には友愛が含まれています。)以後、三代に渡って鳩山家は社会に奉仕する仕事をしてきたのです。やましい気持ちなどゼロなのです。「その通りだ」と思うのが悪意のない普通の「庶民感覚」です。

 


細かいお金(の管理)に心を費やすと人間は小さくなると言われます。反対に、潤沢な資金は、男に度胸を与えます。

 


鳩山首相もそう考えていたに違いありません。鳩山首相の母も同じです。「金のことなど気にしていたら、良い政治家になれない」と考え、母の愛で鳩山由紀夫、鳩山邦男という政治家の背中を押してきたのでしょう。

 


ですから、鳩山首相が「全く知らなかった」というのは正しいと判断できるのです。私と同じように、「問題」との間に接点がないのですから。

 


<引用開始>

 綾小路氏は謝罪しました。綾小路氏が第一生命のサラリーマン川柳と接点があり(著作物の存在を知っており)、罪となる事実を認識した上で自らが「手を出し」、自らのビジネスに利用したことに間違いがないのなら謝罪は当然です。あるいは、綾小路氏自身ではない氏の関係者が罪となる事実を認識した上「手を出した」のであっても、氏は謝罪したことでしょう。 

<引用開始>

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13525252.html

 




私も鳩山首相も、罪となる事実を認識していませんでした。ですから誓って「心に一点の曇りもない」のです。

 


国民の大多数は、鳩山首相の「金」を汚いものであり、汚いことに使っていると感じていません。これ以上、読売←←←これまで族新聞の偏向報道が続くようなら、読売新聞社に向けてデモ行進でもしようではありませんか。私は、命を賭けてでも鳩山首相を読売新聞の毒牙から守りたい、そう思います。