「アイヌ民族」は日本列島の「原住民族」である!


アイヌ民族、苦しい生活 世帯年収は道内平均の約6割 (朝日新聞) について

 都合で掲載がかなり先送りになってしまった.現在は老齢のため「週刊金曜日」の代表からは外れているが,本多勝一が朝日新聞社に就職して最初に赴任した支局が北海道支社だった.もともと千葉大薬学部時代からワンゲルで鳴らしていたし (と言っても,結局薬剤師国試は卒後すぐには受けなかったらしい.MS の Wiki の記述は間違いだ),学士入学した京大農学部でも文化人類学者 (大阪の千里の万博公園の片隅にある大学院大学「国立民族学博物館」の初代館長でサル学者から転身) の 梅棹忠夫 (間違えて欲しくないが理学博士) の愛弟子として世界中を探検して回った本多のことだから,単位が足りなくて卒業が危なかったのに,梅棹と社主上野精一の紹介状2枚で5回生の本多を朝日新聞社は受け入れ,まず東京本社の校閲部に,そして半年後,遭難者の取材要員として新婚の彼を北海道へ送り込んだとの話である.

 梅棹忠夫の本は私も小学高学年の頃からちまちま読んでいて,中公から出た『文明の生態史観』には感銘を受けた.政治的には多少右寄りの人だが (人類学というカネにならない学問のための,科研費をぶんどる方言だったと私は理解している),アイヌ民族や沖縄県の人たちなどの少数民族に暖かい視線を向けていたのが記憶に残っている (講談社文庫の『夜はまだあけぬか』に詳しいが86年に失明し,口述筆記で昨年『梅棹忠夫に挑む』(中公新社)を出版している).

 本多勝一は後に朝日新聞紙上で「過激な内容」の連載ルポを書いたために,右よりの人たちからは「左翼」だと誤解されているけれど,彼の文章を若い頃の駆け出し時代からずっと読んで行くと,本質的には梅棹忠夫の思想の影響が最も濃いものだと確信している.逆に言うと,本多氏を「左翼」と誤解している人は 本多の著作を全く読んでいない無知なバカ であると決め付けて構わないであろう.

 話はずれたが,本多が新聞記者としての取材の中で出会ったのが,当時死の床にあった,北大文学部言語学教室教授の,アイヌ人学者 知里真志保 であった.明治の末の 1909年に生まれた知里は白老コタンの酋長の次男で,酋長を継ぐ兄と共に旧制室蘭中学へ通っていた頃から,英語の天才として名前が知れ渡っていた.既に姉の幸恵が東大でアイヌ語を研究していた金田一京助の元へ呼び寄せられ,ローマ字で綴った kamui-yukar (ユーカラ・神謡) を日本語へと翻訳していったが,重度の心臓病のために原稿を書き終わった日にわずか19歳の命を終えてしまった.幕府崩壊時に英米の宣教師がプロテスタントをアイヌ人に布教するまで,アイヌ人たちは文字を持っていなかったのである. 無文字社会であるゆえに,室町時代後期に大酋長コシャマインが松前藩との戦争に敗れてからは,松前藩からの経済的搾取は悲惨を極めた.「蟹工船」がその典型例である.「日本人は泥棒であり強盗である」 という自覚を私たち日本人は持たなければならない.

 寝ぼけて記述を間違えた箇所があります.詳しくは以下の Webページを読まれて下さい.アイヌ民族博物館ホームページ

 知里真志保は金田一京助から学費を援助するので旧制一高へ来ないかと誘われ,アイヌ人で初の一高つまり現在の東大駒場教養部文科へ入学することになる.当時の日本人たちの偏見は相当のものだったらしく,真志保は薄毛だったことも幸いして,毎日髭を丹念に剃っては,寮の風呂で身体を広げ,アイヌ人は決して毛深くないとストリップをやっていたそうだ.当然,真志保は生まれつきの天才を発揮して,英語とドイツ語の成績は首席,そのまま東大文学部言語学科へ入ったのだが,パトロンの金田一京助のもとでアイヌ語の研究をする気は最初はなかったそうである.


 この画像の古ぼけた『アイヌ民譚集 付,えぞおばけ列伝』という岩波文庫は,実は一高の2年から3年への春休みに書かれた書物であるが,方言や文法的解説は非常に詳しく,81年の夏休みに初版で買った時には暑さも忘れて読み漁った記憶がある.真志保の周りでは英文学を専攻しろ,つまり一番成績の良い者しか入れない教室へ入れという声があったのだが,結局真志保はセム語などを齧ったあとで,金田一の門を叩くことになる.時代は昭和二桁となり,段々と戦争の影が「白い巨塔」にも忍び寄ってくる.金田一は真志保を兵役に出したくないためにそのまま大学院へ残させ,大学院在学中に文学博士の学位を取らせる.真志保はどこへ出しても恥ずかしくない言語学者として,文部省もしぶしぶ北大文学部の職を斡旋することとなる.

 戦後は「北海道旧土人保護法」によってアイヌ語使用の禁止をされていたアイヌ人の人権を復活させるため,アイヌ人のリーダーとして真志保は政治的に担ぎ出される事が多くなっていったが,それは反対に体調を崩した真志保の死期を早める原因ともなったのである.そんな時に本多勝一が取材した内容をまとめたものが,一番上に掲げた『アイヌ民族』という朝日文庫である.皆さんも一度,偏見なしに読んで頂きたい.

 また,私も直接彼らのライヴを聴いたことがあるのだが,「アイヌ詞曲舞踏団・モシリ」という楽団がある.下がそのCDの写真だ.


 ちなみに,彼らの Webページは 「アイヌ詞曲舞踏団・モシリ」 である.女性たちが弾いていた「ムックリ」を購入して,指導を受けながら練習してみたのだけど,肺活量が違うのか全然音が出なかったのがショックだった.ムックリの写真も出したかったのだけど,紛失中なので,また出てきたら出そうかと思っている.

 また,参考に 「アホらしい! クリル列島は「アイヌ民族」の固有の領土だ」 という記事を2月22日に書いているので,参照されたらうれしい.

あとがき なお,asahi.com の「マイタウン北海道」に アイヌ民族先住性「法」に 超党派議員の会 という記事があったので,参考にされて下さい.民主党の鳩山代表も選挙区が苫小牧,つまり白老コタンの近くなので,わざわざ駆けつけて来たそうです.オバマ大統領の次の演説は,どうもそのまま日本にも言えるのではないだろうか.「この国には、アフリカ系や中南米系が不相応に警察権を行使されてきた長い歴史がある」

P.S. 喜八ログさん,静岡7区はどうも民主党の新人の斉木武志氏が漁夫の利を得そうな気がしますよ.城内さんと接戦になりそうです.片山さつきはボロ負けでしょうけどね(笑)
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アホらしい! クリル列島は「アイヌ民族」の固有の領土だ


「北方領土大幅譲歩」の憶測も 首相、政権浮揚狙い?(共同通信) - goo ニュースについて.

 昨晩は深夜まで 右翼の街宣車がうるさかった ので,警察に通報した.すると,電話口の警官からは,もううんざりだというため息が聞えて来て,県警本部の丸暴へ電話を回した.なるほど,明日は2月22日だったなと思い,ようやく納得が行った.今日も教会では,昨晩はうるさかったねぇという話ばかり…….牧師も,まぁ奴らとは信じてる宗教が違うんだから,地道に抗議するしかないよね,という結論に.

 余りにも馬鹿馬鹿しい! 本州を含む北海道から北の地方は,もともと 「アイヌ民族の固有の領土」 だったことが考古学や文化人類学の成果でだんだんと分かりつつある.某研究者のでっちあげのせいで何が本当の証拠なのかが分からなくなってしまった青森県の三内丸山遺跡の「縄文遺跡」だって,もともとはアイヌ民族,民族学的には「東北アイヌ」と呼ばれる人たちの生活の跡だった訳だ.秋田県の第三セクター・秋田内陸縦貫鉄道にも「阿仁マタギ」という駅名がある.マタギというのはまさに山の動物たちを狩って生活していた東北のアイヌ民族のことだ.いまの山形空港の近くに,安倍家のでっかい墓があることを皆さんは知っているだろうか.安倍家や岸家の政治家とその家族は選挙の前には必ずここで先祖の霊をうやまう.なぜかと言えば,安倍家の祖先はここに住んでいたアイヌ民族の一酋長で,大和朝廷に寝返ったためにアイヌ民族の仲間から攻撃され,船で日本海を逃げまくり,現在の特牛(こっとい)港へたどり着き,下関の豪族になったという話だ.

 ところで,ここで問題が一つ浮び上がる.もともと粟などの雑穀や野菜を細々と耕作し,武器は決して「人を殺さず」,あくまで神事のためにクマなどを殺すため使われてきたアイヌ民族の安倍氏がどうして豪族=「武士」になれたのであろうか.そこに,主に朝鮮半島から攻め込んで来たと考えられる,大和民族 (これが邪馬台国であるかどうかはあえて触れない) の製鉄技術と軍事力が伝わったせいではないかと私は考えている.つまり,武器で人を殺すという文化が伝達したのである.同じことは琉球王国にも言える.琉球王国は軍事力は台湾の支配下にあり,行政と貿易で半分独立した国家を形成していた.それと言うのも東シナ海が台湾や中国の大軍を寄せ付けなかったからだと考えられる.実際,鎌倉時代になって朝鮮で強力な海軍力ができて初めて,モンゴルは朝鮮軍を九州へと差し向けることができたし,薩摩藩が琉球王国を制圧できたのもやはり強大な海軍力を持ったからである.

 あと気になるのが,各地に点在する,巨大な「神宮」の存在である.これは何を意味するのだろうかと,柳田國男や折口信夫の本にあたると,どうも日本人は古代から 「死者のたたり」 を怖れていたらしいことが分かった.怪奇マンガを描く梅図氏の邸宅が景観を汚すと言って付近住民から訴えられていたけれど,逆に考えると 梅図氏の周辺の住民はまさに,梅図氏の描く「死者のたたり」を怖れているのではないか と,クリスチャンの私は考えている.キリスト教の信者は原則として死を怖れない (例えば「新約聖書」のルカによる福音書の8章49節〜55節.イエスが食べ物を与えるようにと言ったのは,生き返らせた娘が「生きている」ことを意味し,後のイエスの復活を示唆している).「死はあくまで想うもの」(memento mori) であって,イエス・キリストが人民裁判で殺されたという事実から,人は群衆になると愚かなことをするという哲学を導き出すものなのだ.

 誤解している人が多いと思うけど,キリスト教神学,特にプロテスタントの一番の基本は「聖書の記述を全て疑うこと」である.そうでない「信者」がいれば,それは統一協会と同じ「カルト」である.アイヌ民族が逸早くプロテスタントを受け容れたことは,上に示した知里真志保氏の姉の知里幸江がアイヌの神とキリスト教との間で揺れていたことでも分かる.

 つまり,全国に点在する巨大な神宮というのは,もしかすると大和民族が武器を持たないアイヌ民族を皆殺しにしてしまい (もしかすると死肉を家畜の代わりに食べてしまったのかも知れない),彼らのたたりが怖くて大きな神社を造ったのではないか,と考えられるのだ.実際,鳥居の形というのは,臨月の女性が出産する両脚のふんばり方を象徴していて,神社の社のご神体というのはまさに産まれてくる赤ん坊なのだと文化人類学的に定義できる (詳しくは山口昌男の著作を読まれたし).そして,この赤ん坊こそ,霊の世界から現の世界へと出て来る,たたりを浄化するものなのである.神社のおみくじやグッズは,まさにたたりを浄化する象徴なのだ.それでないと,出雲大社など,どうやってあんな辺鄙な所に巨大な神社ができたのかという説明が付かない.そして中国山地は砂鉄がたくさん取れるので,現在でも製鉄業,と言っても鍛冶屋さんが主に農具を修理・制作している.いまは廃止となってしまった可部線のディーゼル区間の途中に加計(かけ)という町(現在は安芸太田町として合併)があるが,ここはかつては多くの鍛冶屋がいて,農具だけではなく武器も作っていたというから,アイヌ民族を殺すための武器を古代に作っていたと考えてもおかしくない.

 ついでに言うと中国山地の山林は古代から伐採されて,スギやヒノキが植林されてきた.スギの木炭は火力が強いので製鉄に適しており,ヒノキは神社の建築に使われてきたからである.お金持ちがヒノキの家にこだわるのは,実はこうした神道の背景が無意識にあるためである.

 話は大幅にずれたけど,アイヌ民族は非常に広い分布をしている.北海道はもとより,クリル列島,カラフト (サハリン),シベリア極東部と,幅が広い.さらに北海道やクリル列島やサハリンにはギリヤーク人やオロッコ人などの少数民族も存在した (が,明治政府によって滅亡させられた).理由は簡単,江戸時代から貧乏で無力なアイヌ人やギリヤーク人たちを奴隷のように扱き使った松前藩のせいである.松前藩の作った「タコ部屋」に男たちは詰め込まれ,「北方領土」の海で過酷な漁をさせられ,女たちは慰み物にされて日本人との混血児を産まされ,計画的に民族滅亡への道を歩まされたのである.これが有名な,小林多喜二の『蟹工船』(岩波文庫など) で暴露された,北の海で下層社会に生きた人々の姿である.

 時事通信あたりの記事では,一部の右翼が「北方領土」に本籍を置いていると報じたが,もともと住んでいたアイヌ人や松前藩士の子孫は果たしてどれだけいるのだろうかと,私は疑問を投げ掛けたい.つまり,江戸時代から「北方領土」に住んでいた人の子孫ならば,それはそれで本籍を置く意味もある.しかし,現実にそこは火山の噴火などで危険地帯でもあり,クナシリ島・エトロフ島に「住む」ことができるのであろうか.「住む」ことが可能でなければ「本籍」を置く意味がない (マンガ喫茶や避難所に住民票を置けるかどうかで役所がもめているのはこういう理由がある).

 実際,これまでもこの両島の火山活動で多くの人々が亡くなってきたし,地震による津波に飲み込まれた人も多い.ソ連時代からあった魚の缶詰工場も老朽化のせいもあって火災事故を起こし,結局クナシリ島・エトロフ島に住んでいたアイヌ人やロシア人はサハリンへ移住し,現在はロシアの国境警備隊のヘリコプター部隊と海上保安部隊,つまり軍人しか常駐していないのが現実だ.軍人だから,火山や津波に巻き込まれても栄誉の戦死だ.逆に言うと,日本は自衛隊を常駐させてまで,ロシアと「北方領土」を分割統治しようというハラなのだろうか. 高田渡「自衛隊に入ろう」

 今日は疲れたのでこれまで.ちなみに表紙は知里真志保さんと言って,今から50年前に亡くなった,アイヌ人初の東大合格者(しかも東大在学中に文学博士!)で北大教授を勤めている間に亡くなられた言語学者が旧制一高文科時代に書いた本です.この本の注を読むだけで,初歩のアイヌ語の仕組みが分かる,すごい本です.この本を読んで,知里さんは天才や!と思い,大枚はたいて6巻の全集を買いました.

きょうのおまけ ドイツで拾って来た,Kraftwerk "Radioaktivität" です.


   同じく,ドイツの「鉄」が作成した Kraftwerk "Trans Europe Express" です.一部の車輌には「DB」(Deutsche Bundesbahn) や「InterCity」(IC いーちぇー) という表示がありますけど,これはドイツ国内がほとんど電化され,ディーゼル特急車両の排気が架線を汚すこともあり,老朽化した編成から順々に食堂車や一等車を外した「都市間特急」(InterCity) として使い出したという事情があります.日本で言う,キハ80系・181系特急車両や0系・100系・200系新幹線車両のようなものですね.

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アイヌモシリを侵略した和人よ,自己批判せよ


アイヌの遺産「金成マツノート」の翻訳打ち切りへ (朝日新聞) - goo ニュースについて。

 しばらく体調を崩していたので,この記事のアップが遅れてしまいました。上記の写真は 知里 真志保 (ちり・ましほ,1909-61) という,アイヌ民族で初めて旧制一高・東大文学部に入り,北大教授になった天才言語学者(本人は民族学者と称してたそうです)が旧制一高3年の春休みに書いた著書の『アイヌ民譚集』(岩波文庫赤版, 1981)です。登別のコタンの酋長の孫で三人兄姉の次男でした。旧制室蘭中学時代から英語の天才として有名だったのに,英語の辞書は実は兄と共有していたので,如何に記憶力が抜群であったかが知れる人でした。しかも旧制一高時代は英語とドイツ語の首席も守ったとか。

 知里の一族は祖父の代からアイヌ民族の習慣を捨てて西欧文化を取り入れた人々で,知里の母親とその姉にあたる伯母の金成マツも 1877年にバチェラー博士が函館に開いたキリスト教の愛隣学校へ共に入学し,アイヌ民族へキリスト教や英語を広めた優秀な女性たちでした。真志保の母のナミが英語のナショナルリーダーを4巻全部とっていて,旧制中学時代の真志保はそれで英語を勉強したと言います。ところが母方の祖母の金成モナシノウクの影響でアイヌ民族の無文字伝承である「ユーカラ」をほぼ完全に伝承したのもやはり優秀だった伯母の金成マツだったのです。金成マツは子供の頃の両脚骨折のため脚が不自由であり,その分勉学に集中しやすかったのかも知れません。

 この金成マツが,姪であり,知里真志保の姉である知里幸恵へユーカラを託した結果が,現在岩波文庫で出ている,知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』(岩波文庫赤版, 1978) です。

    

 ところが上記の通り,金成マツは愛隣学校で英語を学んでいたため,アイヌ語をローマ字で記述する方法も取得していました。身体の弱かった知里幸恵が女学校を出た後,上京して金田一京助に師事したものの,すぐ心臓病で19歳で若くして亡くなるまでに,文庫本になるだけのローマ字と日本語の対訳で書かれた書物を残せたのも,やはり伯母の金成マツのおかげだったと言うべきでしょう。

 アイヌ民族はキリスト教の布教によってローマ字が入るまで,その発音を正確に記述する文字を持っていませんでした。だから,歴史や物語や笑い話はすべて,韻を踏んだリズムで詠まれた「ユーカラ」(神謡) という形でしか伝わって来なかったのです。もちろん,その中には,東北地方の同族が大和朝廷によって滅ぼされた悲しみや,室町時代に北海道へ進出してきた松前藩に大酋長シャクシャイン (日高本線の静内に銅像が建ってます) が徹底抗戦したとか,圧倒的武力によって負けたアイヌ民族が日本人の奴隷となり,クナシリ島など「北方領土」へ集められ (クナシリ島の酋長ツキノエも蜂起したのですが) 奴隷労働(いわゆるタコ部屋)を強いられたなどの物語や歴史はすべてユーカラの形で伝承されていたのです。

 知里真志保の天才さを見抜いていた金田一京助は真志保が東大に来るやいなや,文化人類学 (当時の言葉では民族学) や言語学を学ばないかと必死で誘いました。知里もセム語 (要するにキリスト教の原点であるヘブライ(ヘブル)語やアラビア語などアラブ地域の言語)を学んだりして,言語学に興味を持っていたため,金田一と一緒にアイヌ語の文法の解析を始めたのです。ところが真志保にとって,祖父母の代から西洋文明に染まっていた家族の中で,アイヌ語は祖母や伯母や姉がこそこそ話している,全くの外国語だったのでした。アイヌ民族でありながらアイヌ語を全く知らない,アイヌ民族のエリートだったのです。詳細は平凡社の知里真志保著作集 全6巻セットを読んで頂きたい (実は私も昔,全巻買いました) のですけど,あいにく現在品切れです。写真などの詳細は平凡社図書目録の『知里真志保著作集』全6巻を見られて下さい。私が購入した時と違って,とんでもない価格がついてますけど。(^^;)

 話を金成マツへ戻すと,彼女は甥や姪たちの努力を見ながら,母親から口伝えに覚えたユーカラをノートに書きつづって行ったのです。しかし,朝日新聞の記事にあるように,金田一氏とアイヌ民族初の国会議員・萱野茂氏が努力したにも関わらず,金成ノートはわずか4割しか翻訳されないまま,萱野氏も亡くなってしまったのです。残りの6割を翻訳するには50年はかかるため,北海道教育委員会は予算の関係上,翻訳の打ち切りを決定してしまったのです。ところが本音は翻訳作業に関わってきた萱野氏が旧社会党・現民主党の国会議員だったという政治的なこだわりがあったのではないかという憶測が出ているのも事実なのです。


 知里真志保は亡くなる1年前,毎日新聞 60年11月18日にこのようなエッセーを寄せていますので,以下の本より引用させて頂きます。

知里真志保『和人は舟を食う』(北海道出版企画センター, 2000)
   
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  『愛国心』 私はこう思う        知里真志保

 アイヌ語もろくにわからぬ連中がマスコミの波に乗ってアイヌ研究を随筆化し,そのでたらめさにたえかねて私などがたまに真実をあばくと,やれ偏狭だの思い上がっているのだと袋だたきの目にあうのが現状だ。
 学問の世界ですら正直者はバカをみるのが現状であってみれば,名誉ある孤立を守って地味な仕事をこつこつと続けてゆくのがささやかながら僕の愛国心の発露だと思っている。
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 ネイティブでありながら,ネイティブとして母語を習得できなかった悲しさがあふれる文章だと思います。彼の著作集のうち最初の4巻は論文集ですけど,どれもこれも私たち理科系の論文のように極めて簡潔・要点だけを整理した文章ばかりです。学生の方は大学図書館にあると思いますので,一度ごらんになられると,これが文科系の学者の文章かと驚くかと。

追記 参考までに,次の Webページもごらんになると良いでしょう。佐藤和美「『地名の世界地図』のアイヌ語」

 また,明石書店からロシアの高校教科書の翻訳が出ています。これも参考にされると良いかも知れません。ロシア科学アカデミー極東支部 歴史・考古・民族学研究所(村上昌敬訳)『ロシア沿海地方の歴史 -- ロシア沿海地方高校歴史教科書』(明石書店, 2003)



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アイヌのものはアイヌの元へ!


領土問題解決の基盤縮小 駐日ロシア大使 (共同通信) - goo ニュースについて。

 ロシア側の言い分はごく至極当たり前の国際的な常識である。北方少数民族のために,帝政ロシアやソ連がどのような気配りをして来たか,日本人は分かっているのだろうか。

 日本人は東北地方に住んでいたアイヌ人を軍事力で無理矢理に混血化し(だから,関東地方を制圧した源氏は「征夷大将軍」なのである。「夷」とは東北アイヌのことに他ならない!)米作による年貢を押し付け,極貧の生活を強いて来た。北海道のアイヌ民族も同様,軍事力で制圧・皆殺しにして,明治時代になるまでは「奴隷」として扱って来た。

 このような不条理の中で,日本がクリル列島やカラフトを「日本の固有の領土」などと主張するのはもっての他,論外である。アイヌ民族たちは非常に温厚で優しい人たちゆえに,狡猾な日本人(和人)に利用されて来た。本来ならば,国連人権委員会あたりに,日本政府のこれまでのやり方を提訴するべきではないだろうか。

 Toshi shisam wen shisam! (にくいにくいシャモ(和人)の奴よ!) 和人がシャモになるのは,shi(私の)-sam(隣の)-utara(仲間)が訛って shisamo, shamo となったらしい。アイヌ語で shusham と言うと柳の葉が川に入って化けた魚と言う意味だが,和人はシュシャムをシシャモと訛って食っている。シシャモというのは人間 ainu でなく和人 shisam のことだから,まさに和人は共食いをしていると言えなくもない(笑)


追記 少し長くなりますが,知里真志保編著『アイヌ民譚集』(岩波文庫赤版,ISBN: 4003208110,全集は平凡社から6巻本)の「後記」(1935年に書かれたもの)から引用します。知里真志保(ちり・ましほ 1909〜1961)はアイヌ民族の酋長の家柄に生まれ,東大文学部卒後,北大教授をされていた言語学者です。

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 私が一高へ入った当時,物見高くして傍若無人な,そしてデリカシイなどはむしろ無きをもって得意としているかのごとき一高生は,田舎から出て来たばかりの,それでなくてさえ或る種の引け目から始終おどおどしていた私を包囲して,「熊の肉や鮭の肉を主食として育った君が,こちらへ来て米の飯ばかり食べていて体には何ともないか」とか,「口辺に入墨をした娘を見慣れた眼に,日本娘はシャンに見えるかい」とかいった類の,取りようによっては随分と痛い質問を浴びせては,気の弱い私をひそかに泣かしめたものであった.しかしながら,州郡の粋を集めたと自称する一高生の,なんら皮肉の意味でなしに発したこれらの質問は,当時の内地人一般がアイヌに関して有していた認識の実際の程度を示したものとも見られる.しかもこの種の認識不足が,五年後の今日においても,なんら改善されていないことの証拠を,私は,私の周囲にそこはかとなく捲起って来る事件の中に,いくらでも見出すことが出来る.
 私の最も親しい友人の細君がどこで読んだか「アイヌの娘は下の方よりもお乳を大事にするんですってね」というので,「そんなことはないでしょう」と私が否定すると,「だって野蛮人は一般にそうだというじゃありませんか」といい切るのだった.この場合の野蛮人という言葉は,何の悪気もなしに発せられたのではあろうけれども,それだけに私はかえって,アイヌは野蛮人であるとの意識が,内地人の脳裡に根深く潜在していることを知って,悲しく思ったのである.
 アイヌは決して――その語の正当な意味においては――野蛮人ではなかった.松前藩が小藩の微力をもって広大なる蝦夷地を統治して行く必要上,アイヌをできるだけ愚かな状態に置こうとして,和人との混住,蓑・笠・草鞋の着用,和人語の習得などを厳禁し,ひたすら日本文化の流入を避けるのに腐心していた当時にあってさえ,アイヌはリュイス・モルガンのいわゆる未開時代の,少くとも中層状態までは進んでいたと見ることができる.にもかかわらず,いまだにアイヌを野蛮人扱いにする人のある裏面には,色々の原因が考えられるであろうが,私は特に文字を通しての影響を問題として取上げて見たい.

---- 中略 ----

 文字を通しての悪影響の第二は,ジャーナリズムの悪意である.かつて一人の男が生活苦に堪えられずして,ささやかな心得違いをしたことがあった.その際に新聞は「アイヌ盗む」という表題で三面記事を掲げた.「メノコ襲わる」とか,「旧土人自殺す」とか,「旧土人にも恵みの春」とか,善きにつけ悪しきにつけて必ず「旧土人」なる名称を特筆大書するジャーナリズムの悪意は,知らず識らずの間に一般人の脳裡に差別観念を植付けるのに役立っている.また弘前出身の或る有名な通俗作家は自己の小説の中に再三再四「アイヌ」なる語を悪口代りに用いているし,大学教授上りの或る有名な滑稽小説家は,自己の小説に滑稽味を加えるために,アイヌに関して実に荒唐無稽な挿話の作為をさえあえてしている.その他教育家のくせに「アイヌと熊」などという衒奇的な題目を掲げて,ジャーナリズムに迎合し,もって世人の印象を誤らしむる徒輩もある.

---- 中略 ----

 これを私の郷里――北海道胆振国幌別郡幌別村――だけについていうならば,そこではもはや,炉ぶちを叩いて夜もすがら謡い明し聴明す生活は夢と化し,熊の頭を飾って踊狂う生活にいたっては夢のまた夢と化してしまった.新しい社会における経済生活の圧迫や,滔々として流込む物質文明の眩惑は,彼らをして古きものを顧るに遑なからしめた,生活のあらゆる部門にわたって,「コタンの生活」は完全に滅びたといってよい.四十歳以下の男女はもちろんのこと,五十歳以上の男子といえども,詩曲・聖伝のごとき古文辞を伝え得る者はほとんど無い,纔かに残っている数人の老媼たちですら,今では全く日本化してしまって,その或者は七十歳を過ぎて十呂盤を弾き,帳面を附け,或者はモダン姿の綽名で呼ばれるほどにモダン化し,或婆さんは英語さえも読み書くほどの物凄さである.毎日欠かさず新聞を読んで婦人参政権を論ずる婆さんさえいるのである.内地人の想像さえ許さぬ同化振りではないか.

---- 後略 ----
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扶桑社は責任をとって解散するべし


市販教科書1万冊回収へ 扶桑社、写真無断掲載で (共同通信) - goo ニュースについて。

 マンガやエロ雑誌でカネ稼ぎをしている出版社が何を血迷ったのか「検定教科書」などに手を出したのが根本的な原因であろう(笑) 真面目な記事は「夕刊フジ」だけで十分だ。エログロナンセンスでカネを稼ぐ,それがフジサンケイグループの表向きの姿なのに,ホリエモンが敵対的企業買収に動いただけで,経営者がすべて総会屋であるという本性が国民の前にもろに見えてしまった。ヤクザはヤクザらしくしておけば良いのに。

 当然,「日本は単一民族国家」などという神話にすがっている,知能の低い連中も同様である。戦前に朝鮮人や台湾人をそうやって洗脳し,実際には差別をしていた事実を彼らは一向に認めようとしない。北朝鮮が戦前の日本の鏡像のような国家に堕落してしまったのも,韓国で長らく続いた軍事政権時代に日本で高等教育を受けた軍人が大統領になっていた(その軍事政権を完全に終わらせた金大中氏からはようやく韓国内大卒(建国大学政治学科中退・高麗大学経営大学院修了・慶煕大学大学院修了))のも,ある意味で日本の悪しき伝統を受け継いだからだと言えなくもないのではなかろうか。

 従って,アイヌ民族はすでに過去のものだと言い切り,アイヌ民族の人権をことごとく蔑視した扶桑社は,本来国連人権委員会にでも提訴して,会社そのものを潰す必要があるのではないだろうか。川村氏は比較的穏健派にあたる方だが,もしアイヌ民族の英雄であった知里真志保が生きていたならば,当然の如く扶桑社撲滅運動へと動き始めるであろう。

 知里真志保が 1960年11月18日,毎日新聞に寄せた「『愛国心』私はこう思う」というエッセイを引用します(知里真志保『和人は舟を食う』北海道出版企画センター,2000)。彼の本音がよく出ています。

「アイヌ語もろくにわからぬ連中がマスコミの波に乗ってアイヌ研究を随筆化し、そのでたらめさにたえかねて私などがたまに真実をあばくと、やれ偏狭だの思い上がっているのだと袋だたきの目にあうのが現状だ。
 学問の世界ですら正直者はバカをみるのが現状であってみれば、名誉ある孤立を守って地味な仕事をこつこつと続けてゆくのがささやかながら僕の愛国心の発露だと思っている。」
 
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