2009年12月24日

クリスマスの精神と友愛精神

サンタクロースとは、「セント・ニコラウス(ニコライ)」という聖職者の名前が変化したものです。

 

ウィキペディアより

 

<引用開始>

ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ている。

<引用終了>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9

 




私も、何年もサンタクロースになりましたが、本当のサンタクロースの意味は違っていたのです。それは、サンタクロースのキャラクターは、自分の子供や(イベントなどで)他人の子どもたちに金品をプレゼントするのではなく、知らない貧しい人に富を分け与えることを目的としていたのです。

 


聖書より

みことばを教えられる人は、教える人とすべての良いものを分け合いなさい。

ガラテヤ人への手紙 6章6節

 

戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ、共に同じく分け合わなければならない。

サムエル記 第一 30章24節

 


つまり、セント・ニコラウスという人物は、富を分け合うことを喜びとしていたのです。「与えよ、さらば与えられん」という有名な言葉もありますが、「情けは人のためならず(自分のためになる)」と同じ意味です。

 


キリスト教を学ぶと、あることに気付きます。それは「キリスト教は実に単純である」といことです。聖書には、難解な教えが書かれているのではなく、「人としての正しい行動」がやさしく書かれているのです。

 


分け合うということは分かち合うということです。この「人としての正しい行動」を喜びにしなさいと聖書は教えているのです。

 


まとめます。サンタクロースは分け合うこと、与えることを喜びとしていたのです。与える喜びは与えられる喜びより大きなものです。ぜひお試しください。

 


さて、クリスマスの精神です。それは「愛」「思いやり」「分かち合い」であり、「人としての正しい行動」の源になる精神です。キリスト教という宗教から「霊的な部分」「宗教色が強い部分」を引き算して、人が誰でも有している「優しい部分」だけにフォーカスしたものが、誰にでも受け入れることができるクリスマスの精神なのです。

 


友愛の精神も同じです。友愛とは「愛(人間愛)」「利他の心」「思いやり」「分かち合い」「感謝の心」です。誰もが共有することができる「人としての正しい行動」を導き出す精神です。

 


最後に、友愛とキリスト教の関係について簡単に触れておきたいと思います。

 


友愛を日本に持ち込んだのはジョン万次郎です。アメリカでキリスト教のユニテリアン派の教義を学びました。

その、ユニテリアン派の教義はキリスト教の「三位一体」の三から二を引き算し、単一にしたものです。単一、唯一という意味のunityがユニテリアンの語源であり、他のキリスト教会派から異端と言われる最大要因です。

 

それでは、「三位一体」とは何が一体になったものでしょうか。それは、「神」「イエス・キリスト」「聖霊」です。ユニテリアン派は、「三位」から「イエス・キリスト」と「聖霊」を引き算した信仰団体なのです。

 


このようにも説明できます。「三位一体」とは、「太陽」「太陽からの光」「太陽からの熱」が一体になったものと。

 

ユニテリアン派は「神」だけを信じるのです。ですから、神を信じる日本人には容易に受け入れられるのです。

  

興味ある方は「友愛」+「ユニテリアン」や「福沢諭吉」+「唯一館」で検索してみてください。友愛の奥の深さが理解できることでしょう。