2008年10月20日

ロシア遠征 第1部

初のロシア遠征に発った。上海からモスクワ・サンクトペテルスブルグと飛んだので、蒙古帝国がロシアを攻略した方向になる。歴史を振り返るとローマ帝国はロシアの地には縁がなかったが、ナポレオン、ヒトラーともにこの寒冷の国に戦いを挑み破れている。偉大な権力者も、過大な野心が勢いを削ぎ衰退滅亡を招くかを歴史は語っている。第二次大戦中サンクトでは、29か月にわたるドイツ軍による包囲戦で70万人の餓死者を出したが、ロシア軍は守り抜いた。モスクワ戦では、ナチスの軍事力から判断して、ロシアは焦土作戦を展開した。先ずモスクワをドイツ軍に占拠させて、モスクワ市街を焼き散らし、ドイツ側のロジスティックつまり兵站を断ち、打破したのである。しかし何がこの二人の偉大な戦争のプロを共に寒冷のロシアを攻めさせたのか。二人共過信と寒冷の地ロシア人の底力に更に冬将軍が加わる強大さを過少評価した。もしもナポレオンが、ヒトラーが、ロシア遠征に挑まずに欧州域内でとどまっていたら、歴史は大きく変わっていただろう。ナポレオンが欧州統一を遂げていた。とすれば二度の世界大戦はなかったかもしれない。

話を東西1万kmもあるロシアの東端の極東へ飛んで、もし日本が日露戦争後、中国の東北三省、樺太、朝鮮半島と台湾の領有だけでとどまって、それ以上の拡大侵略をしなかったら。朝鮮人・中国人の差別なしに、同一市民として認めて共生を進めて、産業開発経済発展していたら。当時の国民党中国とも良好な関係を維持していれば、日中戦争ー太平洋戦争というアジアでの第二次大戦は回避できたのではないか。そうすると中国の共産主義化は無しに、日中が共存共栄してアジアでの大国になっていた。もしかすると統合して一つの国かUNITED STATES OF JAINAとか連邦国家になっていたかも知れない。当然軍事力も保持して。そうなると東西冷戦はどう推移していたか。こんな無意味なもしもの歴史を同行の上海人パートナーと話しながらの旅であった。

サンクトぺテルスブルグ 美女の多い美しい欧州都市
空港からの道路町並みとも美しく、欧州都市を感じる。フィンランドから200kmの距離しかない。ソ連解体後、面積が76%、人口は55%に減っても未だ世界一の面積の国だけあって、道路も幅広く、ビルや住宅周囲の緑地もゆったりとして、米国も感じさせる。小生の事業のロシア代理店の本社がここにある。空港、ホテル、客先の会社事務所どこにも、ロシア美人があふれている。こんなに美女が多い国は初めてではないか。スタイルがまたいい。長身、すらっとした脚線美と豊かな胸。客先の中国駐在の社員によるとバルト海沿岸のエストニアが一番美女の産地だと聞いたことを思いだす。しかし、これだけ美女が多いと、美女の優位性が薄れるのではないか。ロシア美人の嵐は、一週間の旅の最後、モスクワ空港からパリへ飛んだ、エールフランス機内まで続いた。この最後のロシア美人は、007のボンドガールを思い浮かべる、洗練された高級美人で、ゲートで待つ間、カエサルはうっとりと眺めていた。

ロシア料理も美味しかった。スープのボルシチ。中国語で紅菜湯(ホンサイタン)と言うとおり、赤い肉厚の野菜、キャベツのようなものかの、赤色のスープに生クリームを入れて食す。そしてビーフストロガノフ、牛肉の煮込み。この二つは日本でも食べる人も多いのでは、日本人の料理のレパートリーに入っているのではないか。寒冷地のためか、ロシアの人は料理に凝るのではないだろうか。厳しく長い冬に家でじっくり時間をかけて美味しい料理を美女の妻が作る。しかし食べ過ぎて美女も牛と化すか。前菜も様々で、ニシン(Herring)の燻製や塩味の野菜。またイクラはロシア語が語源でサケの魚卵のことであると知る。これらを食しながらロシア人は40数度のウォッカを飲む。滞在中に行ったレストランの多くで感じたことは、ロシア人はアメリカ・中国・フランスに比べてあまり騒がないことである。ウォッカを飲み続ける酒場や居酒屋では、酔ってどなる声もあるだろうが、空港、展示会、レストラン、カジノとどこへ行っても大声はほとんど聞こえない。またロシア人は黙々と仕事を続けるようだ。モスクワの空港で上海からの到着便の遅延で乗り継ぎ便に間に合わず、エアロフロートのカウンターで、次の便をと頼むと、こちらに状況を説明せずに黙々と処理してしまう。途中で質問しても答えてくれない。言葉の障害もあるのだろうが。話しをレストランに戻すが、サンクトで行った二つのレストランは、歴史的な建物と内装、サービスも良く、料理もうまく、歌手や音楽がまた洗練されている。ロシア音楽の水準の高さを印象させる。

ウォッカを大量に飲むロシアの男性の平均寿命は58.5歳と短い。
平均寿命  男性    女性    男女差
ロシア   58.5歳  71.9歳  13.4歳
日本   78.4    85.3    6.9
米国   74.4    80.1    5.7
フランス  75.6    83.1    7.5
中国   70.1    73.3    3.2
と各国を比較してみるとロシアの男性は極端に短命である。酒の飲み過ぎには気をつけたいものである。だがしかし、ご覧のとおり先進国をはじめ各国とも高齢化が進んでいる。科学と医療の進歩・安全の追及で寿命が延びる一方、人口増加が食糧・環境問題を進めている。人類と地球にとって望ましいことかという見方もある。

ロシア通の大塚健夫氏
中学の同級生でロシア通の大塚健夫君がサンクトに駐在していて、三十数年ぶりの旧交を温めることができた。大塚君は、学生時代にロシア音楽に魅されて以来、大学で単位を取れないロシア語を受講、ロシア研究で大学院を目指すしたが、当時、1980年頃、ロシアを研究しても将来性が無いと大学教授から言われて、学業の道をあきらめて総合商社のニチメンに入社したそうだ。商社では財務部に配属された。ソ連海外研修を上司に申請するが、財務部にロシア語は不要と蹴れらた。二年目にやっと実現して当時のレニングラードのレニングラード大学(現サンクトペテルスブルグ大学)に留学してロシア語とロシア音楽を学ぶ充実した一年間を過ごした後に東京の財務部に戻った。それから、ソ連貿易部門への転属を申請すると、上司から「あの部門へ行くと一生そこから抜けられなくていいのか?」に対して「本望」としてソ連ロシアビジネスの道を始められ、建設機械のビジネスを長く続けられている。専門家になると強いもので、数年前に住商・三井物産の両方に引っ張られたそうだ。ソ連解体の二度のクーデター共に彼はモスクワ駐在で、特にエリツェン大統領が戦車の大砲を国会に撃ち込んだ時には、彼は国会の隣のビルの事務所で勤務していて、爆音と衝撃を受けたと言う。発表されなかったが数百人は死んだだろうと話していた。

ロシア遠征 一部終り
ST PBG Neva riverErmitage Musee w Otsuka

caesarsato at 10:03コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ!

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